ついに来たライブ当日。
生徒しかいない日とは言え、どうしても緊張はしてしまう。衣装の着替えやメイクも終わり、あとは心の準備をするだけだ。ステージの裏でゆっくりと何度も深呼吸をしながら歌詞を唇の動きだけでなぞって確認する。
そうしていると、気分がいくらか落ち着いた。
「みるちゃん!」
息をきらせて光くんがこちらに走ってきた。
前髪にはあのウサギのクリップが付いていて、珍しくおでこが見えている。
服装は...なんかド派手な法被を着ている。
俺の衣装とおそろいの色な上にビビッドな黄色の星柄だ。
そちらへのツッコミは放棄しつつ、スマホの時計を見ると、やはりライブ開始までもうあまり時間がない。
「光くん!も、もう始まると思うけど大丈夫?」
「うん!ダッシュで戻るし最前のとこ予約してるから!!それより手、出して!」
光くんは元気づけるように俺の両手をギュッと握った。
光くんの手がずいぶん熱くて、自分の手が緊張でめっきり冷えていたことに気付く。
「...ありがとう。」
「ううん!みるちゃんのためなら手なんていくらでも貸すよ!」
そう言って頬を赤くしてニコニコとしている楽しそうな顔を見られただけで、今までの努力が報われた気がした。
一度だけ強く手に力を入れて離す。
これ以上もらっては返せなくなってしまうから。
光くんは名残惜しげに俺の目を見ていた。
しかし、そろそろ行かなければならない時間だ。
「...もう行くの?」
「うん。」
「みるちゃん」
「...うん。」
「...がんばってね。」
「うん。もちろん!」
激励の言葉にとびきりの笑顔で応える。
ああ、そうだった。ポケットを探る。
「ね、見てこれ!」
セットしてもらった髪型を崩さないように、ポケットから取り出したものを前髪に付けて指をさす。
「これでおそろいだね!」
光くんが、鳩が豆鉄砲食らったような顔をする。
作戦成功だ。
このサプライズのためだけに、新しいものを買ってしまったのだ。
「あ、こっちのが新しくて綺麗だからこっちと交換する?」
「絶対やだ」
ものすごく食い気味な返事にちょっと笑ってしまった。
良い感じに体から力が抜けた気がする。
時間だ。
光くんは何度も振り返りながら客席に向かって行った。
俺も時間ギリギリまでそんな彼に手を振った。
名残惜しいのは俺もだったから。
ステージの袖へ向かう。
最初の『俺』は下手くそなモノマネをするだけのニセモノだったかもしれないが、今は違う。
心から君に笑って欲しいという願いが生まれたから。
今の俺は、本物のアイドルになれる。
幕が上がった。
ステージを照らすスポットライトが眩しい。
たかだか光の反射でも、きっと今の俺は輝いて見えるはずだ。
マイクを持つ手の肘を胴体にくっつけるように、そしてもう片方の手を開いて高く掲げた。
決してブレることの無いように、全身に力を込めて。
最前列にやかましげな気配を感じてそこを見れば、感激したかのような顔で、震える手で高速で振っているために残像がものすごいことになっているサイリウムを振る西条くんがいた。
目をこらすと、後ろの方で腕組みをしながら壁にもたれかかるように立っていたミツヤくんがうっすら微笑みつつ控えめにサイリウムを振っているのも見つけた。
なんだその感じは。
2人の様子に思わず口角が上がる。
...宇宙を思わせるポップな曲の前奏が流れ始めた。
大きく息を吸い込んで、顔を上げる。
さあ、レッスンの成果を見せる時だ。
会場全体に伝わるように声を張り上げる。
「まず1曲目はぁーッ!オリジナル曲!『届け!みるきー☆すぺーす♡はーと!』めう!今日はとことんいっしょに楽しんでいこうめろなァ"!!」
観客全体に向かって右や左に後ろの方まで、全員に見えるように手を振る。
もう後は楽しむだけだ。
「♪ きらきら☆ ぷりちー星からやって来た!
