覚えていること

高校のことを思い出したときに、いつも浮かぶのは空っぽの教室だった。
誰かと一緒にいる絵や、誰かと何かをやっている絵は、全然浮かんでこない。
誰もいない教室ばかりが浮かぶ。
友達もいなかったけれど、自分もいなかったんだなと思う。
何も起きなかった日もあったけれど、何か起きた日の方が多かった。

国際科は男が一、女が三くらいの割合で、男子がものすごく少なかった。しかも三年間、クラス替えがない。担任もずっと同じで、副担任だけが毎年変わった。担任は女性だった。
入学した初日、吉水くんというよくしゃべる子が男子全員を集めて、「みんなにあだ名をつけよう」と言い出した。
ある子は、プロ野球のイチローに顔が似ているからイッチー。鶴野という子はつるの剛士と苗字が同じだから、そこから取ってウルトラ。麒麟の田村に顔が似ているから「田村」と呼ばれていた子もいた。
大坂という苗字には、当時の大阪府知事だった橋下徹の「とおる」を充てられた。
それから高校では、とおるとして生活することになった。
クラスの中心にいたのは吉水くんだった。その隣には、もう一人、日山くんという、ちょっとちゃらちゃらした感じの子がいた。そして、その横に自分がいた。
吉水くん、日山くん、その横にとおる。
席順だけで見ると、そんな三人が横一列に並んでいた。
なんとか2人の中に入っていこうとした。笑ったり、手を叩いたり、話に合いの手を入れたりするくらいなら、中心にいなくてもできる。けれど、面白くもない話題で笑ったり、話に合わせて手を叩いたりするのは、全然楽しくなかった。
引きこもり気質のくせに、自分が中心にいないと輝けないところがあった。
小学校の頃は、みんなが自分のことを知っていた。だから、面白がってくれたり、うまく活かしてくれたりする人が何人か周りにいた。
でも、知らない人の前では人見知りする。
高校では、みんなが知らない人だった。
だから、どんどん中心部から遠ざかっていった。
もちろん、地味なタイプの人たちもいた。ビル、アニマルさん、それから内海。そのあたりは、どちらかといえば地味な感じだった。
けれど、最初の頃はその集団と仲良くしようとは思わなかった。
むしろ、こいつらと一緒になっちゃダメだ、と思っていた。
こういう地味なのから脱出しないと。中学の時はメガネをかけていたけれど、そろそろオタクっぽいのを卒業しなきゃと思ってコンタクトにして爽やかな感じにした。
アニマルさんなんかは、自分がオタクだということを全然隠していなかった。ライトノベルを、わざと机の上に置いていた。恥ずかしさからかカバーはちゃんとかけていた。
それを大沼くんという、吉水くんの同級生がちらっとめくって、「お前こんなん見てんの」と爆笑した。
そういうところから2人は打ち解けていった。
結局、アニマルさんはライトノベルつながりやエロの話なんかで、大沼くんや山代くんとつながっていった。そうやって、少しずつ自分の立場を作っていった。
自分には、それができなかった。
自分の恥ずかしいところをさらけ出すことが、どうしてもできなかった。
男子の下ネタは、全くおもしろさが分からなくても、とりあえず笑っていた。
フェチの話になったとき、みんなは胸や尻、鎖骨部を挙げた。鼠蹊部を挙げる人もいた。
自分が聞かれたときは、何と答えていいのか分からなかった。嘘をつくこともできなかったので、「指」と答えた。
みんなの反応は、微妙だった。
高校一年、十六歳の夏休みに、国際科だけの「サマースタディ」というものがあった。
ホテルを貸し切って、外国人の先生が何人も集まった。生徒は出席番号順にグループを組んで、授業を受けたり、発表をしたりした。
そのときは、一人一部屋、ホテルの部屋が割り当てられていた。
授業が終わった夕方、大沼くんと山代くんが部屋に来た。
普段は全然しゃべらない二人だったけれど、なんとなく、この人たちとは友達になりそうだなと思った。
どんな話をしようかな。
そんなことを考えながら、ユニットバスのトイレに入った。
しばらくして出ると、二人が自分のPSPを勝手に覗いていた。
画面には検索履歴が出ていた。
当時から、男の子が好きだった。
童顔の子とか、背の低い子が好きで、そういうものを検索していた。
でも、それまでは、それを特別おかしいことだとは思っていなかった。
大沼くんが笑った。
「ショタコンかよ」
山代くんが聞いた。
「ショタコンって何?」
「ホモみたいなやつだよ」
「まじかよ」
二人が笑った。
そのあと山代くんが、「大丈夫だよ。みんなこんなもんだから」と、にやにやしながら言った。
でも、そんなのは当然、何の慰めにもならなかった。
しかも、そのPSPは、みんな持ってきていたけれど、暗黙の了解では持ってきてはいけないことになっていた。
だから、担任にも相談できなかった。
何もできないまま、噂だけが広がっていった。
広がっていくことを認めたくなかった。
確かめたくもなかった。
サマースタディが終わってしばらくしたある日、帰り道が同じだったイッチーが、突然「一緒に帰るか」と言ってきた。
長い橋の上を、風が強い中、自転車で二人並んで走った。
ほとんど何もしゃべらなかった。
そのまま走っていると、イッチーが急に言った。
「お前がホモだってこと、みんな知ってるよ」
それまで、ほとんど何もしゃべったことのない相手だった。
二人で自転車に乗って並んでいるときに、いきなりそう言われた。
ものすごく怖かった。
なんで、あの場にいなかったイッチーが知っているんだろう。
もう、クラス中に広がっていたんだろう。
直接女子から「ホモっぽい」と言われたりもした。
それで、完全に自分が嫌になった。
当時、本郷奏多くんがすごく好きだった。
部屋の壁には、奏多くんの画像を貼っていた。
家には共用のパソコンがあって、自分用のアカウントを親が作ってくれていた。
親がいないときに、奏多くんの画像をプリンターで印刷した。
インクでべとべとになった紙を、無理やり乾かして、壁に貼っていた。
それも全部破った。
でも、そのまま部屋のゴミ箱に捨てることはできなかった。
もし次の日、山代くんや大沼くんが遊びに来たら。
ゴミ箱を探して、
「こんなん見てんの」
「やっぱりホモじゃん」
そう言われるところまで、リアルに想像できた。
そう思ったら、何もかも怖くなった。
奏多くんみたいになりたかった。
奏多くんのインタビュー記事とか、「かっこいい男になるには」という類の記事をインターネットで探して、それをコピーして、一つのマニュアルみたいにしていた。
それも全部破った。
けれど、やっぱり捨てられなかった。
捨てたら、また見つけられるかもしれない。
そう思って、マッチを持ってきた。
お皿の上に紙を置いて、火をつけた。
煙が出た。
その匂いで、母親に気づかれた。
「あんた、何やってんの」
母親はいつも、「火が一番怖いんだ」と言っていた。
その頃は団地に住んでいた。
今も実家は団地だけれど、団地は一つ燃えると、もう、うわっと広がってしまう。
そういう火事がニュースになることもあった。
だから母親はものすごく叱った。
でも、どうしてそんなことをしたのかは言えなかった。
そういう、少年が好きだということを隠して、生きていこうと思った。
クラスに好きな人はいなかった。
それでも、ゲイだといじられたくなかったので、着替えの時は必死で見ないふりをしていた。
男の裸が近くにあるのは緊張した。見たらゲイだと噂されると思った。

