偏差値70のイレギュラーな恋


 交通系ICカードに五千円ほどの残金が残っているのを確認した俺は、さっそくちいまるゲットにトライすることに決めた。
 正直、クレーンゲームは苦手だ。
 だが、こんなに可愛いちいまるを前にして諦めるわけにはいかない。

(もしとれたら朔にあげよう!)

 自分のためにとろうと思っていたぬいぐるみだったが、好きな人も好きなのだ。喜んだ顔が見たい。
 密かにそう思いながら、俺はICカードをモニターにかざした。

 あれから四十分後――。

「ねぇ、ママー! おにいちゃん、またとれなかったよぉ」
「しぃ!」
 
 トライ、十回目あたりから俺の周りをうろついている家族連れの声に、さらに冷や汗が噴き出る。

(やばい。残高あと300円……)

 ICカードにたっぷり入っていたお金が、あれよあれよとクレーンゲームの機械に吸い込まれてしまった。
 ちいまるは、あともう少しのところでいつもアームからすり抜けてしまう。
 何度も、店員に御情けでとりやすい位置に移動してもらったのに、よっぽどセンスがないのか、すべてミスった。

 もう気持ちの余裕も、金の余裕もない。
 もうここまできたら、ICの残高分はチャレンジすると決め、ICカードをモニターにかざそうとしたときだった。

「おーい、まだやってんのー?」

 突然すぐ後ろから聞こえてきた声に、びくぅっと肩が跳ね上がった。
 この声、どこかで聞いたことがある。

「百瀬さんですよねー? いつもお世話になってます」
「ひゃいっ……⁉」

 突然背後から降ってきた低い声に、マヌケな悲鳴が漏れた。 慌てて振り返ると、そこには作業着の胸元を少し肌けさせた巨人の姿――若月が立っていた。

 しかも最悪なことに、彼の後ろにはいかにもガラの悪そうな男たちが二、三人引き連れられている。
 浅黒い肌に金髪、タトゥーのチラつく首筋。完全に夜の繁華街のヤンキー集団だ。

「うわ、お兄さんなにやってんの? ちいまる?」
「ちいまる欲しー! てかアンタ誰?」

 下品なニヤニヤ顔で俺を品定めするように覗き込んでくる男たち。
 一瞬で背中に嫌な汗が吹き出した。治安が悪い。怖すぎる。逃げたい。

「うるせぇな、静かにしろ。うちの施主様のお坊ちゃんだよ」

 若月は後ろの男たちをシーッと片手であしらうと、すっと俺と仲間たちの間に割り込むように立ち、背中でヤンキーたちの視線を遮っ
てくれた。

 大柄な背中が目の前を覆い、ふわりと木材と微かな汗の匂いが鼻腔をくすぐる。

「だいぶ熱くなってんなぁ。俺らがここに来た時からやってたよな?」

 いや、知らねぇよ!と、心の中で突っ込む。
 巨人は少し前から俺を認識していたようだ。
 覗き込むように顔を近づけてきた巨人に、俺は思わず後ずさる。
 この男の瞳には、明らかな面白がりと、どこか大人の余裕が浮かんでいた。

「こんなん簡単じゃん。貸してみ?」

 そう言った巨人は、俺が握りしめていた操作レバーを横からひょいっと奪い取った。
 巨人はポケットから百円玉を取り出すと、迷いのない手つきで投入口へ滑り込ませた。ちゃりん、と硬質な音が響き、クレーンゲームのBGMが切り替わる。

(おいおい……少し右寄りすぎない……!?)

 横で息を殺して見つめる俺の心臓は破裂しそうだった。アームの降下位置が、ちいまるの重心からわずかに右へズレているように見えたのだ。
 せっかくの百円が無駄になる――そう焦りかけた瞬間、ウィーンと音を立ててアームが下りた。
 爪が狙ったのは、ちいまるの丸い胴体ではなく、頭に乗った大きなスイカのフチと、タグのわずかな隙間だった。
 ガシッ、と爪がピンポイントで引っかかり、テコの原理でちいまるの巨体が斜めに跳ね上がる。
 そのままアームが持ち上がり、ズザザッと音を立てて、ちいまるが出口の真上へ大幅に引き寄せられた。

(うそ……っ! めっちゃ良い位置……!!)

「おー! いいじゃん、いいじゃん♪」
「マジかよ、一発で出口まで持ってったぞ!」

 俺と一緒に食い入るように見ていたヤンキーたちも、一気にテンションが上がった様子でクレーンゲームの周りを囲んだ。

 金髪にタトゥー、強面の男たちが、スイカをかぶった白いぬいぐるみを囲んで「行け行け!」「あと一押しだ!」と目を輝かせて盛り上がっている。

(……あれ? こいつら、見た目はめちゃくちゃ怖くて治安悪いけど……もしかして意外といい奴らなのか……?)

 あまりのギャップに俺が呆然としている間にも、巨人は得意げな笑みを浮かべ、二枚目の百円玉を投じた。
 迷いのない操作でアームを走らせ、今度はちいまるの頭を上からちょんと優しく押す。

 ゴトンッ!

 重たい音とともに、ちいまるが取り出し口へと転がり落ちた。

「よっしゃあああ! 取れた取れた!!」
「すげぇな隆太! 百戦錬磨かよ!」
「さすがセ☆クスマスター」

(はい?)

 聞き捨てならない単語が聴こえ一瞬、ぎょっとしたが、ヤンキーがハイタッチしてきたので、とりあえず聞き流すことにした。