【完結】心音を届けたくて

 灯花はひどく頭を抱えていた。
 自分の部屋すらない宮崎家の狭いリビングで夏休みの宿題として出されている問題集を広げていた灯花であったが、その難しさに何度も天を仰いでいたのだ。

「マジでわっかんねぇ」

 夏休みのほとんどをバイトに費やしている灯花であるが、学生の本業は学業にあると言う店長に勉強する日と遊ぶ日は絶対に作りなさいと言われたため、こうして勉強に専念する日を設けている。
 しかし午前十時にもかかわらず、真夏日並みの気温である今日という日であっても扇風機を回すだけで、クーラーという文明の利器を使わない宮崎家はとても勉強に専念できるような環境ではない。そのせいか座っているだけなのに滝のように汗が流れ落ちていき、問題集をヨレヨレにしていく。灯花本人としては涼しい部屋で問題集を解きたいとは思っているのだが、経済的に余裕の無い宮崎家ではこの状況こそが日常的なため、不満はありつつもおかしい状況であるとは疑わなかった。

「頭も回らんって……」

 暑いという単語は家では口にしないようにしている。これは暑いと口にしまえば暑さがより増してしまうからと考えての行動なのだが、それにも限界があるようで灯花はリビングの椅子から立ち上がると洗面所に向かい、冷たい水を顔にかける。

「ああー、冷たい。気持ちいわ」

 体温が一気に下がっていく感覚を覚えた灯花は脳がすっきりしたのか、思い出したかのようにリビングに戻りスマホを手にする。
 無料でメッセージのやり取りも電話もできてしまうアプリを起動させ、交換してから一度も連絡を取っていない人物へと電話を掛ける。
 いきなり電話をしてしまって大丈夫だっただろうか、と悩むことなく相手が電話に出るのをじっと待つ。

『はい、凪です』
「おはよう興大。宮崎だけど」
『おはようございます。どうしたの?』
「興大って今暇? 俺今家で課題やってたんだけど暑すぎて、頭おかしくなりそうでさ。もしよかったら図書館とか行って、一緒に勉強しないかなって思って連絡したところ」
『確かに暑いよね。うん、いいよ。でも図書館に空いてる席あるかな? 九時に開館だよね? 夏休みは結構争奪戦のイメージがあるけど』
「たしかに……! どうしよう……」
『学校の図書室とかは開いてないの?』
「あー、開いてるだろうけど、学校入るのに制服に着替えんといけないからな」
『なるほど、それは少しめんどくさいね……。あ、カフェとかはどうかな? 勉強してもいいカフェならあるんじゃない?』
「……ごめん、俺そんなに金がないんだよね」
『僕が出すから大丈夫だよ』
「いやいや、誘ったの俺だし」
『気にしないでよ。それに僕も宮崎くんに連絡取ろうと思ってたところだったから、宮崎くんからの連絡がもう少し遅ければ、誘ってたのは僕の方だったしね』

 灯花は少し納得が言っていない様子で、スマホを肩と耳で挟みこみながらスクールバッグから自身の財布を取り出して残金を確認する。
 入っていたのは千円札一枚と、かき集めれば千円くらいにはなりそうなくらいの小銭たちだ。
 灯花は少し考えた後「……どこ集合にする?」と電話越しならギリギリ聞こえるほどの声量で申し訳なさそうに呟く。
 それを聞いた凪は少しだけ声の温度を上げ「じゃあ正午に駅前集合でどう?」と提案をする。
 正午と言うところが興大らしいな、と考えながら灯花は凪からの提案に承諾をする。
 電話を終えた灯花はリビングに広げていた課題たちを一旦閉じるとスクールバッグに投げ込むようにして入れていく。経済的に余裕の無い灯花が持っているバッグはスクールバッグか、バイトに行くときに使っている小さなボディバッグだけだ。ボディバッグには問題集を入れることはできないため、必然的にスクールバッグを使うことになる。

「一応お金下ろすか……? いや、最悪コーヒーだけ頼めばいいか」

 そう自問自答をした後に部屋着から薄手の生地の半袖とスキニーにしては少しサイズの大きいパンツに着替える。汗拭き用のマフラータオルを脱いだばかりの部屋着を洗濯機に投げ入れるタイミングで取り出すと、薄汚れたサンダルを履き、灯花はそのまま家を出た。
 凪の言う駅は学校に一番近い駅のことだろう。その駅までは最寄駅から二駅だが、それでも二、三十分ほどかかる。