最初の頃に作っていた「かっこいい自分」は、少しずつ剥がれていった。
体育の時間になると、それがよく分かった。
「そこのお前! 国際の後ろから二番目のお前!」
体育館の壇上から、いちばん怖い体育教師に指をさされた。
「お前のせいでみんな進めねえんだよ!」
ラジオ体操をしていただけなのに、何をどうすればいいのか分からなかった。
教室に戻ると、山代くんが「とおる、ドンマイ」と言ってくれた。馬鹿にされたわけではない。それでも、こういう格好のつかないことが少しずつ積み重なっていった。
中学の頃にいちばん仲のよかった梅山くんも同じ高校にいた。彼は科学部に入っていた。そこには、見るからにオタクっぽい子たちがたくさんいた。顔立ちが少し変わっていて、声が小さく、背も低くて、眼鏡をかけている。
絶対に、ああはなるまいと思っていた。
文化系の部活に入るのは甘えだと思っていたから、なんとかスポーツをやろうとした。
中学では軟式テニスをやっていたので、高校では硬式をやってみようと思った。
ところが、テニス部の顧問はものすごく厳しかった。
筋トレをするときも、一番きついところを何度もやらせる。腹筋なら、少しだけ身体を起こして、完全には起き上がらないところで止める。その姿勢を何回も繰り返す。
それで、心が折れた。
中学の頃からずっとペアを組んでいた岡本くんも同じ高校で一緒にテニス部入ろうと話していたのに、先に諦めてしまった。
しかも、岡本くんのことだって、本当は少し見下していた。
顔があまりよくないから、という理由だった。
クラスの男子が岡本くんの悪口を言っていると、こちらから情報を流したこともある。そうすれば仲間に入れてもらえるような気がしたからだ。
もちろん、そんなことをしても、特別にもてはやされるわけではなかった。
結局、バレー部に入った。
理由は単純だった。背が高かったからだ。
「背が高いからバレーとか向いてるんじゃない?」
周りからそう言われていた。それだけだった。
入ってみると、そこにも居場所はなかった。
同期には、先に入っていた経験者が二人いた。三年生が一人、二年生が十人、一年生は自分を含めて三人だった。
うさぎ跳びやレシーブの練習をした。
うさぎ跳びは、もううさぎ跳びになっていなかった。半分立ち上がったような姿勢で飛んでいた。それが精一杯だった。
バスケットボールのゴールにジャンプして触る練習もあった。
自分より十五センチくらい背の低い先輩が、ゴールに手をつけていた。
どれだけ跳んでも、届かなかった。
そのとき初めて、バレーは身長だけではないのだと思った。ジャンプ力なんだ、と。
顧問は、ちゃんとやっていることを分かってくれていた。だから怒らなかった。
周りも、一生懸命やっているのは分かっていたから、露骨に仲間外れにしたり、悪口を言ったりはしなかった。
でも、みんなの仲間に入ることはなかった。
同じ場所にはいる。
けれど、同じ円の中にはいない。
ボールも怖かった。バレーボールは上からドーンと叩き込まれてくる。それに向かって突っ込んでいくことが、どうしてもできなかった。
「ドンマイ」
「頑張れ」
先輩たちはそう言ってくれた。
優しい言葉なのに、それが逆に情けなかった。
自分が完全にお荷物になっていることが分かるからだ。
そんな中で、谷内先輩という人がいた。
谷内先輩も、少し浮いていた。
みんなと話してはいた。でも、なぜか谷内先輩だけ、少し違うところにいた。
もともとはラグビー部にいたらしい。そこで何かあったのか、バレー部に来た。
赤が好きで、赤い小物をいろいろ身につけていた。流行りのものも持っていた。シューズが赤かった。
明るい人だった。
でも、その明るさが先輩たちには受けなかったらしい。
ずっと、少し嫌われていた。
大坪先輩という人もいた。
みんなから「ツボシ」と呼ばれていた。
最初は、「大坪氏」というような、偉い人につける呼び方なのだと思っていた。
ある日、その意味を知った。
「ツボシって、大坪死ねってことだから」
先輩たちは笑っていた。
男って、そういうものなんだなと思った。
谷内先輩とは、メールアドレスを交換していた。何か相談があると、少し聞いてもらった。
それでも、あまり仲良くはしなかった。
谷内先輩と一緒にいるところを見られたら、今度は自分まで変なやつだと思われる気がしたからだ。
谷内先輩の、少し鼻につく感じも分からなくはなかった。唯一こちらに好意的に接してくれる人なのに、仲良くはしなかった。他の先輩に嫌われたくなかった。
部活には居場所がなかった。
プレーで役割を持つこともできなかった。
かといって、サボることもできなかった。
辞める決定的な出来事があったのは、半年ほど経った頃だった。
中学でバレーをやっていた吉水くんが、友達を二人連れて見学に来た。
二人とも、バレーは未経験だった。
その二人が、普通のサーブを一回で入れた。
半年やってもできなかったことを、初めてやった二人ができた。
それだけだった。
でも、それで十分だった。
「すみません。辞めます」
顧問にそう言った。
辞めるときには、みんなに挨拶をした。
同期にも「ごめん。今までお世話になって」と言った。
「ああ」
返ってきたのは、それくらいだった。
まるで、よくある日常の一場面みたいだった。
谷内先輩にはメールを送った。
「お疲れ。頑張ってたな」
そう返ってきた。
それが、すごく嬉しかった。
谷内先輩がいる。
そう思えるだけで、少し安心した。
でも、仲良くしたいわけではなかった。
心を開きたいわけでもなかった。
何かあったとき、一緒にペアを作れる人がいる。
何かあったとき、谷内先輩と話していれば、自分が浮かずに済む。
そんな人がいることが、必要だった。
いつも一緒にいたいわけではない。
キープだけしたかった。
ただ、自分の面子を保つために、そこにいてほしい。
今思えば、谷内先輩をそんなふうに見ていた。

次に入る部活を探さなきゃいけなくなって、国際科だったから、英語部がいいんじゃないかということになった。
英語部に入った頃には、もう自分が少年を好きだということもばれていたから、メガネに戻して、一人で生活していこうと思っていた。
十七歳だったけど恋愛はしなかった。
女の子を好きになろうとしたことはあった。でも、どうしても好きになれなかった。
高校一年の、一番キラキラさせようとしていた頃、クラスの女の子からメールが来た。
「好きな子いないの?」
たまたま出席番号が近くて、よく話していた女の子がいた。大倉さん。
その名前を答えた。
そしたら、またばらされた。
「とおるが大倉さんのこと好きなんだって」
身体測定か何かでみんなが並んでいて、あちこちでみんなの恋の噂をしていた。その中で、大倉さんがぼそっと言った。
「誰が誰のこと好きだっていいでしょ」

後になって、大倉さんにも伝わった。
「とおる、大倉さんのこと好きらしいよ」
すると、大倉さんの中では、好きなのにどうして告白してこないんだ、女々しい、となったらしく、軽蔑された。
でも、「好き」って何なんだろう、と思った。
大倉さんのことは好きだった。友達として好きだったし、人間として面白いと思っていた。でも、それは恋愛感情とは違った。付き合いたいわけでもなかった。
ただ、人として興味があった。
それでも「好き」と言ってしまったから、高校生の中では当然、恋愛の意味になった。
いつの間にか、好きな子がいるのに自分からは何もできない、告白もしない、かっこ悪いやつ、ということになっていた。
そのうえ、少年が好きなホモの変態、というのもあった。
もう、周りもあえて触れない存在になっていた。
「誰が誰のことを好きだっていい」。
そんな言葉が嫌いになった。
ちょうどその頃だった。精神的にもおかしくなっていった。

