偏差値70だけど、この恋むずすぎ。



「ねぇ、かずくん。そろそろお昼にしよー?」
「んー?」

 気のない返事とともに、目の前の華奢な身体を、俺は優しく包み込んだ。

「もぉ、また栄養補給?」
「そ、栄養補給」

 後ろから抱きかかえた直後に、むぅ、とむくれた顔で朔はこちらを振り返る。
 俺を見つめる大きくて、水分たっぷりの大きな瞳。ツンとした鼻先が特徴の、綺麗な鼻。リップでしっかりケアされたぷっくりとした唇。
 この誰が見てもアイドルみたいに可愛い男の子は、俺の自慢の恋人――朔という。
 
 俺は咄嗟に、喉を上下させた。
 あまりに、朔が可愛い表情をしていた。なんというか、色っぽいというのだろうか、それとも艶めかしい、というのだろうか。あれ?意味は同じ?
 俺の思考が、完全に鈍った瞬間だった。

(あぁヤバイ。このまま押し倒して、めちゃくちゃにキスしたい……)

 俺たちは昔から近所に住んでいて幼馴染。
 年齢もおんなじで、この春高校三年生。
 俺は身長が百七十五センチあって高めだが、朔はギリ百七十センチなくて、弟に見られるときもある。
 ちょっと嫌だけど、男同士で寄り添って歩いてていても兄弟だと思われれば、皆、変な目では見てこない。
 これでもいいか、と思っていた。
 
(あーちっさい唇。ちゅーしたいなぁ)

 そんなふしだらな考えを頭の端に抱えながら、俺はローズの香りが心地いい、朔の頭に頬を擦り付けた。
 この通り、俺は朔が世界で一番大好き。
 父さんよりも、母さんよりも。俺を一番分かってくれているのは、昔から紛れもなく朔だから。

「今日は小松菜のお浸しに、ニンジンのシリシリも作ってみたんだ! かずくんも気にいってくれるといーな!」
「当たり前じゃん、朔が作ったものは全部大好き」
「えへへ」

 自分でも、飛ばしすぎたか?と思うセリフも、朔はいつも通り受け流してくれる。そこでホッとする自分もいるのだが、同時にちょっとくらい動揺してくれてもいいのに……と残念な気持ちにもなったりする。
 そのままじっと抱きしめながら朔が楽しく通っている料理の話を聞いていると、突然ふっと会話が止んだ。

「あのさ、かずくん……ちょっと話があるんだけど」
「ん? どうした?」

 いつになく朔の真剣な声のトーンに、只ならぬ気配を感じた。
 振り返った朔の顔は気まずそうな顔をしている。
 
(え……?)
 
「あのさ、僕――……!」

 朔が意を決した様子で、口を開いたその瞬間――。
 ブーブーと激しいバイブ音が、重い空気を切り裂いた。

「あッ、僕のスマホだ!」

 朔は呆気なく俺の視界から消えて、テーブルの上に置いてあったスマホに飛びついた。そして画面を確認するなり、今度はぱっと顔が明るくなった。
 でもなぜか、電話には出ない。

「朔、大丈夫?」
「……あ、ごめん! 僕、ちょっと用事忘れてたみたい。今すぐ家に帰らなくちゃっ……また、問題分からない箇所があったら、ラインかなんか送ってくれればいいから」

 朔は心配した俺に取り繕った笑顔を向けて、早口でまくし立てる。

「ん、了解。弁当もありがと」
「どういたしまして! あ……かずくん」

 何かを思い出したように動きを止めた朔は、突然俺の襟元を両手でぎゅっと掴んで引き寄せてきた。

「んっ……」

 ふわ、と柔らかい唇に口を塞がれた。
 息が、止まった。
 あまりにも甘くていい香りに包まれて、天にも昇るような気分だった。

「じゃ、僕行くね!」
「う、うん」

 そう元気に言い残すと、ほんの一瞬で散らばっていた荷物をまとめ、朔は部屋から出て行ってしまった。
 しん、と静まり返った部屋を見渡して、はぁ……と深いため息を漏らす。
 
 俺の家――百瀬家は、世田谷区成城学園前の高級住宅街の中でも、頭ひとつ抜けた大豪邸だ。
 父親は不動産会社の社長で海外を飛び回り、母親は脳神経外科医で家に帰ってくるのは二日に一回。
 由緒正しい家柄ゆえに幼少期から英才教育を叩き込まれてきたが、両親は自分のことで手一杯だった。
 正直――受験勉強を名目に与えられたこの離れも、『あとは好きなようにして』という、形を変えたネグレクトなんじゃないかと思っている。
 だからこそ、幼い頃から寄り添ってくれた朔は、俺にとって家族以上の宝物なのだ。 誰にも、取られたくない。

「……朔ともっとちゅーしたいい……」

 あぁ、俺マジキモイ。誰にも聞かせられない。でも切実な本音でもある。
 朔とこんな関係になれるなんて、正直半年前の俺は思っていなかった。

 朔と俺は、幼稚園、小学校、中学校とエスカレーター式の同じ学校を受験し、ふたりとも合格した。
 そんな境遇も一緒で、家も近くて、性格もクールに見られる俺と人懐っこい朔は相性がよくて、しょっちゅう遊んでいた。
 だが朔が、もっと勉強を頑張りたいという理由で高校から共学の学校へと編入してしまってから、少しだけふたりの関係が変わった。

 あまり会えない日々が続き、寂しさのあまり俺は朔に「ずっと一緒に居たい」と口を滑らせた。
 そしたら朔も「僕も」といって、流れでキス……そこからは箸が転がるような速さで関係を深めていき、俺たちは恋人になった。
 
