偏差値70だけど、この恋むずすぎ。


 初めて俺が一樹を見たのは、チビで女みてぇな男を抱きしめてるときだった。
 かわいそうなくらい呆けた顔をしていて、無性に腹立たしくなったのだが、同時に、目が離せなくなった。
 少し長めの前髪から覗く目が、光がなく真っ黒で孤独が見えた。
 ああ、誰かに縋りたいんだな、って直感的に感じた。
 俺と似てる気がする。
 ――そう、思った。

「ねぇ、隆太! おーい、隆太、起きろー!」
「んー……?」

 聞き慣れた甘ったるい声に、俺は少しずつ意識を取り戻した。

「隆太。起きたのか~?」

 目の前に立っていたのは、確実に甘い声の主ではない。
 俺の担任である――厳めしい顔をした石塚先生だった。

「うおッ! っくりした!」
「っくりした、じゃない。おまえ、一回耳鼻科に行け!」

 はぁーと深いため息を吐いた石塚先生は続けて「いびき!」と大きな声で言った。

(あ、やべ)

 見渡すと、クラスメイトたちは、俺のいびきがうるさすぎたのか心なしか疲れているように見えた。

「すんませんでした……」

 乱れた作業着の襟元を整えて、きちんと座り直す。
 すると前の席の小泉奈緒(こいずみ・なお)が、肩を揺らしてクスクス笑いながら「マジばか」と一言言った。
 やっぱり、さっき俺を起こそうと甘ったるい声を出していたのは奈緒だったのだ。
 
「眠れてないんでしょ? 隆太」

 チャイムが鳴り、授業が終わって重い腰を上げた途端、奈緒がくるりと振り返って声をかけてきた。

「んー。まぁな。もう一個バイト始めたし」
「まじ⁉ まだ働くの? てか、なんのバイトよ」
「んー、内緒……」
 気のない返事をしながら、放置していたスマホを開く。
 LINEが二件入っている。
 バイト先から新しい仕事の詳細が送られてきていた。
「まさか、夜の仕事系のバイト?」
「そんなの体力的に無理」
「いや、あんた体力あるし、あり得る……」
 
 呆れ半分、感心半分といった様子で微笑む奈緒は、俺より四歳年上の二十一歳。
 普段はフィットネスジムでインストラクターとして働きながら、高卒資格を取るためにこの通信制高校に通っている。
 通信制高校は、普段は自宅学習で月に決められた数回だけ、登校することになっている。
 ほとんど顔を合せることはないが、クラスメイトとは仲が良かった。
 特に奈緒はうっとうしいくらい絡んでくる。まぁ、そういうところがこの女の可愛いところなんだけど。

「ねぇよ……それより奈緒、腹減った。飯食いに行くぞ」
「えッ、隆太からって珍しくない? 行く行くー!」
「すぐそこだし、ダムダムバーガーでいいか? ポイントめっちゃ貯まってるし、今日は特別におごってやるよ」
「わぁ、最高! 大好き、隆太! 今日はチートデイにしちゃおっ」
奈緒は大きな目を潤ませてこちらを見上げる。
 
素直に可愛いとは思うが、独り占めしたいとは思えない。
 奈緒とはかれこれ三年の付き合いだ。
 彼女は家庭の事情で中学を出てすぐ働き始め、叩き上げでジムのインストラクターになったらしい。
 正社員登用や将来のステップアップのために、どうしても高卒資格が必要なのだと熱く語っていた。
 俺も少し前までは、奈緒に色んな話をしてきた。
 親に捨てられ孤児院で育ち、十五で大工の親方に拾われて自立した生い立ちも。中学までは荒れすぎて、ほとんど学校に通ってなかったことも。
 泥臭い過去も、背負っている傷も、奈緒はある程度は知ってる。
 だから姉みたいな存在だ。
 
 その後、ダムダムバーガーにやって来た俺たちは、窓際の席を確保し、隣同士に座る。
 軽く雑談したのち、そこそこの量がある課題を一緒にやる、というのが俺たちのいつもの流れだった。

「ほんと隆太って頭いいよねぇ。私なんて課題に一時間はかかるのに、一瞬で終わらせちゃうんだもん。……なんかこのまま大工一本って勿体ないような気がしちゃうんだけど」
 
 ポテトを口に放り込みながら、奈緒が感心したような表情で聞いてきた。
 
「こんなイージーな授業で頭いいって言われてもな」

 気のない返事をしていると、奈緒がくすくすと自虐的な笑みを浮かべる。
 
「まぁね、高校卒業ってだけで必死なんだからな、私たち。隆太くらいなら、大学も行けちゃうんじゃないかなって」
「行かねぇ、行かねぇ。第一、金がない」
 
 俺は親方に面倒を食事や宿の面倒を見てもらい、毎日日金を稼いでいる身だ。
 実際に大工になって社会の厳しさを知ったとき、もっと勉強をしていたら、もっと楽な仕事に就けたんじゃねぇのかな……とか、もっと給料が高かったんじゃねぇのかな……と思うことは度々あった。

 だが、それは自分と違う世界線の話だ。
 高望みなんてしちゃいけねぇ。置かれた身で一生懸命やって、最期に笑えたらいい。
 
 そう思うのに、頭の片隅にあいつ――一樹の存在がちらついた。
 ほぼ毎日、あいつの存在が視界に入っているせいなのか、最近しょっちゅうあいつのことを考える。
 俺と年が変わらないのに、真逆のような生活を送る男。
 決まった時間に、きちんと制服を着て家を出る。家に帰ればいつも勉強机に向かっていた。
 そんな普通のやつに今まで出会ったことがなかったし、珍しい生き物に見えて、観察するのが楽しかった。
 でも勉強となると、奴は違った。
般若みたいな恐ろしい顔をして、歯を食いしばって机に向かってるときもあれば、目を輝かせて、楽しそうにしているときもある。