あなたを照らす とびっきりの一等星!」
何度も練習したように、軽快にステップを踏む。
可愛らしい発声を心がけて、ただ力は入れすぎないように。
「♪ あまねく銀河のみんなが1番!一切合切!もう博愛!」
観客を煽るように、リズムに合わせて拳を振り上げる。
だんだん曲とサイリウムが同調していくのが心地いい。
「♪ それが宇宙‹スペース›級博愛系アイドル!みるく♡!めぽわ~る☆!」
コーチに何度も指導を受けたカワイイ決めポーズで曲を締める。
あっという間に2曲目だ。
1曲目のサイケデリックでポップな感じとは違った、きらきらとしたピアノの音が綺麗なロックバラード。
人差し指を立てた手をまっすぐ上に掲げると、暗くなった会場が眩い青のライトに照らされる。
衣装の装飾から反射した小さなひかりが、星みたいに見えた。
「2曲目いくめろ。『ダークブルー・スターライト』!」
みるく♡めぽわ〜るのオリジナル曲の中で、俺はこの曲が1番好きかもしれない。
キュートでポップな曲がほとんどな中で、唯一穏やかなこの曲がひときわ異彩を放っているのだ。
大きく息を吸い込む。
手を拳にして握り、胸へと置く。
今度は客席の方から目線を移し、はるか空の上の一等星を見つめるように遠くを見上げた。
その目線の先へ手を伸ばす。
「♪例え燃え尽きたって進むよ 君に届くように」
緊張であんなに重たかった体が高揚感でウソみたいに軽くなったのを感じる。
今なら宇宙へだって飛べそうだ。
いつの間にか数が増えたたくさんのサイリウムが、まるで流星群みたいに見えた。
「♪ 暗い暗い宇宙の中で アナタが見つけてくれたみたいに」
俺も、同じくらい輝けているだろうか。
いつだって手を差し伸べてくれた君に、報いることができているだろうか。
「♪宇宙の果てでもアナタを愛してる!」
どうか、君が真っ暗な世界にいても君自身を呪わずにいられますように。
どうか、君の人生の中で、悲しい時でも見上げればそこにある明るい星の1つになれますように。
祈るように歌う。
次が最後、3曲目。
先ほどの曲とはまた雰囲気を一転させ、ハイテンションなかわいいパンクロックが流れ出す。
コーチに散々シバかれたとはいえ、体力もなかなか限界に近い。
息が切れてきた。
足全体が熱くて痛い。
衣装の中は汗でびちゃびちゃだ。
それでも、俺は今アイドルだから笑うのだ。
笑え!全力で楽しませること!
それが今ここにいるためのステータスだ!!
最後のギターの音が響き、曲が終わる。
「ありがとうございましたァ〜!!」
終わった。ちゃんとやり切れた。
そんな達成感と興奮のままそう叫んで手を振ると、歓声が上がる。
光くんなんて涙を流して喜んでいた。
本当に良かった。ちゃんと喜んでもらえたんだ。
...それにちょっと水を差すようで忍びないが、俺はマイクを手に言葉を続ける。
「ここで俺から"大切なお知らせ"がありまァす!!」
会場がザワつくのにも構わず、片方の拳を上に掲げて"こういう時"にはド定番のセリフで宣言する。
「俺、普通の男の子に戻ります!!!」
そう言って、俺はステージを飛び降りた。
人の噂も七十五日なんて言うが、普通の男の子に戻るためにこの濃すぎるイベントを時間で希釈するにしても10倍くらい、余裕で年単位の時を要するだろうがまあ、それは今は些事である。
今はどうでもいいんだ、そんなこと。
ステージを飛び降りたままの勢いで最前列へと走り出す。
汗ばんだままの熱い手で、強く彼の手を握った。
「行くよ!!」
「は、へ、ひゃい!」
驚いた顔の光くんはわけも分からないだろうに、ガクガクと頷いていっしょに体育館の出口へと走ってくれた。
困惑しきりで騒がしい会場の声が遠ざかっていく。
