横浜はカラッとしている。もちろん暑いけど、熊本とは全然ちがう。あんまり汗をかく心配をしなくても良いのが、私には嬉しい。「あっちはそろそろジメジメしてくるよなー……」と思い出したりもするけれど、別に戻りたいとは思わない。
栄高祭の準備は、5月から少しずつ始まっていき本番3日前にもなると、朝からずっと準備に追われた。
「結城さんてさ、引越してきたんだよね」
何もしゃべることなく、2人の後ろを歩いている私を気遣って、勇太くんが声をかけてくれる。
「……うん。そう」
「どこだっけ?」
「……熊本だよ」
「九州か。行ったことないなぁ」
こっちに来てから、何だか上手くしゃべることができなくなっている気がしていた。質問されないと、会話が続かないことが多い。でも良く考えてみると、横浜に来てから「何かを考える」こと自体、あまりしていないような気もした。
元々、友達と呼べるような人はいなかったからなのか……。
色々あったからなのか……。
私にはよく分からない。
でも、横浜に引越してきてからとてもだるくて毎日疲れている。
私の時間は、あの日で止まっているんだ、きっと。
(勇太くんに気、遣わせてるよなぁ……)
何を言って良いかすら浮かばないし、頭の中がぼんやりするし。
……どうしちゃったんだろ。
「結城さんて、吹部だっけ」
「うん。そう」
たまりかねたのか、楓くんが割って入ってくれた。初めて私に向けられた楓くんの声。いつも窓側の席で寝ている、あの人の声とはとても思えなかった。
「何やってんの?」
「……何って?」
「楽器だよ、楽器」
「オーボエ」
「オーボエ……」
「そう」
「あぁ、知ってるよ」
意外な答えが返ってきた。高校に入学して、初めて『私』の中に声が届いたような……不思議な気持ちになる。
「……知ってるんだ」
「うん。あれでしょ、オーケストラでさ、真ん中らへんにいるやつ」
「……え?」
「中学校の時、期末テストで出てきた」
「はっ?」
「あれ……違ったっけ?」
「……いや、そうだけど」
「良かったー当たってた」楓くんはカラカラと笑いながら言った。いやらしさの無い、感情のこもっていないような乾燥した笑い方だなと思った。「何よ……やってたんじゃないんだ」と思ったけど、とりあえず場が持って良かった。
買い出しは高校を出て、山手駅と逆方向に歩いて行く。『アメリカ坂』と呼ばれる長い坂を下って少し進むと、色々なお店が姿を見せた。「アメリカ坂って、陸上部の奴らが練習に使ってるんだぜ」と勇太くんがさりげなく教えてくれた。
「結城さんて、どこ住んでるの」
勇太くんは積極的に話かけてくれる。暑さのせいかちょっと疲れているけど、ありがたい。
「磯子だよ」
「……磯子? 磯子なの?」
「……うん。そう」
「楓と同じじゃん」
勇太くんが楓くんの方に顔を向ける。
(えっ? そうなんだ……知らなかった)
「楓くんも磯子なんだ」
やっと自分から話かけることができた。
なぜだか分からないけど、ドキドキしている自分に気が付く。楓くんにちらりと目線を向けると、何喰わぬ顔で「ああ、そうなんだ」とだけ小さく呟いていた。
本牧というエリアは、なんだか洋風な雰囲気が漂っていて、山があるわけじゃないのに閉ざされたエリアのような感じがする。まるで小さな1つの街のように。吹き抜けていく風が気持ちよくて……不思議なところ。
「……勇太くん達はさ、どうして買い出し、誘ってくれたの?」
あの日、寝ていた私に向かって声をかけてくれたのは、楓くんだ。でもなぜだろう。私は勇太くんに向かって話かけていた。
「えっ?」
勇太くんがチラリと楓くんを見る。「お前だろう」と言いたげな表情で。
「……退屈そうだったから」
ぼそりと楓くんが呟くように言う。やっぱり感情が乗っていないような感じがする。
「……えっ?」
「いや、だから……退屈そうだなぁって」
(……)
「……退屈そうに見える?」
「うん。めっちゃ」