「バイト用の帽子も被ってくればよかった」

 そんなことを口にする。痛みを感じるほどの強い太陽光で肌を焼きながら、灯花は早速マフラータオルで汗を拭いながら駅へと急いだ。

 灯花が駅に着くが、そこに凪の姿は見当たらなかった。
 早く着きすぎてしまったのかもしれないと、スマホで時間を確認しようとする灯花であったが、背後から突然声を掛けられ、驚きと警戒で瞬時に振り返る。

「ごめん、そんなに驚かせるつもりじゃなかったんだけど……」
「えっと、興大、だよな? 変わり過ぎじゃね?」
「そうだけど、そんなに変わったかな?」

 灯花に声を掛けた人物は凪であったが、先日の登校日に見た凪の姿とはかなり変わっていた。
 身長はそのままに、天使の輪が浮かび上がるほどの艶のある黒髪だった髪の毛は日に焼けたのか若干ではあるものの茶色に変色しており、肌の色も日焼けをした直後のように赤茶色に変わっていた。
 そして何より一番の変化は、あの触ると骨が掴めてしまう程細かった凪の腕は血管が少し浮き出ており、筋肉質に変わっていたことであった。
 登校日から十日ほどが経過していたが、この短期間で人間はここまで変われるのかと、灯花は驚きで目を見開く。

「最近は日中散歩したり、夜に筋トレしたりしてるんだよね。ご飯もファストフードの頼み方が分かったから、たくさん食べるようにしてるんだ」

 そう言って凪は灯花に微笑みかける。
 灯花も思い返してみれば、中学の夏休み前と後では身長が十センチ以上も伸びていた同級生が居たことを思い出し、まだまだ成長期である高校生には無限の可能性があるのだとしみじみ感じる。

「すげえな……。マジで分からんかったわ」
「驚かせることができたなら良かったよ」

 頬を掻きながら照れくさそうな仕草を取り、そのまま「行こうか」灯花を目的地へと案内する。

 目的地は駅から数分ほど歩いたところにあるカフェで、外観こそ古民家のようで、良く言えば安心感のある。悪く言えば古臭い感じのカフェであったが、店内はリノベーションされているのか、木々の温かみを直接感じることのできる暖色系のライトが使われている。BGMもゆったりとしたジャズが流れており、落ち着きがありつつも、趣を感じられるそんな場所だ。

「こんな所があったんだな」
「僕も散歩中に見つけたんだよね」
「てことは、興大はこの辺に住んでるのか?」

 店員に案内された席に着きながら灯花は凪に質問をぶつける。

「そうだよ」
 と軽く流し、凪はメニュー表をテーブルの中央に広げる。
「僕はアイスコーヒーにしようかな。ご飯も食べるでしょ? ここはパスタが美味しいらしいよ」
 凪はメニューに書かれているパスタの一覧を指さす。

「ほんとに美味しそうだな。でもマジでそんなに金がないからオレンジジュースだけにしようかな」

 それを聞いた凪は「もう」と少しため息交じりに怒ってみせた。そのまま凪が店員を呼び

「アイスコーヒーとオレンジジュースをお願いします。あとこのフィットチーネのカルボナーラと」
 と伝えたところで灯花の方を向く。
 凪のその目は好きなものを頼みなさい、と訴えているようにも思え、灯花はメニュー表で一番輝いて見えた生サーモンが乗っている明太クリームパスタを注文した。
 店員が注文を復唱し、問題ないことを確認すると「少々お待ちください」とだけ言い残し去っていく。

「本当にいいのか?」
「いいに決まってんじゃん」
「でも俺今から、興大に勉強教えてもらおうとしてるんだけど」
「え? うん、いいけど」
「いや、だからお礼をするのは俺の方じゃん」
「そんなの気にしないよ。お礼をしないといけないのは僕の方だからね」

 凪は少し悲しそうに目を細める。
 灯花には凪からお礼を言われるようなことをした覚えがまるでなく、頭上にはてなマークをたくさん飛ばしていたが、あまり気に留めることなくスクールバッグから問題集と筆記用具を取り出す。
 そんな灯花の姿を見てか、凪はトートバッグから一冊の本を取り出した。

「あれ? 勉強するんじゃねーの?」
「ん? あぁ僕はもう課題全部終わってるから」
「え、マジ?」
「うん、七月中には終わらせておいたよ」

 頭のいい人間というのは仕事を後回しにしない、と聞いたことがあるがどうやら本当らしいと灯花は感心したかのように何度も頷く。
 そんな行動をしたのも束の間、灯花はブンブンと首を横に振った。

