偏差値70だけど、この恋むずすぎ。

 俺は言葉を失った。
 どこまでも、自分の世間体しか考えられないなんて、可哀そうな人だ。
 高スペックでい続けるためには、手段を択ばない。
 俺――子供の気持ちなんて、昔から一切考えていない。

「なるほどね……ああ、全部分かった。隆太を離れによこしたのも母さんだ!」

 俺はピンときた。
 あいつと初めて遭遇した日。
 工事が始まる前から隆太は、俺と朔を監視していた。
 工事現場の職人という立場を利用して、庭から見ていたんだ。
 母親は、ずっと苦虫を嚙み潰したような顔で黙っている。
 もうこんなの、黒だろう。

「ゲーセンの再会でも、森戸海岸の遭遇も―――朔との別れも。全部、偶然にしてはできすぎてる」

 運命なんかじゃない。
 全部、母さんに仕組まれた再会だった。
 一緒に過ごした今までの時間は、全部全部、隆太の時給が発生してたってことだ。
 
「みんな、消えてくれ……」 

 そう言い残し、俺は適当に歩き出した。

――その後の記憶は、あまりない。

 気付いたら離れに帰宅していて、真っ暗な部屋でただじっと、テレビ台の上に置いてあったスイカ頭のちいまるを見つめていた。
 俺はすべての気力を失った。
 スマホすら、見る気が起きない。

「俺の友達は、ちいまるだけだよ」

 ぽつり、と呟いた言葉を、ちいまるはたたじっと聞いてくれている。
 そういえば、隆太が前に俺とちいまるが似てると言っていたな。
 その時は全然意味不明だったが、今なら分かる気がする。
 どうにもできない理不尽を享受して生き続ける、弱者。

(もう、全部やめてやるよ)
 
 名門高校の生徒も。東大の受験も、この家の子供も。
 そして、若月隆太のことが好きな、自分も――。

 誰にも利用されたくなかった。
 誰も俺を愛していない。ただ、自分のことばかりだ。
 なら、勝手に生きてくれ。
 俺を、巻き込まないでくれ。
 俺はその日のうちに、バックパックに荷物を詰め込んで永遠の旅に出た。

 中身は三日分くらいの洋服と、タオル数枚。
 以前林間学校のために買った寝袋。そして心もとない毛布。
 すいか頭のちいまるのぬいぐるみ。
 スマホは家に置いてきた。誰からの連絡もとるつもりはない。
 生きるためのキャッシュカードと、父さんにもらった家族カードを財布に忍ばせる。

 さっそくカードを使い、父さんの名前で高級ホテルを予約した。
 これは十八年間、懸命に『百瀬家の長男』として生きた、自分への労いのつもりだった。

(これくらい、許せよ! ネグレクトクソ親父!)

 フカフカのサイズのベッドで、コンビニで買い込んだ菓子を大量に広げ、ぼりぼりと咀嚼しながらネトフリを観る時間は、人生で一番の至福を感じた。
 どうでもいい数式や、アメリカ人でもなんでもないのに、英語を読まなくてもいい。

「自由だ――!」

(自由って最高。縛られないって最高!!)

 そう何度も何度も思いながら最高の空間を堪能していた、二日目の夕方――客室の電話が鳴った。
 
『お母さまからお電話が入っております。今、出れますでしょうか』

 血の気が引いた。
 カードを使えば、使用履歴が親のスマホに送られる。それすら想像できないくらい、俺の思考は例の一件で鈍っていた。
 大急ぎで荷物をまとめ、チェックアウトすらせずに部屋を出る。
  
「逃げなくちゃ……」

 その足で大急ぎでコンビニへ行き、キャッシュカードで銀行に貯金してた金を全部下ろして、ゴミ箱にカードを捨てた。

(でもこのお金も、自分で稼いだ金じゃない。だっさ)

 コンビニを出て、とにかく街灯を手掛かりに、歩みを進める。

「寒いな~。追ってくるなよ、クソババア」

 ふわふわっと浮き上がった白い息が、夜の中へと溶けていく。
 手袋をしていても、手が氷みたいに冷たかった。
 今までは、そんな夜は隆太が手を握って温めてくれていたから、寒さすら気づかなかったのだ。
 ふ、とあいつの顔が浮かんで、俺は頭を振った。

(もう思い出さないって決めた)

 油断するとあいつの存在が頭も心も埋め尽くしてしまう。
 同時に、激しい胸の痛みが襲ってきて、哀しみとか怒りの感情が抑えられなくなってしまいそうだった。
 ただただ歩いて気持ちが落ち着くのを待つ。
 何分、何キロ歩いたか分からない。
 いくら歩いても闇が広がるだけで、朝なんて、全然来る気配がなかった。

 足が痛くなってきて、俺はついに耐えきれず、通り沿いのそこそこ大きな公園へと駆け込んだ。
 園内の奥に見つけた、幼児用のプラスチック製の遊具が一番風を凌げそうだ。
 俺は迷わずそこにリュックを下ろし、すぐに腰を下ろした。

「あぁ……めちゃくちゃ、冷てぇ……」

 靴下を脱ぎ、わずかに漏れてくる街灯の光に足を照らすと、足先が感覚がないほど冷たくなり、真っ赤に腫れあがっていた。
 両手で足先を包み込み、静かに目を閉じる。

(浮浪者の気持ちが、ちょっとだけ分かる気がする)

 俺は今、誰にも干渉されない、自由の身なのだ。