待ち合わせは朝の9時。
「早く出てもなぁ……」とか「10分くらい前でも良くない?」とか。色々と考えてみたけれど……結局、30分前にコーヒーショップに行くことにした。前回と全く同じ。……待ちたいんだと思う。たぶん。
「絶対に寝れないな」と思いながら、楓くんと別れた後は帰宅したけれど、シャワーを軽く浴びて布団に入ると、気が付けば朝になっていた。寒気もしていたし、予想以上に疲れていたのかも知れない。パフスリーブに近いシャツを選んで、念のためにカーディガンを持っていく。駅へと続く歩道橋はいつもと同じはずなのに、なんだか今日は妙に色付いているように思えた。
「デート」という言葉は、魔法がかかるのかも知れない。
私は魔法にかかっているのかも知れない――。
1本道の歩道橋からは、駅の改札口がよく見える。まだ楓くんは来ていない。スマホに目をやると、まだ8時35分。……でもなぜか、ドキドキする。1歩1歩駅に近づくたびに、私の心臓は強く拍動していくように感じた。
時間が経つのが、すごく遅く感じる。今日も雲一つない青空。きっとこれから暑くなるはずなのに……何だか背中が一瞬、ぞくっとする。
(外で待とうかな)
改札口の横にあるコーヒーショップ。店内に入ろうかと考えたけれど、私には少しだけ寒いことを思い出した。
歩道橋を通って、磯子駅の改札口に歩いてくる人達。右から左まで、顔を動かさないように、目線だけを送る。まだ……いない。
少し間を空けて、またざーっと見る。何度も何度も、改札口の真横で繰り返す。
時間の経過もゆるやかで、右から左へと何度も何度も人の顔を見る。
……歩いている人達を真剣に見ているうちに、段々と目まいがしてきた。
(はあ……これからなのに……)
「美咲ちゃん」
遠くから届く楓くんの声。周囲の雑音をかき消すように、私に静かに響き渡った。
「あ、楓くん。お早う」
「お早う! 早いね」
「えっ?」
駅の時計を見ると、まだ8時50分。ちょっと目まいがしてから、時間の流れがおかしくなっているように思えた。
「あ、うん。送れるよりは良いかなって」
「俺も。おんなじ」
「……でも、ちょっと早く来過ぎたかも」
「今日はそこのお店に入ってないんだね」
「うん。この前、ちょっとだけ寒かったんだよね。だから止めといた」
「そっか。カーディガン……? やっぱり寒い?」
「これ? ……いや、今日は日焼け止めの代わりだよ」
心配そうに見つめる楓くんの目線を遮るように、私は小さなウソをついた。
「で、今日はどこに連れて行ってくれるの?」
「……あっ!!」
周囲の人達が、ちらりと楓くんに目線を向けて、改札口へと流れ込んでいく。
「……びっくりした……どうしたの?」
「……ごめん」
「……え? ひょっとしてさ」
「あー……もう! やべえ」
「デートプラン、考えてきてないとか?」
「ごめん!」
私は声を出して笑った。「時間あったくない?」なんて、責める気は無い。それよりも、昨日はよっぽど勇気を振り絞って、声をかけてくれたんだなと思った。
「いやぁ、楓くんらしいっていうか……ま、良いんじゃない?」
「違うんだよ。俺さ、ちょっと早くきて……ここで考えようと思ってたんだけど」
「……私が、すでにきてたってこと?」
「そう」
「別に良いよ。それよりさ、昨日の公園の方に行ってみたい」
「お詫びに」って奢ってもらった、ホットココア。
私達はいつもの散歩コースになっている芦名橋公園に向けて、歩き出した。
―――――
磯子アベニューに沿って歩いていく。
昨日告白をされた芦名橋公園の先には、古くて小さな商店街があって神社もあると楓くんが教えてくれた。
「根岸駅からの方が近いかも」
「そうなの?」
「……たぶん。電車乗って、根岸駅から行く? 暑いし」
「うーん……。たぶん大丈夫だと思う。ここから歩いて行こうよ」
きっと8月の暑い日に……ホットココアを片手にカーディガンを羽織っている私を心配してくれているに違いない。
「それってさ、暑くないの? カーディガン」
「……それが意外と普通なんだよね」
