森浅間神社。
別に有名だからってわけじゃない。
別に綺麗ってわけじゃない。
家から近い。
磯子駅にある。
お父さんと来たことある。
……楓くんを案内できるのは、ここしかないから。
「……結構、長くない?」
前回の私が心の中で思っていたことを、全部楓くんは言葉にしてくれる。
「平気平気。すぐ着くよ」
「そうなの? まあ……せっかく来たしね。上ろうか」
口呼吸をできるだけ隠しながら、ゆっくりと石段を上っていく。お父さんと来た時と違って、少しジメジメする。暑い。無茶苦茶暑い。誘った私が弱音を吐かないように、涼しい顔をしながら上った。
「ここ湿気すごくない?」
(良かった……同じこと思ってたんだ)
「ね。……暑っつい」
おでこの汗を左腕で軽く拭った。こんなことになるのなら、タオルを持ってきたのにと心の底から後悔しながら。
「でも、ちょっとひんやりするよね。気のせいかもだけど」
「そう言ってもらえて、良かったよ」
「ま……ゆっくり行こう。俺けっこう暑いから」
多少調子は良いものの、目まいが目の奥に残っている。「やっぱりさっきの汗、体調悪いのかな」とようやく自分の体に意識が向いた。
(……ちょっと気を付けないとなぁ……もたないぞこれ)
「……そういえばさ」
「何?」
「この神社って結城さん、良く来るの?」
「……そんな来ないよ。何回か来たことあるくらい」
なぜだろう。小さな嘘が口から出た。
「そうなんだ」
「……うん」
「引越してきたばかりだから、まだ慣れてないんじゃない? 色々」
「……そうだね。ぶっちゃけ全然分かんない」
ゆっくりではあるけど、やっぱり疲れる。呼吸が少し乱れてきた。
「ちょっと休もうよ」
楓くんは、そんな私に気付いたのか……休憩しようと言ってくれた。ちょうど前回、休憩した場所と同じ所で。
ゴォー……ッ……ゴォー……ッ……
ここの車の音、意外と心地良い。音が風を運んでくれている気分になるから。生繁っている木々も、ちょうどブラインドのように光を遮ってくれている。
「……何、結城さんって神社マニアなの?」
「……えっ? あははっ!!」
楓くんと話をして、初めて声を上げて笑ってしまった。あまりに予想していなかった言葉だったから。思わずはっとして口を押さえる。
「え……? 何」
「違うよ。そういうわけじゃないよ」
「……じゃあ何で笑うのさ」
「いや……前にお父さんと来た時、私も同じこと言ったなぁって」
「そうなんだ」
「うん。……あーおもしろっ……」
笑い過ぎてちょっと涙が出た。そんな私を見て、楓くんの表情も穏やかになっている気がした。
「あ、でも久し振りに笑ったかも」
「そうなんだ。良かった」
「マニアってわけじゃないんだ」
「うん。そういうわけじゃないよ」
「散歩ルートで来たってこと?」
「……うーん。まぁ、それはそうだけど」
「何?」
「……今日は内緒」
「教えてくんないのかよ」
「うん。今日はね」
楓くんに紹介できるのは、もちろんここしかないから。でも茜に向けて手を合わせたかったのもあった。
今日は不思議だ。
歩道橋で楓くんに声をかけてから、自分の心の奥の『枷』が少し外れているような感じ。
「もうさ、面倒くさいからさ、楓くんも下の名前で呼んでよ」
「え?」
「その方が楽だから」
「……あ、うん。……分かった」
私のことを「美咲ちゃん」と呼んでくれた時、人生で一番の衝撃が心を揺さぶる。じんわりと涙が出そうになるのをこらえながら、やっとの思いで境内までたどり着いた。前に来た時と同じ。やっぱり「あー……古いなぁ」って思う。
「……趣、あるね」
「何よ。良いとこ見つけ、楓くん上手いじゃん」
ぷいと不貞腐れるような素振りをしながら、ゆっくりと歩みを進める。
「もっとピッカピカなのかと思ってたけど」
「……正直だなあ」
細かい作法は置いておいて、ゆっくりと。でも無造作に5円玉をお賽銭箱に投げ入れる。チャリン、カララン……とお賽銭箱を伝っていく音がした。
「見ててよ」
2回おじぎをして、パンッ……パンッ……と2回手を鳴らす。
(茜―……元気にしてる?)
