偏差値70だけど、この恋むずすぎ。

 まだ、隆太を信じたい気持ちが残っていることだった。
 
 それから帰宅した俺は、記憶が薄れるほど勉強に明け暮れた。
 母親も、さすがに三日間の失踪事件があってからか責めることはなかった。
 父親も事態の深刻さに、帰国し、俺に謝ってきた。
 でも今更だった。俺の気持ちは動かない。
 
 だが――以前とひとつ大きく違うのは、親のためだからではない。
 自分の意志だけで絶対に東大に行きたいという気持ちを持っていることだった。
 隆太に、もう一度会いたい。
 
 ――そして、ついに運命の日がやってきた。
 二月二十五日、東京大学・前期二次試験の初日。
 降りしきる粉雪が、本郷通りと東大のシンボルである赤門を白く染めた。
 一次審査を突破した受験生たちが、参考書を手に白い息を吐きながら正門へと続く歩道をぞろぞろと歩いていた。
 緊張で軽い吐き気を催しながら、俺はあたりをさり気なく見渡す。
 思ったより人が多い。背格好は違うものの、皆似たような服装で隆太らしき人物を見つけるのは、至難の業なような気がした。

(でも、まだ信じたい)

 あいつが、東大を本気で受験し、俺を諦めないでいてくれているのか。
 もう一度、話せるチャンスがあるのかどうか。
 
 だが、現実はどこまでも残酷だった。

『受験会場はこちらになりますー、急いでください』

 すでに会場に到着して一時間は目を凝らして探していた。だが、一向に隆太らしき人物は見当たらない。
 スタート時間も差し迫っており、焦りで気がおかしくなりそうだった。

(いったん、諦めよう。とりあえず試験が終わってから、もう一度探す)

 そう心に誓い、俺は人の波に紛れた。
 さく、さく、と軽い音を立て、ブーツがうっすら積もった雪道にめり込んでいく。
 ここまでの道のりは、平たんではなかった。

 初めは親の期待に応えるところからスタートしたが、今ではそれでも頑張ってきてよかったと思う。
 自分の恵まれた環境に感謝することもできた。
 死ぬほど勉強して、狂いそうになった。

 でも、ブランクを自分の力で乗り越え、頂点まで近づくことができた。

(何より、隆太の存在が俺を支え、自分を信じることができた)

 隆太の事情があって、傷つけられたが、今は感謝の気持ちでいっぱいだ。
 だから、伝えたい。

(ありがとうって。お前のおかげでここまでこれたって)

 そのときだった。
 数メートル先を歩いている男性のカバンについていたキーホルダーが外れるのを、偶然目撃してしまう。

(まずい……)

 人も多く、男性を見失ってしまう。
 今にも踏まれてしまいそうだったキーホルダーをすくい上げたその時。
 俺は思わず息を呑んだ。

「ちいまる……?」

 手の中に収まったそれは、偶然にも、俺が隆太にあげたキーホルダーだった。
 
 頭より先に、足が勝手に動き出す。
 人混みをかき分け、必死で先を歩く男性の腕を掴んだ。

「待ってください!」
「っ⁉」

 驚いて振り返った男性を見て、息が止まる。
 ああ、神様はまだ、俺を見捨てていなかったらしい。
 黒髪で、長くなった前髪から、鋭い切れ長の目で俺を見下ろした。

「隆太……」
 少しシャープになった奴の顔を見て、涙が込み上げた。
 隆太は目を見開き、絶句していた。
 まさか、といった顔で。

「これ……」

 俺は震える手で、手の中に収まっていたちいまるを隆太に渡した。
 
少し薄汚れたそれを見て、隆太がずっとリュックにつけてくれたのだと、一瞬で分かった。
奴は固まっていたが、やがて俺からキーホルダーを受け取る。

「……なんで、言ってくれなかった。東大のこと」

 俺の質問に、隆太は息を呑んだ。
 いつもの陽気な声は、一向に聞こえない。
 さらさらと粉雪が降り注ぐ音だけが、あたりに響いていた。

「怖かった。本当に挑戦できるか分からなかったから」
「そうか……」

 隆太の言っている意味は理解できた。
 俺とまだ一緒に勉強しているとき、奴は思いがあっても、現実的に受験できないかもしれないという不安に、押しつぶされそうになっていたのだろう。

「お前のこと、少しは理解してるつもりだよ。でも、なんにも話してくれないのは、あんまりじゃないか」
「……ごめんな」
「どうして――」

 俺はそう言いかけて、言葉を詰まらせた。
 あぁ、泣きたくないのに。視界が滲んでいく。
 好きだ。こいつのことが。だから今、聞かせてほしい――

「どうして、ここまでしてんだよ」

 震える声で尋ねると、隆太は奥歯を噛んだ。
 そしてわずかな沈黙のあと、顔を歪めて笑った。

「お前とずっと一緒にいたかった。それだけだよ」

「……本当にお前はバカだな」