「えー……マジ?」
確かに、カーディガンを着ていることによる暑さは、不思議と感じない。もしかすると、まだお昼前だからなのかも知れない。でも、ゆっくり歩いていてもおでこの辺りからは、じんわりと汗をかき始めていた。
「あ、昨日色々あった場所。到着だ」
芦名橋公園に差し掛かったところで、楓くんが思い出すように言う。
「……本当だよね。まだ昨日だもんね」
「ね。ちょっとだけ休憩しようよ」
そう言うと、楓くんはベンチに向かって歩き出した。私もゆっくりと楓くんの背中を追う。
「美咲ちゃん、だいぶ疲れてるでしょ」
「……仕方ないよ。夏だし。日傘持ってくれば良かったな」
じりじりと強くなり始めている日差しがうらめしい。ベンチに接しているお尻も、段々と熱くなり始めていた。
「……引き返そうか? まだ芦名橋公園だし」
「んー……せっかくここまで来たしな……もう少しなんでしょ?」
「そうだな、10分くらいかな」
この芦名橋公園から、目指す神社まで。すでに半分ほどは歩いてきているらしい。でも、口には出していないけれど、あまりにも暑い。……なぜか体の中は冷たい感じがするのに。
「分かった。それじゃ、ゆっくり行こう」
「うん」
夜の散歩コースとして芦名橋公園をゴールに設定していた私は、この公園から先に行ったことがない。
「ここ、小学生の頃、たまに来てたんだよね」
「……そうなんだ」
少し奥まで進むと、公園の真横に小さなプールが併設されていた。夜の時間だと、この辺は暗くなるから……まったく気が付かなかった。
「プールあるんだ。私この辺で育ってないし、あんまり探検してないから」
「そうだよね」
「うん。全然分かんないもん。……色々教えてよ」
「任せなさい」
公園の周辺は、駅前とほとんど同じ。住宅街になっていて、国道が通っているだけ、という感じがする。ひっきりなしに車が通っている。人通りはあまりない。
「美咲ちゃんて、熊本だよね? 確か」
「うん。あ、でも小さい頃は大分にいたらしいんだよね」
「……大分? そうなの?」
「うん。この前お父さんから聞いた。大分、知ってる?」
「……名前くらいは」
「ははっ! そうだよねー……まだ熊本の方が、有名だよね」
「大分か……じゃあ、大分で生まれて、熊本で育って、横浜に来たみたいな感じ?」
「そうそう。でも、大分の頃の記憶は、ほとんどないけどね」
国道に沿って歩いていると、古びた商店街の入口が見えてきた。だいぶ年季の入った商店街に見える。
「あ、あれ」
「何?」
「浜マーケット」
「浜マーケット?」
入口の前まで来て、びっくりした。
遠目から見ていた以上に古い。近づいていくと、中から人が出てくるのが分かる。
「……まだやってんの?」
「失礼な」
楓くんが笑っている。でもどこか懐かしそうな瞳で商店街の入口に目線を向けている。
「……まぁ俺も最近来てないけど……ほら、やってるじゃん」
商店街といっても、本当に『昭和の商店街』って感じの大きさだった。横幅がとにかく狭いし、シャッターが閉じられているお店も多い。車の中からだと、もしかしたら気が付かないかも知れないなと思った。
「……結構来てたんだけどなぁ……」
さっきと同じセリフ。再び懐かしそうに楓くんがつぶやく。
「そうなんだ」
「小学生の頃、よく探検してた」
「……探検って」
「いや、小学生の俺にとっては探検だったんだよ。ここの中を歩くのは」
楓くんが言うには、小学生の頃はシャッターが閉まっているお店はほとんどなくて、凄く賑わっていたらしい。「あんまり覚えていないけど、そうだったはず」と言っていた。
浜マーケットを更に国道沿いに進むと、道路を横切るように川があり、橋がかかっている。橋の近くまで行くと『八幡橋』と書いてあった。……かなり車が多いし、色々な方向から車が来るから、あまり落ち着く場所じゃない。
(……早くここ、通り過ぎたいな)
騒音と空気感。苦手なほどのざわつき。眉間にしわを寄せながら足早に橋を渡り切る。
「……あっ」
ちらりと目線を前に向けると、森に囲まれた場所。そこには神社が見えた。
