「え……?」
(親方にまで金を借りようとしていた? そんなに切羽詰まっていたのか?)
「あいつ、大学に行くために塾に通いたいと」
その言葉を聞いて、手に持っていた湯呑を落としそうになった。
「だ、大学……?」
俺の驚いた顔を見て、親方はそれ以上に驚いた様子だった。
「そうだよ。そんなに前じゃないさ……百瀬の工事に入ってからのことだ。もしかしてお前さんの影響があったんじゃねーか」
「そんなこと、俺。一言も聞いてませんよ……!」
「信じらんねぇ。なんで一樹君に言わねぇんだ」
動揺で息が荒くなる。
俺は遠い記憶を手繰り寄せた。
隆太は、一緒に勉強していたときも、自分から大学に行きたいなんて言ったことがなかった。
だが俺があいつに安易に「大学に行ったらどうだ?」的なことを言った記憶がある。
親方は苦しげに顔を歪めた。
「正直、若い時は周りの影響を簡単に受けるだろ。あのときも、一時的な気の迷いにしか思っていなくて、笑い飛ばして取り合わなかった。お前はアホだから、現場で働いて金を稼ぐ方が絶対良いって……」
「……まじか」
親方は知らなかったのだ。
あいつが飲み込みが早いことも、意外と勉強が好きなことも。
「それで……あいつが金が貯まったとか、急に仕事を辞めるって言いだしたのも、この大学の一件が関係してんじゃねーのかと思ってな。色々探りを入れてみたんだ」
「探り?」
「あぁ、ちょっと待っててくれ」
そう言い残し、親方は席を立って何やら引き出しからぐしゃぐしゃのプリントをいくつか手に取り、俺に差し出した。
「あいつが出て行く日、わりぃと思ったんだが、ゴミを見させてもらった。その中に、こんなものがもう大量にあって……」
俺は渡されたプリントを見て絶句した。
破られた紙ぎっしり埋め尽くす、数式。
そして別の紙には英単語がこれでもかというほど、繰り返し記されていた。
狂気を感じるほどの、密集度。
極めつけは、俺が先日受けた全国共通テストの結果だった。あいつは個人で申し込んだのだろう。
しかも志望校は――『東大』ただひとつだった。
プリントを持った手が、がくがくと震えた。
隆太が俺の知らないところで、誰の手を借りず血の滲むような努力をして東大を目指していたのだ。
しかも、極めつけは『C判定』までもらっている。
親方は大きなため息をついた。
「あいつの本気を、鼻から相手にしないで馬鹿にしちまった。本当に申し訳ねぇことしたよ」
「いや……誰だってあいつがこんなに大学に行きたいなんて思いませんよ。普段はふざけてばっかだし、第一ヤンキーみたいな風貌じゃないですか」
「そうなんだがなぁ……」
俺の頭は、隆太のことで頭がいっぱいになった。
バカな冗談を言う隆太。意地悪な顔で笑う隆太。そして、勉強に一生懸命な隆太。
俺が軽く大学進学を勧めたとき、あいつは言った。
『別に大学に行ったって金が手に入るわけじゃない。それに……ちいまるがいない学校なんて、別に行く意味なくね?』
あのときの隆太の目は、本気だった。
(――嘘だ。そんな、まさか)
『お前がその気なら、覚悟しとけよ。俺の愛、すげぇ重いから』
両想いになったとき、あいつは言っていた。
もし、東大を目指している理由が『俺が行こうとしているから』だったら、どうする?
ぞくっと、背筋が震えた。
素直に嬉しい気持ちと、同時に重すぎて。
「一言謝りたいんだが、連絡がつかねぇ。寂しいね……」
「親方……」
スマホをあれから一切見ていないので、あいつが今、どんな状況なのか知る由もない。
ただ、俺とこういう状況になって、あいつは受験勉強を辞めるのだろうか。
東大の合格を、諦めるのだろうか。
(あぁ、知りたい。あいつ、本気で俺のことが好きなのか?)
凍てついた心が、少しずつ雪解けていく。
金目当てて近づき、まったく俺への愛情がないやつかもしれないという憶測と、本気で俺が好きで、一緒の大学を目指す純粋無垢なあいつ。
どっちの可能性もある。
俺が見てきた半年の隆太は、完全に後者だ。
もし後者が本当のあいつなら、俺は自分の〝好き〟の気持ちを諦めていいのだろうか。
じっと湯呑を見て考えていたが、身体がむずむずした。
手を、動かしたくなった。頭を、使いたくなった。
数式が、恋しくなった。
「……親方。俺、家に帰って勉強、します……」
親方はおっと目を見開き、その後――ふっと笑みを深めた。
「そうかい。応援してるぞ、東大合格」
「ありがとうございます……!」
俺は立ち上がると、バックパックを背中にしょって、早々に家を出る。
(隆太がやってんのに、俺が勉強しないのはおかしいだろ)
こんなに、勉強が恋しくなったのは、初めてだ。
いや――勉強が恋しいのか、隆太が恋しいのか正直言って分からない。
だが、確かなのは俺は受験を諦めちゃならないってこと。
(親方にまで金を借りようとしていた? そんなに切羽詰まっていたのか?)
