急に、漠然とした不安が襲った。
朔に嫌われていないか。朔が他の人と楽しく過ごしているじゃないのか。
こんなに俺たちは仲がいいのに、俺は何を不安に思うんだ……と我に返って明るくなったと思えば、所詮朔にとって俺は友達のひとりにしか過ぎない、とマイナスな思考になったりする。
どんどん自分が惨めな存在に思えた。めちゃくちゃダサい。
俺は無理やりサンドイッチを口に押し込み、家を後にした。
とりあえず、特に行きたい場所もないので、勉強することに決める。
俺の行っている塾は最寄り駅から数駅先にある。国内有数の進学塾というのもあり、生徒の数も多い。だが、西本という男以外友達はいない。
本宅を出て庭を歩いていると、工事現場のおっちゃんたちが近くで作業していた。
ぱっとあたりを見渡すが、巨人の姿は見当たらない。
かれこれ家の工事が始まって数日が経つ。
関わりたくなくて知らないふりを決め込んでいたはずなのに、気づけば視線が勝手にあの巨人を追ってしまっていた。
とある日のことだった。
自室のレースカーテンの隙間からそっと覗くと、あの男は二階の足場で、重そうな木材を軽々と肩に担いで移動していた。
真夏の太陽の下で汗に濡れた作業着と、動くたびに浮き出る太い腕の筋が陽光に照らされている。
ただ荒っぽいだけかと思いきや、採寸や道具を扱う手つきは驚くほど手際が良く、繊細だ。
(すごいな)
普段の柄の悪さとはギャップのある職人らしい真剣な横顔に、思わず息を呑んで見入ってしまう。
――その時だった。
俺の視線に気づいたのか、作業の手を止めた彼が、不意にこちらへ顔を向けた。
カーテンの影に隠れているし、絶対に見えていないはずの位置だ。
なのに、目が合ってしまった。
逃げ出そうとした俺の動揺を見透かすように、彼は口角をふっと緩めると、作業用のグローブをはめた手で、トン、と額の汗を拭うフリをして挨拶代わりに指を振ってみせた。
まるで『見てたろ?』とからかわれているみたいに。
(うざ……またからかわれてるし)
跳ね上がった心臓を抑えながら、俺は反射的に壁の陰へ飛び退いた。
関わりたくないし、絶対に目を合わせたくない。
だが単純に、自分の知らない職人の世界と、あの男が放つ独特の雰囲気に、目が離せなくなって、なんだか落ち着かなかった。
「おい、ちんたらしてんじゃねぇぞ!」
「しっかりしろよ!」
突然聞こえてきた怒号に、意識が現実へと引き戻される。
(こえぇよ、昭和じゃねーんだから静かにしろよ)
小さくため息を吐き、足早に家の敷地内から出た。
あの〝職人〟といわれる人種に、俺は今まで出会ったことがなかった。
自分とは住む世界が違いすぎるし、申し訳ないが一生関わりたくないとさえ思う。
もちろん、家を綺麗にしてもらえることには感謝しているが、必要以上に話しかけられたり、視線を向けられても、上手く対応できる気がしない。
(特に、あの巨人には絶対に会いたくない)
この柄の悪い連中の中でも、あの巨人はとびぬけて存在感があるような気がする。
でかい図体に、周囲を圧するよく通る声。そして腹が立つことに、よく見ると俳優みたいに整いすぎた顔面だ。
一体、いくつなんだろう。
見た感じは若そうだが、二十歳は過ぎていそうなしっかりとした顔つきだった。
「はぁ……気が重い」
一番に俺と朔の触れ合いをあいつに見られたのが、超ネックだ。
あの時に向けられた意味深な笑みは、思い出すだけでムカつくし、なんだか胸のあたりがザワザワする。
(関わりたくない、二度と顔を合わせたくない)
漠然とそんなことを思いながら、俺は塾へと足を向けるのだった。
◇
塾に到着し、自習室に籠もること三時間。
複雑な数式と英文の山と格闘し、すっかり頭が痺れてしまった俺は、気分転換に外へ出た。
少し頭を冷やそうと、塾からほど近い場所にある繁華街のゲームセンター前を通りかかった――その時だ。
「うわ、ちいまるじゃんっ……!」
ゲーセンの一番見えやすい位置に、大人気キャラクター『ちいまる』の特大サイズ型ぬいぐるみが陳列されてる。
しかも初夏バージョンなのか、頭に大きなスイカをひっつけていて超キュートだ。
『ちいまる』とは、SNSの四コマ漫画から爆発的な人気が出たキャラクターだ。 雪だるまのような白い丸いフォルムに、つぶらすぎる黒点のような目。
そして何を考えているのか分からない絶妙な『虚無のスマイル』が特徴の、謎の生き物である。
そもそも俺がちいまるを好きになったのも、もともと朔が好きだったからだ。
それがいつの頃からか、あの掴みどころのない愛らしいフォルムが朔自身に見えて仕方がなくなっていた。
世間の女子高生はもちろんのこと、過酷な受験プレッシャーで荒みきった俺の心をも鷲掴みにしている。
俺の癒やし! 朔の次に大好きな存在! それが『ちいまる』だ。


