◆不法侵入者
「ねぇ、かずくん。そろそろお昼にしよー?」
「んー?」
気のない返事とともに、目の前にいる小人――朔の身体を、俺は優しく包み込んだ。
「もぉ、また栄養補給?」
「そ、栄養補給」
後ろから抱きかかえた直後に、むぅ、とむくれた顔で朔はこちらを振り返る。
大きくて、水分たっぷりの大きな瞳。ツンとした鼻先が特徴の、綺麗な鼻。リップでしっかりケアされたぷっくりとした唇。
近所に住んでいる幼馴染の朔は俺とおんなじ高校三年生なのだが、身長が低く小柄ということもあって、実年齢より遥かに幼く見える。
(唇柔らかそう。ちゅーしたらどうなるんだろう)
そんなふしだらな考えを頭の端に抱えながら、俺はローズの香りが心地いい、朔の頭に頬を擦り付けた。
この通り、俺は朔が一番大好きだ。
友人としても、そして〝好きな人〟としても。
「今日は小松菜のお浸しに、ニンジンのシリシリも作ってみたんだ! かずくんも気にいってくれるといーな!」
「当たり前じゃん、朔が作ったものは全部大好き」
「えへへ」
自分でも、ちょっと飛ばしすぎたか?と思うセリフも、朔はいつも通り受け流してくれる。そこでホッとする自分もいるのだが、同時にちょっとくらい動揺してくれてもいいのに……と残念な気持ちにもなったりする。
まぁ、そんなことは怖くて言えないのだが。
そのままじっと抱きしめながら朔が楽しく通っている料理の話を聞いていると、突然ふっと朔が話すのを辞めた。
「あのさ、かずくん……ちょっと話があるんだけど」
「ん? どうした?」
いつになく朔の真剣な声のトーンに、只ならぬ気配を感じた。
振り返った朔の頬がほんのりの赤らんでいる。
(え……?)
どくっと心臓が跳ね上がった。ちゃんと目を合わせると、朔の潤んだ瞳が怯えるように揺らいだ。
俺は咄嗟に、喉を上下させた。
あまりに、朔が可愛い表情をしていた。なんというか、色っぽいというのだろうか、それとも艶めかしい、というのだろうか。あれ?意味は同じ?
俺の思考が、完全に鈍った瞬間だった。
(あぁヤバイ。このまま押し倒して、めちゃくちゃにキスしたい)
「あのさ、僕――……!」
朔が勇気を出して口を開いたその瞬間――。
ピリリリ!とけたたましい着信音が、重い空気を切り裂いた。
「あッ、僕のスマホだ!」
朔は呆気なく俺の視界から消えて、テーブルの上に置いてあったスマホに飛びついた。そして画面を確認するなり、今度は深刻そうな表情で顔をしかめた。
でもなぜか、電話には出ない。
「朔、大丈夫?」
「……あ、ごめん! 僕、ちょっと用事忘れてたみたい。今すぐ家に帰らなくちゃっ……また、問題分からない箇所があったら、ラインかなんか送ってくれればいいから」
朔は心配した俺に取り繕った笑顔を向けて、早口でまくし立てる。
「ん、了解。弁当もありがと」
「どういたしまして!」
そう元気に言い残すと、ほんの一瞬で散らばっていた荷物をまとめ、朔は部屋から出て行ってしまった。
しん、と静まり返った部屋を見渡して、はぁ――と深いため息を漏らす。
「……朔、どーしたんだろう」
空しい独り言を履き、ごろん、とその場に寝転がる。
何か、様子がおかしかった。
あんな色っぽい表情で俺を見つめて、一体何を言うつもりだったんだ?
