黒鳥のオディール

 オディールは足元に転がっていたあの銀のボタンをそっと拾い上げると、愛おしそうに見つめて儚く微笑みます。

 そして、葛藤に身をよじるジークへ向け、最初で最後の『たったひとつのお願い』を紡ぐのでした。

「本来ならば……私はこの世界に存在してはならない影の存在。たとえ世界の記憶から消し去られようとも、あなたの胸の中にだけは……私という一人の女性がいたことを、残していただけないでしょうか」

 そう語ると、オディールは大事そうにあの銀のボタンを握りしめ、冷たい湖の中へと静かに足をふみ入れました。

 オデットはとっさに手を差し伸ばし、己を殺して犠牲になろうとするオディールを必死に止めようとします。

「ダメよ……! そんなこと、してはダメ……!」

 ですが、夜の森の風があろうことか激しく木々を揺らし、この哀しき舞台の『真の主役』を選別するかのように、その制止の声を虚しく吹き消してしまいました。

 蒼い月明かりが彼女を湖上の主役として照らし出すと、湖畔に漂っていた禍々しい呪いの霧が漆黒の帯となり、すべてが彼女の細い体へと吸い込まれていきます。

 呪いと引き換えに、膝まで水に浸かっていた彼女の足元がふわりと水面に浮かび上がりました。 それと交差するようにオデットの足元が湖の土を踏み締めます。

 水面の白鳥たちも温かな光に包まれながら、次々と人間の姿へと戻っていきました。  

 蒼く澄み渡る湖上の舞台で、オディールは静かにその身を止めると、ジークへ向けてそっと唇を動かしました。

「さようなら……私の光(ジーク)」