「いやいや! 課題終わってるんだったら別に誘い断ってもよかったんだぞ?」
「僕も宮崎くんと遊びたかったから良いんだよ」

 凪はそれだけ告げると、文庫本を開き読書を始めた。
 十五分ほど経過したころに注文をしていたパスタとドリンクが運ばれてきた。
 二人は手を止めて、食事をすることにする。
 凪の注文したカルボナーラは大きなベーコンが散りばめられており、フィットチーネで作られた山の頂上には卵黄が載せられていた。それはメニュー表の写真通りの出来で、卵黄が黄金のように輝いて見える。湯気が立ち込めており、香りが席全体に広がっていくのがわかる。
 灯花の注文した明太クリームパスタはスープパスタかと見間違うほどになみなみにソースがかかっており、明太子一粒一粒が大きくプチプチとした触感が楽しめそうである。また生サーモンがメニュー表の写真で見たときの倍は乗っかっており「これが逆写真詐欺か」と感動したかのように言葉をこぼす。

「すごく美味しそうだね」

 凪は文庫本をテーブルの端に置く。
 灯花も同じく問題集を閉じて、出していた筆記用具をペンケースに戻すと、これをスクールバッグに押し込んだ。

「あぁ、マジで美味しそうだ」
「食べよっか」
「ん」
「いただきます」

 両手を丁寧に合わせてから右手にフォーク、左手にスプーンを持つと凪は器用にスプーンで土台を作り、その上からフォークを回してフィットチーネの束を生成する。
 そのまま口へと運ぶと幸せそうな表情を浮かべ、ほっぺが落ちないようにか、右手で頬を押さえている。一般的に想像する上品な食べ方という印象だ。
 灯花は先にフォークで生サーモンを刺すと、そのままフォークを回してフェデリーニにソースを絡める。巻き終わったところで大きな口を開けて一気に押し込む。口元を手で押さえ、相手に口の中が見えないようにした状態で「これ旨いわ」と凪に感想を伝える。
 相手に気を使いつつも、その豪快な食べ方は一緒に食べている人の食欲を湧きたてる。
 あまりの美味しさに黙々と食べ進め、ものの十分程で二人とも完食してしまった。

「ガチで美味しかったわ」
「そんなに喜んでくれるなら、散歩して見つけた甲斐があったよ。ここはパスタの他にデザートもあるみたいだから、勉強が終わったら頼もうか」

 デザートという言葉に期待を募らせて、灯花は勉強モードへと切り替えていく。
 途中何度も読書をしている凪を止めては、問題集に関する質問をした。
 かなり長い時間集中していたのか、灯花が問題集を解き終える頃には、凪は持ってきていた文庫本を読み終えており、頬杖を付きながら灯花の勉強をしているところを楽しそうに眺めていた。

「終わったあー」
「お疲れさまでした」
「いや、マジで助かった! 俺一人じゃ分からんところが多すぎて絶対に終わんなかったわ」
「そんなことないでしょ」
「いやマジだって! それに家じゃ扇風機だけだから暑すぎて勉強にならんのよ」
「え! 扇風機だけ? 熱中症で倒れちゃうよ!」
「そうだよなー。倒れたら元の子もないよな。まぁバイトとかで暑いのには慣れてるから」

 凪は少し考え込む。

「ガソリンスタンド……だっけ?」
「そう! よく覚えてたな。ずっと外にいるし夏は本当に地獄だけどそれなりにやりがいはあるし、店長も先輩も良い人ばかりだから」
「……や、辞めないの?」

 凪の顔が引き攣っている。
 先ほどまで楽しそうに灯花が勉強しているところを眺めていた人物とは別人のような表情だ。
 きっと心配してくれているのだろう、と灯花は思い、自分の気持ちを伝える。

「辞めるつもりは今のところないかな……。ちょっと暗い話をしてもいいか?」
「……うん」

 灯花は凪に承諾を得てから大きく深呼吸をした。そしてゆっくりと口を開いた。

「俺のお父さんさ、もう死んでんだよね。心臓の病気で。死んだのは去年なんだけど、それまでもずっとドナーを待っててさ。でもその待ってる間も入院費がどうしても必要になるんだよ。それにいざドナーが決まったときにすぐに手術ができるようにって、手術費用も貯めておかないといけない。でも母親の稼ぎだけじゃ入院費を払うだけでやっとでさ。手術費用も貯められないし、自分たちの食費とか生活費とかも残った分でやりくりしてたけど、限界ってもんがあるじゃん? だからバイト始めたんだよね。まぁ理由は他にもあってさ、お母さんは家でずっと笑顔なんだよ。『心配いらないよ』って言われてる感じがしてさ。結構きつくて。だからお母さんの顔を見ないためにもバイトをしてるって感じ。実は俺のバイト先の人って、このことを知っててさ、かなり良くしてもらってるんだよね。だから恩も返したいし。あとは家の近くで働けばお母さんも安心するかなって……」

