偏差値70のイレギュラーな恋

◆俺のもの


「ねぇ、隆太! おーい、隆太、起きろー!」
「んー……?」

 聞き慣れた甘ったるい声に、俺は少しずつ意識を取り戻した。

「隆太。起きたのか~?」

 目の前に立っていたのは、確実に甘い声の主ではない。
 俺の担任である――厳めしい顔をした石塚先生だった。

「うおッ! っくりした!」
「っくりした、じゃない。おまえ、一回耳鼻科に行け!」

 はぁーと深いため息を吐いた石塚先生は続けて「いびき!」と大きな声で言った。

(あ、やべ)

 見渡すと、クラスメイトたちは、俺のいびきがうるさすぎたのか心なしか疲れているように見えた。

「すんませんでした……」

 見渡すと、クラスメイトたちは俺の大爆音のいびきに苦しめられたのか、心なしか疲れた顔をしている。
 乱れた作業着の襟元を整えて、きちんと座り直す。
 すると前の席の小泉奈緒(こいずみ・なお)が、肩を揺らしてクスクス笑いながら「マジばか」と一言言った。
 やっぱり、さっき俺を起こそうと甘ったるい声を出していたのは奈緒だったのだ。
 
「眠れてないんでしょ? 隆太」

 チャイムが鳴り、授業が終わって重い腰を上げた途端、奈緒がくるりと振り返って声をかけてきた。

「んー。ぼちぼち。休みの日に一気に寝てるんだけどな」
「本当に働き者だよねぇ。見た目に似合わず」

 呆れ半分、感心半分といった様子で微笑む奈緒は、俺より四歳年上の二十一歳。
 普段はフィットネスジムでインストラクターとして働きながら、高卒資格を取るためにこの通信制高校に通っている。
 通信制高校は、普段は自宅学習で月に決められた数回だけ、登校することになっている。
 ほとんど顔を合せることはないが、クラスメイトとは仲が良かった。
 特に奈緒はいつも気さくに声をかけてくれる。

「ねぇ、今日もドムドムバーガーで夜ごはん食べようよー!」
「お前、仮にもフィットネストレーナーだろ? 添加物の塊食べて大丈夫なのかよ」
「週一のチートデーだもんッ。いいの、いいの!」

 奈緒は立ち上がると、俺の腕を強引に掴んで、ぴょんと体を密着させた。
 明らかに腕に胸の柔らかさを感じて、かすかに動揺するがすぐに自ら距離をとった。

「分かった、分かった。暑いから離れろ」
「えー、いいじゃん!」

 そういった奈緒は、大きな目を潤ませてこちらを見上げる。
 普段大人びた表情ばかりの奈緒が、珍しく子供っぽい顔をみせたので思わずじっと見る。
 だが、それ以上どうこうしたいという感情までは掻き立てられない。

 奈緒の頭をぽんぽんと撫でた俺は、そのままドムドムバーガーに向かうことにした。
 奈緒とはかれこれ三年の付き合いになる。

 こうやって何度も一緒に放課後に過ごして、お互いにいろんな話をした。
 彼女は家庭の事情で中学を出てすぐ働き始め、叩き上げでジムのインストラクターになった。
 正社員登用や将来のステップアップのために、どうしても高卒資格が必要なのだと熱く語っていたこと。

 対して俺も彼女に言っていた。
 親に捨てられ孤児院で育ち、十五で大工の親方に拾われて自立した生い立ちも。
 互いに抱える泥臭い過去も、背負っている傷も、隠さずに打ち明け合ってきた。
 
 俺たちは、互いのことを知りすぎたのかもしれない。
 だからこそ今さら男女の甘い関係になるなんて想像もつかないし、気置けない友達でいられるのだ。

 ドムドムバーガーにやって来た俺たちは、窓際の席を確保し、隣同士に座る。
 軽く雑談したのち、そこそこの量がある課題を一緒にやる、というのが俺たちのいつもの流れだった。

「ほんと隆太って頭いいよねぇ。なんかこのまま大工一本って勿体ないような気がしちゃうんだけど」
 
 ポテトを口に放り込みながら、奈緒が感心したような表情で聞いてきた。
 
「こんなイージーな授業で頭いいって言われてもな」

 気のない返事をしていると、奈緒がくすくすと自虐的な笑みを浮かべる。
 
「まぁね、高校卒業ってだけで必死なんだからな、私たち。隆太くらいなら、大学も行けちゃうんじゃないかなって」
「行かねぇ、行かねぇ。第一、金がない」

 俺は親方に面倒を食事や宿の面倒を見てもらい、毎日日金を稼いでいる身だ。
 実際に大工になって社会の厳しさを知ったとき、もっと勉強をしていたら、もっと楽な仕事に就けたんじゃねぇのかな……とか、もっと給料が高かったんじゃねぇのかな……と思うことは度々あった。

 だが、それは自分と違う世界線の話だ。
 高望みなんてしちゃいけねぇ。置かれた身で真面目に働き、自分なりに咲けばいい。
 
 そう思うのに、頭の片隅にあいつ――一樹の存在がちらついた。
 ほぼ毎日、あいつの存在が視界に入っているせいだと思った。
 
 決まった時間に、きちんと制服を着て家を出る姿。
 窓の外から見えるあいつは、いつも勉強机に向かっていた。