「奈緒、酒足りてる?」
「うん、大丈夫だよ。隆太!」
俺の前ではわざと喧嘩したりして見せたふたりだったけど、お互いにいい距離で気を遣っていて息がぴったりだった。
(あぁ、なんかいいな)
ガタイがよく、端正な顔立ちの若月と、スタイル抜群で誰が見ても美人だな、と思う奈緒さんは、はたから見てもお似合いだった。
さっき感じた胸の苦しさの正体が分かった。
奈緒さんに太刀打ちできないって、本能的に感じたからだ。
(あぁ俺、いつの間にこんなにあいつのこと、気になってたんだろう)
今、気づいてしまった。
俺――知らないうちに、若月のこと恋愛対象として好きになっていたらしい。
「よっしゃ、じゃあ次はババ抜きで勝負~!」
食事が終わり、みんなで軽くしゃべった後、トランプ大会が始まった。
圧倒的強者の奈緒さんが何度目かのトランプを切り始め、「負けたやつは罰ゲームな!」と周りもヒートアップしてきた。
(ずっとここにいたいけど、そろそろ帰らなくちゃな……)
腕時計は十時を示している。
消灯は十一時。そろそろ講師も様子を見に部屋にやってくるかもしれない。
その時だった。
突然、グイッと、手首を掴まれた。
「うわっ……⁉」
驚いて振り返ると、若月が人差し指を口元に当てて「しっ」と笑っていた。
みんながトランプの配布に夢中になっている隙を突いて、あいつは俺の手首を引いたまま、スルリと海の家を抜け出す。
「ちょ、若月……っ! みんなトランプ始めてるのに……!」
「いいんだよ、あいつら放っておけば朝まで騒いでんだから。……ちょっと付き合え」
(あ……)
掴まれた手首から、若月の相変わらず高めの体温が伝わってくる。
「若月って、平熱いつもいくつくらいなの……」
何気に、気になってた。その心地いい、体温。
「三十六.八とか九とかだな。ちいまるは?」
「俺は、六度三くらい」
「低いな。外出てねぇからか?」
(全然意味変わんないんだけど)
そう、こいつの言ってることは時々マジで意味わかんない。
だがこんなくだらない会話の最中も〝恋愛対象として好き〟と自覚してしまったからか、俺の心臓は激しい音を立て続けている。
(こいつに、気づかれてないといいけど……)
生暖かい夜風が、頬を優しく撫でた。
砂浜を歩き、波打ち際に架かる赤い小さな橋を渡ると、そこは昼間の賑やかさが嘘のように静まり返った『森戸神社』の境内だった。
波音だけがザザァと心地よく響き、鳥居の向こうには黒い海と、遠くに見える江ノ島の灯りがぽつんと浮かんでいる。
「いい風だな」
若月は境内の手すりに寄りかかり、潮風を気持ちよさそうに浴びた。 そしてポケットから二本の瓶ラムネを取り出すと、「やる」とそのひとつを俺に手渡してくる。
「……ありがとう」
ガラス瓶を受け取り、さっそく意を決してプラスチックのキャップを瓶口にあてた。 だが、若月と二人きりという緊張のせいか、手に余計な力が入ってしまう。
力任せにキャップを押し込むと、勢い余ってシュワッと炭酸の泡が噴き出してきた。
「うわっ、嘘だろ……っ⁉」
「おいおい、何やってんだよ! このドジ!」
手や服に泡がかかりそうになり慌てる俺に、若月があきれ顔で笑いながら、ポケットからタオルを引っ張り出して差し出してきた。
「ほら、拭けよ」
「あ、ごめん……」
恐縮しながらそのタオルを受け取った瞬間、俺の手がピタリと止まった。
使い込まれて少し柔らかくなったその生地には、見覚えのある丸っこい刺繍が入っていたのだ。
「あ、これ俺があげたやつ……」
雨の日に、お礼代わりに渡した『ちいまる』のハンドタオルだった。 あいつはそれを、今でも大切にポケットに入れて持ち歩いていてくれたのだ。
若月は少し照れくさそうに視線を泳がせると、くしゃっと前髪を掻いた。
「あ、あぁ……これ、結構肌触り良くてさ。気にいってる」
(嬉しい……)
大事に使ってくれていたという事実がたまらなく愛おしくて、胸の奥がじんわりと熱くなる。
拭き終えたタオルを返してラムネをひとくち口に含むと、ふっと会話が途切れ、急に静寂が辺りを満たした。
急に静寂が辺りを満ちた。
(あ、やばい……若月とふたりきり)
遠くでみんなの笑い声と、騒がしい音楽が聞こえる。
ようやく実感が湧いてきた。今ここにいるのは、こいつと俺だけだってこと。
「ずっと気になってた」
「え?」
聞こえてきた低く、かすれた声に俺は自然と顔を上げた。
薄暗い闇にみえたのは、若月の真剣な顔だった。
「あれから、ちいまる……元気にしてるかなって」