 ふと顔を上げた灯花であったが、目の前に飛び込んできた光景は涙を流し、目を赤く腫らしている凪の姿であった。
 凪は涙を拭くことをせず、黙って、灯花の顔をじっと見つめている。

「ごめん! 泣かせるつもりじゃなくて」

 そう言って灯花はテーブルの上に置かれていた紙ナプキンをまるでティッシュでも取るかのように二、三枚取り出すと、席を立ち上がり向かい側に座っている凪にテーブルを乗り出すようにして手渡す。
 凪はそれを受け取ると、擦るのではなく抑えるようにして涙を拭いた。
 先ほどのカルボナーラを食べるときの仕草もそうだったが、凪の作法一つ一つには品が感じられる。そんなことを考えながらも灯花はまた新たに紙ナプキンを取ると「ごめんな」といいながら手渡し、椅子に座る。

「ううん、僕もこんなに泣いてごめん。宮崎くんも友枝さんも、ずっと大変な思いをしてきたんだね」
「大変っちゃ、大変かもね。今もお父さんの入院費を払ってるし」
「え? そうなの?」
「うん、病院側にはかなり良くしてもらっててね。入院費も分割にしてもらってたんだって、なんだか恥ずかしいね、貧乏自慢みたいになっちゃって」
「……そんなことないよ。宮崎くんはずっと辛かったんだね」

 灯花はオレンジジュースを氷同士が擦れる音が聞こえるほど飲み干すと、静かに呟く。

「辛くは、なかった……かな。いや今のは痩せ我慢だったかも。貧乏のこととか、そういうのは別に苦じゃなかったんだよ」

 凪は涙を拭き終えた紙ナプキンを小さく折りたたむ。

「そういうのはってことは、別のことは辛かったの?」

 心配そうに顔を覗き込む凪に、灯花は小さくため息を吐いた。

「俺のことをさ、可哀想な人って目で見られるのが辛かったかな」
「可哀そうな人……」

 灯花の言葉を復唱する凪の声は小さく、それでいて低い声だった。
 店内は涼しいはずなのに、凪の頬には一滴の汗が伝う。それは拭きそびれた涙だったのかもしれないが、それはもう凪本人にすら分からない。

「腫れ物を扱うみたいな感じって言うのかな。お金も無くて、父も亡くしてさ。そういう時ってそっとしておこう、みたいな空気になるだろ? 俺はそれがきつかった。時間が解決してくれるとか、接するときは気を遣おうとか、そういう周りの空気がしんどかったんだよ。でも辰之と神崎先生だけは違ったんだよね。いつも通りの接し方というか、逆に今まで以上に絡んできたり、みたいなさ」
「うん」
「それがすげー嬉しかったんだよ。きっとそれが辰之と神崎先生の優しさなんだろうけど。二人は俺がなるべく一人にならないようにしてくれてたんだと思う。特に辰之はさ、電車の中で俺を見つけると、わざわざ車両を移ってまで俺のいる車両に移動してくるんだぜ? あいつは本当に良いやつだよ」

 そう告げる灯花の表情は本当に嬉しそうに微笑んでいた。
 カランと氷の崩れる音がオレンジジュースが注がれていたグラスから聞こえる。
 ふと凪の注文したアイスコーヒーに目を向ける。氷がほぼ溶けており、コーヒーが薄まってしまったのか、その奥に置かれた文庫本のタイトルが読めるほどだ。そのタイトルは『心音を届けたくて』。著者名までは見えなかったが、タイトルからして小説だろうと灯花は予想した。
 残りのオレンジジュースを飲み干すと
「俺は結構人に恵まれてると思うんだよね。だからお世話になった人には恩を返していきたい。それもあるから返し終わったと思えるまではバイトは辞めないかな。ま、お金が必要っていうのもあるんだけどな!」
 とだけ伝えて、残っていた氷をガリガリと音を立てて噛む。