ライブ終わりで火照った体に、外の涼しい秋の風が心地良い。
行き先はいつもの場所、中庭へと向かっていた。
いつものベンチの前で俺が立ち止まると、光くんも止まってこちらへ向き直る。
「光くん、いっしょに来てくれてありがとう。」
「う、うん。それで、急にどうしたの...?」
戸惑うような、それでもいつも通りに俺を気遣うような顔で光くんが尋ねてくる。
ライブも終わったというのに、走ったせいでは無い理由で俺の心臓はまだけたたましく鼓動を打っていた。
それを抑えるように胸に手を置く。
もしかしたら、今俺はライブの前よりも緊張しているかもしれない。
一呼吸置いて、片手だけ繋いでいた彼の手を両手で握り、俺は一世一代の話を切り出した。
「...俺という1人の人間として、聞いて欲しいことがあるんだ。」
「...うん。」
「まず、俺の名前は伊佐原 祐希。苗字でも名前でも、好きなほうで呼んで。
...まあ、できたら名前で呼んで欲しいな。」
「...う、うん...わかった。」
素直に光くんが頷く。
なんとなく『そんなことを言うために?』という顔をしている気がするが、その通りだ。
まだ続きがある。
手汗で湿っぽくなっているのも今は気にせずに、西条くんの手を下から掬うように、互いの両手を握り直した。
手から鼓動が伝わりそうなほど、全身が心臓になったみたいに震えている。
「俺は、君のことが好きだ。
君に見つけてもらえただけでも幸せなんだけど、俺は欲張りだから、できればずっと俺の隣にいて欲しい。
...できることなら、その、お、俺と付き合ってください...!」
「へ」
吐息と区別がつかないくらいの声。
驚かせてしまったことだろう。
彼がどんな表情しているか知るのが怖くて、上手く光くんの顔が見られない。
それでも伝えたいことを伝えるために、振りほどかれませんようにと手を握ったまま口だけは必死に動かした。
「だッ、だいすきなんだ!君のことが!!」
なんとか言えた。
汗まみれの手が震えている。
...ふと気付く。
震えているのは俺の手だけじゃない。
俺の手よりもよほど心配になる周波数で彼の手が震えている。
なんか発汗の量もとんでもない気がする。
美青年の手から出ちゃいけないような量の手汗が出ている。
彼の今の表情を見る怖さよりも心配が勝り、俺は恐る恐る顔を上げた。
そこには、限界まで顔を真っ赤に染めた光くんが、はくはくと口を開いたり閉じたりしながら感極まったように俺を見つめていた。
彼は喉から引きつったような呼吸音をさせたかと思えば、いきなり叫びだす。
「ゆッ、ゆゆ、祐希くん!僕も!!!だいすき!!!!
...ウ"ッ」
「え?」
静かな中庭にドターンと派手な音が響く。
今回は手を握っていた俺を巻き込んで。
さすが西条くんと言うべきか、気絶しながらも俺を下敷きにするまいとその胸に抱き込んで倒れたのはなんというか、オタク魂に感銘を受ければいいのか、彼に恋する1人の男としてときめけばいいのかわからない。
事態が混沌すぎるため。
耳を彼の胸元にくっつければ、ちょっと早めのビートを刻んでいる音がしたのでひとまず生きてるということがわかった。本当に良かった。
顔を見れば、眉毛はだらしなく下がったまんま口角を上げて、ずいぶん幸せそうな顔で気を失っているようだ。
ただこの状況、妙な既視感がある。
視界の端にこちらに向かって走ってくるミツヤ先輩とその部下の忍者さん達の姿が見えた。
遠目からでもものすごく慌てているのがわかる。
あ、よく見るとそのうち1人はネイルがキラキラゴテゴテしている。
コーチも来てくださったんですね...。
起き上がろうとするも西条くんの腕がガッチリと俺を掴んで離さず、ひとつも身動きがとれない。
あの...
これ...俺が悪いの...?
