早いことに入学式からいつの間にか2週間ほど過ぎた、春うららかな日である。
既にいくつも仲良しグループができ始め、気温的にもクラスの絆的にも暖かくなった教室を見回していたその時。
気付いてしまった。
いつの間に席についていたんだろう。
というか、思い返してみたらクラスメイトの名前は誰1人思い出せないし、もっと振り返ってみたら入学前の中学卒業後の春休みから今日までの記憶がサッパリ無い。
...心底ゾッとしたが冷静になろう。
今把握できる己の状態を省みることに専念しよう。
まずは自分の手。
なんでぷっくりしていてビーズが入っているタイプの女児向けシールが至るところに貼られているんだ!?
...爪のコレ、マニキュアか?
恐ろしく下手クソに塗られたパステルカラーの爪はボコボコしていて、その上から無理やりポップな色のビーズが入った何ともぷりちーなシールが貼られている。
しかもなんか異様に手がツヤツヤしてるし白くなってる?なんかお花みたいないい匂いもするし。
これ本当に俺の手か?
夢かな?
試しに頬を引っ張ってみる。
痛い。
隣の席をチラッと見てみた。
真面目そうな二つ結びの女の子はビクっと体を強ばらせた途端すばやく俺から目を逸らし、俺からの視線を遮るように教科書で顔を隠した。
反応が完全にヤバいやつ相手のそれだ。
泣きそうになった。
夢じゃない。
授業が終わると俺は勢いよく廊下に飛び出し男子トイレを見つけると、ボルトもビックリな速度で鏡の前まで駆け込んだ。
な
な ん だ こ れ は?
その日俺は気付いたら自宅のベッドで寝ており、両親はかつて無いほど号泣していた。
担任の先生曰く、トイレの鏡の前で気絶していたらしい。
そして家まで送り届けてくれた先生が両親に今までの俺の学校生活のことを説明したらしい。
そのあまりに惨憺たる様子に多大なショックを受けたようで、散々カウンセリングやら精神科やらへの通院を進められたがなんとか今は普通であることを証明し、とりあえず経過観察的なアレで数日学校を休むということで落ち着いた。あんなにも必死の形相をした父と母は人生で初めて見た。
担任の先生も俺のことは心配だったらしく、休む旨を伝えた時は泣いて喜んでいた。新しく受け持ったクラスに明らかな精神異常者がいた上その本人である俺に記憶が無いことも相まってめちゃくちゃに申し訳なかった。今度菓子折でも持って詫びなければ。
そうやって数日間は家に引きこもりつつ授業の予習と、たまに家族から「君の名は?」だの「職業は?」だのと言った簡単な質疑応答がありつつ特別休暇を過ごした。
結局両親や先生に何度聞いても正気を失っていた時の俺の話をしてくれなかった。
当の俺も気絶したショックなのかあの日の自分の格好もあまり思い出せない、というか思い出したくないのかもしれない。本当に怖い。
そんなこんなで数日後、俺は初めて正気の状態で登校した。
しかし俺は教室のドアの前で、ドアを開けることができずにいた。
今更になって推定挙動がアッパラパーな頭ポンチのミラクルトンデモ野郎だった奴が普通の顔をして入っていいんだろうか。
いや、流石に記憶からトぶくらいトンチキな状態で生活するよりよっぽどマシなんだろうが、急に普通の人になったことでまた逆にクラスメイトにヒソヒソされるのもセンチメンタルでガラスよりも硝子な思春期少年にはだいぶ辛いのである。
芥川龍之介が書いた話になんかそんな雰囲気のやつあったなあ。
なんでこんなことになったんだろ。
入るも地獄、帰るも地獄。
汗だくになりながらドアに手をかける寸前で手をワキワキとさせていたその時、
「みるちゃん!」
背後から爽やかな声で可愛らしい名前を呼ぶのが聞こえたので邪魔にならないよう瞬時にサッとスライドドアの如くドアの前から身を横に退けた。