もしかして、俺と同じように〝好き〟だと――溢れる気持ちを伝えたくなったのか。
「んなわけ、ねーだろ」
でも、そうであったら最高だと思っていたら、自然と顔がにやけた。
朔とは物心ついたときから友達だ。
東京都世田谷区の某一等地に住む俺らは、高所得の両親のもとに生まれ、自然と英才教育を受けさせられた。
幼稚園、小学校、中学校とエスカレーター式の学校を受験し、ふたりとも合格した。
幼少期から出来がよかった俺たちは英語はペラペラだし、塾やら習い事もかけもちして過ごしていた。
そんな境遇も一緒で、家も近くて、性格もクールに見られる俺と人懐っこい朔は相性がよかった。
というより、朔が誰からも好かれる優しくて活発な性格だからというのもあるのかもしれない。
長い年月、家族ぐるみで楽しい学校生活を送っていたのだが、朔が東大を目指すことになり、高校から共学の学校へと編入してしまってから、少しだけふたりの関係が変わった。
朔が『東大に行きたい』と言い出した時、真っ先に頭に浮かんだのは『同じ大学に行きたい』という一心だった。
正直、当時の俺の学力からすれば東大なんてかなりハードモードだったのだが、朔と離れたくない一心で死ぬ気で勉強した。
その甲斐あって、今のところ模試ではなんとかA判定をキープできている。
「朔――!」
こうやって昔みたいに一緒に遊んだり、勉強したりはするのだが、朔は新しい高校で友達ができ、本格的な料理教室に通い始めて、付き合いの幅が広がった。
俺が知らない朔が、どんどんできてしまうのが悲しくて、同時に、悔しくなった。
朔の一番でいたい、という自分の隠れていた感情に気づいてしまったのだ。
初めは友情の延長線上にある嫉妬だと思っていたのだが、多分違う。
朔と会えない時間が長くなるほど会いたくなるし、寂しいと感じる。
朔が笑うと、可愛いと思うのと同時に愛おしくなる。
自分にないものを持っている朔を羨ましいというよりも、素敵だと思う。
だからこそ、昔から朔は宝物なんだ。誰にもとられたくない。
俺は視線の先にあるクッションをじっと見つめ、少し考えてから顔を思いっきりそれに押し付けた。
(あー……超いい匂い)
朔が勉強の時に、抱きしめていたクッション。
まだ、甘い香りがしっかり残っている。
もうこのまま、この空気をジップロックに保存したい。
というか、朔の体臭の香水を、誰か作ってくれ!
一生分、購入する! 約束する!
バカな妄想をして、居ても立ってもいられなくなった俺は、クッションを抱きしめながらごろごろと部屋を回転していると、勢いよく壁に頭をぶつけた。
「ったぁ……」
衝突した衝撃で体が跳ね返り、自然と視線が窓へ向く。
その瞬間、雷が落ちたように、俺はその場に固まった。
「…………」
「うわぁああああ――!」
状況を察した俺は、気づいたら大声で叫んでいた。
窓の向こうに、巨人が立っている。
しかも、ツーブロックの刈り上げに、金髪。筋肉がムキムキの屈強な体躯。
茫然とする俺を見て、巨人はクッと唇の端を上げて笑った。
(あ……?)
巨人は何も言わず去っていく。
あいつは誰。なんでうちの敷地内にあんな柄の悪い男がいる?
「待て、このぉ……!」
バクバクと心臓が暴れているのを感じながら、俺は咄嗟に上体を起こした。
近くにあった教科書を急いで丸め、わざとらしく怖い顔を作って見せる。
(絶対、捕まえてやる!)
恥ずかしい姿を見られたとか、今は関係ない。
漢たるもの、不法侵入者をただで見逃すわけにはいかない。
俺は部屋のドアを勢いよく開け、中庭を歩く巨人に向かって「待て!」と声を張り上げた。
「ん?」
「お前、泥棒か! 警察に突き出してやる」
ガチガチと歯を慣らしながら、足を止めこちらを振り返った強面の巨人を思い切って睨んだ。
さっきはちゃんと確認できなかったが、タンクトップから伸びている太い腕には和彫りが掘ってある。
ひえぇえ……!と叫びそうになるのを必死に耐えていると、巨人はふっと表情を緩めた。
「あぁ、すんません。俺、親方に挨拶頼まれて、離れに住む息子さんに会いに行ったんですけど、広すぎて迷っちゃって」
「挨拶……?」
全く予想してなかった話に、目が点になる。
すると巨人は、しっかりと俺に向き合った。
「明後日から家の外装と、修繕工事を請け負うことになりました木原工の者です。ちょっとうるさくなっちゃうかもしれないですが、申し訳ありません」
思いのほかしっかりとした挨拶に拍子抜けする。
(家に工事が入るってこと?)
ようやく状況を把握したタイミングで、巨人の背後から「若月! いた!」と大きな声が聞こえてきた。
遅れてやってきたのは、見た目が四十くらいの作業服を着た屈強な男性。
「どこほっつき歩いてたんだ!」
そう言って巨人の頭をぐいっと俺に向かって下げさせる。
「本宅の方には挨拶させてもらってたんですが、息子さんにご挨拶できてなくてすみませんでしたッ」
巨人の頭を下げさせたまま、男性は申し訳なさそうな表情で告げる。
「い、いえ。別に」
俺がそう言うと、男性は一礼した後巨人の腕を掴んでさっさと駐車場へと歩き出した。
なんとなくそちらを見ていると、軽トラに乗る直前に巨人は一瞬、俺の方を見る。
「は?」
あろうことか、またこちらを見て笑っていた。
あの窓の向こうで俺を見たときと同じ、何かを含みを持たせるような笑い。
「あいつ、何」
かっと頬が熱くなる。
きっと、あの巨人――若月と呼ばれていた男は、俺と朔が過ごしていたのを見たに違いない。
大切に、秘密にしていた、俺の朔への気持ち。
ふたりだけの、大切な時間。
それが見ず知らずの柄の悪い男の話のネタになるなんて、考えただけで虫唾が走った。