(私と、お父さんと出会ってくれてありがとう)
(……一緒に暮らしてくれてありがとう)
(……楓くんと一緒に来させてくれて、ありがとう――)
「……」
ゆっくり目を開け、最後に1回おじぎをする。
「……こんな感じだよ」
くるっと楓くんの方に振り向き、私は言った。
「じゃ、私、その辺にいるね」と、恥ずかし気に胸を張りながらお父さんの真似をした。
じゃりじゃりと小気味良い音を立てながら、周囲に目をやりながら歩く。絵馬の方を歩いたり、裏手に周ったりしながら、お父さんは何を考えながら歩いていたんだろうと思いを馳せる。
「美咲ちゃん。終わったよ」
後ろから楓くんの声が静かに飛んできた。はっと我に返り、元の道を引き返す。さっきよりもリズミカルに砂利の音を出しながら。
「……どうだった?」
心の中でちょっと微笑みながら、楓くんに聞いてみた。
「どうだったって……ただ手を合わせてお願いしただけだよ」
何を言っているのか分からないといった雰囲気で、ぶっきらぼうに返してくれた。
「ふーん。お願いしたんだ」
「うん。まあ一応」
「……何を? 何をお願いしたの?」
「……別に良いじゃん」
「教えてよ」
「いやいや、教えないって」
「ま、良いけどね」
「……何それ」
「ふふん。楓くんと同じ。内緒だよ。教えない」
「……教えてよ」
「やだよ」
「何それ……」
「ま、また今後教えてあげるよ」
きょとんとする楓くんを置いて、長い階段へと向かって歩き始める。優しく吹き込んでくる風が、心地良かった。
この前と同じ。
帰りの石段は、ほんと楽。
ゆっくりゆっくり、下りていく。
「……ねえ、楓くん」
「何?」
「今日はありがと」
「……いや、俺も楽しかったから」
「優しいね。ありがと」
「……いや、まぁ」
「あっ、そうだ」
「何?」
「今度さ、定期演奏会があるんだよね。来てよ」
まただ。前もって言おうと決めていたわけじゃないけれど、不思議と『定期演奏会』という言葉を紡いだ。定期演奏会に向けて、毎日必死に練習しているわけでもないのに。満足に学校にすら行けているわけでもないのに。
「定演?」
「うん」
「へえ……行こっかなあ」
「ほんと?」
思わず身を乗り出してしまった。石段を下りている途中だったから、急いで態勢を戻す。
「びっくりした」と言わんばかりの表情で、楓くんは小さく頷いた。
別に有名だからってわけじゃない。
別に綺麗ってわけじゃない。
家から近い。
磯子駅にある。
お父さんと来たことある。
……楓くんを案内できるのは、ここしかないから。
「……結構、長くない?」
前回の私が心の中で思っていたことを、全部楓くんは言葉にしてくれる。
「平気平気。すぐ着くよ」
「そうなの? まあ……せっかく来たしね。上ろうか」
口呼吸をできるだけ隠しながら、ゆっくりと石段を上っていく。お父さんと来た時と違って、少しジメジメする。暑い。無茶苦茶暑い。誘った私が弱音を吐かないように、涼しい顔をしながら上った。
「ここ湿気すごくない?」
(良かった……同じこと思ってたんだ)
「ね。……暑っつい」
おでこの汗を左腕で軽く拭った。こんなことになるのなら、タオルを持ってきたのにと心の底から後悔しながら。
「でも、ちょっとひんやりするよね。気のせいかもだけど」
「そう言ってもらえて、良かったよ」
「ま……ゆっくり行こう。俺けっこう暑いから」
多少調子は良いものの、目まいが目の奥に残っている。「やっぱりさっきの汗、体調悪いのかな」とようやく自分の体に意識が向いた。
(……ちょっと気を付けないとなぁ……もたないぞこれ)
「……そういえばさ」
「何?」
「この神社って結城さん、良く来るの?」
「……そんな来ないよ。何回か来たことあるくらい」
なぜだろう。小さな嘘が口から出た。
「そうなんだ」
「……うん」
「引越してきたばかりだから、まだ慣れてないんじゃない? 色々」
「……そうだね。ぶっちゃけ全然分かんない」
ゆっくりではあるけど、やっぱり疲れる。呼吸が少し乱れてきた。
「ちょっと休もうよ」
楓くんは、そんな私に気付いたのか……休憩しようと言ってくれた。ちょうど前回、休憩した場所と同じ所で。
ゴォー……ッ……ゴォー……ッ……
ここの車の音、意外と心地良い。音が風を運んでくれている気分になるから。生繁っている木々も、ちょうどブラインドのように光を遮ってくれている。