恐らくこのクラスに「みるちゃん」という可愛らしい名前の子がいるんだろう。若干あだ名からキラキラな感じが滲み出ているが、現代は名前も多様性の時代だなあと廊下の窓から見える空を眺めつつ現実逃避をした。
「みるちゃん?」
あ、あの雲ハムスターに似てる。でも若干のキュビスムを感じるな。キュビスムが何かあんまりわかんないけど。芸術だなあ。
「が、学校長い間お休みしてたんだよね。大丈夫だった?」
明らかにこちらに向かって話しかけているように見えるが、俺の名前に「みるちゃん」なんて要素はほんの1ミリほども無い。気のせいだろう。
どうやら奇遇なことに「みるちゃん」も長いこと学校を休んでいたらしい。ぐうぜ~ん。
なんだかものすごくキラキラとした雰囲気から無理やり目を逸らして雲の観察を続ける。
あ、あの雲はタスマニアデビルに似てるな...文化的だ。
「ねぇ、み、みるちゃん...どうして無視するの......」
「えっ?」
いきなりデカい手に肩を強く掴まれた。
「みるちゃん...ぼ、ぼくのこと嫌いになっちゃった...?」
「は?...え?」
視界の端でやけに謎の輝きを放っていた光源は今絶賛乱心して俺をみるちゃんだと勘違いしているこの男からのものであったらしい。
地毛なのであろう長い金髪はアバンギャルドなほどボサボサだが、その隙間から見える顔立ちが人間離れしているほど整い過ぎていて言葉を失ってしまった。は、鼻筋でスキージャンプできてしまう...!じゃなかった。
金の絹糸のような髪から覗く緑色の瞳が不安と涙で揺れて、薄い唇は可哀想なほど色を失なっていて、全然悪いことをしていないしむしろ今はこちらが謎の迷惑をかけられているはずなのになんだか申し訳なくなってしまうほどで。
「え、ぁ、あの、人違いでは...?」
「ぼ、ぼく、みるちゃんの1番のファンだもん、人違いな訳ないもん...なんでそんなひどいこと言うの...!」
やけに早口で声が震えているし立派な男子高校生が素で「もん!」とか言ってるのに声質がほどよく可憐かつカッコイイせいで聞けてしまう...!じゃなかった。
この人は本気で俺をみるちゃんとやらだと勘違いしているらしい。マジで勘弁して欲しい。
俺は伊佐原祐希であってみるちゃんでは無い。1文字も掠ってないし名乗った覚えも無ければそんな名前で呼ばれたことなど今までに一度だってない。Q.E.D.証明完了である。
「あの...本当に人違いで、俺、みるちゃんではないです......あ、あの...困っているなら先生呼びましょうか...?」
なんだかわからないが俺がみるちゃんではないと訂正した途端、その人は目をカッと開いてワナワナと震えだした。
そのワサワサした長髪も含めて和製ホラー界の女王たる某井戸からきっと来る御方に見えてくるのでそんな怖い顔するのをやめて欲しい。金髪だからハリウッド版かな。
そんな風に目の前の絵面の処理を軽減させようと現実逃避しかけているとひっ、ひっ、と過呼吸のような引きつった呼吸音まで聞こえてきた。
本当に大丈夫かこの人!?
「だ、だ大丈夫ですか?」
思わず背中をさする。瞳の色は本当に宝石のように綺麗なのに瞳孔が病的なまでに縦横無尽にギョロギョロ泳いでいる。怖い。
できる事なら早急に離れたい。
「ひっ、み、みみ、ひっ、ひッ」
「なに?卑弥呼?」
「みッ、みるちゃんは!
『俺』なんて言わないぃ”...ッ!!」
「は?」
喉を引き絞るような引きつった大声でヒステリックに叫び、ボロボロッと大粒の涙をこぼしたかと思えば、大きな瞳がグルンッと上を向いた。
それと同時に操り人形の糸が切れたみたいに細長い体から力が抜け、冗談みたいにバターン!と人が倒れる重たい音が廊下に派手に反響して。
「...え?」
廊下にいる生徒が一斉にこちらを見た。
訝しげな目だった。
冷たい目だった。
え?
