黒鳥のオディール

「驚かないでくれ、ベンノ。……あの湖で、月明かりに守られた一人の乙女に出会ったんだ。彼女の名はオデット。恐ろしい魔王の呪いで、白鳥の姿に変えられてしまったお姫様なんだよ」

 ベンノは目を見開き、息を呑みました。

「白鳥が、お姫様……? ジーク、それは本当かい? まるで古いお伽話のようじゃないか」

 ジークは、治されたボタンの跡を愛おしそうに指でなぞりながら、確信に満ちた瞳で頷きました。

「ああ、夢なんかじゃない。私は彼女を助け出すと決めたんだ。明日の舞踏会で、彼女に永遠の誓いを立てる。そうすれば、彼女の呪いは解けるんだ」

 熱弁を振るうジークに対し、ベンノの顔には拭いきれぬ不安が影を落としていました。

「大丈夫なのかい? 僕には夢中になる君が心配に映るよ」

 ジークは扉を開きベランダに出ると、月を見つめ力強く拳を握ります。
 そして、希望に満ちた思いを、彼は体中で表現するのでした。

 石造りの床を軽やかに叩くステップを数回踏むと、振り返り、悪戯っぽく何かを企む笑顔をベンノに向けます。

 ベンノがキョトンとした表情を浮かべ、それがまさかという嫌な予感だと気づく間もなく、ジークは強引に彼の両手を取ると、独楽のように豪快にくるりと回り始めました。

 最初こそ慌てて足をもつれさせていたベンノでしたが、夜風に翻るマントとジークの眩しいほどの熱気に包まれるうち、次第にその顔には呆れたような笑みが浮かび始めます。

 やがて、こらえきれなくなった爽やかな笑い声が、月夜のベランダに溢れ出していきました。

 二人は青い月影の下、明日訪れるはずの希望に、まさに心も体も踊らせるのでした。