「……何、結城さんって神社マニアなの?」
「……えっ? あははっ!!」
楓くんと話をして、初めて声を上げて笑ってしまった。あまりに予想していなかった言葉だったから。思わずはっとして口を押さえる。
「え……? 何」
「違うよ。そういうわけじゃないよ」
「……じゃあ何で笑うのさ」
「いや……前にお父さんと来た時、私も同じこと言ったなぁって」
「そうなんだ」
「うん。……あーおもしろっ……」
笑い過ぎてちょっと涙が出た。そんな私を見て、楓くんの表情も穏やかになっている気がした。
「あ、でも久し振りに笑ったかも」
「そうなんだ。良かった」
「マニアってわけじゃないんだ」
「うん。そういうわけじゃないよ」
「散歩ルートで来たってこと?」
「……うーん。まぁ、それはそうだけど」
「何?」
「……今日は内緒」
「教えてくんないのかよ」
「うん。今日はね」
楓くんに紹介できるのは、もちろんここしかないから。でも茜に向けて手を合わせたかったのもあった。
今日は不思議だ。
歩道橋で楓くんに声をかけてから、自分の心の奥の『枷』が少し外れているような感じ。
「もうさ、面倒くさいからさ、楓くんも下の名前で呼んでよ」
「え?」
「その方が楽だから」
「……あ、うん。……分かった」
私のことを「美咲ちゃん」と呼んでくれた時、人生で一番の衝撃が心を揺さぶる。じんわりと涙が出そうになるのをこらえながら、やっとの思いで境内までたどり着いた。前に来た時と同じ。やっぱり「あー……古いなぁ」って思う。
「……趣、あるね」
「何よ。良いとこ見つけ、楓くん上手いじゃん」
ぷいと不貞腐れるような素振りをしながら、ゆっくりと歩みを進める。
「もっとピッカピカなのかと思ってたけど」
「……正直だなあ」
細かい作法は置いておいて、ゆっくりと。でも無造作に5円玉をお賽銭箱に投げ入れる。チャリン、カララン……とお賽銭箱を伝っていく音がした。
「見ててよ」
2回おじぎをして、パンッ……パンッ……と2回手を鳴らす。
(茜―……元気にしてる?)
(私と、お父さんと出会ってくれてありがとう)
(……一緒に暮らしてくれてありがとう)
(……楓くんと一緒に来させてくれて、ありがとう――)
「……」
ゆっくり目を開け、最後に1回おじぎをする。
「……こんな感じだよ」
くるっと楓くんの方に振り向き、私は言った。
「じゃ、私、その辺にいるね」と、恥ずかし気に胸を張りながらお父さんの真似をした。
じゃりじゃりと小気味良い音を立てながら、周囲に目をやりながら歩く。絵馬の方を歩いたり、裏手に周ったりしながら、お父さんは何を考えながら歩いていたんだろうと思いを馳せる。
「美咲ちゃん。終わったよ」
後ろから楓くんの声が静かに飛んできた。はっと我に返り、元の道を引き返す。さっきよりもリズミカルに砂利の音を出しながら。
「……どうだった?」
心の中でちょっと微笑みながら、楓くんに聞いてみた。
「どうだったって……ただ手を合わせてお願いしただけだよ」
何を言っているのか分からないといった雰囲気で、ぶっきらぼうに返してくれた。
「ふーん。お願いしたんだ」
「うん。まあ一応」
「……何を? 何をお願いしたの?」
「……別に良いじゃん」
「教えてよ」
「いやいや、教えないって」
「ま、良いけどね」
「……何それ」
「ふふん。楓くんと同じ。内緒だよ。教えない」
「……教えてよ」
「やだよ」
「何それ……」
「ま、また今後教えてあげるよ」
きょとんとする楓くんを置いて、長い階段へと向かって歩き始める。優しく吹き込んでくる風が、心地良かった。
この前と同じ。
帰りの石段は、ほんと楽。
ゆっくりゆっくり、下りていく。
「……ねえ、楓くん」
「何?」
「今日はありがと」
「……いや、俺も楽しかったから」
「優しいね。ありがと」
「……いや、まぁ」
「あっ、そうだ」
「何?」
「今度さ、定期演奏会があるんだよね。来てよ」
まただ。前もって言おうと決めていたわけじゃないけれど、不思議と『定期演奏会』という言葉を紡いだ。定期演奏会に向けて、毎日必死に練習しているわけでもないのに。満足に学校にすら行けているわけでもないのに。
「定演?」
「うん」
「へえ……行こっかなあ」
「ほんと?」
思わず身を乗り出してしまった。石段を下りている途中だったから、急いで態勢を戻す。
「びっくりした」と言わんばかりの表情で、楓くんは小さく頷いた。


