十月に入った。
灯花の母親は無事に退院し、今まで働き詰めだった日々からは打って変わって、労働時間を減らして、今では身体を第一にしながら灯花との時間を過ごしている。
灯花もそんな母親の姿を見て安堵するとともに、心の中では常に凪のことを考えていた。
あの日カフェで話して以降、凪に会うことはおろか、声を聴くことも出来ないでいた。
学校にも来ておらず、神崎先生が言うには家庭の事情でしばらくお休みをいただきたい旨の連絡が入っていたそうだ。
ならば直接凪に会いに行こうと神崎先生に凪の家の住所を聞き出そうとするも、それはできない、と拒否られる。どうしても会いたいんだと懇願する灯花に神崎は「教えたくても教えられないんだ」と声を掛ける。
なんでも凪が学校に提出している凪個人に関する情報は全くのデタラメで、神崎自身も困惑しているのだという。
途方に暮れる灯花に声を掛けてきたのは他でも無い辰之だ。
灯花は辰之に凪から告げられた真実を打ち明けようか悩んだ。辰之のことだから頭がおかしくなったなどと引いたりすることは無いだろうが、こんな現実味のない話をしても信じてもらえる保障がどこにもないからだ。
しかし今の灯花には他に相談できる相手などいない。
灯花は放課後に時間を貰い、辰之に全てを打ち明けることにした。
「悪い、時間貰って」
「いいってことよ。それにしても放課後のテラス席はガラ空きだな」
「そう、だな」
「それで話っていうのは? 凪のことだろ?」
「え、何か知ってるのか?」
「何も知らん。一番知ってるのは灯花なんじゃないか?」
「……俺は今から、意味の分からないことを言うぞ」
「……おう」
灯花は深呼吸をしてから、頭の中でもう一度辰之に告げるべきかを考える。
しかしずっと一人で考えてきて、何も解決の糸口を見つけられなかったため、藁にも縋る思いで辰之に告げることを選んだことを思い出す。
「興大は、未来からきた人間で、未来で俺の心臓を移植されたらしい」
辰之の目が見開く。瞳孔までもが開き、灯花から聞かされた内容を聞き入れる。
辰之は灯花のことを揶揄することは無く、元の表情へと戻っていった。
「そうか」
「そうかって、それだけか?」
「俺が元々考えていた説は凪ロボット説だ。それに比べれば幾分も信憑性がある。それにそれならいろいろと説明が付くだろ? 灯花のお母さんの名前を知っていたことも未来で何らかの接点を持っていたなら説明が付くし、運動をやりたがらない理由は心臓病を抱えていたからで、頭が良すぎたり言動や行動が大人びて見えたのは凪が俺たちよりも年上だったからだ。なるほどな、全て合点がいったよ」
一人納得する辰之に、理解が追いつかない灯花は戸惑いを隠せない。
なんでそんなに冷静でいられるんだよ、と怒りだしてしまいそうになるが、ここで怒っても何も生まれないと悟った灯花はしおらしくなっていく。
「それで、凪が未来から来た理由は何なんだよ」
灯花は肝心な事を伝えていなかったことを思い出し、言葉を選びながら紡いでいく。
「俺が事故に遭って死んで、その俺の心臓を使って興大は心臓移植手術を受けられるようになるんだ。興大の目的は俺の事故を未然に防ぐことらしい」
「……事故を防いだら凪はどうなるんだ?」
「興大が言うには未来から来た興大は消えてなくなって。この時代にいる興大はドナーが見つからずに死んでしまうって」
「は?」
「興大は俺に生きていてほしいらしい」
辰之は何も言わなかった。いや言えなかったのだろう。
辰之は椅子に凭れ掛かるようにして空を見上げた。その状態で口に含んだ空気を一気に押し出すようにして息を吐く。
灯花は凪のことや、凪から教えてもらった父親のことを思い出して目に涙を浮かべていた。
辰之には父親の話や凪にだけ贈ったあの文庫本の話はしていない。もっと混乱するような気がしたからだ。
二人の間に静寂が訪れる。
そんな静寂を破ったのは辰之であった。
「なあ。灯花が事故に遭うことはわかったけど、どこで事故に遭うんだ?」
「え?」
「凪は灯花の事故を未然に防ぐ目的で未来から来たんだろ? つまり凪は灯花がどこで事故に遭うかとか、何時に事故に遭うかとかを知ってたんじゃないか?」
「確かに……。でも興大からはそんなことは聞かされていない」
