神社ってね、感謝をするところなんだよ

磯子は不思議な町。
駅の周りにはコーヒーショップ、ファミレス。スーパーも3つある。

「熊本と違って、それぞれの駅で生活が完結するんだよ」
とお父さんが言っていて、聞いた時は意味が全く分からなかったけれど、実際に住んでみると「なるほど、そういうことか」と実感した。

「ちょっとさ、外に出ようか」
磯子に引越しをしてきて、お父さんは私を散歩に連れ出してくれた。

理由は分かってる。

2月。私は引越しをしたら、横浜の色々な場所に行ってみたいと思っていた。
お父さんや、茜と一緒に。

意を決してお父さんに引越しのことを打ち明けた時。お父さんが受け入れてくれた時。明るくて輝く生活が、私の脳裏に広がった。

みなとみらいはデートスポットで、観覧車が綺麗らしい。
八景島という場所も良いらしい。水族館もあるらしいし、砂浜も綺麗みたい。
元町はオシャレで古いお店が沢山ある。日曜日はたくさんの人で賑わっているらしい。
桜木町にある県立音楽堂はすっごく大きくて、吹奏楽部の定期演奏会なんかもできるらしい。

もちろん横浜駅。名前しか知らないし、行ったことはないけれど……オシャレで楽しそう。

寝る前に毎日ドキドキしながらスマホで調べて、いくつもタブを開いたままにしていた。
でも、ここに来てからタブを感情がないまま全部閉じた。

「……どう? 外出れそう?」
「うん」
お父さんは優しい。
お父さんだって辛いはずなのに……。

マンションを出て、駅と反対方向に歩いていく。

「ここは国道16号線」
お父さんは色々と教えてくれる。「美咲は初めてだから。色々な場所の名前、知っておいた方が良いだろ」と言っていた。

「ふぅん……16号線ね」
確かにここの道路は車が多い。

国道を渡ると、打って変わったように静かな場所に出た。熊本のように戸建てが多いエリア。緑もたくさんある。初めて横浜に来て驚いたのは、緑がいっぱいあることだった。建物ばかりで、自然なんか何ひとつないんだろうなあと勝手にイメージしていたから。

「この辺、静かだろ?」
「……うん。駅の方と全然違う」
「この辺は静かなんだよ。もうちょっと奥の方に行こうか」
「うん」
「体調、大丈夫?」
「……別に、熱があるわけじゃないから」

道路と並行するように、高い崖がずっと続く。私達は、その崖に沿って歩く。実際に熱とか出ているわけじゃないけれど、お父さんは私に気を遣ってくれているのが分かる。歩くペースがとってもゆっくりだから。

「もうちょっとかな……」
「ね、どこ行こうとしてんの?」
「まぁ……昔、行ったことある所」
「『どこ?』って聞いてんのにさ」

私が少しだけむっとしたのを無視するかのように、前を向いたまま静かに歩く。ようやくお父さんが「着いた」と言ったのは、ちょっと緑が多く繁っている階段の一番下だった。静かな戸建てに囲まれたエリア。道路からも少し奥に入っているから、車の音もあまり聞こえない。

「……何? この階段、上るの?」
「まぁ……良い気分転換になるだろ」
そう言うと、お父さんは階段の先に目線を向けた。首を伸ばすようにお父さんの視線を追うと、だいぶ上まで階段は続いているように見えた。

「神社なの? ここ」
「そう。森浅間神社って言うんだよ」
「森浅間神社……」
ぽかんと階段の上に目をやる私をよそに、お父さんはゆっくりと階段を上って行った。私も追うように階段を踏みしめる。どれだけ汗をかくんだろうと思いながら。

長い。階段が長い。
運動部でもないし、最近はずっとベッドの上だったから……尚更、息が切れる。
「……何、ここ。階段めっちゃキツイんだけど」
「ははっ……たまには良いだろ。熊本だと、こんな階段上ることも無かったしな」
「……」
「ちょっと休憩しようか」

3分ほど石でできた階段を上る。階段の途中、真横に高速道路が見えた。
ゴォー……ゴォー……と車の音が心地良いリズムを刻む。はあはあと切らした息を整えながら、車に目をやった。

「ねえ。お父さんって、神社マニアだったの……?」
「ははっ! そんな事無いよ」
「じゃあ……なんで神社なの」
「まぁ……良いんじゃないか? たまには」

「あとちょっと。頑張れ」と言うお父さんの後ろをついて、再び上っていく。どうして突然神社に来たのか。ここに何があるのか。私がお父さんに投げかける質問も、何だか上手にはぐらかされているような気もしたけれど、考えるのを止めて上ることに専念した。

息も切れているけれど、疲れてしまって猫背になってくる。太ももに手を当てながら何とか上っていく。でも、木々の間から入ってくる木漏れ日がとても気持ち良い。眩しいわけでもなく、丸く優しい光。「何だか久し振りだな」と思った。

ようやく階段を上り切ると、目の前には緑に囲まれた空間がこじんまりと広がっていた。
「はぁ……着いた」
「どう? 疲れたろ」
「……そりゃ疲れるよ」

ぐるりと辺りを見渡す。
静かで落ち着いた雰囲気だけど……真新しさは感じない。もっと広くて新しい場所が広がっていると勝手に想像していた私は、少し拍子抜けしてしまった。
「……結構古いよね?」
「ああ。昔からこんな感じだよ」
「人気の神社ってわけじゃ、ないんだね」
「そうだね。人気は無いんじゃないか……?」
「でもさ、あの赤? 目立つよね」
「だろ。朱色って言うのかな。あれがウリじゃないか?」

