【完結】心音を届けたくて

 夏祭りの会場である河川敷はすでに多くの人間でごった返していた。
 辺りには花火を待ち遠しくしているのかレジャーシートを敷いて場所取りをしている人の他にカランカランと下駄の音を奏でながら浴衣姿で歩く人も居る。一人で祭りに来ている者もいれば、家族連れで来ている者も、カップルで来ている者も居る。
 そんな祭りを楽しんでいる人を囲んでいるのは焼きそばや焼きトウモロコシなどの屋台の匂いだ。
 普段は暗いはずの河川敷にたくさんのランプが設置され、夜でありながら地面までもがしっかりと目視することが可能なほどの光量だ。

「ずっとキョロキョロしてるけど、もしかして祭りも初めて?」

 一度家に戻り、スクールバッグを置いて財布とスマホをパンツのポケットに突っ込んだ状態でまた家を出た。
 その後凪と再度合流を果たして、現在二人はカフェの店員に教えてもらった花火大会の会場に来ている。
 かき氷だけは奢らせてもらえることとなったため、二人の目的地は一旦かき氷を販売している屋台になったわけだが、その道中の凪の挙動がおかしかったため灯花はそれとなく凪に問いかけた。
 凪は少し恥ずかしそうにしながらも「実はそうなんだよね。こんなに人って多いんだね」と祭りの雰囲気を楽しんでいた。

 ファストフード店に行ったことも無ければ、祭りにも行ったことがないとは、かなりの箱入り息子なのかもしれないと感じた灯花であったがそれと同時に、ではなぜ今は許可されているのかが途端に気になり始めた。
 凪の話を聞くににアルバイトをしているような雰囲気は感じなかったため、おそらくお小遣いなのだろうが、先ほどのカフェではドリンクのおかわりをしたとはいえ、二人で五千円をギリギリ超えないくらいのお会計を躊躇うことなく支払いを済ませているところを見るに、裕福な家庭であることが伺える。
 そんな家庭で育ったであろう凪が、このタイミングで転校をしてきて、このタイミングでファストフードや祭りに行ったり、日中の散歩や筋トレを始めるに至った心境の変化というのにひどく興味を惹かれる。
 だが、灯花はそれを聞こうとはしない。
 先ほどカフェで灯花が自分の身の上話を凪にしたように、時が来たらこちらが問いかけることなく自分から話し始めてくれると考えたからだ。

「まだ入りそうならかき氷だけじゃなくて、焼きそばとかたこ焼きとか、何か祭りぽいものも買って食べるか?」
「えっと、炭火焼きと焼きいかとチョコバナナを食べてみたい!」

 凪は目を輝かせながら返事をする。
 散歩や筋トレを始めたことが影響しているのか、今までの細い凪からは想像もつかないほどの量を食べられるようになっているようで、内容を聞いた灯花は凪にバレないように財布の中身に目を向ける。
 夏という季節は関係なく、灯花の額から顎にかけてスーッと汗が流れ落ちた。ふうと息を吐くとパンツのポケットに財布を差し込む。

「いいな。せっかくだから一通り回ってみるか!」

 灯花は財布の薄さを悟られないように、空元気に返事をする。
 先ほどカフェで家庭のお金事情を話しているのだから、凪にすでにバレているのだがおごりたいと自分から言った手前、やっぱりお金がないなどとは口が裂けても言えなかった。更に言えば祭りが初めてだと語る凪に祭りを楽しんでもらいたい、という気持ちの方が大きくなり灯花は決意を固めることにした。
 両手に抱えきれないほどの屋台飯を買い込むと、二人は河川敷から少しだけ離れたテーブルや椅子のあるタイプの公園に着いた。
 場所取りをしていなかった二人に買い込んだ食べ物をゆっくりと楽しむスペースは無く、苦渋の決断で公園まで移動をした。
 この場所を選んだのは灯花であり、河川敷から離れてはいるものの、この公園からであれば花火を楽しむことができると知ってのことだ。地元でも穴場スポットなのだが、この公園から花火を見ることができることを知っている地元民が数名集まっていた。

「結局かき氷だけで、ごめん」

 花火が一緒に見えるように、向かい側ではなく一辺のベンチに横並びに座りながら灯花は凪に頭を下げる。

「え、ちょっと、止めてよ! 約束通りかき氷は買ってもらったし、僕はそれだけでも嬉しいよ! むしろ申し訳ないっていうか……」
「そう、だよな。あんな話をされたあとに奢られると気使うよな」
「そ、それはあるかもしれないけど、そうじゃなくて。こうやって宮崎くんと一緒にご飯を食べられるだけで僕は結構嬉しいんだよ」

 呆れたように微笑む凪はどこか寂しそうで、何かを思い出しているかのように見えた。
 凪は溶けてしまうからと、灯花が奢ったかき氷から手を付ける。かき氷は他の屋台飯を買い終えてから購入をしたのにもかかわらず、公園に移動するときにはすでに溶け始めており、専用のストローを動かすと聞こえてくる音はジャリジャリと氷だけの音だけではなく、シャバシャバとした水も入り混じっているようにも聞こえた。
 凪が注文したかき氷はブルーハワイで、ブルーハワイって何味なんだろうと呟きながらストローで掬って口元へと運ぶ。かき氷だからか、いつも通りの丁寧な食事ではあるものの咀嚼の回数は途端に少ない。感覚としては口に入れた瞬間に溶けてしまったかき氷を舌にまとわせているようなそんな食べ方だ。