これ、俺が悪いの?
既にいくつも仲良しグループができ始め、気温的にもクラスの絆的にも暖かくなった教室を見回していたその時。
気付いてしまった。
いつの間に席についていたんだろう。
というか、思い返してみたらクラスメイトの名前は誰1人思い出せないし、もっと振り返ってみたら入学前の中学卒業後の春休みから今日までの記憶がサッパリ無い。
...心底ゾッとしたが冷静になろう。
今把握できる己の状態を省みることに専念しよう。
まずは自分の手。
なんでぷっくりしていてビーズが入っているタイプの女児向けシールが至るところに貼られているんだ!?
...爪のコレ、マニキュアか?
恐ろしく下手クソに塗られたパステルカラーの爪はボコボコしていて、その上から無理やりポップな色のビーズが入った何ともぷりちーなシールが貼られている。
しかもなんか異様に手がツヤツヤしてるし白くなってる?なんかお花みたいないい匂いもするし。
これ本当に俺の手か?
夢かな?
試しに頬を引っ張ってみる。
痛い。
隣の席をチラッと見てみた。
真面目そうな二つ結びの女の子はビクっと体を強ばらせた途端すばやく俺から目を逸らし、俺からの視線を遮るように教科書で顔を隠した。
反応が完全にヤバいやつ相手のそれだ。
泣きそうになった。
夢じゃない。
授業が終わると俺は勢いよく廊下に飛び出し男子トイレを見つけると、ボルトもビックリな速度で鏡の前まで駆け込んだ。
な
な ん だ こ れ は?
その日俺は気付いたら自宅のベッドで寝ており、両親はかつて無いほど号泣していた。
担任の先生曰く、トイレの鏡の前で気絶していたらしい。
そして家まで送り届けてくれた先生が両親に今までの俺の学校生活のことを説明したらしい。
そのあまりに惨憺たる様子に多大なショックを受けたようで、散々カウンセリングやら精神科やらへの通院を進められたがなんとか今は普通であることを証明し、とりあえず経過観察的なアレで数日学校を休むということで落ち着いた。あんなにも必死の形相をした父と母は人生で初めて見た。
担任の先生も俺のことは心配だったらしく、休む旨を伝えた時は泣いて喜んでいた。新しく受け持ったクラスに明らかな精神異常者がいた上その本人である俺に記憶が無いことも相まってめちゃくちゃに申し訳なかった。今度菓子折でも持って詫びなければ。
そうやって数日間は家に引きこもりつつ授業の予習と、たまに家族から「君の名は?」だの「職業は?」だのと言った簡単な質疑応答がありつつ特別休暇を過ごした。
結局両親や先生に何度聞いても正気を失っていた時の俺の話をしてくれなかった。
当の俺も気絶したショックなのかあの日の自分の格好もあまり思い出せない、というか思い出したくないのかもしれない。本当に怖い。
そんなこんなで数日後、俺は初めて正気の状態で登校した。
しかし俺は教室のドアの前で、ドアを開けることができずにいた。
今更になって推定挙動がアッパラパーな頭ポンチのミラクルトンデモ野郎だった奴が普通の顔をして入っていいんだろうか。
いや、流石に記憶からトぶくらいトンチキな状態で生活するよりよっぽどマシなんだろうが、急に普通の人になったことでまた逆にクラスメイトにヒソヒソされるのもセンチメンタルでガラスよりも硝子な思春期少年にはだいぶ辛いのである。
芥川龍之介が書いた話になんかそんな雰囲気のやつあったなあ。
なんでこんなことになったんだろ。
入るも地獄、帰るも地獄。
汗だくになりながらドアに手をかける寸前で手をワキワキとさせていたその時、
「みるちゃん!」
背後から爽やかな声で可愛らしい名前を呼ぶのが聞こえたので邪魔にならないよう瞬時にサッとスライドドアの如くドアの前から身を横に退けた。
