偏差値70のイレギュラーな恋

「あ、おはよう……ございます」

 一樹は分かりやすく肩を跳ね上げた後、蚊の鳴くような声で挨拶してきた。

「おはようございます」
「…………」

 気まずそうに視線を逸らされ、思わず顔をしかめた。
 一樹はいつもこうだ。俺を見たくないらしい。
 面白くない俺は、横に回り込んで顔を覗き込んだ。

「命の恩人である俺に、その態度はねぇんじゃねーの?」
「は、はぁ……」

 たかがぬいぐるみひとつ取ってやっただけだろ、と内心突っ込む。
 だが、間近で見つめた一樹の顔は以前よりシャープに削げ、透き通るような白肌にうっすらと黒い隈が浮き出ていた。

(……なんだあいつ、顔色悪すぎだろ。狂ったように受験勉強して参ってんのか……それとも、昨日のあの男の件か?)

 理由は分からない。だが、ボロボロになりながら強がっている姿が無性に引っかかった。
 胸の奥が苦しくなるような苛立ちと心配が混ざり合い、俺は思わずその華奢な肩に腕を回し、ぐいっと自分の方に引き寄せた。

「ひぃッ!」
「ぷっ! 怖がりすぎ」

 一樹は俺の手の中で小さく縮こまる。
 あんな男に一途だったり、命を削るように勉強したりしている癖に、俺の前じゃこんなに脆くて軽々しい。
 そのギャップに胸が締め付けられ、俺は誤魔化すように笑った。
 一樹は切れ長の目を鋭くして俺を睨みつけてくる。

「あ、あなた、いったい何がしたいんですか! いつもいつも、俺に構いすぎです」

 その言葉に、胸の奥がどきりと跳ねた。

(構いすぎ、か……)

 一樹に言われて初めて確かに、と自覚する。
 確かに俺は、あいつに会えば話しかけたいし、俺をしっかり認識させたい。
 昔どこかで見たような強い既視感と、放っておけない危うさ。
 それが俺の意識を惹きつけて離さないのだ。

「おいっ、ごらぁ隆太! 早く動けっつってんだよ!」

 上からの怒号にはっと我に返った。
 俺はひとつの〝もの〟に集中すると、周りが見えなくなる。

「……お前が、おもろいからだよ」
「はぁ?」
「じゃ、俺行くわ。お前……顔色悪すぎだから、勉強ほどほどにしとけよ」

 分かりやすく顔を真っ赤にした一樹を置いて、俺は親方のもとへ走った。

(つか、一樹の言う通り……俺、あいつに構いすぎだな)

 住む世界が違う。ダチとだって絶対に合わないタイプだ。
 普通なら交わるはずもない。
 だが、気づけば仕事の合間にあいつの部屋を覗き、行動パターンまで把握しようとしている自分がいる。

「おい隆太! なに手ぇ止めてんだ、釘打ち終わらせろ!」

 親方の声に我に返り、俺は手にしていた金づちを力強く振り下ろした。
 ガンッ、ガンッ、ガンッ!と大きな音を立て、合板へ五寸釘がめり込んでいく。
 身体を動かしていても、頭の中はあいつのことでいっぱいだ。

 一樹はいつも警戒して後ずさる。
 だが今の俺には『この家の補修工事をしている』という最大の口実がある。
 あいつの日常の隙間に、いくらでも入り込めるのだ。

(勉強だろうが何だろうが……あんな男のことなんか思い出す暇もないくらい、俺の存在で頭いっぱいにさせてやる)

 自分がおかしいのは薄々気づいていたが、どうしようもなく、あいつのすべてを見てみたい、と思ってしまった。