「聞かされてないと思ってるだけで、凪はずっと言っていたのかもしれない。そもそも凪がタイムスリップをしてきたのであれば事故に遭う数時間前とかに来ればよかっただけだ。でもそうはしなかった。もしかしたら出来なかったのかもしれないけど、ちゃんと理由があるはずだ」
「……十月三十一日」
「え」
「十月三十一日が俺が事故に遭う日らしい」
「それは凪が言っていたのか?」
「うん。凪と最後にカフェで話した日。そう言ってた」
辰之は顎に手を置き考える。
ぶつぶつとその日はハロウィンか、などと呟いているのが聞こえてくるがあの頭の冴える辰之ですら今回の件はお手上げのようだ。
しかし突然あることを思いついたようで、辰之は灯花の目を覗き込むようにして言い放った。
「お前、十月三十一日は絶対に家から出るな」
「え、な、なんで?」
「凪は灯花が事故で命を落とすって言ったんだろ? 普通に考えて事故で連想するのは交通事故だ。家にいればまず交通事故に遭う可能性は低くなるだろ。それに凪は灯花はお母さんと会ったことがあるんだよな? それであれば仮に家に車が突っ込んでくるみたいな事故と呼べるかもわからない事件が起こったとしてもお母さんが生きているなら、灯花も生きていられる可能性がある」
「ちょ、ちょっと待てよ! つまり辰之も興大と一緒で事故を未然に防ぎたいってことか? 事故を防いだら興大が死ぬんだぞ!」
「分かってる」
「分かってない!」
相談をしていたはずの相手に声を荒げてしまっている自分が情けないと感じつつも、親友である辰之にこんなにも声を荒げてしまったことを申し訳ないと思う。今まで灯花と辰之は喧嘩という喧嘩をしてきたことがない。辰之はいつも灯花に寄り添ってくれており、意見の食い違いはあれど、それが火種になるなんてことは今までなかった。
それが今初めて、灯花は辰之に刃を向けている。
辰之も困惑しているだろう。しかし辰之はその刃に手を置き、血が出ることなど何も気にすることなく刃先を下へ向ける。
「俺も、灯花に生きていてほしいよ。だって俺と灯花は親友だ。小学生の頃からずっと一緒だった。何をするにもずっと一緒だった。そんなヤツが死ぬかもしれないって言うのに、俺が黙ってみているだけだと思うか? 何もわかっていないのは灯花の方だ。俺がどれだけお前のことを心配しているか分かっているのか! お父さんが亡くなってお前は今にも死んでしまいそうな表情をずっと浮かべていた。俺はそれが耐えられなかった。灯花にはずっと笑っていてほしい。俺とずっとバカやっててほしい。もちろんこの感情は灯花と凪の間にあるような恋愛感情は含まれていない。それでも俺は灯花に生きてほしいと願ってしまうくらいにはお前のことが好きだ。だから頼むよ。生きてくれ……」
「で、でも、俺が助かったら、興大が死ぬんだぞ」
「凪は灯花を助けるために未来から来たんだろ? 凪と俺の気持ちを無下にしないでくれ……」
辰之が涙を流しているところを灯花は始めていた。
目を赤くして、ガラス玉のような大粒の涙をボロボロとこぼしていく。
「辰之。俺はお前と親友でいられて本当に良かったよ」
「灯花……」
「でも、俺は興大が好きだ。興大のいない人生は今はもう考えられない」
「どうして、どうしてなんだよ!」
そう叫ぶ辰之の声は校舎に囲まれているテラス席に木霊した。
人にはそれぞれ自分の思う大切な人がいる。
そしてその大切に思う人を助けたいと願ったとき、別の人が思う大切な人が犠牲になることがあることをこの時灯花は知った。
泣き続ける辰之の真横に椅子を移動させて、灯花は肩を組む。
「俺と辰之は一生親友だ。そうだろ? ハニー」
「……言うことを聞いてくれないダーリンは嫌いだ」
「そいつは悪かった。俺には好きな人がいるからな」
「うるせえよ」
夏に比べて陽が落ちるのが早くなった放課後は、ポツポツと街頭が灯りを灯し始めた。
肩を抱く男子高校生の二人をその灯りだけが、優しく照らしていた。
十月も後半に差し掛かっていた。
未だに凪との連絡は取れていない。
せめて死ぬ前にもう一度凪の顔を見たいし、キスもしたいと思ってる灯花はチラチラとスマートフォンに通知が来ていないかを頻繁に確認する。
そして何の通知も来ていないことを確認すると、肩を落として深い溜息を吐く。