「……友達、いないんだよ」
苦虫をかみつぶしたかのような表情で、ちょっと自虐的に笑ってみせる。
「そっか。学校あんま来てないでしょ」
「そう。……タイミング逃したなぁ」
「でも、部活は行ってるんでしょ?」
「……まぁ、行ける時に」
やっとちゃんと話せた。
少し低い声。
優しく私に向けられた、その声。ああ、そうか。感情が乗っていないんじゃなくて、『優しい』んだ。体のだるさが、少し取れた気がした。
あー……ずっと買い出しが、続けばいいのになぁ。ようやく心の中から自然に出てきた子私自身とはうらはらに、もうそろそろスーパーへと到着してしまう。車の通りはあるけど、落ち着いた本牧の雰囲気も気に入り始めていた。
「でもさ」
楓くんが話かけてくれる言葉。ふわりと優しく吹いてくる風のように、気が付けばそこにある。
「何?」
「同じ駅なのに、会ったことないよね」
「……あー…うん」
「あんなに小さな駅なのに」
「楓くん、部活してるの?」
「いや、やってない」
「……そっか。帰宅部なんだ」
「こいつ、中学まで陸上やってたんだぜ」と勇太くんが補足してくれるかのように、会話を後押ししてくれる。
「へぇ、陸上やってたんだ」
「そんな速くはないけどね」
「高校でもやんないんだ」
「……やらない」
「なんで? 大変だから?」
「そう」
「ふぅん」
「面倒くさくて」
「……のんびりしたいんだ」
「……うーん。なんか、やる気が起きないんだよね。色々」
「あー……分かる気がするなぁ」
青汁とビスケット。それ以外に頼まれていた物を買う予定のスーパーが視界に入ってきた。おからも買うことになっている。一体何に使うのか、私は知らない。
「……あ、引越てきたならさ」
勇太くんが「俺もいるよ」とばかりに声をかけてくれる。
「……何?」
「うちの高校、略して『栄高』って言うんだよ。知ってた?」
「……知ってるよ。それくらい」
ちょっと恥ずかしそうな表情をしている勇太くんの前を歩くように、私達は自動ドアをくぐり、中へと入った。夢のような時間を切り取る現実のように、中はとっても涼しかった。
栄高祭の準備は、5月から少しずつ始まっていき本番3日前にもなると、朝からずっと準備に追われた。
「結城さんてさ、引越してきたんだよね」
何もしゃべることなく、2人の後ろを歩いている私を気遣って、勇太くんが声をかけてくれる。
「……うん。そう」
「どこだっけ?」
「……熊本だよ」
「九州か。行ったことないなぁ」
こっちに来てから、何だか上手くしゃべることができなくなっている気がしていた。質問されないと、会話が続かないことが多い。でも良く考えてみると、横浜に来てから「何かを考える」こと自体、あまりしていないような気もした。
元々、友達と呼べるような人はいなかったからなのか……。
色々あったからなのか……。
私にはよく分からない。
でも、横浜に引越してきてからとてもだるくて毎日疲れている。
私の時間は、あの日で止まっているんだ、きっと。
(勇太くんに気、遣わせてるよなぁ……)
何を言って良いかすら浮かばないし、頭の中がぼんやりするし。
……どうしちゃったんだろ。
「結城さんて、吹部だっけ」
「うん。そう」
たまりかねたのか、楓くんが割って入ってくれた。初めて私に向けられた楓くんの声。いつも窓側の席で寝ている、あの人の声とはとても思えなかった。
「何やってんの?」
「……何って?」
「楽器だよ、楽器」
「オーボエ」
「オーボエ……」
「そう」
「あぁ、知ってるよ」
意外な答えが返ってきた。高校に入学して、初めて『私』の中に声が届いたような……不思議な気持ちになる。
「……知ってるんだ」
「うん。あれでしょ、オーケストラでさ、真ん中らへんにいるやつ」
「……え?」
「中学校の時、期末テストで出てきた」
「はっ?」
「あれ……違ったっけ?」
「……いや、そうだけど」