「……何の味かわかんないけど美味しい! かき氷が夏祭りの定番な理由がわかる気がするよ」

 薄々感づいてはいたが、どうやら凪は夏祭りだけではなくかき氷を食べるのも初めてのようだ。凪はブルーハワイ味がどのような味か気になるのか、もう一口専用のストローで掬って運ぶ。

「興大、目を瞑って口開けてこっち見て」

 かき氷を楽しんでいる凪に灯花はそう伝えると、凪は何も疑うこと無く指示に従う。
 灯花は自分用に購入をしたいちご味のかき氷を掬って、凪の口へと運び入れた。突然かき氷を口に押し込まれたからか体を跳ねさせた。

「あれ?」

 舌で味を確かめていた凪は疑問符を口にする。目を開けて自分の持っているブルーハワイのかき氷と灯花の持っているいちごのかき氷を交互に見る。

「今どっち食べさせた?」
「実はかき氷って、味が全部一緒らしいんだよね。今食べさせたのはいちごだけど、ブルーハワイと同じだったんじゃない?」
「すごい! つまり色とか香りとかの情報で脳を騙してるのか」

 どうやら凪は灯花が思っている以上に頭が良いらしい。その証拠にクロスモーダル現象が云々とぶつぶつと呟き始めた。
 灯花の予想していた反応とは一部は合っていたものの、その後はまるで異なっていたため、なんとなく拍子抜けしてしまう。それと同時にこんなにも頭が良いのであれば親の仕事を継ぐのではなく大学進学を目指しても良いのではないかと思ってしまう。
 そのことを伝えようと言葉を紡ごうとした灯花であったが、すぐに思い留まった。灯花自身もし父親が健在であり、常にお金のことを考える必要のない環境であれば間違いなく進学することを選択していただろう、と考えたからだ。
 どんなに進学をしたかったとしても、それには家庭の都合や事情がどうしても付きまとう。本人にどうしようもないことを問いかけても仕方がないと思い、言葉にするのを躊躇った。
 灯花はふうと一息つくと、スマートフォンをパンツのポケットから取り出す。

「興大、こっち向いて舌出してみて」
「へ? こう?」

 言われた通りにする凪をパシャリとフラッシュを焚いて写真を撮る。
 スマートフォンには普段の大人びた凪とは到底思えない間抜けに舌を出した彼の姿が映し出されていた。

「見て見ろよ、舌が紫色だ」
「うわ! え、宮崎くんも舌出してよ」
「んっ」
「すっごい赤いね!」

 凪はこんな小学生の頃に誰しもが通るであろうかき氷を食べた後の定番のこともしたことがない。そんな凪のことをだんだんと愛おしいと思えてきた。
 かき氷を食べ終えると、買ってきた屋台飯に手を付けていく。
 凪はどれも新鮮味のあるリアクションで次々に口にしていく。

「宮崎くんも食べて!」
「おう」

 今度は灯花が凪に言われるがまま箸を進めていく。
 食べ勧めている最中にふと凪が呟く。

「宮崎くんは、かっこいいね」

 それに灯花はふああ? と間抜けな返事をした。それは口に食べ物が入っていたことが原因というわけではなく、そんな突拍子もないことを言われたことに対して、何かの聞き間違いではないかと思っての返事だ。
 そんな灯花の返事を聞いておきながら、凪は話すことを止めない。

「宮崎くんは、強いよ。それでいて綺麗だ」
「な、何だよ突然。おだてても何もしてやれないぞ?」
「おだててなんかないよ。僕はただ事実を述べただけ」
「どうしたんだ、急に?」

 また凪は哀愁を纏った笑みを浮かべる。

「僕は宮崎くんには、いろいろ感謝してるんだよ」

 照れたように頬を掻きながら、今度はそう呟く。
 急にどうしたんだと、若干のうろたえを感じながらも灯花は凪の顔を覗き込んだ。

「もう薄々勘づいてるとは思うけど、僕は今までいろんな経験をせずに過ごしてきたんだよね」

 語り始めた凪を灯花は優しく見守る。

「こうやって夏祭りにも行ったことなければ、花火を見たこともない。散歩だったり、筋トレだってしてこなかった。まだまだできてないことばかりだけど、宮崎くんに会ってから僕は変わったんだよ」
「……別に俺は、興大に何もしてあげれてないよ」
「ううん。宮崎くんには何もかもを貰ったんだよ。実はね」