恐らくこのクラスに「みるちゃん」という可愛らしい名前の子がいるんだろう。若干あだ名からキラキラな感じが滲み出ているが、現代は名前も多様性の時代だなあと廊下の窓から見える空を眺めつつ現実逃避をした。
「みるちゃん?」
あ、あの雲ハムスターに似てる。でも若干のキュビスムを感じるな。キュビスムが何かあんまりわかんないけど。芸術だなあ。
「が、学校長い間お休みしてたんだよね。大丈夫だった?」
明らかにこちらに向かって話しかけているように見えるが、俺の名前に「みるちゃん」なんて要素はほんの1ミリほども無い。気のせいだろう。
どうやら奇遇なことに「みるちゃん」も長いこと学校を休んでいたらしい。ぐうぜ~ん。
なんだかものすごくキラキラとした雰囲気から無理やり目を逸らして雲の観察を続ける。
あ、あの雲はタスマニアデビルに似てるな...文化的だ。
「ねぇ、み、みるちゃん...どうして無視するの......」
「えっ?」
いきなりデカい手に肩を強く掴まれた。
「みるちゃん...ぼ、ぼくのこと嫌いになっちゃった...?」
「は?...え?」
視界の端でやけに謎の輝きを放っていた光源は今絶賛乱心して俺をみるちゃんだと勘違いしているこの男からのものであったらしい。
地毛なのであろう長い金髪はアバンギャルドなほどボサボサだが、その隙間から見える顔立ちが人間離れしているほど整い過ぎていて言葉を失ってしまった。は、鼻筋でスキージャンプできてしまう...!じゃなかった。
金の絹糸のような髪から覗く緑色の瞳が不安と涙で揺れて、薄い唇は可哀想なほど色を失なっていて、全然悪いことをしていないしむしろ今はこちらが謎の迷惑をかけられているはずなのになんだか申し訳なくなってしまうほどで。
「え、ぁ、あの、人違いでは...?」
「ぼ、ぼく、みるちゃんの1番のファンだもん、人違いな訳ないもん...なんでそんなひどいこと言うの...!」
やけに早口で声が震えているし立派な男子高校生が素で「もん!」とか言ってるのに声質がほどよく可憐かつカッコイイせいで聞けてしまう...!じゃなかった。
この人は本気で俺をみるちゃんとやらだと勘違いしているらしい。マジで勘弁して欲しい。
俺は伊佐原祐希であってみるちゃんでは無い。1文字も掠ってないし名乗った覚えも無ければそんな名前で呼ばれたことなど今までに一度だってない。Q.E.D.証明完了である。
「あの...本当に人違いで、俺、みるちゃんではないです......あ、あの...困っているなら先生呼びましょうか...?」
なんだかわからないが俺がみるちゃんではないと訂正した途端、その人は目をカッと開いてワナワナと震えだした。
そのワサワサした長髪も含めて和製ホラー界の女王たる某井戸からきっと来る御方に見えてくるのでそんな怖い顔するのをやめて欲しい。金髪だからハリウッド版かな。
そんな風に目の前の絵面の処理を軽減させようと現実逃避しかけているとひっ、ひっ、と過呼吸のような引きつった呼吸音まで聞こえてきた。
本当に大丈夫かこの人!?
「だ、だ大丈夫ですか?」
思わず背中をさする。瞳の色は本当に宝石のように綺麗なのに瞳孔が病的なまでに縦横無尽にギョロギョロ泳いでいる。怖い。
できる事なら早急に離れたい。
「ひっ、み、みみ、ひっ、ひッ」
「なに?卑弥呼?」
「みッ、みるちゃんは!
『俺』なんて言わないぃ”...ッ!!」
「は?」
喉を引き絞るような引きつった大声でヒステリックに叫び、ボロボロッと大粒の涙をこぼしたかと思えば、大きな瞳がグルンッと上を向いた。
それと同時に操り人形の糸が切れたみたいに細長い体から力が抜け、冗談みたいにバターン!と人が倒れる重たい音が廊下に派手に反響して。
「...え?」
廊下にいる生徒が一斉にこちらを見た。
訝しげな目だった。
冷たい目だった。
え?
これ、俺が悪いの?
