宇宙‹スペース›級博愛系アイドルみるく♡めぽわ~る☆

本番まで1週間を切った今日は、リハーサル前に衣装合わせをするとのことで爪に色を塗ってもらえるらしい。
ネイルなんて当たり前にしたことがないためド緊張しながら行けば、ドアを開けて出てきたのはミツヤ先輩だった。

「こちらへどうぞぉ〜。」
「おわ...」

入ると、机の上には見たことの無い道具がたくさんあり、形の違う筆やら分厚いスポンジでできたヤスリやらが丸いケースに整理整頓されて規則正しく並んでいて、ど真ん中には四角い機械らしきもの、そしてそれを挟むように腕を置くのであろうクッションが2つ置かれていた。
「はい座ってー、腕そこのクッションね。」
棚から爪に塗るやつが入った小瓶をいくつか取り出して、ミツヤ先輩は机の向かい側に座る。
「な、なんか本格的ですね...?」
「あーね、全部コーチに借りたんだけど俺も量にビビったよね。」
あの人あのゴテゴテギラギラの爪を自分でやってたんだ...とコーチのマルチな能力に畏敬の念を抱いてしまう。

「まずこっちからヤスってくねー。」
「あ、はい」

無遠慮に手を掴まれるが、ここ最近は衣装のためにと散々身体測定をされていたのでもう慣れたもんである。
この日のためにいつもより伸ばした爪を、スポンジみたいな細長いヤスリで形をおおまかに整えられる。
左右それぞれの指が同じ形かどうか並べて確認され、手を雑にクッションに置かれると、これまた見たことの無い小型のドリルのようなものが取り出され、ビクッとしてしまった。
すわ拷問か...?と恐怖のあまりその道具を凝視していると、先輩が堪えきれないとでもいう感じで笑い声を漏らした。

「んっふふ、大丈夫だよ。爪の付け根んとこの皮をちょっと削るやつ。あんまり痛くないようにするから。」
「あ、ああ、なんだ、はい...」

細い棒状のドリルがサリサリと爪の付け根を滑っていく。
摩擦で少しチリリとするものの存外痛みはなく、ちょっとだけ強ばっていた体の力を抜いた。
ネイルの工程なんて見る機会が無かったため、無言で手元を見つめてしまう。

「はい、終わったよ。じゃあ、衣装案の通りに色塗ってくね。」
「お、あ、はい。」

自分のそれよりも大きな手が、細い小さな筆で爪の上に均一に色を乗せていく。
ミツヤくんの手つきに迷いや淀みは一切なく、まるでプロみたいだった。

「器用ですよね、先輩って。」
「ありがとー。まあこれくらい出来なきゃねぇ〜。」

塗ったそばから小さな紫色のライトで爪をぐるっと照らして固めつつ、先輩はさらっとそんなことを言った。
すごく良いお家ご出身の男子高校生ってネイルができて当たり前なんだろうか。
それにしたっていろいろ出来すぎだと思う。
あんまり納得いかないまま、ボケ〜っとしながらまた手元を見つめていると、ふと空気が張り詰めた気がした。
先輩の顔を見ると、口角は緩やかに弧を描いているが、目が一切笑っていなかった。

「あのさぁ...」
「はい。」
「ガチで気になんないの?」
「え?」

急になんなんだろう。
本当にわからなくて軽く首を傾げると、先輩は小さくため息を吐いた。

「はい、手はここ。」

手を白い箱の機械の中に入れられる。
箱の中で汗が滲んだ手を紫色のライトが炙るように照らした。
俺の手を掴んで機械に突っ込んだまま、先輩は続けて話し出す。

「この前。俺とアイツが兄弟だってバラした時、めっちゃ気まずそうな顔してたのにさぁ、なーんかもう平気な顔してて信じらんないんだけど。能天気すぎない?」
「はぁ、まあ...そう...ですか?」

なんだか面倒くさそうな話の切り出し方だ。
どう返していいか分からず困惑したままなんとなくで相槌を打てば、ミツヤ先輩はそれも気に入らなかったらしい。
ついに口角も下がってしまい明らかに不機嫌そうな顔つきになった。顔が整っている人の無に近い怒り顔は本当に恐ろしくて、体感的に部屋の空気はもう氷点下である。

「へぇ〜、そんな気にならない感じなんだ?」
「ま、まぁお二人とも似てますし、お金持ちの家なら色々と事情があるでしょうし、その、反応なんてこんなもんじゃないですか?」

先輩が顔を上げないまま俺の手元から視線を移し、俺の目をキッと睨むように見つめ、眉間と口角を歪ませて微笑む。

「おもしろくないからそんな風に平然とされると嫌だなぁ。俺はもっと気まずくなって欲しいんだよね。上手くいかないとこが見たいんだよ。」
先輩が目を細めて笑う。
空き教室の時と同じ、真っ黒な目をして。
嫌な予感がした。

