神社ってね、感謝をするところなんだよ

「あっ……」
ふと目に入った公園の時計。気付けば夜の9時になろうとしていた。
「帰ったら9時半過ぎちゃうよ?」
「……あぁ……そうだね。帰ろうか」

Tシャツの袖を涙の跡を消すかのようにこすりつけて、ゆっくりとベンチから立ち上がる。鼻を少しすすりながら、折り返し地点を磯子駅の方に向かって歩き出した。

「……美咲ちゃん」
「ん? 何?」
「手。……繋いで良い?」
私は思わず吹き出してしまった。しんみりした雰囲気が一気に無くなり、再び真夏の暑さが私達を包み込んだ。

「何? 駄目だった?」
「……いや、そういうのってさ、聞くもんなのかなあって」
「……あぁ……そうか。ごめん」

楓くんが、すっと手を握ってくれた。緊張するかと思っていた私は、自然と受け入れていたことに驚いた。……すごく……温かい。「美咲ちゃんの手が冷たいんだよ」と言い訳するかのようにつぶやく楓くん。……そんなのいい。楓くんの手が温かいってことだけで十分……。

磯子アベニューはずっと続く1本道。信号はほとんどない。芦名橋公園から、スタート地点の区役所まで2ケ所ほど。珍しく赤信号になると私の心はほっとした。
「……少し落ち着いた?」
「うん……。さっきはごめんね。急に」
「仕方無いよ。上手く言えないけど……何でも話をして欲しいって言ったじゃん」
「うん。ありがとう」

青に変わり、再び歩き出す。
「……ねえ、楓くん家ってさ、家の人厳しい?」
「……え? どうしたの、突然」
「いや……。どんな感じなのかなって」
「うちは父子家庭なんだよね。昔、離婚してるからお父さんしかいないけど……まぁ、厳しくは無いんじゃないかな。……そもそもあんま関わってない」
「へぇ……離婚してるんだ。うちと一緒だね」
「あ、そうなんだ……。父子家庭ってさ、母子家庭の人と違って、うちの学校あんまいないんだよね。……親近感」
「あははっ! そうだね。じゃあ、あんまり厳しくないのかもね」
「どういうこと?」
「えっ? お父さんからしてみたら……離婚しても一緒にいたい、大切な子供ってことでなんじゃないの? 楓くんは」
「……そんなもんかね」
「何よ」
「……家では反抗期しているから……良く分かんないな」
「反抗期してんの? お父さんが可哀そうだよ。止めてあげなって」
「止めたりできるもんなの? それって」
「うちはお父さんと仲良いよ?」

私達は声を上げて笑った。暑さに顔をしかめるサラリーマンが一瞬こちらを見ると、お互いに顔を見合わせて「しーっ」と口元に指を持っていった。

「……じゃあ、ここで良いよ」

区役所を通り過ぎると、磯子駅にはものの2、3分で到着する。駅のすぐ下にはチェーンのご飯屋さんがあり、私達は散歩を終えることにした。

「ねえ、美咲ちゃん」
「ん? 何?」

「……明日、暇? ……いや、時間ある?」
「明日? ……部活休むつもりだったから、時間あるよ」
「本当?」
「うん」
「……俺と、デートして下さい」

体勢を変えて、正面を向く楓くん。真剣なその表情からは、勇気を出して伝えてくれたことが分かった。『デート』という言葉が、心の奥にすっと入り込んでくる。

「はい。……お願いします。デート、どこに行くの?」
「神社。磯子のどっかで」
「良いね。じゃあ、この前みたいに改札待ち合わせにする?」
「そうだね。朝9時で大丈夫?」
「うん。大丈夫」

「……あ、そうだ。楓くん、DM」
「DM?」
「もしかしたら、もらっても疲れちゃってて……返信できないかも」
「分かった。結構歩いたもんね」
「ありがと。でもDMくれるのは嬉しいよ」
「じゃあ、また明日ね」
「うん。ばいばい」

楓くんと別れた後、「ちょっと寒いな」と思いカーディガンを羽織った自分が信じられなかった。体の芯が、火照っているのに寒気もしていた。上手く心が整理できないけど……「生きててよかった」と初めて思えた日。それだけは分かっていた。