高一の後期、十二月くらいだったと思う。小学校の頃に所属していたサッカースクールのコーチに、電話で相談した。
でも、どうしても言えなかった。
少年が好きだということで悩んでいることも、それを勝手に見られて、ばらされたことも、言えなかった。
話しているうちに、ものすごく苦しくなった。
普段、泣くことなんてほとんどなかったけれど、ここで泣いたら少しはすっきりするかもしれないと思って、泣いた。
ところが、その泣き方はものすごく不器用だった。
コーチは不安を感じ、あとから親に「精神科に行く手もあるけど」と話したらしかった。
親から、二人きりで車の中で「どうする?」と聞かれた。
それまでずっと、自分はおかしいと思っていた。
だから「行きたい」と答えた。
母は少し心配そうにしていたけれど、それでも「行きたい」と言った。
高二の四月から、平日は学校、隔週の土曜日は精神科に行く生活が始まった。その頃から薬も飲み始めた。
十七歳だった。

そのあと、アルバイトをすることになった。
何かやらなきゃいけないと思っていた。
中学の同級生で、チェーンのハンバーガー屋でバイトをしていた萩原くんという友達がいた。その子が「学生がバイトするんだったらうちだろう」と言って紹介してくれた。
今思えば、紹介したことでお金かギフトカードか何かをもらっていたのかもしれない。

学校には、申請後もしばらくアルバイトをしてはいけない期間があったのだが、その仕組みをよく理解していなかった。
マネージャーから「次いつ来れる? 今週?」と聞かれ、よく分からないまま「はい」と答えた。それから1週間ほど経ったある日、担任から、
「あんた、先週働いてた?」
と聞かれて、「はい」と答えた。
すると話は一気に大きくなった。
「『はい』って言われたら、こっちも対応しなきゃいけない」
そう言われた。
扱いは「無断アルバイト」だった。制度をきちんと理解していなかったとはいえ、それが言い訳にならないことも分かっていた。母親にも連絡が入り、停学になるかもしれないという話まで出た。
朝八時ごろ、泣いている母親に起こされた。
「離婚した父親からお金もらってんのに、あんたどういう顔するんだ」
そう言われても、何がそこまで大きな問題になっているのか、まだうまく整理できなかった。
家に帰っても、自分の言い分を聞いてもらえるわけではなかった。そんな中、廊下で二人の女子に声をかけられた。どちらも不良っぽく、学校に許可を取らずに、隠れてアルバイトをしていた。
「大坂くん、大変だったね」
二人はそう言って、担任のことを悪く言った。
その二人が無断アルバイトをしていることは問題になっていないのに、許可の申請を出して学校の決まりを守ろうとした自分だけが、ここまで大きな問題になっている。そのことが、どうにもおかしく思えた。
でも同時に、社会って、こんなものなのかもしれないとも思った。
そんな騒ぎになったとき、介入してくれたのは、半年間だけいたバレー部の顧問だった。
「あいつはそういうことするやつじゃないから、多分よく分からずにやっちゃったんだろう」
そう言ってくれた。
バレー部にいたころは、何の意味もなかったと思っていた。バレーは上達しなかったし、仲間の輪にも入れなかった。結局、何もできないまま辞めた。
それでも、あのときの顧問は自分のことを分かってくれていたようだった。その顧問が間に入ってくれたことで、停学になるような話は止まった。
バレー部にいたころは、あれだけ何もできなかったのに、その半年間で積み重なったものが、思いもしないところで残っていた。
だからといって、バレーを続けていればよかったとは思わなかった。あのときは、うまくなりたかったし、ちゃんと部活のみんなの中に入りたかった。そして、両方かなわなかった。
それでも、何がどこで役に立つのかは分からないものだった。

騒動は終息してバイトに戻り、ハンバーガーを作る作業をやった。
でも、これも全然合わなかった。
立ち仕事が駄目だった。
すぐに足が痛くなってしまって、立っているだけでものすごくきつい。
足の筋力がないのか、運動神経がないからなのか、とにかく長く立っていられなかった。
それに、ハンバーガーの作り方を覚えるのが大変だった。
当時はソースだけでも八種類くらいあったと思う。水色、ピンク、紫、オレンジ、赤。色分けされたソースが並んでいる。
そこにオニオンやピクルス、パテ、揚げ物、千切りのレタスや普通のレタス、黄色いチーズや白いチーズ。
いろいろなものを覚えなければならなかった。
いくつものものを覚えて、それを決められた順番で組み合わせなければならない。
出勤するときには、自転車にルーズリーフを付けていった。
ボールペンでバーガーの組み合わせを全部書いて、ソースの色に合わせて色分けして、それをサドルに貼った。
自転車を走らせながら、それを見てぶつぶつ言っていた。
それでも、全然できなかった。
仕事は流れ作業で、毎回違う人と組んだ。オーダーが入らない時間が気まずかった。仕事ができるわけでも、話術でその場を丸め込めるわけでもなかった。ただ黙ってへまをしないよう慎重に作業をするだけだった。人と一緒にいる緊張感や気まずさは、ずっとあった。
港町だったから、荒っぽい感じの先輩もいた。漁師の学校に通っている先輩で、失敗すると毎回「やると思った」と言われた。
仕事ができないことは、周りにも分かっていたと思う。
それでも、みんな普通に接してくれたし、優しくもしてくれた。
数ヶ月経ったころ、「大坂くん、肉を焼くのが早くなってきたね」と言われた。周りにはもっと速い人がいくらでもいた。それでも、仕事の速さという基準で見てくれていたことが嬉しかった。そのときのことは、今でも写真のように覚えている。肉を焼く場所の近くで、誰がどこにいたかまで思い出せる。
ただ、「この子はできない子なんだな」ということは、たぶん伝わっていた。

結局、半年くらいやった。
受験があるから、もう辞めろと親に言われて辞めた。
親はそういうことに厳しかった。

相変わらず、学校に居場所はなかった。
高校二年生、十七歳になっても一人だった。
誰か一人でも仲のいい人を確保することが、浮いたり恥ずかしい目に遭ったりしないためのライフハックになっていた。
でも、そのために友達に素直に心を開くこともできなかった。一緒にいて楽しいから友達になる、ということもできなかった。
かといって、戦略的に誰かと組むということもできなかった。
休み時間は、次の授業の準備を終えた後が辛かった。
早く次の教室に行きたいのに、みんなはまだ行かない。
先に行ったら、女子の中に男子一人だけになる
トイレに行けば、クラスメイトの男子二人組と鉢合わせる。
鉢合わせた瞬間には、そっとうつむいて横を通った。
「とおる、大丈夫か?」と、よく言われた。
病弱キャラだったので、みんなの中にも、何となく「それを言っておけば大丈夫」というような感じがあった。
放課後の、誰もいないトイレが好きだった。
和式の大便器のほうにいると、誰かが入ってきて、小便器や鏡のほうから噂話が聞こえてきた。
その時だけが一人でいられる時間だった。