生徒しかいない日とは言え、どうしても緊張はしてしまう。衣装の着替えやメイクも終わり、あとは心の準備をするだけだ。ステージの裏でゆっくりと何度も深呼吸をしながら歌詞を唇の動きだけでなぞって確認する。
そうしていると、気分がいくらか落ち着いた。
「みるちゃん!」
息をきらせて光くんがこちらに走ってきた。
前髪にはあのウサギのクリップが付いていて、珍しくおでこが見えている。
服装は...なんかド派手な法被を着ている。
俺の衣装とおそろいの色な上にビビッドな黄色の星柄だ。
そちらへのツッコミは放棄しつつ、スマホの時計を見ると、やはりライブ開始までもうあまり時間がない。
「光くん!も、もう始まると思うけど大丈夫?」
「うん!ダッシュで戻るし最前のとこ予約してるから!!それより手、出して!」
光くんは元気づけるように俺の両手をギュッと握った。
光くんの手がずいぶん熱くて、自分の手が緊張でめっきり冷えていたことに気付く。
「...ありがとう。」
「ううん!みるちゃんのためなら手なんていくらでも貸すよ!」
そう言って頬を赤くしてニコニコとしている楽しそうな顔を見られただけで、今までの努力が報われた気がした。
一度だけ強く手に力を入れて離す。
これ以上もらっては返せなくなってしまうから。
光くんは名残惜しげに俺の目を見ていた。
しかし、そろそろ行かなければならない時間だ。
「...もう行くの?」
「うん。」
「みるちゃん」
「...うん。」
「...がんばってね。」
「うん。もちろん!」
激励の言葉にとびきりの笑顔で応える。
ああ、そうだった。ポケットを探る。
「ね、見てこれ!」
セットしてもらった髪型を崩さないように、ポケットから取り出したものを前髪に付けて指をさす。
「これでおそろいだね!」
光くんが、鳩が豆鉄砲食らったような顔をする。
作戦成功だ。
このサプライズのためだけに、新しいものを買ってしまったのだ。
「あ、こっちのが新しくて綺麗だからこっちと交換する?」
「絶対やだ」
ものすごく食い気味な返事にちょっと笑ってしまった。
良い感じに体から力が抜けた気がする。
時間だ。
光くんは何度も振り返りながら客席に向かって行った。
俺も時間ギリギリまでそんな彼に手を振った。
名残惜しいのは俺もだったから。
ステージの袖へ向かう。
最初の『俺』は下手くそなモノマネをするだけのニセモノだったかもしれないが、今は違う。
心から君に笑って欲しいという願いが生まれたから。
今の俺は、本物のアイドルになれる。
幕が上がった。
ステージを照らすスポットライトが眩しい。
たかだか光の反射でも、きっと今の俺は輝いて見えるはずだ。
マイクを持つ手の肘を胴体にくっつけるように、そしてもう片方の手を開いて高く掲げた。
決してブレることの無いように、全身に力を込めて。
最前列にやかましげな気配を感じてそこを見れば、感激したかのような顔で、震える手で高速で振っているために残像がものすごいことになっているサイリウムを振る西条くんがいた。
目をこらすと、後ろの方で腕組みをしながら壁にもたれかかるように立っていたミツヤくんがうっすら微笑みつつ控えめにサイリウムを振っているのも見つけた。
なんだその感じは。
2人の様子に思わず口角が上がる。
...宇宙を思わせるポップな曲の前奏が流れ始めた。
大きく息を吸い込んで、顔を上げる。
さあ、レッスンの成果を見せる時だ。
会場全体に伝わるように声を張り上げる。
「まず1曲目はぁーッ!オリジナル曲!『届け!みるきー☆すぺーす♡はーと!』めう!今日はとことんいっしょに楽しんでいこうめろなァ"!!」
観客全体に向かって右や左に後ろの方まで、全員に見えるように手を振る。
もう後は楽しむだけだ。
「♪ きらきら☆ ぷりちー星からやって来た!