そう言うと、お父さんは賽銭箱の方に向かって歩き出した。ようやく呼吸を整えた私は、少し遅れて後を追った。

「美咲はこの建物の名前、分かるか?」
「建物って? これ全体?」
「そう」
「……そう言われると、考えたことない」
「御社殿」
「御社殿?」
「うん。まぁ……本殿って言っても良いとは思うけど」
「ん? ……良く分かんないけど覚えとくよ」
人生で「ごしゃでん」なんて、初めて聞いた。「ほんでん」なら聞いたことあるけれど。

「2・2・1だぞ」
「2・2・1?」
「そう」
「……何それ?」
「まぁ、見てたら良い」
そう言うと、お父さんは2回おじぎをした。指をピンと伸ばして『気を付け』の姿勢をとって。「あ、そういうことか」と理解した。

パンッ……パンッ……と2回手を叩き、時間が止まる。熊本ではお父さんと神社に行って手を合わせる、なんてしたことなかったから……不思議な感じがした。

どれくらい経ったろう?
最後にお父さんは1回おじぎをした。

「こういうことだよ」
「……そういうこと。ようやく分かったよ」

「お父さんは、その辺りを回ってくるから……やっておいたら良い」
そう言うと、裏側に回り、色々な所を懐かしそうに見上げていた。

くるりと向きを変え、私も2回おじぎをする。そして、お父さんを思い出しながら
パンッ……パンッ……と2回手を叩く。

(……あっ……何をお願いすれば良いんだろ? 考えてなかった)

「……」

(……茜、天国で元気にやってますか?)
(……ごめんね)
(安らかに眠ってね)
(神様。茜を幸せにしてあげてください)
(お願いします……)
(……)
(……)

鼻の奥がツンと痛い。ジワっと目頭の奥が熱くなったけれど、まぶたが涙をせき止めた。
鼻がピクっと動いただけだった。

最後に1回礼をして、私の儀式は終わった。

(……はぁ)

「終わった?」
ゆっくりと目を開けたタイミングで、お父さんが近づきながら言った。

「うん」
「こうやって手を合わせるなんて、あんまり無いからなぁ」
「……うん」

さっき上ってきた石段に腰をかけると、ヒュウと涼しい風が顔にかかって前髪が揺れる。ふと「茜が来てくれたのかな」と思った。
「お父さん、ここ結構来てたの?」
「ん? ここにってこと?」
「そう」
「いや全然」
「……え?」
「もちろん、あるのは知ってたけど」
「そうなんだ」
「うん。色々あったからな。気分転換に少しでもなれば……って思って」
「……うん」
「色々あったからな……」
お父さんはもう一度、繰り返した。目線は少し先を見ている感じがしたけれど、どこを見ているのかまでは分からなかった。でも、とっても穏やかな表情。

神社から見える磯子の町並み。家がいっぱいあるけど上から見下ろしていると、なんだか気持ち良い。

「で、美咲は何をお願いしたの?」
「……全然考えて来なかったから。来るなら教えてくれれば良いのに。お願い考えてきたのにさ」

「ははっ」と笑いながら、お父さんは続けた。

「じゃあ、手を合わせただけ?」
「……いや」
「違うんだ」
「茜のこと」
「……そうか」
「うん。神様に『茜を幸せにしてください』ってお願いしといた」
「なるほど。それは良いかもな」
「……でもさ」
「ん? 何」
「お父さんもさ、大変だったじゃん絶対。でもさ……」
「まぁまぁまぁ……そうだね」
「……凄いなって思ってさ」
「凄い?」
「うん。だって熊本でさ、『引越ししたい』って私が言った時も……ちゃんと考えてくれたしさ……」
「……そんなの当たり前だろう」
「そう?」
「そりゃそうだよ。お前達が幸せなのが、一番だからな」
「……うん」
「……だからすぐには無理なのは分かってるけどね。お父さんと美咲が幸せに生きてないと……茜も悲しむんじゃないかな」
「……そうだね。分かってる」
「少しずつな」
「……うん」

ゆっくりと石段を下っていく。
まだまだ頭の中はぼんやりしているけど、一つ区切りがついたような気もする。何より、お父さんが私のために、こうやって神社に連れてきてくれたことが嬉しかった。

(……頑張らないといけないのは……分かってるけど)

「美咲」
「何?」
「さっきのはさっきので良いと思うんだけど」
「……?」
階段を下りながら、ぼそりとお父さんが言う。意味が分からずに、とりあえずお父さんの言葉を待った。

「ちょっと教えておくよ」
「……何を?」
「神社って、お願いするところじゃ無いらしいよ」
「え? どういう意味?」

階段の真ん中辺り。さっき少し休憩した場所で、一度立ち止まる。

「神社って、お願いじゃなくて、感謝をするところなんだよ」
「えー……そうなの?」
「……って、言われてる。別にお父さんが言ったわけじゃない」
「えー……何それ。私、思いっきり神様にお願いしちゃったよ? 怒られんの?」
「怒りはしないだろ」
お父さんは大きな声で笑う。先に言ってくれれば良いのにと思い、私はちょっとイライラしていた。

「いや、別に、好きにすれば良いとは思うけど……一応、そう言われているよってことだよ」
「……へぇ」
「好きにしたら良いと思うぞ? お父さんは」
「……うん。あ、そうだ」
「どうした?」
「じゃあさ、お父さんはさ、さっき何を感謝したの?」
「ははっ! 秘密だよ」
「はぁっ? 何それ。ずるくない? 教えてよ」
「……まぁ、いずれな」 

笑い声と、ちょっと怒った声が森の中に響く。
高台から吹き降ろしている心地良い風が、私達を優しく包み込んでくれていた――。