 だがすべてが順調とはいいがたい。
 両親ともに、東大出身ということもあり、俺は幼少期から絶対のレールから外れることは許されなかった。
 俺に親の期待を裏切るなんて、勇気のあることはできず、ずっと必死でくらいついてきた。
 なんとか東大の模試はA判定をもらい続けていたが、朔と付き合い始めて緩やかに成績が下降している。
 先日ついにB判定を受け、母親はショックを受けているようだった。
 勉強より朔のことを考える時間が増えたのは、自覚している。
 朔は新しい高校で友達ができ、本格的な料理教室に通い始めて、付き合いの幅が広がった。
 
俺が知らない朔が、どんどんできてしまうのが悲しくて、同時に、悔しくなった。
 朔の一番でいたい、という自分の隠れていた感情に気づいてしまったのだ。
 会えない時間が長くなるほど会いたくなるし、寂しいと感じる。
 朔が笑うと、狂おしいほど愛おしくなる。
 
 幸せだが、苦しかった。
 
 ふと視界の端に、過去問の山が目に入る。
 ただひとりで別宅に隔離されてるこの状況。
 もし朔がいなかったら、俺はまともな精神を保てていたのだろうか。
 いつだって朔の明るい笑顔に、俺は助けられて来たし、今この瞬間だってそうだ。
 
 俺は視線の先にあるクッションをじっと見つめ、少し考えてから顔を思いっきりそれに押し付けた。

(あー……超いい匂い)

 朔が勉強の時に、抱きしめていたクッション。
 まだ、甘い香りがしっかり残っている。
 もうこのまま、この空気をジップロックに保存したい。
 というか、朔の体臭の香水を、誰か作ってくれ!
 一生分、購入する! 約束する!
 
 バカな妄想をして、居ても立ってもいられなくなった俺は、クッションを抱きしめながらごろごろと部屋を回転していると、勢いよく壁に頭をぶつけた。

「ったぁ……」

 衝突した衝撃で体が跳ね返り、自然と視線が庭に面した大きな窓へ向く。
 その瞬間、雷が落ちたように、俺はその場に固まった。

「…………」
「うわぁああああ――!」

 気づいたら大声で叫んでいた。
 ガラス一枚隔てた庭の目と鼻の先に、見上げるような巨人が立っている。
 しかも、ツーブロックの刈り上げに、金髪。筋肉がムキムキの屈強な体躯。
 茫然とする俺を見て、巨人はクッと唇の端を上げて笑った。

(あ……?)

 巨人は何も言わず去っていく。
 あいつは誰。なんでうちの敷地内にあんな柄の悪い男がいる?

「待て、このぉ……!」

 バクバクと心臓が暴れているのを感じながら、俺は咄嗟に上体を起こした。
 近くにあった教科書を急いで丸め、わざとらしく怖い顔を作って見せる。

(絶対、捕まえてやる!)

 恥ずかしい姿を見られたとか、今は関係ない。
 漢たるもの、不法侵入者をただで見逃すわけにはいかない。
 俺は部屋のドアを勢いよく開け、中庭を歩く巨人に向かって「待て!」と声を張り上げた。

「ん?」
「お前、泥棒か! 警察に突き出してやる」

 ガチガチと歯を鳴らしながら、足を止めこちらを振り返った強面の巨人を思い切って睨んだ。
 さっきはちゃんと確認できなかったが、タンクトップから伸びている太い腕には和彫り。
 ひえぇえ……!と叫びそうになるのを必死に耐えていると、巨人はふっと表情を緩めた。

「あぁ、すんませーん。俺、親方に挨拶頼まれて、離れに住む息子さんに会いに行ったんですけど、広すぎて迷っちゃって」
「挨拶……?」

 全く予想してなかった話に、目が点になる。
 すると巨人は、しっかりと俺に向き合った。

「明後日から家の外壁工事に入らせてもらう、木原工務店の若月(わかつき)です。親方に離れに住んでる息子さんにも挨拶して来いって言われて……しばらくデカい音だして迷惑かけちゃいますが、すいません」

 タメ語が混雑した挨拶に、がくっと肩を落とす。

(と、とりあえず家に工事が入るってことか……)

 ようやく状況を把握したタイミングで、巨人の背後から「若月! いた!」と大きな声が聞こえてきた。
 遅れてやってきたのは、見た目が四十くらいの作業服を着た屈強な男性。

「どこほっつき歩いてたんだ!」

 そう言って巨人の頭をぐいっと俺に向かって下げさせる。

「母屋の方には挨拶させてもらってたんですが、息子さんにご挨拶できてなくてすみませんでしたっ!」

 巨人の頭を下げさせたまま、男性は申し訳なさそうな表情で告げる。

「い、いえ。別に」

 俺がそう言うと、男性は一礼した後巨人の腕を掴んでさっさと駐車場へと歩き出した。
 なんとなくそちらを見ていると、軽トラに乗る直前に巨人は一瞬、俺の方を見る。

「は?」
 
あろうことか、またこちらを見て笑っていた。
 あの窓の向こうで俺を見たときと同じ、何かを含みを持たせるような笑い。

「あの男、何」

 かっと頬が熱くなる。
 きっと、あの巨人――若月と呼ばれていた男は、俺と朔が過ごしていたのを見たに違いない。
 朔への溢れる気持ち。ふたりだけの、秘密の時間。
 それが見ず知らずの柄の悪い男の格好のネタになるなんて、考えただけで虫唾が走った。