休み時間は一人で本を読む度胸はなかった。
以前、テストがない週のある日、文庫本を読んでいた。
すると、シベリアさんが笑って、「おい、とおるが本読んでる」と言った。みんなで笑っていた。
そのあと、「タイトル、タイトル」と言われたので、本のタイトルを見た。遠藤周作の「私が・棄てた・女』」だった。
何が面白いのかは分からなかった。ただ、「棄てた」の字が、普通の「捨てる」ではなく、「廃棄」の「棄」だったので、それも面白かったのかなと思った。
別の日に沼田まほかるの「ユリゴコロ」を読んでいたら、タイトルを見た女子から、「またそういう変なもの読んで」と言われたことがあった。女性同士の恋愛のことを百合と言うので、そういう小説だと勘違いされたらしかった。
それ以降、教室で本を読んでも中身が入ってこなかった。
結局、英単語テストに出る単語テキストに目を通していることが多かった。

昼休みは、みんなについて行った。
体育館で男子だけでバスケをやった。
みんなの動きにはついていけないし、下手にパスを回されても困ってしまうので、なるべく混んでいるところには行かないようにして、相手が来たら抜かれたふりをした。
その場にいれば、それでよかった。
みんなの中に入れない苦しさはあったけれど、また前みたいに変なことに巻き込まれたり、背伸びをしたりするよりはましだった。
一人ではないふりをしていたけど、周りからは完全に一人に見えていた。
でも、それしかできることがなかった。
自分の変な噂がされたり、一人でぽつんといたりすると、視線を一点に集中させた。
そうすると、頭の中が固まってきた。
周りにもやがかかってきて、刺激や情報を遮断することができた。
学校は嫌だったけれど、行かなきゃいけないものだから仕方ないと思っていた。もうしょうがないから、という感じだった。
体が拒否するようなことは起きなかった。サボったり、不登校になったりしたことは一度もなかった。
でも、いつも俯いていたので、病弱キャラが勝手に周りからつけられて、そのまま定着していた。
退院した後に教室へ入ったら、すごく盛り上がったことがあった。「肺の糸を取りに行ってた」と言ったら、女子に笑いながら「大丈夫?」と心配された。
夏には吉水くんに、「夏服はガーゼっぽい生地だから、病院の服みたいで心配になる」と言われた。
むせやすい体質だったので、むせるたびに心配された。
そのたびに、サービスでちょっと大袈裟にむせようか、それともわざとらしいからやめようかと、毎回悩んでいた。
学校で国際科だけ近所の遊園地へ遠足に行ったとき、バスの中で酔ってしまった。
うなだれていると、「とおる、大丈夫か?」と、みんなが笑いながら声をかけてきた。
別に、本気で吐き気がしたわけではなかった。普通に振る舞えと言われたら、普通に振る舞うこともできた。
ただ、誰とも話さずに横になって、顔を隠しているだけでよかったので、そうしていた。
具合が悪くなったときは、ちゃんと役割を果たせたなと感じていた。

放課後、英語部がない日は、イッチーと山代くんの後ろについて帰った。
分岐点に来た時だけ、「じゃあね」と小さく口を開いた。
返事は、返ってきたり、返ってこなかったりした。
家に着いた後は、ひたすら携帯を触っていた。
YouTubeより、ニコニコ動画が好きだった。
好きなフレーズを一人で何度も呟いたり、秀逸なコメントを見つけてにやにやしたりした。
あとは、クラスメイトや同級生のモバゲーやデコログを見た。病んでいるときの鍵付きのブログが一番面白かった。わざとなのか分からないけれど、分かりやすいヒントを設定していて、突破できてしまったこともあった。
吉水くんは、家族との関係が複雑だというようなことを書いていた。父親しか話に出てこなかった。
めちゃくちゃ顔文字が使われていたけれど、吉水くんはそういうキャラだったので、顔文字が多いこと自体には引かなかった。明るいキャラなのに意外とフェミニンなんだなとか、自分を見せる人を選ぶタイプなんだなとか、色々なことを思った。
その人がどういう人と仲がいいのか、私服はどういう感じなのか、どういう遊び方をするのか、学校でどういうことを思っていたのかを、間接的に知るの好きだった。直接関わりたくはなかった。
なんとなく匂わせるような文章から、何を伝えたいんだろうとか、あのときのあれのことかなとか、想像するのが楽しかった。
そういうことをしているとは、誰にも言わなかった。のぞきみたいで、よくはないことだと分かっていた。
学校から帰ってからは、お風呂に入っているときに、学校のことを思い出していた。嫌なことばかり思い出されて、それを掻き消すために長湯になることが多かった。

通学中、家を出て同じ制服を見かけるまでは、ウォークマンで音楽を聴きながら自転車を走らせた。
学校が近くなると、イヤフォンを外して、自転車のかごだけを見ていた。
特に学校のすぐ手前にある橋は、学生が沢山通っていたので、周りを見ることができなかった。
朝はみんなが廊下で騒いでいたり、集まっていたり、走っていたりした。
だから、邪魔にならないように、雰囲気を悪くしないようにそっと避けて通った。
教室に入るときは、目線を下げながら教室全体の配置を見ていた。顔までは見なかった。目が合うのが嫌だった。
挨拶は、すれ違ったときにされたら返した。自分から挨拶をしてくれる人はあんまりいなかった。