「アイツね、高校受験に失敗してんの。ウチのご当主サマから入れ〜って言われてた第一志望校。」
「...は?」

あまりにも唐突に投下された、ここにいない人間のデリケートかつ他人が触れるべきではない話題に呆気にとられてしまった。
遅れてじわじわと友達を蔑ろにされたことへの怒りが湧いてくる。

「あ、アンタなぁ、何を言って...」
「そんでね、俺はアイツの第一志望校に元々受かってたんだけど、今年の春からここに転校してきたの。」

「...え?」

知ってる?と聞かれた高校の名前は俺でも聞いたことがあり、そもそも成績が合格圏内に届きすらしなかった、有名な難関校だった。

「意味、わかる?
アイツの補佐とか色々やんなきゃだからさぁ、すげぇ良いとこ通ってたのに辞めさせられたの。」
「...な、なんで」
「俺ねぇ、血縁的にはアイツのお兄ちゃんなんだけど、腹違いなの。
本来ならこんな家にいられるようか身分じゃない。『犬』みたいなもんなの。人じゃない。
...生き物じゃなくなるなら舞台装置かな、アイツを一番にするための。
人間として、西条家の者として特別に与えられるものは、全部アイツのものなの。」

先輩はおどけたように両手を拳にして手首を曲げ、こちらに差し出す。
犬の前足みたいに。

「まあ、普通に生きてるより幸せだと思うよ?犬は犬なりに良い家もエサも与えられてさ。それで充分なんだろうけど、面白くない。憂さ晴らししたい。
だから君にも、負い目に感じて欲しいよ〜俺は。」

「な、何を、言ってるんです...」

「はは、その顔が見たかったんだぁ。
ずっとその顔でいてよ、かわいいから。」

軽薄な口調で、先輩は笑う。

「ぜーんぶ台無しになればいいよ。
なんにも無くなればいい。そうしたら俺もきっと、良かったなあって思えるから。」


それが、先輩の言う『犬』としての幸せなんだろうか。
秘密を暴露して、俺や西条くんに憂さ晴らしができて、それで満足なのだろうか。
本当に?
先輩の今の表情は、とても満たされた者の顔には見えない。
なんだか俺には、おもしろくなるから気まずくさせたいというより、後から幸せを取り上げられるくらいなら何も持ちたくなくて、わざと自分から傷をつけている人に見えた。

きっと先輩だって最初は周囲からひどい扱いをされて悲しかっただろう。
自分じゃどうにもできない出自で差別されても、それでも努力したんだろう。
それもいつしか意味合いが憂さ晴らしに変わってしまって、どんなに苦しかっただろう。
他者に蔑ろにされた悲しみは、やがて他者への怒りになり、それがいくつも積もっていくと恨みとなってずっと自分の中に残り続ける。
人生の中でずっと恨みをどうにもできないまま持ち続けると、その恨みが肥大して、毒のように全身にまわる。
大切だったはずのものや幸せが自分の目には見えなくなり、毒が体から溢れ出て自分も他人も傷つけて、自分の在り方すら歪めてしまう。
諦念だったり無力感だったり、憂さ晴らしなんていう理由付けで誤魔化してはいるが、俺の目に映る先輩は、己の毒で苦しんでいるように見えるのだ。

中学生のとき、俺は立派に厨二病を拗らせて文学少年を気取ってほぼ意味もわからない小難しい小説ばかり読んでいたことがある。
その中でも話の内容は比較的わかりやすかったがどうしても好きになれなかった小説があった。家族のために働いていた男がある日毒虫に変身してしまい、最後には家族にすら疎まれて亡くなるお話だ。
読んだとき俺は、主人公に対してどうにか、どうにか毒虫なりに生きていくことはできなかったのか...と悲しくなったんだった。
自分を弱らせ、追い詰められていくような場所にいないで、毒虫なりに自分を大切にして、何か少しでも希望を見つけて生きる道はなかったんだろうか、と。
今のミツヤくんの話を聞いて起こった胸の中の荒波は、きっとその時の思いとよく似ていた。

あとは、こんな有能な人が全てを諦めて自分を『犬』だとか卑下して斜に構えたままクサクサしているのが、平凡な俺からするとムカつくとか、そんなくだらない個人的な怒りもあるかもしれない。

自分の、今しがた先輩に塗ってもらった綺麗な爪を見る。
こんなに綺麗にできるまで、先輩はどれだけ頑張ってきたんだろう。
これはネイルに限った話じゃない。
俺の知るなんでもそつなくこなす先輩になるまで、いったいどれだけ...
そんな色んなやるせない感情が溢れ出すままに、先輩をまっすぐ見据えて口を開いた。

「先輩なら、何にでもなれますよ。」
「...は?」
「だってわりと本当になんでもできるじゃないですか。何処へでも行けるし、"どうにでも"なりますよ。」
「いや、何言ってんの...?俺の話きいてた...?」
「聞いてました聞いてました。その上で言ってるんです。ムカつくんですよ!何が犬ですか!じゃあ犬だっていうアンタにこき使われてる俺はなんだって言うんです!!
本ッ当にムカつく!俺より出来るひとが全部諦めてるのが!!そういうのは色々やり切ってからやってください!!!つらい時は逃げる!媚びる!省みぬ!!人生そのくらいが良いんですよ!!」