これはすでに習慣化されつつある行動であり、最初こそ気にかけていた辰之も今では何も言ってこなくなった。
辰之とはあの日以降も親友関係を続けている。
最初こそ気まずい時間が流れるかと思ったが、辰之が親友とは一緒に居たい、と声を掛けてくれたことで今でも登下校は一緒だ。
辰之は十月三十一日というタイムリミットを忘れたわけではないのだろうが、そのことには触れなくなった。きっときついのだろうと灯花も辰之の前ではこの話をするのを止めた。
十月二十九日。辰之が放課後に時間が欲しいと言っていた。
灯花は辰之に連れられ、学校終わりに駅の近くにあるあのカフェに来た。
放課後に行くカフェはいつもとは違った顔を見せており、ハロウィンが近いからかパンプキンやコウモリなどで飾り付けされた店内は目を見張るものがあった。
「何でも好きなものを頼めよ」
「いや、お金あるのはバイトしてる俺の方だからな」
「実はな俺もバイト始めたんだよ」
「え? そうなのか?」
「土日とかだけだけど、ちょいちょいな。今まではお小遣いで灯花に奢ってきたけど、今日は俺の稼いだ金で奢らせてくれ」
灯花は言葉に詰まる。必死に涙を流さないようにと、耐える。
これが山内辰之という男なのだと再認識する。
最後という言葉は使わないが、きっとこれが辰之と食べる最後のご飯なのだと悟った。
今日は金曜日であり、明日とあさっては丁度土日だ。つまり辰之はアルバイトである。
「本当に、辰之と親友でよかったよ」
「ああ、俺も灯花と親友になれてよかった」
運ばれてきた料理はどれも美味しかった。
このカフェで凪と付き合うことになった夏祭りの情報を聞き、このカフェで辰之に凪と付き合うことになったことを報告し、このカフェで凪の真実を知った。
そして親友と食べる最後のご飯もこのカフェだ。
灯花の人生においてこのカフェの存在はかなり大きいものになっていた。
楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので、気が付くと時計の針は二十一時を回っていた。そろそろか、と店を後にしようと立ち上がろうとする灯花を辰之が制止した。
「まあ待て。デザートもある」
「そうか」
「……なあ。多分だが、灯花が事故に遭う場所。俺分かった気がする」
「…………は」
その唐突な辰之の発言に灯花はその一文字の言葉を発するだけで精一杯だった。
辰之はサービスのお冷をグッと喉に流し込むと、静かに言葉を紡いでいく。
「凪の言動を思い返してみたんだ。灯花、お前何度か凪にバイトは辞めないのか? って言われてなかったか?」
灯花は思い返す。
「確かに、言われたことあるような気もする」
「だろ? それにプールんときに凪は灯花がバイトをしていることにひどく驚いていた気がする。つまりだ! 灯花がアルバイトをしていると何か凪にとって不都合なことがあったんだ」
「……俺が事故るのは、バイト先?」
「ガソリンスタンドだろ? 可能性は大いにある。日曜日のバイトは何時からだ?」
「シフトは夜に入ってる……けど」
「あそこは街頭も少ない。ほぼ確定だと俺は思ってる」
「そっか。ありがとう」
「……勘違いすんなよ。俺は灯花に生きていてほしいし、万が一死んでほしいとは一切合切思っていない」
「ああ、分かってるよ。本当にありがとう」
食事を終えて、帰路に就く。
二人はいつものように並んで歩いていく。
そしていつもの分かれ道。ここで灯花と辰之は別々の道へと進まなくてはならない。
別れを惜しんだ辰之は灯花の腕を引っ張り、抱き寄せる。
「ずっと親友だ」
「ああ、ずっと親友だ。キスでもするか?」
「バカ言え。お前には凪が居るだろ?」
「そうだった。俺が見事に興大に振られたときには貰ってくれるか?」
「そのときは最高にいい男の俺が、灯花をめちゃくちゃに抱いてやるよ。凪のことを忘れるくらいには」
「ありがとう」
離れていく運動部の温かい体温は灯花には熱すぎた。
涙を流した後のように頬を赤く染めている。
「じゃあ、また」
「ああ、またな」
お互いに振り返らない。また、挨拶をしたのだから次があると思っている。
十月二十九日の空に流れ星などは見えなかったが、きっとこの日見上げた空を灯花はこの先ずっと覚えている。