クラスには、音楽が好きな人が沢山いた。
みんなの後ろについて、ギターを見に街中へ行ったこともあった。
移動中の電車の中で、山代くんや大沼くん、田村、イッチーは固まって喋っていた。
エロ漫画やラノベの話を楽しそうにしていた。
外側にはウルトラと内海がいて、ウルトラが内海に話しかけていた。
ウルトラは、僕に話しかけたことがほとんどなかった。
内海はいじられキャラというか、男子から何となく嫌われていた。その内海に話しかけるなんて、そんなにこっちに話しかけるのが嫌か、と思った。
一人で吊り下げ広告の一点だけをぼーっと見ていた。
駅に着いて楽器屋に入ると、みんなでレスポールがいいだの、テレキャスがいいだの言っていた。
話には何一つついて行けなかった。
ピック、しか分からなかったので、面白いのがないか箱の中に沢山入っているのをいくつか手に取ってみた。
確かに色やマークやキャラクターの種類が沢山あり面白そうだったが、その面白さがどこにあるのかが分からなかった。
大沼くんはMステのテーマ曲がいいと言っていた。
イッチーは9mm Parabellum Bulletの何かの曲のイントロがいいと言っていた。
歌詞の話はしていなかった。
大沼くんはB’zの魅力を田村くんに延々と語っていた。
田村くんはヘラヘラ笑いながら聞いていて、大沼くんに嗜められていた。
どの話題にも着いて行けなかった。
でも、みんなでいる中、携帯を触っているのも感じが悪いため、ぼーっと壁一面に飾ってあるギターを見ていた。
視界に50本ぐらいあるように見えたけど、天井の高さから言って、多分そんなになかった。
全部黄色やオレンジ色で、違いがわからなかったし、値札を見ても、高いのか安いのか相場がわからなかった。
店内はナイターの時のような黄色い照明がついていて、ところどころ少しだけ薄暗かった。
とりあえず目の前のギターを中心に、5本ぐらい視界に入れていた。
それで少しだけ間は持ったが、あまりにもみんなの話が長いので退屈した。
みんなから少し離れて、視界の端へと歩いた。
同じような形をした物の中に、一つだけ個性的なギターを見つけた。
誰に話しかけるでもなく、子供の服を見にきた親のように「これなんかいいじゃん」と独り言を言ってそのギターの札を触った。
すると、「おい、とおるがあれがいいって」と誰かが言った。
背中がびくっとした。
その声は静かに伝わって、大沼くんが、「とおる、あれはV系のやつだよ」とがはがは笑った。
それだけ覚えている。
クラスでは、CDの貸し借りも頻繁に行われていた。
「新曲聴いた?」だけで始まる会話がいくつもあった。
みんなブログやSNSのプロフィール欄に好きなバンド名を書いていた。
流行りは主に「邦楽ロック」だった。
ロキノン系、ともいった。
当時の代表はRADWIMPSやASIAN KUNG-FU GENERATION、UVERworldだった。
クラスの女子には銀杏BOYZや髭、男子には9mm Parabellum BulletやB’z、XJAPANが好きな人がいた。
ある日、YouTubeで気味悪いロン毛の男が劇場の楽屋で支度しているPVを見た。
曲が始まるまでがやたらと長く、一度、見るのをやめた。
何日か経って、何となく履歴からまたそのPVを見た。
今度は歌い出すまで飛ばしたが、歌い方がわざとしわがれ声を出しているようで気味悪かった。
でも、最後まで聞いた。
学校にいる時に、いくつかのシーンが写真のように浮かんだ。
あの変な歌い方も癖になった。
気づいたらその曲は常にYouTubeの履歴の上の方に来ていた。
それが、毛皮のマリーズの「ビューティフル」だった。
その後、他の曲にも興味が出て、レンタルCDを借りたり、新曲のPVを見たり、ウォークマンに落として聴いたりしていた。
クラスにも、マリーズ「も」好きな女子がいた。
たまたまペア学習の時に「マリーズ好きなんだよね」と言ってみた。
好きな曲を何曲か挙げるとその女子は笑って「やるじゃん」と言った。
その後は、普通に授業に戻った。
もっと話が続くかと思った。
RADWIMPSが好きな子は沢山いた。
山代くんもその一人だった。
当時、「狭心症」という新曲のシングルが出ていて、僕はそれを買ってラジカセで聴いていた。
ある日、山代くんが僕の隣の席でRADWIMPSの話をしていた。
「有心論」について熱く語っていた。
僕も好きな曲だったので嬉しくなって「うちに新曲のCDあるよ」と言ったら、「え!貸して」と言ってくれた。
家に帰って、シワがついていないビニールの黒い手提げ袋に入れて、鞄へ仕舞った。
失礼にならないようにしたかった。
翌日は、CDを割らないように鞄を丁寧に扱いながら過ごした。
CDの貸し借りなんて、みんな普通にやっていることだし明らかな校則違反でもないのに、悪いことをしているような気がして、嬉しかった。
山代くんに貸したら、数日で帰ってきた。
「とおる。これありがと。タイトルのやつ、よかったよ」と言って、CDを返してくれた。
「あ、ありがと」
僕は貸した方だけど、お礼を言った。
山代くんは僕に向けてでなく、遠くを見てぽろっと感想を言った。
女子が山代くんのその感想を聞いて、「狭心症、よかったでしょ」と話しかけた。
山代くんは「めっちゃよかった。PV見て泣いた」と熱弁し始めた。
聴くだけでなく、実際に演奏する人たちもいた。
バンドを組んで文化祭に出た子たちもいたし、学校を跨いでバンドを組んで、街中のライブハウスでライブをしていた子たちもいた。
男子の中では、イッチーと大沼くんが他校の男子たちとバンドを組んでいた。
会ったことのない他校の人、いわゆる友達の友達と共同作業を企画して、実際に上手くやっていけるコミュニケーション能力が羨ましかった。
イッチーは他にも掛け持ちでバンドをやっていた。
人疲れしないのかなと思った。
鍵盤とリコーダー以外、楽器を触ったことがなかった。
それに、そのどちらも上手くできなかった。
ある日、彼らがライブをやるというので、街中の商店街へ男子何人かで応援しに行った。
男子のみんなとは普段話しているわけではなかったけど、「とおるも来るでしょ」とイッチーにこっちを見て言われると「行かない」とは言えなかった。
アニマルさんは断っていた。
会場は、飲み屋や夜の店が立ち並ぶ中の隙間にある、えんじ色をしたアルミ階段を上がった二階のスペースだった。
普段登ったことのない、怪しい階段だった。
煙草の残り香がして、上から低音が響いている。
すると、上からカン、カンと硬い足音が響いて、途中で止まった。
誰かがこちらを見ている。
「なんだ、アッキーじゃん」
菊田だった。
菊田は中学の時の同級生で、市内で一番頭のいい高校に通っていた。子供の頃はよく遊んでいたし、調べ物学習の時もよく一緒に組んでいた。
菊田は、小学一年の時に好きだった女の子だった。
褐色の肌で、笑った顔は、おさるのジョージみたいだった。
当時は休み時間ずっとお腹に手を回してくっついていた。
菊田は学年が上がるごとにやることが派手になっていって、小学五年のバレンタインの時にには大きいビニール袋にチョコレートを沢山詰めて、クラスを回って男子たちに渡していた。
もらったけど、あんまり嬉しくなかった。
そんな菊田が目の前にいた。
赤いライトに照らされて服装はよく分からなかったけど、派手な感じだった。
短めのショートパンツだった。
「元気?」
元気じゃない、とは言えなかった。
でも、楽しくやってるよ、とも言えなかった。
菊田はこちらをじっと見ていた。
手に汗が滲んだ。
愛想笑いをして言った。
「うん、まあまあ」
ドアの向こうからすでに音がする。
「何、知り合い?」
誰かが言った。
「うん、まあちょっと」
クラスの男子は、菊田の方をちらっと見て上へ上がって行った。
相変わらず派手好きで、露出の多い服だった。
子供の頃も、デニム生地でできた短めのショートパンツを履いていて、髪を後ろにまとめていた。
演劇やダンスが好きで、劇団のレッスンを受けたり、ローカル映画に出たりしていた。
「おい、菊田。早く」
男の声がした。
「楽しんでってね」
そう言って、少しはにかんで菊田は人混みの中に消えていった。
大きな音は、びっくりするからあまり好きじゃなかった。
次のバンドが出る間の会場のBGMだけでも十分うるさかった。
ステージに裏方の人が来て、何やら機械をいじっていた。
すると、急にマイクが飛ぶ音がした。
思わず耳を塞いでしまったが、他の生徒に見られたのでやめた。
その後は他の高校のバンドがパフォーマンスをしているのを、大人しく前列で見ていた。
本当はこの場所にも来たくなかったくらい、大きな音が嫌いだった。
男子たちが前に行ったので、同じように前に行かざるを得なかった。
イッチーと大沼くんのバンドが始まった。
最初の、青い照明がかっこよかった。
沈黙の中、暗めの青いライトが舞台を照らした。
途中から、白い光が出たり入ったりした。
観客の歓声を前に、イッチーと大沼くんが出てきた。
ぶわっと眩しい光がステージを満たして、演奏は始まった。
知らない曲ばかりだったけれど、「クラスメイトが出てるライブに行く」ってなんか高校生っぽいなと思った。
演奏が終わって、次に菊田たちのバンドが出てきた。
菊田はボーカルで、あとは全員男だった。
菊田は光っていた。
それしか覚えていない。
音楽のことは何一つ分からなくて、ただキラキラと輝いて忙しなく色を変える照明たちを、ずっと見ていた。
ライブが終わって電車で帰る時も、誰ともまともに話さなかった。
山代くんと田村と内海と同じ方面だった。
山代くんと田村はずっと、会場にいた知り合いの話をしていた。
一日中立ちっぱなしだから疲れてしまった。
ちょうど目の前の席が空いていたけど、一人だけ座るわけにはいかなかった。
座ったら、本当に一人になってしまう。
電車の外の夜景に目をやると、自分の顔が映った。
見るからにつまらなさそうな顔をしていた。
そんな自分に気づいて、その場にいる証明として、短い言葉や相槌を口に出した。
でも何も変わることはなかった。
その翌日から、また学校での生活が続いた。

