偏差値70だけど、この恋むずすぎ。

 それに工事現場にいた〝若月〟にも、多少心を乱された。
 ――だが、同時に助けられてもいる。

「別に、大丈夫だよ」
 俺は短く言うと、体にへばりついていた母親を無理やり引き離した。
 俺が部屋から出て行こうとすると「待って!」と母親に呼び止められる。

「でも、工事ももうすぐ終わるから」
「え……?」

 思わず動きを止めた。

(今、なんて?)

 振り返ると、母さんは満面の笑みで言った。

「あと二日か三日だって! これからさらに勉強に集中できるからね。安心してね!」
 
 俺は母さんの返事をそこそこに、別宅に逃げた。
 バタンとドアを閉め、電気をつけないまま勢いよくベッドへと倒れ込む。

(あと三日?)

 成績がガタ落ちした今日。さらにあの騒がしい若月がいなくなると知った。

(母さんのいうように、これからは勉強に集中できるな)

 だが、なんだか物足りなさを感じるのも事実だ。
 ほんの少し、あいつの強引な図々しさに救われたからかもしれない。
 少しずつ視界がクリアになり、鮮明になっていく天井をじっと見つめた。

(つか、元々……あいつと俺とじゃ、住む世界が違いすぎるんだよ)

 世田谷の邸宅で育ちT大を目指す俺と、学歴もなく、汗にまみれて働く現場作業員の若月。
 普通に生きていれば、交わるどころか言葉を交わすことすらあり得ない。

(平穏が戻ってくる)

 そう言い聞かせ、俺は無理やり目を閉じた。

 ◆
 
 翌日――俺は重たい体を引きずりながら、学校から帰宅した。
 なんだか授業にも集中できなかった。結局若月のことを考えている自分がいるのが、悔しい。
 
(このままなんとなく、さよならするのかな)

 別宅に戻る途中で、庭の足場で作業をしている若月を見つける。
 作業着の腕を捲り上げ、汗を光らせている姿を見た瞬間、いつもより心臓が緊張で跳ね上がった。
 吸い寄せられるように、俺は足場の近くへと歩み寄った。

「あ、ちいまる」

 若月は俺を見つけてすぐ、にこっと爽やかな笑顔を向けてきた。
 俺の気持ちは昨晩から曇りみたいだったのに、こいつの笑顔を見たら少しだけ晴れ間が見えたような気がした。

「……あの、さ。そろそろ、工事終わるんだって?」

 木材を抱えていた若月が足を止め、汗を拭いながら俺を見下ろした。

「ん? ああ、まあな。外回りの補修は今日明日で終わりだ」
「……そっか」

 そっけない返事しかできない俺に、上から親方の「おい隆太、こっち手伝え!」というドスの利いた声が飛んだ。

「うす、今行きます!」

 元気よく返事をした若月が足場を登ろうとした時、俺は思わず引き留めていた。

「まだなんか用?」

 いらついた顔で振り返った若月に一瞬ひるみそうになるも、俺は必死でその綺麗な瞳を見つめた。

「あのさ……作業、見てもいいか?」
「は?」

 若月はわずかに目を見開いた。
 いつもなら挨拶も早々に自室へ逃げ帰る俺からの要望だ。無理もない。

「なんで? お前、大工仕事なんか興味ねぇだろ」
「……ただ単に、最後だからだよ」

 自分でもうまく説明できなかった。
 毎日顔を合わせ、自室にまで上がり込んでくる間柄になったのに、俺はこいつのことを何一つ知らない気がしたのだ。
 こいつが一体どんな風に働き、どんな顔をして仕事をしているのか――純粋に、見てみたかった。
 若月はぽりぽりと頭を掻くと、「親方に聞いてみるわ」と言って足場を上がっていき、すぐに「安全な場所からなら見てていいってさ」と降りてきた。

「まあ、大したことはやってねぇけどな」

 少し照れ臭そうな表情で顔で、少し笑ってしまう。
 そんな若月だったが、いざ作業に戻った瞬間、表情が変わった。
 そこにいたのは、部屋でふざけていたいつもの若月ではない。。

 重い資材を軽々と扱い、ノミや金づちを迷いなく振るっていく。
 真剣そのものの鋭い眼光、日焼けした肌を流れる汗はどこか色っぽい。
 しなやかで力強い筋肉の動きを、俺は思わず目で追った。

(やば。すご……)

 ただただ机に向かって勉強してきた俺とは全く違う。
 若月は若いながらにして、自分の手で一から物を作り上げる、プロの職人だった。
 作業が一区切りついたのか、若月が汗を拭いながら俺のもとへ降りてきた。

「なんだよ、そんなにじっと見て。……お前もやってみるか?」
「え、俺が?」

若月はニッと笑うと、自分が使っていた金づちを俺の手に握らせてくれた。年季の入った金づちは、やっぱり驚くほど重い。

「ほら、ここ押さえてっから。この釘、頭まで叩き込んでみろ」