灯花の母親は無事に退院し、今まで働き詰めだった日々からは打って変わって、労働時間を減らして、今では身体を第一にしながら灯花との時間を過ごしている。
灯花もそんな母親の姿を見て安堵するとともに、心の中では常に凪のことを考えていた。
あの日カフェで話して以降、凪に会うことはおろか、声を聴くことも出来ないでいた。
学校にも来ておらず、神崎先生が言うには家庭の事情でしばらくお休みをいただきたい旨の連絡が入っていたそうだ。
ならば直接凪に会いに行こうと神崎先生に凪の家の住所を聞き出そうとするも、それはできない、と拒否られる。どうしても会いたいんだと懇願する灯花に神崎は「教えたくても教えられないんだ」と声を掛ける。
なんでも凪が学校に提出している凪個人に関する情報は全くのデタラメで、神崎自身も困惑しているのだという。
途方に暮れる灯花に声を掛けてきたのは他でも無い辰之だ。
灯花は辰之に凪から告げられた真実を打ち明けようか悩んだ。辰之のことだから頭がおかしくなったなどと引いたりすることは無いだろうが、こんな現実味のない話をしても信じてもらえる保障がどこにもないからだ。
しかし今の灯花には他に相談できる相手などいない。
灯花は放課後に時間を貰い、辰之に全てを打ち明けることにした。
「悪い、時間貰って」
「いいってことよ。それにしても放課後のテラス席はガラ空きだな」
「そう、だな」
「それで話っていうのは? 凪のことだろ?」
「え、何か知ってるのか?」
「何も知らん。一番知ってるのは灯花なんじゃないか?」
「……俺は今から、意味の分からないことを言うぞ」
「……おう」
灯花は深呼吸をしてから、頭の中でもう一度辰之に告げるべきかを考える。
しかしずっと一人で考えてきて、何も解決の糸口を見つけられなかったため、藁にも縋る思いで辰之に告げることを選んだことを思い出す。
「興大は、未来からきた人間で、未来で俺の心臓を移植されたらしい」
辰之の目が見開く。瞳孔までもが開き、灯花から聞かされた内容を聞き入れる。
辰之は灯花のことを揶揄することは無く、元の表情へと戻っていった。
「そうか」
「そうかって、それだけか?」
「俺が元々考えていた説は凪ロボット説だ。それに比べれば幾分も信憑性がある。それにそれならいろいろと説明が付くだろ? 灯花のお母さんの名前を知っていたことも未来で何らかの接点を持っていたなら説明が付くし、運動をやりたがらない理由は心臓病を抱えていたからで、頭が良すぎたり言動や行動が大人びて見えたのは凪が俺たちよりも年上だったからだ。なるほどな、全て合点がいったよ」
一人納得する辰之に、理解が追いつかない灯花は戸惑いを隠せない。
なんでそんなに冷静でいられるんだよ、と怒りだしてしまいそうになるが、ここで怒っても何も生まれないと悟った灯花はしおらしくなっていく。
「それで、凪が未来から来た理由は何なんだよ」
灯花は肝心な事を伝えていなかったことを思い出し、言葉を選びながら紡いでいく。
「俺が事故に遭って死んで、その俺の心臓を使って興大は心臓移植手術を受けられるようになるんだ。興大の目的は俺の事故を未然に防ぐことらしい」
「……事故を防いだら凪はどうなるんだ?」
「興大が言うには未来から来た興大は消えてなくなって。この時代にいる興大はドナーが見つからずに死んでしまうって」
「は?」
「興大は俺に生きていてほしいらしい」
辰之は何も言わなかった。いや言えなかったのだろう。
辰之は椅子に凭れ掛かるようにして空を見上げた。その状態で口に含んだ空気を一気に押し出すようにして息を吐く。
灯花は凪のことや、凪から教えてもらった父親のことを思い出して目に涙を浮かべていた。
辰之には父親の話や凪にだけ贈ったあの文庫本の話はしていない。もっと混乱するような気がしたからだ。
二人の間に静寂が訪れる。
そんな静寂を破ったのは辰之であった。
「なあ。灯花が事故に遭うことはわかったけど、どこで事故に遭うんだ?」
「え?」
「凪は灯花の事故を未然に防ぐ目的で未来から来たんだろ? つまり凪は灯花がどこで事故に遭うかとか、何時に事故に遭うかとかを知ってたんじゃないか?」
「確かに……。でも興大からはそんなことは聞かされていない」