運動会があった。男子はみんなやる気がなかった。大沼くんから「サボろう」というような話をされて、一緒にサボることになった。
体育館の横に、もう誰も使わないような大きな階段があった。その階段の下が日陰になっていたので、そこで二人で寝ていた。特に何も話さなかった。
すると、体育のすごく怖い先生に見つかって、「お前ら何してんだ!」と遠くからものすごい声で怒鳴った。
二人でタオルを頭にかけて、教室に戻った。
クラスの女子が熱くなっている中、男子はグラウンドの日陰に集まっていた。
クラスの男子は、オタクっぽい趣味の人が多かった。でも、オタクには見えなかった。普通の、なんなら明るい感じの子で、見た目はスポーツをやっていそうなのに、趣味はオタクっぽいという人が多かった。
アナウンスや声援が響く中、みんなだるそうに日陰で喋っていた。
自分はその横で、枝を拾って、地面に絵を描いていた。
すると大沼くんが、「とおるがなんか遺跡みたいなの形成してる」と言った。
みんなが寄ってきた。そんな運動会だった。

みんな、噂話が好きだった。教室や廊下などみんながいるところでされている噂話は、盗み聞きして情報を得ていた。
だから、何か聞かれても、知っている話なら「うん」と答えた。知らない話なら、「そうなの?」と答えた。
女子が多かったというのは関係しているかもしれないけれど、男子も同じくらい噂話をしていた。
特に吉水くんは、嫌いな人の話をしているときが多かった。でも、どこにそんなにむかついているのかが分からなかった。
以前、シベリアさんが授業中に携帯を触って怒られたことがあった。
手品みたいなトリックで切り抜けて、自慢そうにしていた。
それを見て、何でそんな馬鹿なことをするのだろうと思っていた。かっこよくもないのに、と思った。
シベリアさんも、調子に乗っている男子が嫌いだった。調子に乗っている人って、見ているとそんなに腹が立つものなのだろうかと不思議に思った。
別に、そんな人は見なければいいし、関わらなければいいんじゃないか。自分にも目立ちたいという欲があるから、同族嫌悪で落ち着かなくなっているだけではないのか。そう思っていた。
あと、その二人は男性ホルモンが強そうだなと思った。

二人以上が話しているところには、話しかけに行けなかった。
大体みんな別の話をしていたし、みんなが興味を持ちそうな話題を仕込むのにも疲れた。
だから、そっとその塊の一番外側に立ったり、座ったりして、姿勢だけ合わせていた。
人が集まる席は決まっていた。吉水くんの席と、シベリアさんの席、山代くんの席、あと、たまにアニマルさんの席。その周りに行くことはできた。でも、その中に入ることはまた別のことだった。その頃には、男子の中に何となくペアがができていた。
共通の話題はほとんどなかったけれど、購買の話は割と伝わる人が多かった。
特に男子は購買を使っている人が多かったので、あのパンがおいしいとか、まだ購買にあれがあったとか、そういう話はできた。
ラスクを、「一個取っていいよ」と言われてもらったこともあった。
どれも、ほんの一往復の会話だった。
それでも、その一往復だけで少し接点があるような感じがした。何かの役に立てたような感じがして、嬉しかった。

日山くんは気づいたら中退していた。学校が合わなかったらしく、通信制高校に移って楽しくやっている、と聞いた。
クラスの中心にいたのは吉水くんと、その同級生の大沼くんだった。その二人はよく一緒にいた。
シベリアさんと田村も組んでいた。
山代くんは同級生のイッチーと組んでいた。
ビルとアニマルさんは、オタク同士で一緒にいた。
だいたいそんな感じだった。
ウルトラは一人でいても平気なタイプだった。
自分は一人ぼっちだ、なんてことを考えない。そういうことを気にしない子だった。
内海という子もいた。
今思えば、あれはいじめだったと思う。
内海は、土下座芸をしていた。
自分からやり始めたのか、周りからやらされていたのかは分からない。
エレベーターの扉が開いて、「チーン」と鳴った瞬間に土下座している動画を見た。
ニュージーランドでも、綺麗な緑の牧場やオーシャンビューを前にして土下座していた。
みんなそれを動画に撮っていた。
当時はTikTokなんてなかったからまだよかったけれど、今思えば、あれは完全にいじめだった。
そんな子もいた。
一人でいても恥ずかしくない子はいた。
でも、僕は一人でいるのが恥ずかしかった。
浮いているように感じた。
それまでいけてる側にいたのに、いけてない側に落ちてきたような気がしていた。
だから、仲良くもない誰かの後ろをついていくようなことをしていた。
一人でいるところを見られたくなかった。
でも、そんなことをしていると、二人組を作るときには結局余ってしまう。
仲のいい子がいなかったからだ。
小休憩や昼休みなどは、弁当を食べるだけなのに、無理して男子の横に座っていた。何も話すことなく、黙々と食べていた。弁当は、母親がいろいろなおかずを入れてくれていた。
もともとあまりご飯を食べないほうだったので、食べる量も少なかった。
みんなの中で、あまり仲良くない人たちが喋っている横で、一人だけ黙って弁当を食べていると、味がしなかった。
あまりにも食べないので、母親がサラダうどんを作ってきたことがあった。
丼の蓋を開けると、一面がサラダだった。
「とおるの弁当、サラダしかない」と言われて、からかわれた。
でも、実際にはサラダしかないわけではなかったので、別に嫌ではなかった。普通に食べた。
深夜に、そばのチェーン店で一人で食べることがあった。それは、割と楽しみだった。
一人で外食するときも、教室で群れの中にいて誰とも話さず食べている時も、一人で黙々と食べていることは変わらなかった。でも、学校ではない場所での一人は好きだった。
集団の中で一人でいるのは辛いけれど、一人の中で一人でいるのは、すごく安心した。全然知らない人たちの中で一人でいるのも安心だった。
自分が知っている人たちの中で、自分だけ一人というのが、ものすごく苦しかった。
授業中は、みんながいろいろ変な話をしていた。でも、その話に入っていくことはできなかった。
集団の中で一人だけ別のことをやる意味が分からなかった。だから、みんなと一緒にいるときに、早弁をするとか、勉強をするとか、一人で別のことをすることはしなかった。