「早く出てもなぁ……」とか「10分くらい前でも良くない?」とか。色々と考えてみたけれど……結局、30分前にコーヒーショップに行くことにした。前回と全く同じ。……待ちたいんだと思う。たぶん。
「絶対に寝れないな」と思いながら、楓くんと別れた後は帰宅したけれど、シャワーを軽く浴びて布団に入ると、気が付けば朝になっていた。寒気もしていたし、予想以上に疲れていたのかも知れない。パフスリーブに近いシャツを選んで、念のためにカーディガンを持っていく。駅へと続く歩道橋はいつもと同じはずなのに、なんだか今日は妙に色付いているように思えた。
「デート」という言葉は、魔法がかかるのかも知れない。
私は魔法にかかっているのかも知れない――。
1本道の歩道橋からは、駅の改札口がよく見える。まだ楓くんは来ていない。スマホに目をやると、まだ8時35分。……でもなぜか、ドキドキする。1歩1歩駅に近づくたびに、私の心臓は強く拍動していくように感じた。
時間が経つのが、すごく遅く感じる。今日も雲一つない青空。きっとこれから暑くなるはずなのに……何だか背中が一瞬、ぞくっとする。
(外で待とうかな)
改札口の横にあるコーヒーショップ。店内に入ろうかと考えたけれど、私には少しだけ寒いことを思い出した。
歩道橋を通って、磯子駅の改札口に歩いてくる人達。右から左まで、顔を動かさないように、目線だけを送る。まだ……いない。
少し間を空けて、またざーっと見る。何度も何度も、改札口の真横で繰り返す。
時間の経過もゆるやかで、右から左へと何度も何度も人の顔を見る。
……歩いている人達を真剣に見ているうちに、段々と目まいがしてきた。
(はあ……これからなのに……)
「美咲ちゃん」
遠くから届く楓くんの声。周囲の雑音をかき消すように、私に静かに響き渡った。
「あ、楓くん。お早う」
「お早う! 早いね」
「えっ?」
駅の時計を見ると、まだ8時50分。ちょっと目まいがしてから、時間の流れがおかしくなっているように思えた。
「あ、うん。送れるよりは良いかなって」
「俺も。おんなじ」
「……でも、ちょっと早く来過ぎたかも」
「今日はそこのお店に入ってないんだね」
「うん。この前、ちょっとだけ寒かったんだよね。だから止めといた」
「そっか。カーディガン……? やっぱり寒い?」
「これ? ……いや、今日は日焼け止めの代わりだよ」
心配そうに見つめる楓くんの目線を遮るように、私は小さなウソをついた。
「で、今日はどこに連れて行ってくれるの?」
「……あっ!!」
周囲の人達が、ちらりと楓くんに目線を向けて、改札口へと流れ込んでいく。
「……びっくりした……どうしたの?」
「……ごめん」
「……え? ひょっとしてさ」
「あー……もう! やべえ」
「デートプラン、考えてきてないとか?」
「ごめん!」
私は声を出して笑った。「時間あったくない?」なんて、責める気は無い。それよりも、昨日はよっぽど勇気を振り絞って、声をかけてくれたんだなと思った。
「いやぁ、楓くんらしいっていうか……ま、良いんじゃない?」
「違うんだよ。俺さ、ちょっと早くきて……ここで考えようと思ってたんだけど」
「……私が、すでにきてたってこと?」
「そう」
「別に良いよ。それよりさ、昨日の公園の方に行ってみたい」
「お詫びに」って奢ってもらった、ホットココア。
私達はいつもの散歩コースになっている芦名橋公園に向けて、歩き出した。
―――――
磯子アベニューに沿って歩いていく。
昨日告白をされた芦名橋公園の先には、古くて小さな商店街があって神社もあると楓くんが教えてくれた。
「根岸駅からの方が近いかも」
「そうなの?」
「……たぶん。電車乗って、根岸駅から行く? 暑いし」
「うーん……。たぶん大丈夫だと思う。ここから歩いて行こうよ」
きっと8月の暑い日に……ホットココアを片手にカーディガンを羽織っている私を心配してくれているに違いない。
「それってさ、暑くないの? カーディガン」
「……それが意外と普通なんだよね」
「えー……マジ?」
