偏差値70のイレギュラーな恋


(あと三日?)

 成績がガタ落ちした今日。さらにあの騒がしい若月がいなくなると知った。

(母さんのいうように、これからは勉強に集中できるな)

 だが、なんだか物足りなさを感じるのも事実だ。
 ほんの少し、あいつの強引な図々しさに救われたからかもしれない。
 少しずつ視界がクリアになり、鮮明になっていく天井をじっと見つめた。

(つか、元々……あいつと俺とじゃ、住む世界が違いすぎるんだよ)

 世田谷の邸宅で育ちT大を目指す俺と、学歴もなく、汗と油に塗れて働く現場作業員の若月。
 普通に生きていれば、交わるどころか言葉を交わすことすらあり得ない。

(平穏が戻ってくる)

 そう言い聞かせ、俺は無理やり目を閉じた。

 翌日。
 学校が終わって敷地内に入ると、庭の足場で作業をしている若月の姿があった。
 作業着の腕を捲り上げ、汗を光らせている姿を見た瞬間、いつもより心臓が緊張で跳ね上がった。
 吸い寄せられるように、俺は足場の近くへと歩み寄った。

「あ、ちいまる」

 若月は俺を見つけてすぐ、奴はにこっと爽やかな笑顔を向けた。
 俺の気持ちは昨晩から曇りみたいだったのに、こいつの笑顔を見たら少しだけ晴れ間が見えたような気がした。

「……あの、さ。そろそろ、工事終わるんだって?」

 木材を抱えていた若月が足を止め、汗を拭いながら俺を見下ろした。

「ん? ああ、まあな。外回りの補修は今日明日で終わりだ」
「……そっか」

 そっけない返事しかできない俺に、上から親方の「おい隆太、こっち手伝え!」というドスの利いた声が飛んだ。

「うす、今行きます!」

 元気よく返事をした若月が足場を登ろうとした時、俺は思わず引き留めていた。

「まだなんか用?」

 いらついた顔で振り返った若月に一瞬ひるみそうになるも、俺は必死でその綺麗な瞳を見つめた。

「あのさ……作業、見てもいいか?」
「は?」

 若月はわずかに目を見開いた。
 いつもなら挨拶も早々に自室へ逃げ帰る俺からの要望だ。無理もない。

「なんで? お前、大工仕事なんか興味ねぇだろ」
「……ただ単に、最後だからだよ」

 自分でもうまく説明できなかった。
 毎日顔を合わせ、自室にまで上がり込んでくる間柄になったのに、俺はこいつのことを何一つ知らない気がしたのだ。
 こいつが一体どんな風に働き、どんな顔をして仕事をしているのか――純粋に、見てみたかった。
 若月はぽりぽりと頭を掻くと、「親方に聞いてみるわ」と言って足場を上がっていき、すぐに「安全な場所からなら見てていいってさ」と降りてきた。

「まあ、大したことはやってねぇけどな」

 少し照れ臭そうな表情で顔で、少し笑ってしまう。
 そんな若月だったが、いざ作業に戻った瞬間、表情が変わった。
 そこにいたのは、部屋でふざけていたいつもの若月ではない。。

 重い資材を軽々と扱い、ノミや金づちを迷いなく振るっていく。
 真剣そのものの鋭い眼光、日焼けした肌を流れる汗はどこか色っぽい。
 しなやかで力強い筋肉の動きを、俺は思わず目で追った。

(やば。すご……)

 ただただ机に向かって勉強してきた俺とは全く違う。
 若月は若いながらにして、自分の手で一から物を作り上げる、プロの職人だった。
 作業が一区切りついたのか、若月が汗を拭いながら俺のもとへ降りてきた。

「なんだよ、そんなにじっと見て。……お前もやってみるか?」
「え、俺が?」

若月はニッと笑うと、自分が使っていた金づちを俺の手に握らせてくれた。年季の入った金づちは、やっぱり驚くほど重い。

「ほら、ここ押さえてっから。この釘、頭まで叩き込んでみろ」

 若月が太い杉材に添え木をして固定してくれる。
 俺は教えられた通り、ぎこちない手つきで金づちを振り下ろした。
 カーン、カーン!と、軽い音が響く。

 若月が打ち付けたときの音は、もっと重厚な音だった。
 その差がめっちゃ恥ずかしい。
 だが、奴が真剣な表情のままだったので、俺はぐっと羞恥心に耐えながら釘を打ち続けた。
 少し曲がりながらだが、釘が少しずつ木材の中にめり込んでいく。
 最後のひと叩きで平らになった瞬間、自然と笑顔がこぼれた。

「できた……!」
「おう、筋いいじゃん!」

 若月がポンと俺の頭を撫でたその瞬間。
 ずっと俺の心にへばりついていた重たい感情が全部吹き飛んで、俺は自分でも分かるくらい満面の笑みを浮かべた。

「意外と楽しいな……!」

 だが、そんな俺とは違い、若月はこちらを見て固まってしまった。