あなたを照らす とびっきりの一等星!」
何度も練習したように、軽快にステップを踏む。
可愛らしい発声を心がけて、ただ力は入れすぎないように。
「♪ あまねく銀河のみんなが1番!一切合切!もう博愛!」
観客を煽るように、リズムに合わせて拳を振り上げる。
だんだん曲とサイリウムが同調していくのが心地いい。
「♪ それが宇宙‹スペース›級博愛系アイドル!みるく♡!めぽわ~る☆!」
コーチに何度も指導を受けたカワイイ決めポーズで曲を締める。
あっという間に2曲目だ。
1曲目のサイケデリックでポップな感じとは違った、きらきらとしたピアノの音が綺麗なロックバラード。
人差し指を立てた手をまっすぐ上に掲げると、暗くなった会場が眩い青のライトに照らされる。
衣装の装飾から反射した小さなひかりが、星みたいに見えた。
「2曲目いくめろ。『ダークブルー・スターライト』!」
みるく♡めぽわ〜るのオリジナル曲の中で、俺はこの曲が1番好きかもしれない。
キュートでポップな曲がほとんどな中で、唯一穏やかなこの曲がひときわ異彩を放っているのだ。
大きく息を吸い込む。
手を拳にして握り、胸へと置く。
今度は客席の方から目線を移し、はるか空の上の一等星を見つめるように遠くを見上げた。
その目線の先へ手を伸ばす。
「♪例え燃え尽きたって進むよ 君に届くように」
緊張であんなに重たかった体が高揚感でウソみたいに軽くなったのを感じる。
今なら宇宙へだって飛べそうだ。
いつの間にか数が増えたたくさんのサイリウムが、まるで流星群みたいに見えた。
「♪ 暗い暗い宇宙の中で アナタが見つけてくれたみたいに」
俺も、同じくらい輝けているだろうか。
いつだって手を差し伸べてくれた君に、報いることができているだろうか。
「♪宇宙の果てでもアナタを愛してる!」
どうか、君が真っ暗な世界にいても君自身を呪わずにいられますように。
どうか、君の人生の中で、悲しい時でも見上げればそこにある明るい星の1つになれますように。
祈るように歌う。
次が最後、3曲目。
先ほどの曲とはまた雰囲気を一転させ、ハイテンションなかわいいパンクロックが流れ出す。
コーチに散々シバかれたとはいえ、体力もなかなか限界に近い。
息が切れてきた。
足全体が熱くて痛い。
衣装の中は汗でびちゃびちゃだ。
それでも、俺は今アイドルだから笑うのだ。
笑え!全力で楽しませること!
それが今ここにいるためのステータスだ!!
最後のギターの音が響き、曲が終わる。
「ありがとうございましたァ〜!!」
終わった。ちゃんとやり切れた。
そんな達成感と興奮のままそう叫んで手を振ると、歓声が上がる。
光くんなんて涙を流して喜んでいた。
本当に良かった。ちゃんと喜んでもらえたんだ。
...それにちょっと水を差すようで忍びないが、俺はマイクを手に言葉を続ける。
「ここで俺から"大切なお知らせ"がありまァす!!」
会場がザワつくのにも構わず、片方の拳を上に掲げて"こういう時"にはド定番のセリフで宣言する。
「俺、普通の男の子に戻ります!!!」
そう言って、俺はステージを飛び降りた。
人の噂も七十五日なんて言うが、普通の男の子に戻るためにこの濃すぎるイベントを時間で希釈するにしても10倍くらい、余裕で年単位の時を要するだろうがまあ、それは今は些事である。
今はどうでもいいんだ、そんなこと。
ステージを飛び降りたままの勢いで最前列へと走り出す。
汗ばんだままの熱い手で、強く彼の手を握った。
「行くよ!!」
「は、へ、ひゃい!」
驚いた顔の光くんはわけも分からないだろうに、ガクガクと頷いていっしょに体育館の出口へと走ってくれた。
困惑しきりで騒がしい会場の声が遠ざかっていく。