「良かったー当たってた」楓くんはカラカラと笑いながら言った。いやらしさの無い、感情のこもっていないような乾燥した笑い方だなと思った。「何よ……やってたんじゃないんだ」と思ったけど、とりあえず場が持って良かった。
買い出しは高校を出て、山手駅と逆方向に歩いて行く。『アメリカ坂』と呼ばれる長い坂を下って少し進むと、色々なお店が姿を見せた。「アメリカ坂って、陸上部の奴らが練習に使ってるんだぜ」と勇太くんがさりげなく教えてくれた。
「結城さんて、どこ住んでるの」
勇太くんは積極的に話かけてくれる。暑さのせいかちょっと疲れているけど、ありがたい。
「磯子だよ」
「……磯子? 磯子なの?」
「……うん。そう」
「楓と同じじゃん」
勇太くんが楓くんの方に顔を向ける。
(えっ? そうなんだ……知らなかった)
「楓くんも磯子なんだ」
やっと自分から話かけることができた。
なぜだか分からないけど、ドキドキしている自分に気が付く。楓くんにちらりと目線を向けると、何喰わぬ顔で「ああ、そうなんだ」とだけ小さく呟いていた。
本牧というエリアは、なんだか洋風な雰囲気が漂っていて、山があるわけじゃないのに閉ざされたエリアのような感じがする。まるで小さな1つの街のように。吹き抜けていく風が気持ちよくて……不思議なところ。
「……勇太くん達はさ、どうして買い出し、誘ってくれたの?」
あの日、寝ていた私に向かって声をかけてくれたのは、楓くんだ。でもなぜだろう。私は勇太くんに向かって話かけていた。
「えっ?」
勇太くんがチラリと楓くんを見る。「お前だろう」と言いたげな表情で。
「……退屈そうだったから」
ぼそりと楓くんが呟くように言う。やっぱり感情が乗っていないような感じがする。
「……えっ?」
「いや、だから……退屈そうだなぁって」
(……)
「……退屈そうに見える?」
「うん。めっちゃ」
「……友達、いないんだよ」
苦虫をかみつぶしたかのような表情で、ちょっと自虐的に笑ってみせる。
「そっか。学校あんま来てないでしょ」
「そう。……タイミング逃したなぁ」
「でも、部活は行ってるんでしょ?」
「……まぁ、行ける時に」
やっとちゃんと話せた。
少し低い声。
優しく私に向けられた、その声。ああ、そうか。感情が乗っていないんじゃなくて、『優しい』んだ。体のだるさが、少し取れた気がした。
あー……ずっと買い出しが、続けばいいのになぁ。ようやく心の中から自然に出てきた子私自身とはうらはらに、もうそろそろスーパーへと到着してしまう。車の通りはあるけど、落ち着いた本牧の雰囲気も気に入り始めていた。
「でもさ」
楓くんが話かけてくれる言葉。ふわりと優しく吹いてくる風のように、気が付けばそこにある。
「何?」
「同じ駅なのに、会ったことないよね」
「……あー…うん」
「あんなに小さな駅なのに」
「楓くん、部活してるの?」
「いや、やってない」
「……そっか。帰宅部なんだ」
「こいつ、中学まで陸上やってたんだぜ」と勇太くんが補足してくれるかのように、会話を後押ししてくれる。
「へぇ、陸上やってたんだ」
「そんな速くはないけどね」
「高校でもやんないんだ」
「……やらない」
「なんで? 大変だから?」
「そう」
「ふぅん」
「面倒くさくて」
「……のんびりしたいんだ」
「……うーん。なんか、やる気が起きないんだよね。色々」
「あー……分かる気がするなぁ」
青汁とビスケット。それ以外に頼まれていた物を買う予定のスーパーが視界に入ってきた。おからも買うことになっている。一体何に使うのか、私は知らない。
「……あ、引越てきたならさ」
勇太くんが「俺もいるよ」とばかりに声をかけてくれる。
「……何?」
「うちの高校、略して『栄高』って言うんだよ。知ってた?」
「……知ってるよ。それくらい」
ちょっと恥ずかしそうな表情をしている勇太くんの前を歩くように、私達は自動ドアをくぐり、中へと入った。夢のような時間を切り取る現実のように、中はとっても涼しかった。