ただ、笑うのだけはやめられなかった。クラスメイトは男子も女子も個性的で、話していることがおもしろかったからだ。
かといって、その輪の中にいるわけでもなかった。輪の外で、みんなの声を拾って一人で笑っていた。
特に、静かな中でひそひそと変なことを喋られて、それがツボに入ってしまったときが辛かった。笑いそうになると、小さく口を開けたり、息を止めたり、耳のところから頬の筋肉を上げるようなイメージを浮かべたりして、目立たないようにしていた。
周りの話をラジオだと思っていた。盗み聞きしながら、一人でにやにや笑っていたので、周りの女子からは気持ち悪がられていた。

高校二年生、十七歳のとき、国際科の研修でニュージーランドへ行った。
行きの飛行機では、ビルと僕が隣の席になった。
でも、特に仲良くすることはなかった。
移動中の空港の中で「ある女子のブラが見えそう」という話で男子たちが盛り上がっていた。
「くそ、身長ほしいなー」と言っていたので、見えていないし、興味もなかったのに、「俺は見えるけどね」と言った。
山代くんが、その言葉をそのまま復唱して笑った。
アニマルさんはロリコンだったので、周囲から「幼女をスーツケースに誘拐して帰るんじゃないか」といじられていた。
受けるかもしれないと思って、「折り畳めば……」とぼそっと言った。
また山代くんがそれを拾って、男子みんなが笑った。
ニュージーランドでは、ものすごいカルチャーショックを受けた。
ホストファミリーの家は、その町で一番のお金持ちの家だった。
一軒家で、暖炉があった。
その周りにはDVDがばーっと並べられていた。
森というか、林ものまで敷地にあった。
バーカウンターがあって、プールがあって、ビリヤード台もあった。
ホストファミリーとは何とかうまくやっていた。
うまくやっていたというより、道化を演じていた。
ピエロになった。
お笑い芸人のように、とにかく面白いことをした。
ホストファミリーの息子さんの友達たちが料理にデスソースをかけてくる。
それを食べる時、ものすごく大げさなリアクションをした。
たくさん口に詰め込んだし、下品な英語も使った。
そうやって「面白い日本人」として受け入れてもらった。
日本ではできなかった、いけてる組としての生活だった。
ちょっと背伸びをした生活ができた。
でも、それを続けているうちに、本当の自分が分からなくなってきた。
ずっと面白いキャラクターでいるのが、だんだん辛くなってきた。
でも、彼らの中ではもう面白いキャラとして通っている。
だから、急にそれをやめるわけにもいかなかった。
ニュージーランドのその町は、静かでいいところだった。
帰国した後飲んだ赤だしがうまかった。
日本に帰ってきたんだな、と思った。

帰国した後、中学のときのやんちゃめな同級生と、チャラチャラした服とか財布を買いに行った。
そのときに勧められて、白地に黒の大きなドクロが描かれた長財布を買った。
ある日、それを学校に持って行ったら、吉水くんに「とおる、まさかそれは……」と言われて笑われた。
男子は結構盛り上がっていた。
山代くんは、「とおるは闇が深いから」と言っていた。
女子で自分のことを「とおる」と呼んでいる人はいなかった。男子はみんな「とおる」と呼んでいた。
遅れたときや、何かミスをしたときに、「とおる~」と言って笑われることがあった。
吉水くんは、何か間が空いたときなどに、やたらと謎の応援風ダンスをすることがあった。
「TO・O・RU! とおる! TO・O・RU! とおる!」と、チアガールのようなことをしていた。
でも、それをされてもどう反応していいのか分からなくて、とりあえず笑っていた。
周りも、困っていることには気づいていたと思う。でも、わざわざ「とおるくん困ってるじゃん」と言う人はいなかった。
吉水くんや山下くん、イッチーが、よく自分のことを「とおる」と呼んでいた気がする。
名前はついていたけれど、結局、自分は輪の中にいないとはいつも感じていた。
名前があるだけで、存在している感じはなかった。
体の中のものが動くようなこともなくて、自分を出せないまま卒業した。
周りからは、病弱とか、静かとか、変とか、そういうイメージやキャラを持たれていた。
別に、それをどう思われるかはよかった。ただ、それは自分が自分を出していない状態で持たれたイメージだった。
どう思われてもいいから、自分を出してみたかった。でも、そんな勇気はなかった。

高校の三年間、図書委員をやっていた。
飯山さんという、オレンジの安っぽい眼鏡をかけたオタク風の女の子と、ずっと一緒に図書委員をしていた。
図書室にいるときは、自分のホームにいるような感じがした。小学校の頃から図書館に行くほうだったので、本棚の中にいることは自然だった。
飯山さんと一緒に委員の仕事をするのは楽だった。飯山さんも一人でいるタイプだったし、話さなければいけないとも思わなかった。
図書室には知らない人しかいなかった。他人の目も、あまり気にならなかった。
クラスメイトみんなで図書室に行くのは、あまり好きではなかった。知り合いがいると、一人でいることは不自然なことになるからだ。
活動のある曜日には、飯山さんと二人で放課後の図書室にいて、本を整理したり、窓やブラインドを閉めたり、ブックレビューを書いたりした。暇だったら、本を読んでもよかった。
図書室で一人で本を読んでいるときは、誰かに見られている感じがしなかった。教室で一人で本を読むのとは、全然違った。
最後の一年に、クラスメイト全員の誕生日に合わせて、みんなで寄せ書きをすることになった。クラスは四十人くらいいたので、一人で三十九人分のメッセージを書いた。
飯山さんからは、「いつも図書委員のときに助けてくれてありがとうね」という言葉と、紫陽花の絵が書いてあった。
恋心とか、そういうものはなかった。ただ、少し嬉しかった。
あの時間は、案外貴重だったのかもしれない。

高校二年も終わりに近づいて、三年生になる頃には、みんな受験の話をするようになっていた。
噂話をしなくなった。派閥とか人気とか、そんなことはどうでもよくなって、みんな自分のことでいっぱいいっぱいになっていた。

そんな中でも、対人恐怖はまだあった。
ある先生が、授業中、急に「ゲイの友達がいる」という話をしたことがあった。その瞬間、背筋がびくっとした。周りから見ても分かるくらいだったかもしれない。でも、自分で聞いて確かめることはできなかった。
廊下や通学路では、見られている感じが強かった。ずっと下を向いていた。真下を見ると人や物にぶつかるので、人の首から下を見るようにして歩いていた。
対面で人と話すとき、相手の顔を見たことは一度もなかった。顔と名前ははっきり覚えていた。
精神科では、認知行動療法をやっていた。
シートに、自分がどう考えたか、そのときの感情を数値にして、それに対する対処法や使える道具を書く。
そういうことを続けていると、少しずつ考えることが楽しくなってきた。
心理の手法を取り入れると、こういうふうにも考えられるんだ。
ごちゃごちゃしていたものが、すっきりする。
それが少し自信になっていた。
ただ、廊下を歩くときは周りの視線が怖くて、前を向けなかった。ずっとうつむいて歩いていた。
ある日、ドクロ西ケ谷くんという子を知った。
梅山くんから、話は以前から聞いていたが、実際会ってみたらすごい不思議な子だった。
真っ白で、もやしっ子みたいで、歯並びも悪くて、背も小さい。ずっとうつむいていて、声も小さい。
「撲殺天使ドクロちゃん」というアニメが好きだったらしくて、みんなから普通に「ドクロちゃん」と呼ばれていた。
西ケ谷くんは、梅山くんと仲が良かった。
一年生の頃は、そのあだ名が恥ずかしすぎるし、見た目も悪いと思って、西ケ谷くんを馬鹿にしていた。
でも二年生になって英語部に入ったら、西ケ谷くんがいた。
普通科から一人だけ来ていた。
それから、英語部の後だけ、西ケ谷くんと自転車で途中まで一緒に帰るようになった。
二年の頃は、いろいろなことを諦めていた。
その頃には、本当に自分が西ケ谷くん以下なんだと思った。
西ケ谷くんは、「ドクロちゃん」という名前がついていることで、むしろ周りから話しかけられていた。
いじられても、ぼうっとしていて、平然としていられる。
だから、結構友達もいた。
科学部にも入っていて、同じような感じの子たちと仲良くしていた。
こっちは一人だった。
一緒に帰るとしたら、それこそ西ケ谷くんくらいだった。
クラスメイトと帰ることもあった。
イッチーと山代くんは帰り道が同じだった。
二人が前を自転車に乗りながら話していて、その後ろについていく。
「一緒に帰ろうよ」と言うわけでもない。
「俺も行くわ」と言うわけでもない。
なんとなく話に入っているような体だけを作って、何も話さずについていく。
一人で帰ることの恥ずかしさより、そっちの恥ずかしさを選んでいた。