確かに、カーディガンを着ていることによる暑さは、不思議と感じない。もしかすると、まだお昼前だからなのかも知れない。でも、ゆっくり歩いていてもおでこの辺りからは、じんわりと汗をかき始めていた。
「あ、昨日色々あった場所。到着だ」
芦名橋公園に差し掛かったところで、楓くんが思い出すように言う。
「……本当だよね。まだ昨日だもんね」
「ね。ちょっとだけ休憩しようよ」
そう言うと、楓くんはベンチに向かって歩き出した。私もゆっくりと楓くんの背中を追う。
「美咲ちゃん、だいぶ疲れてるでしょ」
「……仕方ないよ。夏だし。日傘持ってくれば良かったな」
じりじりと強くなり始めている日差しがうらめしい。ベンチに接しているお尻も、段々と熱くなり始めていた。
「……引き返そうか? まだ芦名橋公園だし」
「んー……せっかくここまで来たしな……もう少しなんでしょ?」
「そうだな、10分くらいかな」
この芦名橋公園から、目指す神社まで。すでに半分ほどは歩いてきているらしい。でも、口には出していないけれど、あまりにも暑い。……なぜか体の中は冷たい感じがするのに。
「分かった。それじゃ、ゆっくり行こう」
「うん」
夜の散歩コースとして芦名橋公園をゴールに設定していた私は、この公園から先に行ったことがない。
「ここ、小学生の頃、たまに来てたんだよね」
「……そうなんだ」
少し奥まで進むと、公園の真横に小さなプールが併設されていた。夜の時間だと、この辺は暗くなるから……まったく気が付かなかった。
「プールあるんだ。私この辺で育ってないし、あんまり探検してないから」
「そうだよね」
「うん。全然分かんないもん。……色々教えてよ」
「任せなさい」
公園の周辺は、駅前とほとんど同じ。住宅街になっていて、国道が通っているだけ、という感じがする。ひっきりなしに車が通っている。人通りはあまりない。
「美咲ちゃんて、熊本だよね? 確か」
「うん。あ、でも小さい頃は大分にいたらしいんだよね」
「……大分? そうなの?」
「うん。この前お父さんから聞いた。大分、知ってる?」
「……名前くらいは」
「ははっ! そうだよねー……まだ熊本の方が、有名だよね」
「大分か……じゃあ、大分で生まれて、熊本で育って、横浜に来たみたいな感じ?」
「そうそう。でも、大分の頃の記憶は、ほとんどないけどね」
国道に沿って歩いていると、古びた商店街の入口が見えてきた。だいぶ年季の入った商店街に見える。
「あ、あれ」
「何?」
「浜マーケット」
「浜マーケット?」
入口の前まで来て、びっくりした。
遠目から見ていた以上に古い。近づいていくと、中から人が出てくるのが分かる。
「……まだやってんの?」
「失礼な」
楓くんが笑っている。でもどこか懐かしそうな瞳で商店街の入口に目線を向けている。
「……まぁ俺も最近来てないけど……ほら、やってるじゃん」
商店街といっても、本当に『昭和の商店街』って感じの大きさだった。横幅がとにかく狭いし、シャッターが閉じられているお店も多い。車の中からだと、もしかしたら気が付かないかも知れないなと思った。
「……結構来てたんだけどなぁ……」
さっきと同じセリフ。再び懐かしそうに楓くんがつぶやく。
「そうなんだ」
「小学生の頃、よく探検してた」
「……探検って」
「いや、小学生の俺にとっては探検だったんだよ。ここの中を歩くのは」
楓くんが言うには、小学生の頃はシャッターが閉まっているお店はほとんどなくて、凄く賑わっていたらしい。「あんまり覚えていないけど、そうだったはず」と言っていた。
浜マーケットを更に国道沿いに進むと、道路を横切るように川があり、橋がかかっている。橋の近くまで行くと『八幡橋』と書いてあった。……かなり車が多いし、色々な方向から車が来るから、あまり落ち着く場所じゃない。
(……早くここ、通り過ぎたいな)
騒音と空気感。苦手なほどのざわつき。眉間にしわを寄せながら足早に橋を渡り切る。
「……あっ」
ちらりと目線を前に向けると、森に囲まれた場所。そこには神社が見えた。