「宮崎くんは強いね」
「どうだろ。何度も逃げ出そうとは思ったよ」
「逃げ、だす?」

 凪は戸惑いながらも問いかけた。
 灯花はグラスを手首を軸に回し始め、中の氷を遠心力に任せながらその氷を眺める。

「この世からってこと。簡単に言えば自殺ってことだよ」

 凪は灯花の言葉を聞いて、椅子が後ろに倒れるんじゃないかと思うほどの勢いで立ち上がった。普段の凪からは考えられないその焦りと動揺の表情は、本気で灯花のことを心配してくれていることが分かる。

「落ち着け。今はこうして生きてる。結局のところ生きる勇気以上に、俺に死ぬ勇気が足りなかった結果だよ」
「そんなこと言うな!」

 今度は灯花が目を見開き、驚きの表情へと変わっていく。
 凪が声を荒げる瞬間を初めて見たからだ。口調もどことなく普段の凪とは違っている。
 灯花と凪が喧嘩をしているのかと思ったのかカフェ店員が様子を伺うように、それでいて申し訳なさそうに「お声のボリュームを落としていただけると……」とこちらに諭させるように伝えに来た。
 凪は「すみません、話が盛り上がってしまって」と咄嗟に嘘を吐く。
 すると店員は警戒しながらも「お飲み物の追加などいかがですか?」と営業を開始した。飲み物を勧めてくれるということは、まだ店内に居てもいいということらしい。
 店員はそんなことを考えていた灯花の心でも読んだのか

「本日は夏祭りがありますので、お客さんも少ないんです。ですから、いらしてくれるだけでも当店としてはありがたいのです」

 と言いながら、店内を見渡してもらっても構いませんよ、と言わんばかりに腕と手の動きだけで視線を誘導する。それに釣られるようにして二人は店内を見渡す。
 そこには自分達の他にお客さんの姿は見えず、ゴゴゴッと音を立てながら稼働し続けるエアコンの下でラテアートの練習をしているアルバイト店員の姿のみが見えた。

「夏祭りってどこであるんですか?」

 意外にもその質問を店員に投げかけたのは凪であった。
 灯花は凪に対して、意外にもアクティブであるという印象を持っている。頭もよく大人びているというイメージももちろんあるのだが、出会った日の友達になりたい宣言や、散歩や筋トレをして見違えるほどの姿になるなど、意外にも行動力があるタイプであると認識している。
 店員はたしか、と前置きをした後に河原沿いで花火大会があることを教えてくれた。花火大会なら夜からだから、日中のカフェの経営には差し支えないのではないかと灯花は疑問に思ったのだが、店員はそれすら読んでいたのか、着物の準備があったりするため花火大会のある日中は出歩かないことが多いことも教えてくれた。
 凪は店員にお礼を伝えると、アイスコーヒーとオレンジジュースを追加注文する。
 店員はありがとうございます、と一礼してからカウンターへと戻っていった。しばらくしてテーブルに置かれているグラスと交換する形でアイスコーヒーとオレンジジュースが運ばれてきた。
 ごゆっくり、と伝える店員は満面の笑みであったと灯花は記憶している。
 灯花がグラスに直接口を付けてオレンジジュースを飲むのに対して、凪は細いストローでゆっくりと喉を潤していく。凪はそんな二人の違いにふと、空気を漏らすかのように笑った。

「え、何?」
「いや、全然タイプが違うなって思って」
「飲み方ってこと?」
「宮崎くんの飲み方は次を見据えた動きって感じがする」
「生き急いでるってこと?」
「そうじゃないけど、常に未来を見てるって感じ」
「なら興大は今を大切にしてる飲み方ってことだな。ストローでゆっくり飲むってことは、この時間を長く続けたいからってことだろ?」

 凪は目を細めて、視線を逸らした。
 その行動は図星を突かれた人間が取る行動だ。

「そうかも。宮崎くんと居ると、楽しいから」
「俺も楽しいよ」
「……ありがとう。ねぇ、花火大会行かない?」
「行きたいんだろうなって思ってた」
「……バレた?」
「バレバレ。一旦バッグとか家に置いてからでいい? あと、かき氷とか何か一品は奢らせてくれ」
 凪はテーブルの上に置かれた伝票を取って、それをヒラヒラと振って灯花のセリフを拒む。

「さっきの話聞いて宮崎くんに奢らせるわけないでしょ」
「そ、そういうつもりじゃ!」
「僕が奢りたくて奢ってるんだ。僕のエゴに付き合ってよ」

 凪はエゴイストではない。それは灯花も理解しているが、彼の優しさは辰之や神崎先生のそれとはまた違ったものだと灯花は感じていた。