偏差値70だけど、この恋むずすぎ。


「さくら舞う、俺の気持ちもあったかい――……♪」
 
 車のスピーカーから流れてくる、お気に入りの春ソングを熱唱しながら、俺はスマホのマップに『森戸海岸』の住所を打ち込む。
 するとすぐに、車の大きなモニターに反映されて、到着時間まで記してくれた。

「二時間か~。やっぱ渋滞してるな」

 げんなりしながらハンドルに肘をついていると、コンコンッと助手席のドアをノックされた。
 はっとして視線を向けると、そこにいたのはアカデミックダウンを羽織り、四角い卒業帽を腕に抱えた、一樹が立っていた。
 
「一樹! お疲れさま」

 ロックを解除してドアを開けると、一樹が少し照れ臭そうな顔で助手席に乗り込んできた。
 
「あぁ、悪いな隆太。待たせちまって」
 
 一樹の茶色の髪が少し汗ばんで、お揃いのシャンプーの香りが香ってくる。
 普段はシンプルで、大人っぽい服装が多いので、魔法使いのコスチュームに着せられてるようなこいつが幼く見えて、思わず抱きしめてしまった。

「似合ってんじゃん。かーわい」
「うるせぇよ。マッジであちぃ……温暖化、えぐいって」

 一樹は俺の胸板に顔を埋めながら、「うう……」とうなっている。

「だよなぁ、すぐそこのコンビニに寄ってやるから、トイレで着替えて来いよ」
「あぁ、千パーセントそうするぜ」

 俺は一樹から体を離すと、冷房の風量をマックスにして、アクセルを踏んだ。
 今日は、一樹が四年間通った東大の卒業式で、俺はいつものように、こいつの足になって迎えに来た。
 そう――四年前の春。俺は、案の定、東大の受験に落ちて、一樹は合格した。
 正直――一樹の母親にもらったバイトの報酬と、わずかな貯金を全部フルベットして東大の専門的な塾にも短期間だが通ったし、家に帰っても、飲まず食わず、寝ないで死ぬ気で勉強したがダメだった。
 
 努力した時間が全然足りてなかったし、当然の結果だったのだ。
 だが、ずっとバカやアホだと言われ続けたが、東大に挑戦でき、さらに一次試験に通過したのは、俺の大きな自信になった。
 浪人することも頭を過ったが、その道を選ばなかった。
 一樹に申し訳ない気持ちがでかかった。
 合格出来たら、その後、またバイトでも借金でもしてなんとかやっていけばいいなんて漠然と考えていたが、そんなの、許されない。
 
 俺は、ちゃんと自分が今、どんな場所に立っているのか、忘れていた。
 一樹を想いすぎて。
 
 やっぱりあのときは、状況的に切羽詰まっていたとはいえ、一樹を騙した金で、塾に行ったことは、ずっと心に引っかかっていた。
 よくないんだ、こんなこと。
 
 まずは一樹の母親にもらった報酬を返してからじゃないと、あいつに会わせる顔がねぇと思った。
 俺は、もう一度親方に土下座して謝罪し、心を入れ替えて大工として働く道を選んだ。
 
 その直後だった。
 
 一樹がわざわざ親方の住む家に尋ねてきて、俺に会いにきてくれたのは。

『おい、隆太! お前マジで……なんで落ちてるんだよ……』
『本当にごめん』
『もういい加減にしろよ。落ちた罰だ! 黙って俺の言うことを聞け!』

 一樹は泣いて『もう離れんなよ!』と言ってくれた。
 一樹が戻ってきてくれたことで、俺はもう決めた。
 早く独り立ちして、こいつといっしょに広い家に住むと。

「……おい隆太、何しんみりしてんの?」

 ふは、と笑った一樹が俺の空いている手を握る。
 指を絡めて、ぎゅうっと握り返した。

「いやぁ、ここまで長かったなと思って。大学生の彼氏がいる社会人彼女の心労がよおおく分かりました」
「浮気するんじゃないかって?」
「そう」

 アハハと笑って「俺、可愛いからな~。顔」と一樹は楽しげだ。

(こいつ、マジで分かってねぇ)

 一樹は大学に入って、本当に大勢の女からモテてモテてモテて。
 本気で狙ってそうな女には、俺が根回しして、遠ざけたりしてた。
 その根回しに関しては――一樹にも、今読んでくれてる人にも絶対に言えないが。
 こうやって、車で極力迎えに来て、ちゃんと『俺』がいることを、嫌というほどアピールして、なんとか外の誘惑から、こいつを遠ざけた。
 時々弱音を漏らすと、一樹は「お前は過保護すぎる!」と、一刀両断してから「俺はお前が好きだ。お前しか見えてねぇ」と、男前なセリフを言ってくれる。
 それが最高に俺の性欲を煽ってくるんだけども。

(まあいいや。俺がこいつにとって、恥ずかしくない男になっていればな)

 前の自分とは比にならないくらい、俺は東大に落ちてから朝から晩まで働いた。
 自分で仕事を獲ってきて、親方の会社の取引先を増やしてゆき、実績を積んで、約二年後に、ひとり親方として、独り立ちさせてもらった。
 今はそのとき稼いだ莫大な金で、不動産を所有しながら、自分の会社をいくつか持っている。

「……あ。母さんから連絡来てる。『卒業おめでとう』だって」

 コンビニに車を駐車したタイミングで、一樹はスマホを見てぽつりとつぶやいた。

「今日、やっぱり来れなかったのか」
「……まぁ、分かってたけどね。今はワシントンにいるらしいよ」

 そう言って、ふっと笑った一樹はまったく寂しがってる様子はない。
 一樹も一樹で、例の一件で、完全に両親への期待を持たなくなったらしい。
 愛も求めないし、求められたくもない、と完全に割り切った考えだ。
 ある意味、大人になったのだろう。
 両親が健在しているのに、不仲なのを恋人の俺が見放すのはどうなのか、と思うこともあるが、でもやはり、俺は一樹を独り占めできる方が嬉しかった。

(ごめんな一樹。一樹にとって一番は、永遠に俺でいたいんだ。もちろん、お前の家族よりもな)

 俺は家族から愛されたことがないから、どこかネジが緩んでるんだろう。
 家族愛が分からないし、同じように、好きになった一樹がそういうタイプで安心した面もある。
 でも、そっちの方がロマンチックじゃないか?
 永遠に、ひとりだけを愛するって。
 他人を、家族みたいに愛せるって。
 もちろん、一樹の母親には、四年前にもらった報酬を全額返済だ。
 一樹との同棲も承諾してもらうために、四倍の金も積んでおいた。
 一樹の母親には金は要らないといわれたが、せめてもの誠意だった。

 一樹を、抱いた誠意。
 一樹を、一生離さないと決めた、誠意。

『まさか、あなたに一樹をとられちゃうなんて夢にも思わなかったわ……』
『そうっすよね。でも――本当に、安心してください。俺、絶対一樹を幸せにするんで。あなたたちにも、もちろん、関わっていきますし』

 百瀬の家で、最後に彼女とそんな話をした。
 一樹と今後も関わっていく、と伝えた途端、一樹の母親は満面の笑みでほっとしたような表情をしていた。

(本当に、一樹の言う通り、子供をモノとしか見ていないな)

 もともと、一樹の母親とは俺が十五のときに、脳神経外科で出会っている。彼女が俺の主治医で、俺が患者。
 半グレにぼこぼこにされて、大病院に緊急搬送された俺を助けてくれたのが彼女だった。