「あいつ、大学に行くために塾に通いたいと」
その言葉を聞いて、手に持っていた湯呑を落としそうになった。
「だ、大学……?」
俺の驚いた顔を見て、親方はそれ以上に驚いた様子だった。
「そうだよ。そんなに前じゃないさ……百瀬の工事に入ってからのことだ。もしかしてお前さんの影響があったんじゃねーか」
「そんなこと、俺。一言も聞いてませんよ……!」
「信じらんねぇ。なんで一樹君に言わねぇんだ」
動揺で息が荒くなる。
俺は遠い記憶を手繰り寄せた。
隆太は、一緒に勉強していたときも、自分から大学に行きたいなんて言ったことがなかった。
だが俺があいつに安易に「大学に行ったらどうだ?」的なことを言った記憶がある。
親方は苦しげに顔を歪めた。
「正直、若い時は周りの影響を簡単に受けるだろ。あのときも、一時的な気の迷いにしか思っていなくて、笑い飛ばして取り合わなかった。お前はアホだから、現場で働いて金を稼ぐ方が絶対良いって……」
「……まじか」
親方は知らなかったのだ。
あいつが飲み込みが早いことも、意外と勉強が好きなことも。
「それで……あいつが金が貯まったとか、急に仕事を辞めるって言いだしたのも、この大学の一件が関係してんじゃねーのかと思ってな。色々探りを入れてみたんだ」
「探り?」
「あぁ、ちょっと待っててくれ」
そう言い残し、親方は席を立って何やら引き出しからぐしゃぐしゃのプリントをいくつか手に取り、俺に差し出した。
「あいつが出て行く日、わりぃと思ったんだが、ゴミを見させてもらった。その中に、こんなものがもう大量にあって……」
俺は渡されたプリントを見て絶句した。
破られた紙ぎっしり埋め尽くす、数式。
そして別の紙には英単語がこれでもかというほど、繰り返し記されていた。
狂気を感じるほどの、密集度。
極めつけは、俺が先日受けた全国共通テストの結果だった。あいつは個人で申し込んだのだろう。
しかも志望校は――『東大』ただひとつだった。
プリントを持った手が、がくがくと震えた。
隆太が俺の知らないところで、誰の手を借りず血の滲むような努力をして東大を目指していたのだ。
しかも、極めつけは『C判定』までもらっている。
親方は大きなため息をついた。
「あいつの本気を、鼻から相手にしないで馬鹿にしちまった。本当に申し訳ねぇことしたよ」
「いや……誰だってあいつがこんなに大学に行きたいなんて思いませんよ。普段はふざけてばっかだし、第一ヤンキーみたいな風貌じゃないですか」
「そうなんだがなぁ……」
俺の頭は、隆太のことで頭がいっぱいになった。
バカな冗談を言う隆太。意地悪な顔で笑う隆太。そして、勉強に一生懸命な隆太。
俺が軽く大学進学を勧めたとき、あいつは言った。
『別に大学に行ったって金が手に入るわけじゃない。それに……ちいまるがいない学校なんて、別に行く意味なくね?』
あのときの隆太の目は、本気だった。
(――嘘だ。そんな、まさか)
『お前がその気なら、覚悟しとけよ。俺の愛、すげぇ重いから』
両想いになったとき、あいつは言っていた。
もし、東大を目指している理由が『俺が行こうとしているから』だったら、どうする?
ぞくっと、背筋が震えた。
素直に嬉しい気持ちと、同時に重すぎて。
「一言謝りたいんだが、連絡がつかねぇ。寂しいね……」
「親方……」
スマホをあれから一切見ていないので、あいつが今、どんな状況なのか知る由もない。
ただ、俺とこういう状況になって、あいつは受験勉強を辞めるのだろうか。
東大の合格を、諦めるのだろうか。
(あぁ、知りたい。あいつ、本気で俺のことが好きなのか?)
凍てついた心が、少しずつ雪解けていく。
金目当てて近づき、まったく俺への愛情がないやつかもしれないという憶測と、本気で俺が好きで、一緒の大学を目指す純粋無垢なあいつ。
どっちの可能性もある。
俺が見てきた半年の隆太は、完全に後者だ。
もし後者が本当のあいつなら、俺は自分の〝好き〟の気持ちを諦めていいのだろうか。
じっと湯呑を見て考えていたが、身体がむずむずした。
手を、動かしたくなった。頭を、使いたくなった。
数式が、恋しくなった。
「……親方。俺、家に帰って勉強、します……」
親方はおっと目を見開き、その後――ふっと笑みを深めた。
「そうかい。応援してるぞ、東大合格」
「ありがとうございます……!」
俺は立ち上がると、バックパックを背中にしょって、早々に家を出る。
(隆太がやってんのに、俺が勉強しないのはおかしいだろ)
こんなに、勉強が恋しくなったのは、初めてだ。
いや――勉強が恋しいのか、隆太が恋しいのか正直言って分からない。
だが、確かなのは俺は受験を諦めちゃならないってこと。


