◆
翌日は――しとしとと、霧雨のような雨が朝から降り続いていた。
(あぁ、もう梅雨に入るんだな)
新緑の艶が眩しかった五月は、つい最近きたばかりだと思っていたのに。
気づかぬうちに、季節は変わりゆく。
俺は、雨で濡れたアスファルトを踏みしめながら歩いていた。
本来ならそのまま駅へ向かい、塾の教室へ入るはずの時間だ。
だが、俺の足は塾とは正反対の方向の自宅へ向かっていた。
(俺、本当にバカだな)
人生で初めて、塾をサボった。
模試の成績も落ちていて、受験も迫っているのに。勉強を何よりも優先すべきなのは分かっているのに。
俺は、今日が最後になるからという理由で、若月に会うことを選んだ。
このまま会話を交わさずにお別れは、さすがに寂しい気がした。
自宅の敷地内に入ると、すでに作業音が聞こえていた。
ガンガンと金づちを叩く音や、丸鋸が木材を断ち切る鋭い音。
雨音に混ざってひっきりなしに響く工事の音は、初めこそただの騒音としか思っていなかった。
だがこんな雨の中、汗水流して仕事をまっとうしているのだと思うと、心から感謝の念が湧いてくる。
(怪我、しませんように)
俺は勉強机に向かいながら、窓の向こうに見える工事現場に視線を送った。
ただただ、奴と、工事の人が最後まで無事にいてほしいと願いながら。
「お疲れした」
挨拶を口々に、後片付けを行っている若月のもとに、俺は傘を差し、緊張しながら向かう。
若月の金髪交じりの頭髪はヘルメットをしていてあまり濡れていなかった。だが、作業着は全身びしょ濡れで、だいぶ変わっていた。
「ちいまる!」
驚いた顔の若月を見ると、動悸が激しくなる。
今から自分らしくないことをするから。
――でも、ここまできたのなら。
意を決して手に持っていたタオルを渡す。
「これ、使って」
「え……? わ、ちいまるの刺繍つき?」
「そう……若月、結構ハマってただろ」
急いで今日の学校帰り、スーパーで買ってきた。ハンドタオルだ。
何を最後の挨拶に渡したらいいのか分からなくて、ちいまるも付いていることだし、これにした。
あと、これならさり気ないだろう。俺の微かな下心は、気づかれない。
「あのさ、今までありがとう」
若月の表情が緩んだのを確信して、俺は自然と礼を口にできた。
若月は俺を見て一瞬言葉に詰まっていたが、すぐに手に持っていたタオルを見て、柔らかく目を細めた。
「ん、こちらこそ。元気でな、ちいまる」
「うん……」
次の瞬間、視線が絡んだ。
何か、言わないと。何か、言ってくれないかな。
だが、若月が親方に呼ばれたので、呆気なく再び時間が動き始めた。
「じゃあ、また」
「ん……」
若月は少しだけ寂しそうに言い残し、踵を返した。
俺はあいつが見てなんていないのに、なぜかずっと手を振り続けた。
(あぁ。寂しいな)
遠くなっていく大きな図体を追いかけたくなった。
それは、どういう意味でなのか、俺はこの時、全然分からなかった。
翌日は――しとしとと、霧雨のような雨が朝から降り続いていた。
(あぁ、もう梅雨に入るんだな)
新緑の艶が眩しかった五月は、つい最近きたばかりだと思っていたのに。
気づかぬうちに、季節は変わりゆく。
俺は、雨で濡れたアスファルトを踏みしめながら歩いていた。
本来ならそのまま駅へ向かい、塾の教室へ入るはずの時間だ。
だが、俺の足は塾とは正反対の方向の自宅へ向かっていた。
(俺、本当にバカだな)
人生で初めて、塾をサボった。
模試の成績も落ちていて、受験も迫っているのに。勉強を何よりも優先すべきなのは分かっているのに。
俺は、今日が最後になるからという理由で、若月に会うことを選んだ。
このまま会話を交わさずにお別れは、さすがに寂しい気がした。
自宅の敷地内に入ると、すでに作業音が聞こえていた。
ガンガンと金づちを叩く音や、丸鋸が木材を断ち切る鋭い音。
雨音に混ざってひっきりなしに響く工事の音は、初めこそただの騒音としか思っていなかった。
だがこんな雨の中、汗水流して仕事をまっとうしているのだと思うと、心から感謝の念が湧いてくる。
(怪我、しませんように)
俺は勉強机に向かいながら、窓の向こうに見える工事現場に視線を送った。
ただただ、奴と、工事の人が最後まで無事にいてほしいと願いながら。
「お疲れした」
挨拶を口々に、後片付けを行っている若月のもとに、俺は傘を差し、緊張しながら向かう。
若月の金髪交じりの頭髪はヘルメットをしていてあまり濡れていなかった。だが、作業着は全身びしょ濡れで、だいぶ変わっていた。
「ちいまる!」
驚いた顔の若月を見ると、動悸が激しくなる。
今から自分らしくないことをするから。
――でも、ここまできたのなら。
意を決して手に持っていたタオルを渡す。
「これ、使って」
「え……? わ、ちいまるの刺繍つき?」
「そう……若月、結構ハマってただろ」
急いで今日の学校帰り、スーパーで買ってきた。ハンドタオルだ。
何を最後の挨拶に渡したらいいのか分からなくて、ちいまるも付いていることだし、これにした。
あと、これならさり気ないだろう。俺の微かな下心は、気づかれない。
「あのさ、今までありがとう」
若月の表情が緩んだのを確信して、俺は自然と礼を口にできた。
若月は俺を見て一瞬言葉に詰まっていたが、すぐに手に持っていたタオルを見て、柔らかく目を細めた。
「ん、こちらこそ。元気でな、ちいまる」
「うん……」
次の瞬間、視線が絡んだ。
何か、言わないと。何か、言ってくれないかな。
だが、若月が親方に呼ばれたので、呆気なく再び時間が動き始めた。
「じゃあ、また」
「ん……」
若月は少しだけ寂しそうに言い残し、踵を返した。
俺はあいつが見てなんていないのに、なぜかずっと手を振り続けた。
(あぁ。寂しいな)
遠くなっていく大きな図体を追いかけたくなった。
それは、どういう意味でなのか、俺はこの時、全然分からなかった。