「...な、ムチャクチャだ......」

「あと兄弟喧嘩するのに俺を挟まないでください!!あとあと、普段から思ってたんですけどもっと俺の胃と神経に優しくしてくださいよ!!」

「急にブチ撒けるじゃん...」

面食らったように目をまん丸にしてぽかんとした顔は、今まで見たことが無いほどあどけない。

その顔を見ていたら、さっきまで胸に渦巻いていた感情なんてなりを潜めて、思わず小さく吹き出してしまった。

「...は、もう、何なの?本当に物怖じしなくなったね?最初はあんなに怯えてかわいかったのに。」
「俺は今もかわいいですよ。ほら、爪もこんなにかわいくしてもらいましたし?」
「......はぁ〜、君と話してると気が抜けるわ。なんかこっちがバカみたいじゃん...」
「あ、先輩顔かっこいいし背ェ高いからモデルとかもイケるんじゃないですか?パリコレ行きましょパリコレ。」
「調子がいいやつだな…」

ミツヤ先輩は大きなため息を吐いてゆるゆると力を抜き、とうとう頭を抱えてしまった。

「"どうにでも"なる、ね...」
「はい!」

最初に会った時の意趣返しに対してこちらをジロリと恨めしげに見つめる先輩に、自分でも笑えるくらい、無責任に肯定する。
先輩は、俺にとって今まで会った人間の中で1番出来る人だから。怖いけど。
褒めると動揺する様が楽しくてめっちゃヨイショしているが、尊敬しているのは本当である。
本当に怖いけど。

「うん。そう。分かった。ありがとう。」
「デヘヘ、どういたしましてェ〜」

調子に乗りきった俺は顔周りで手をワサワサやりながら大変気色悪いレスポンスをしたが、先輩は晴れやかに笑った。
左右対称な、完璧な表情で。
...背筋が寒くなる。

「俺を唆した責任、とってくれるよね?」
「...はい?」

なんか、流れ変わったな。
先輩は手錠をかける警察官みたく俺の両手の手首あたりを一纏めにして握ると、勢いよく詰め寄ってきた。

「今決めた。めちゃくちゃ出世したらテキトーなポスト用意するからさぁ、ずっと俺のそばにいてね。」
「いや、あの...」
「君が言ったんだからね。"どうにでも"なるって。アイツが邪魔してくるだろうけど絶対ぜぇったい引き抜いてやるからな...」
「本当に怖いんですけど...」

なんか雲行きが怪しい。

「返り忠に失敗して西条家にめきょめきょのコテンパンに返り討ちにされたらいっしょに路頭に迷おうね♡」
「勘弁してください...」
「死ぬときもいっしょだよ♡」
「本当に勘弁してください...」

どうやら場合によっては西条家の寝首をかくつもりらしい。
眉をこれ以上ないほどしならせて顔をめしょめしょにした俺を見て、ミツヤくんは片方の眉をクシャッとさせて、眉間にシワを寄せて笑った。
随分と下手くそな笑い方で。

「大丈夫。"まだ"しないよ。」

大きな手が俺の手を掬うように握り、親指が手の甲を優しくなぞる。
その手はさっきよりも熱く、湿っぽかった。

「こんな学校生活、想像もしてなかったよ。
思ったより楽しいんだ。君がいるから。」

拍子抜けするほど優しい声音だった。
手の甲を撫でていた親指は爪の出来栄えを確かめるみたいに指先を撫で、あっけなく離れていった。
夕陽の赤い光を反射して、俺の爪はキラキラと光っている。

「...俺はこんな風になるなんて思いもしませんでしたよ...」

そう俺がボヤいたのを聞いた先輩はいつもの調子で吹き出した。

...そうやってひとしきり笑った後、先輩はあっけらかんとした調子で言い放った。

「じゃ、爪もできたことだし衣装着てね。
これからグッズ用にブロマイド撮影するから。」

「...聞いてないんですけど?」

「うん。その反応が見たくて言ってなかったからね。」

先輩は今日イチの笑顔でそう言った。
それからあれよあれよといつの間にできていたのか西条家まで連れて行かれた先の一室に簡易的なスタジオが設置されていた。

「じゃあとりあえず10種類くらいポーズ決めて撮ってもらって〜そこから5種類に絞るね。」

すでにカメラマンらしき人(忍者じゃないので恐らく外部の人だ)が待機していたので、文句を言いたかったが待たせる訳にも行かず、指示通りにブロマイド撮影を行うことになった。

釈然としないまま撮影をしていたら、外野から「みるちゃ〜ん目が笑ってないよぉ〜!目までかわいく笑って〜!」なんていう愉快犯のヤジが飛んできた。

俺は引き攣りそうになる口角を無理やり抑えてまた改めて違うカワイイポーズをとった。
いつか絶対"どうにか"してやるからな...!と心に誓って。