ライブ終わりで火照った体に、外の涼しい秋の風が心地良い。
行き先はいつもの場所、中庭へと向かっていた。
いつものベンチの前で俺が立ち止まると、光くんも止まってこちらへ向き直る。
「光くん、いっしょに来てくれてありがとう。」
「う、うん。それで、急にどうしたの...?」
戸惑うような、それでもいつも通りに俺を気遣うような顔で光くんが尋ねてくる。
ライブも終わったというのに、走ったせいでは無い理由で俺の心臓はまだけたたましく鼓動を打っていた。
それを抑えるように胸に手を置く。
もしかしたら、今俺はライブの前よりも緊張しているかもしれない。
一呼吸置いて、片手だけ繋いでいた彼の手を両手で握り、俺は一世一代の話を切り出した。
「...俺という1人の人間として、聞いて欲しいことがあるんだ。」
「...うん。」
「まず、俺の名前は伊佐原 祐希。苗字でも名前でも、好きなほうで呼んで。
...まあ、できたら名前で呼んで欲しいな。」
「...う、うん...わかった。」
素直に光くんが頷く。
なんとなく『そんなことを言うために?』という顔をしている気がするが、その通りだ。
まだ続きがある。
手汗で湿っぽくなっているのも今は気にせずに、西条くんの手を下から掬うように、互いの両手を握り直した。
手から鼓動が伝わりそうなほど、全身が心臓になったみたいに震えている。
「俺は、君のことが好きだ。
君に見つけてもらえただけでも幸せなんだけど、俺は欲張りだから、できればずっと俺の隣にいて欲しい。
...できることなら、その、お、俺と付き合ってください...!」
「へ」
吐息と区別がつかないくらいの声。
驚かせてしまったことだろう。
彼がどんな表情しているか知るのが怖くて、上手く光くんの顔が見られない。
それでも伝えたいことを伝えるために、振りほどかれませんようにと手を握ったまま口だけは必死に動かした。
「だッ、だいすきなんだ!君のことが!!」
なんとか言えた。
汗まみれの手が震えている。
...ふと気付く。
震えているのは俺の手だけじゃない。
俺の手よりもよほど心配になる周波数で彼の手が震えている。
なんか発汗の量もとんでもない気がする。
美青年の手から出ちゃいけないような量の手汗が出ている。
彼の今の表情を見る怖さよりも心配が勝り、俺は恐る恐る顔を上げた。
そこには、限界まで顔を真っ赤に染めた光くんが、はくはくと口を開いたり閉じたりしながら感極まったように俺を見つめていた。
彼は喉から引きつったような呼吸音をさせたかと思えば、いきなり叫びだす。
「ゆッ、ゆゆ、祐希くん!僕も!!!だいすき!!!!
...ウ"ッ」
「え?」
静かな中庭にドターンと派手な音が響く。
今回は手を握っていた俺を巻き込んで。
さすが西条くんと言うべきか、気絶しながらも俺を下敷きにするまいとその胸に抱き込んで倒れたのはなんというか、オタク魂に感銘を受ければいいのか、彼に恋する1人の男としてときめけばいいのかわからない。
事態が混沌すぎるため。
耳を彼の胸元にくっつければ、ちょっと早めのビートを刻んでいる音がしたのでひとまず生きてるということがわかった。本当に良かった。
顔を見れば、眉毛はだらしなく下がったまんま口角を上げて、ずいぶん幸せそうな顔で気を失っているようだ。
ただこの状況、妙な既視感がある。
視界の端にこちらに向かって走ってくるミツヤ先輩とその部下の忍者さん達の姿が見えた。
遠目からでもものすごく慌てているのがわかる。
あ、よく見るとそのうち1人はネイルがキラキラゴテゴテしている。
コーチも来てくださったんですね...。
起き上がろうとするも西条くんの腕がガッチリと俺を掴んで離さず、ひとつも身動きがとれない。
あの...
これ...俺が悪いの...?
