(あと三日?)
成績がガタ落ちした今日。さらにあの騒がしい若月がいなくなると知った。
(母さんのいうように、これからは勉強に集中できるな)
だが、なんだか物足りなさを感じるのも事実だ。
ほんの少し、あいつの強引な図々しさに救われたからかもしれない。
少しずつ視界がクリアになり、鮮明になっていく天井をじっと見つめた。
(つか、元々……あいつと俺とじゃ、住む世界が違いすぎるんだよ)
世田谷の邸宅で育ちT大を目指す俺と、学歴もなく、汗と油に塗れて働く現場作業員の若月。
普通に生きていれば、交わるどころか言葉を交わすことすらあり得ない。
(平穏が戻ってくる)
そう言い聞かせ、俺は無理やり目を閉じた。
翌日。
学校が終わって敷地内に入ると、庭の足場で作業をしている若月の姿があった。
作業着の腕を捲り上げ、汗を光らせている姿を見た瞬間、いつもより心臓が緊張で跳ね上がった。
吸い寄せられるように、俺は足場の近くへと歩み寄った。
「あ、ちいまる」
若月は俺を見つけてすぐ、奴はにこっと爽やかな笑顔を向けた。
俺の気持ちは昨晩から曇りみたいだったのに、こいつの笑顔を見たら少しだけ晴れ間が見えたような気がした。
「……あの、さ。そろそろ、工事終わるんだって?」
木材を抱えていた若月が足を止め、汗を拭いながら俺を見下ろした。
「ん? ああ、まあな。外回りの補修は今日明日で終わりだ」
「……そっか」
そっけない返事しかできない俺に、上から親方の「おい隆太、こっち手伝え!」というドスの利いた声が飛んだ。
「うす、今行きます!」
元気よく返事をした若月が足場を登ろうとした時、俺は思わず引き留めていた。
「まだなんか用?」
いらついた顔で振り返った若月に一瞬ひるみそうになるも、俺は必死でその綺麗な瞳を見つめた。
「あのさ……作業、見てもいいか?」
「は?」
若月はわずかに目を見開いた。
いつもなら挨拶も早々に自室へ逃げ帰る俺からの要望だ。無理もない。
「なんで? お前、大工仕事なんか興味ねぇだろ」
「……ただ単に、最後だからだよ」
自分でもうまく説明できなかった。
毎日顔を合わせ、自室にまで上がり込んでくる間柄になったのに、俺はこいつのことを何一つ知らない気がしたのだ。
こいつが一体どんな風に働き、どんな顔をして仕事をしているのか――純粋に、見てみたかった。
若月はぽりぽりと頭を掻くと、「親方に聞いてみるわ」と言って足場を上がっていき、すぐに「安全な場所からなら見てていいってさ」と降りてきた。
「まあ、大したことはやってねぇけどな」
少し照れ臭そうな表情で顔で、少し笑ってしまう。
そんな若月だったが、いざ作業に戻った瞬間、表情が変わった。
そこにいたのは、部屋でふざけていたいつもの若月ではない。。
重い資材を軽々と扱い、ノミや金づちを迷いなく振るっていく。
真剣そのものの鋭い眼光、日焼けした肌を流れる汗はどこか色っぽい。
しなやかで力強い筋肉の動きを、俺は思わず目で追った。
(やば。すご……)
ただただ机に向かって勉強してきた俺とは全く違う。
若月は若いながらにして、自分の手で一から物を作り上げる、プロの職人だった。
作業が一区切りついたのか、若月が汗を拭いながら俺のもとへ降りてきた。
「なんだよ、そんなにじっと見て。……お前もやってみるか?」
「え、俺が?」
若月はニッと笑うと、自分が使っていた金づちを俺の手に握らせてくれた。年季の入った金づちは、やっぱり驚くほど重い。
「ほら、ここ押さえてっから。この釘、頭まで叩き込んでみろ」
若月が太い杉材に添え木をして固定してくれる。
俺は教えられた通り、ぎこちない手つきで金づちを振り下ろした。
カーン、カーン!と、軽い音が響く。
若月が打ち付けたときの音は、もっと重厚な音だった。
その差がめっちゃ恥ずかしい。
だが、奴が真剣な表情のままだったので、俺はぐっと羞恥心に耐えながら釘を打ち続けた。
少し曲がりながらだが、釘が少しずつ木材の中にめり込んでいく。
最後のひと叩きで平らになった瞬間、自然と笑顔がこぼれた。
「できた……!」
「おう、筋いいじゃん!」
若月がポンと俺の頭を撫でたその瞬間。
ずっと俺の心にへばりついていた重たい感情が全部吹き飛んで、俺は自分でも分かるくらい満面の笑みを浮かべた。
「意外と楽しいな……!」
だが、そんな俺とは違い、若月はこちらを見て固まってしまった。