「聞かされてないと思ってるだけで、凪はずっと言っていたのかもしれない。そもそも凪がタイムスリップをしてきたのであれば事故に遭う数時間前とかに来ればよかっただけだ。でもそうはしなかった。もしかしたら出来なかったのかもしれないけど、ちゃんと理由があるはずだ」
「……十月三十一日」
「え」
「十月三十一日が俺が事故に遭う日らしい」
「それは凪が言っていたのか?」
「うん。凪と最後にカフェで話した日。そう言ってた」
辰之は顎に手を置き考える。
ぶつぶつとその日はハロウィンか、などと呟いているのが聞こえてくるがあの頭の冴える辰之ですら今回の件はお手上げのようだ。
しかし突然あることを思いついたようで、辰之は灯花の目を覗き込むようにして言い放った。
「お前、十月三十一日は絶対に家から出るな」
「え、な、なんで?」
「凪は灯花が事故で命を落とすって言ったんだろ? 普通に考えて事故で連想するのは交通事故だ。家にいればまず交通事故に遭う可能性は低くなるだろ。それに凪は灯花はお母さんと会ったことがあるんだよな? それであれば仮に家に車が突っ込んでくるみたいな事故と呼べるかもわからない事件が起こったとしてもお母さんが生きているなら、灯花も生きていられる可能性がある」
「ちょ、ちょっと待てよ! つまり辰之も興大と一緒で事故を未然に防ぎたいってことか? 事故を防いだら興大が死ぬんだぞ!」
「分かってる」
「分かってない!」
相談をしていたはずの相手に声を荒げてしまっている自分が情けないと感じつつも、親友である辰之にこんなにも声を荒げてしまったことを申し訳ないと思う。今まで灯花と辰之は喧嘩という喧嘩をしてきたことがない。辰之はいつも灯花に寄り添ってくれており、意見の食い違いはあれど、それが火種になるなんてことは今までなかった。
それが今初めて、灯花は辰之に刃を向けている。
辰之も困惑しているだろう。しかし辰之はその刃に手を置き、血が出ることなど何も気にすることなく刃先を下へ向ける。
「俺も、灯花に生きていてほしいよ。だって俺と灯花は親友だ。小学生の頃からずっと一緒だった。何をするにもずっと一緒だった。そんなヤツが死ぬかもしれないって言うのに、俺が黙ってみているだけだと思うか? 何もわかっていないのは灯花の方だ。俺がどれだけお前のことを心配しているか分かっているのか! お父さんが亡くなってお前は今にも死んでしまいそうな表情をずっと浮かべていた。俺はそれが耐えられなかった。灯花にはずっと笑っていてほしい。俺とずっとバカやっててほしい。もちろんこの感情は灯花と凪の間にあるような恋愛感情は含まれていない。それでも俺は灯花に生きてほしいと願ってしまうくらいにはお前のことが好きだ。だから頼むよ。生きてくれ……」
「で、でも、俺が助かったら、興大が死ぬんだぞ」
「凪は灯花を助けるために未来から来たんだろ? 凪と俺の気持ちを無下にしないでくれ……」
辰之が涙を流しているところを灯花は始めていた。
目を赤くして、ガラス玉のような大粒の涙をボロボロとこぼしていく。
「辰之。俺はお前と親友でいられて本当に良かったよ」
「灯花……」
「でも、俺は興大が好きだ。興大のいない人生は今はもう考えられない」
「どうして、どうしてなんだよ!」
そう叫ぶ辰之の声は校舎に囲まれているテラス席に木霊した。
人にはそれぞれ自分の思う大切な人がいる。
そしてその大切に思う人を助けたいと願ったとき、別の人が思う大切な人が犠牲になることがあることをこの時灯花は知った。
泣き続ける辰之の真横に椅子を移動させて、灯花は肩を組む。
「俺と辰之は一生親友だ。そうだろ? ハニー」
「……言うことを聞いてくれないダーリンは嫌いだ」
「そいつは悪かった。俺には好きな人がいるからな」
「うるせえよ」
夏に比べて陽が落ちるのが早くなった放課後は、ポツポツと街頭が灯りを灯し始めた。
肩を抱く男子高校生の二人をその灯りだけが、優しく照らしていた。
十月も後半に差し掛かっていた。
未だに凪との連絡は取れていない。
せめて死ぬ前にもう一度凪の顔を見たいし、キスもしたいと思ってる灯花はチラチラとスマートフォンに通知が来ていないかを頻繁に確認する。
そして何の通知も来ていないことを確認すると、肩を落として深い溜息を吐く。