 いたずらに微笑む凪に灯花は目を奪われた。
 その瞬間、河川敷の方向で花火が上がる。ヒューと大きな音を立てた後に夜空に広がる花弁を灯花は凪の瞳の中に見る。
 凪はゆっくりと河川敷の方角を向き、花火を見守る。まるで願い事をするかのように重ねられたその両手は、凪が今まで経験できなかったことの一つを経験できた証なのだろう思う。
 花火は留まることを知らず、大きな音を立てながら夜空に花を咲かせ続けた。夜空が色とりどりな火花で染め上げられていくと、反射して凪の顔も同じ色に染まっていく。
 灯花は花火を見ることはない。その目に映っているのは凪だけだった。

「すごい! すごいよ! 花火ってこんなにも綺麗なんだね!」

 子供のように報告をする凪は花火の合間の一瞬を狙って灯花の方に目を向ける。
 灯花と凪の目が合った。
 目に色を灯した宮崎の瞳に、微睡の中にでも居るかのような愁いと熱を帯びた灯花の瞳が近づいていく。
 灯花は寸前で目を閉じると、凪の唇に自身の唇を重ねる。
 かき氷を食べた後だからか、艶と張りを感じる両者の唇は離れるのを拒むかのように粘性を纏っていた。
 触れるだけのキスをして、灯花は離れていくと同時に目を開いていく。
 一発の花火が上がっては夜空を灯したその刹那の時間でのキスに、凪は目を見開く。夜にもかかわらず瞳孔は光を浴びたかのように開いていくのがわかる。
 灯花の目はしっかりと凪を見ており、次は目を開いたまま口を重ねる。
 端に映り込む花火に視線をずらすことはない。ただ凪だけを見つめている。
 今度はかき氷のシロップの甘さを感じられるほどの口づけをする。
 凪の瞳に映る灯花の瞳が遠ざかっていく。
 声と身体に熱を纏わせながら、自身がしでかしてしまったことに気づき、灯花はゆっくりと頭を下げた。

「……ごめん」

 呼吸を忘れてしまうほどの驚きと衝撃に襲われたままの凪は、返事ができずに灯花を見つめたままだ。
 その淡泊な謝罪が凪には、深く頭を下げているように聞こえる。

「興大が、あまりにも綺麗に見えて……。ほんとにごめん」
「き、きれい?」

 灯花の言葉を聞いた凪はやっと口を開いた。
 その口から紡がれた言葉は灯花に向けた怒りではなく、単純な問いかけだ。
 今まで綺麗という言葉を自身に投げかけられたことのない凪はその言葉の真意が気になってしょうがない。
 本来綺麗とは汚れなどが無く清潔な状態であること。もしくはそのものの形や色味が美しく整っていることを指す言葉である。人間に対して使う場合もあればそれはその人の所作や行動が美しかったり、容姿的特徴として顔のパーツが整っている際に用いることがある。
 凪は今回の場合、自分に向けられた言葉がどれに該当するのかが気になっているようだ。

「こ、興大のことを綺麗だと思ったんだ。さっき俺のことを綺麗って言っただろ? きっと興大が言った綺麗と俺の綺麗は意味が違う。キスをしたのは、凪をそういう意味で綺麗だと思ったから、です」

 徐々に不自然なほどに敬語になっていく灯花の声は自身の不安心と反比例するように小さくなる。
 凪は自身の唇に指先を当てる。まるでリップクリームでも塗るかのように下唇をなぞる。

「僕、初めてキスした」
「ごめん。本当にごめん」

 凪の言葉に灯花は謝罪を重ねる。
 気持ち悪いと言われるかもしれない。今後友達と思ってくれなくなるかもしれない。転校してすぐに自分を慕ってくれた人物をこのような形で裏切ってしまったかもしれない。もう口を聞いてくれなくなるかもしれない。
 そんな不安に一気に押しつぶされそうになる。
 それと同時に、どうして自分はここまで凪に嫌われることを恐れているのかと疑問に思う。もちろん辰之に嫌われるのも嫌だ。親友である彼とは今後ずっと友情が続くものだと思っている。しかし今凪にしたように口づけをしたいとは今後思うことはないだろう。
 つまりは辰之に抱いている感情と凪に抱いている感情は別物なのだと知る。

「好き、です」

 言葉にするとひどくしっくりきた。
 花火に目を輝かせる凪に一目惚れをしたわけではないと思う。ただ花火なんて見ずに自分だけを見てほしいと思ったわけでもない。この夏祭り中に好きになったわけではなく、今までの積み重ねでいつしか凪に対する感情に愛を覚えたのだ、と灯花は結論付けた。
 拒絶しないでほしい。否定をしないでほしいと願いながら、凪の返事を待つ。

「キスを、したいほうの好きって、こと?」
「うん」
「そっか」

 凪はゆっくりと震える灯花の手を取る。両手で包まれた右手からは灯花の脈の速さを感じる。その速すぎる脈拍は凪にとって心地が良いと感じるものであった。

「僕も、好き、です」
「……え?」
「こ、告白も初めてしました」
「え、は? え?」
「え、どうして宮崎くんが驚くのさ。宮崎くんから始めたんじゃん」
「そうなん、だけどさ。えっと、それはつまり、付き合うってこと?」

 凪はまた哀愁を纏った笑みで伝える。
「よろしくお願いします」

 灯花の心拍数はさらに跳ね上がった。