高校三年の十一月に肺気胸になった。
肺胞が潰れて、肺から空気が漏れる病気だった。
入院することになった。
そこへ、中学の頃に仲の良かった鈴山くんが来た。
サッカースクールの頃から一緒だった子だった。
高校生になってからも、二人で夜に走ったことがある。
走ると言っても、こっちは自転車を引いていた。鈴山くんが歩いて、その横で自転車を押しながら話す。
そんな感じだった。
鈴山くんには憧れていた。
好きだった、と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。
でも当時は、ただの憧れだと思っていた。
好きな音楽を調べた。
好きな本を読んだ。
好きな漫画も探した。
そうやっていくうちに、好きなものだけじゃなくて、考え方や価値観まで似てきた。
また、自分が分からなくなっていった。
自分は何がしたいんだろう。
どういう人間なんだろう。
鈴山くんとは、受験があるからということで、高二の途中くらいに一緒に走るのをやめた。
それからしばらく会っていなかった。
だから、入院しているところに鈴山くんが来てくれたのは、ちょっと意外だった。
来てくれたのは、鈴山くんだけだった。
漫画を持ってきてくれた。
おやつやジュースも持ってきてくれた。
ゼリーもあった。
久しぶりに顔を見た。
なんだかドキドキした。
ちょっと恥ずかしいような気もした。
その後、手術をした。
手術をせずに自然に治す方法もあった。でも、それだと再発する可能性がある、と医者に言われた。
一月にはセンター試験があった。
親戚からも、「切っちゃったほうがいい」と言われた。
だから手術をした。

二月ごろになると、通常の授業はほとんどなくなった。朝九時に学校へ行き、母親が作ってくれた弁当を持っていく。昼は学校の売店で買って食べ、十六時ごろ学校を出る。そのあと塾へ行き、十八時ごろになると、隅のほうで母親が作ってくれた弁当を一人で食べた。
そこには、昔テニスで組んでいた岡本くんもいた。
あるとき、顔を見た岡本くんに、
「顔死んでる」
「マジメで全然つまんなくなった」
と言われた。
確かに、以前岡本くんの前で出せていたような乗りは、もうほとんど残っていなかった。
大学に進むためのお金のことを考えると、選べる道は一つしかなかった。だから、せめて大学には合格したかった。高校生活で失ったものがたくさんあるように感じていた分、大学受験だけは成功させて、それで少しでも帳消しにしたかった。
そして、大学に合格した。

高校三年生の十二月になって、ビルとアニマルさんと仲良くなった。二人ともオタクっぽいタイプで、高校に入って初めてできた友達だった。三人で過ごすようになって、自分にも居場所ができた。
それまでは、授業で二人組を作るように言われるたびに、組む相手を探していた。でも、ようやくビルとは自然に組めるようになって、相手を探さなくてもよくなった。
二人がアニメの話で盛り上がってこちらが話に入れずにいると「こういうの興味ある?」とか「こういうのどう?」と聞いてくれた。アニメが特に好きだったわけでも、漫画をたくさん読んでいたわけでもない。それでも、話についていけないからといって排除されることはなかった。二人にとっては、仲間が一人増えたくらいのことだったのかもしれない。
毎週遊びに行くわけでも、メールを頻繁にするわけでもなかった。ただ休み時間になると、3人で集まった。今までのように、どこかの集団に入れてもらおうとしたり、誰かの後ろについていったりする必要がなかった。テントの入り口が初めて開いていて、その中に入れてもらったような感じだった。アニメの話にはついていけなくても、ただそばにいればよかった。変に何かをしなくても、恥ずかしいままの自分でいても良かった。
それまで、二人組を作るときに一人になるのが怖かった。誰かが一人になっても、別の相手を見つけて組める人はいた。でも、それができなかった。最初から一緒にいる人がいればいいと思っていた。ビルと自然に組めるようになったことで、それを考えなくてもよくなった。
三年生には自由選択の授業でテニスもあった。中学のころからやっていた、自分にとっては得意なものだった。
高校三年生が一番楽しかった。
ただ、卒業式の記憶はほとんど残っていない。
卒業アルバムの最後にある寄せ書きのようなページにも、何もなかった。誰かと写真を撮った記憶もない。式が終わると、そのまま一人で帰った。

十七歳のころを振り返ると、高校の特殊さがあった。中学校までは、だいたいみんな同じ地域で育っていく。少しくらい変な子や抜けている子がいても「ああ、あいつはそんなもんだから」と受け流されることがある。そうやって、周りに受け入れられていく。
でも、高校に入ると、そう簡単にはいかなかった。みんなの中に入って行けなかった。
かといって、何もしなければ本当に一人ぼっちになってしまうように思えた。
一人になることが恥ずかしかった。
「別に一人でもいい」とは、どうしても思えなかった。
だから、いつも「必要な時に自分と一緒にいてくれる人」を探していた。
その人と仲良くなりたいわけではない。いろいろなことを話したいわけでもない。自分のことを知ってほしいわけでもない。ただ、横にいてくれる人が欲しかった。
いわば、「レンタルさん」のような人だった。
でも、友達というのは、たぶんそういうものではなかった。
自分の恥ずかしいところや、人には言えないようなことを見せたり話したりして、それでも一緒にいられる。そういうのが、友達だろう。
自分には、それができなかった。

三十二歳になった今も、一人でいる。ただ、会社にも一人の人は何人かいて、寂しくはない。みんな、誰かに何か言われている。
大人になれば、人は変わると言われる。若者向けの広告漫画でも、最後には主人公が何かに気づいて、前とは違う人になっている。青春小説も、だいたいそんなふうに終わる。
十七歳のころから、自分は変わっていない。
変わったのは環境。みんなで何かしなくても良くなった。ネットで友達ができるようになった。趣味に一人で没頭できるようになった。
あの頃は、色んなことがあった。
何も起きなかった日もあった。
何も起きなかった日がもっと欲しかった。
でも、何も起きなかった日のことは、覚えていない。