これはすでに習慣化されつつある行動であり、最初こそ気にかけていた辰之も今では何も言ってこなくなった。
辰之とはあの日以降も親友関係を続けている。
最初こそ気まずい時間が流れるかと思ったが、辰之が親友とは一緒に居たい、と声を掛けてくれたことで今でも登下校は一緒だ。
辰之は十月三十一日というタイムリミットを忘れたわけではないのだろうが、そのことには触れなくなった。きっときついのだろうと灯花も辰之の前ではこの話をするのを止めた。
十月二十九日。辰之が放課後に時間が欲しいと言っていた。
灯花は辰之に連れられ、学校終わりに駅の近くにあるあのカフェに来た。
放課後に行くカフェはいつもとは違った顔を見せており、ハロウィンが近いからかパンプキンやコウモリなどで飾り付けされた店内は目を見張るものがあった。
「何でも好きなものを頼めよ」
「いや、お金あるのはバイトしてる俺の方だからな」
「実はな俺もバイト始めたんだよ」
「え? そうなのか?」
「土日とかだけだけど、ちょいちょいな。今まではお小遣いで灯花に奢ってきたけど、今日は俺の稼いだ金で奢らせてくれ」
灯花は言葉に詰まる。必死に涙を流さないようにと、耐える。
これが山内辰之という男なのだと再認識する。
最後という言葉は使わないが、きっとこれが辰之と食べる最後のご飯なのだと悟った。
今日は金曜日であり、明日とあさっては丁度土日だ。つまり辰之はアルバイトである。
「本当に、辰之と親友でよかったよ」
「ああ、俺も灯花と親友になれてよかった」
運ばれてきた料理はどれも美味しかった。
このカフェで凪と付き合うことになった夏祭りの情報を聞き、このカフェで辰之に凪と付き合うことになったことを報告し、このカフェで凪の真実を知った。
そして親友と食べる最後のご飯もこのカフェだ。
灯花の人生においてこのカフェの存在はかなり大きいものになっていた。
楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので、気が付くと時計の針は二十一時を回っていた。そろそろか、と店を後にしようと立ち上がろうとする灯花を辰之が制止した。
「まあ待て。デザートもある」
「そうか」
「……なあ。多分だが、灯花が事故に遭う場所。俺分かった気がする」
「…………は」
その唐突な辰之の発言に灯花はその一文字の言葉を発するだけで精一杯だった。
辰之はサービスのお冷をグッと喉に流し込むと、静かに言葉を紡いでいく。
「凪の言動を思い返してみたんだ。灯花、お前何度か凪にバイトは辞めないのか? って言われてなかったか?」
灯花は思い返す。
「確かに、言われたことあるような気もする」
「だろ? それにプールんときに凪は灯花がバイトをしていることにひどく驚いていた気がする。つまりだ! 灯花がアルバイトをしていると何か凪にとって不都合なことがあったんだ」
「……俺が事故るのは、バイト先?」
「ガソリンスタンドだろ? 可能性は大いにある。日曜日のバイトは何時からだ?」
「シフトは夜に入ってる……けど」
「あそこは街頭も少ない。ほぼ確定だと俺は思ってる」
「そっか。ありがとう」
「……勘違いすんなよ。俺は灯花に生きていてほしいし、万が一死んでほしいとは一切合切思っていない」
「ああ、分かってるよ。本当にありがとう」
食事を終えて、帰路に就く。
二人はいつものように並んで歩いていく。
そしていつもの分かれ道。ここで灯花と辰之は別々の道へと進まなくてはならない。
別れを惜しんだ辰之は灯花の腕を引っ張り、抱き寄せる。
「ずっと親友だ」
「ああ、ずっと親友だ。キスでもするか?」
「バカ言え。お前には凪が居るだろ?」
「そうだった。俺が見事に興大に振られたときには貰ってくれるか?」
「そのときは最高にいい男の俺が、灯花をめちゃくちゃに抱いてやるよ。凪のことを忘れるくらいには」
「ありがとう」
離れていく運動部の温かい体温は灯花には熱すぎた。
涙を流した後のように頬を赤く染めている。
「じゃあ、また」
「ああ、またな」
お互いに振り返らない。また、挨拶をしたのだから次があると思っている。
十月二十九日の空に流れ星などは見えなかったが、きっとこの日見上げた空を灯花はこの先ずっと覚えている。



