【完結】心音を届けたくて

 翌朝は凪に伝えていた通り学校を休み、県病院へ電車を使って向かう。
 昨日神崎から明日も付き添いしようかと提案を貰ったのだが、神崎にも休んでほしいと伝え、その提案を断った。
 普段からモノをあまり購入する習慣の無い宮崎家だが、父親の入院中に購入したボストンバッグがあったためそれに一週間分の着替えを入れて持っていくことにした。
 中には着替えだけではなく昨日本屋で購入した文庫本が三冊も入っている。
 この三冊の文庫本はすべて神崎のおすすめであり、教師という立場上本に詳しいのかわからないが、その三冊は平積みされておりかなり人気のある作品であることが伺えた。
 灯花は電車に揺られながら昨日のことを思い出していた。
 一つは凪と瓜二つの車いすに乗った患者のことだ。
 どこからどう見ても、昨日見た彼は凪そのもので、凪以外にあり得ないと脳が心が教えてくれた。
 灯花が考えたのは凪が双子であるということだ。
 それであれば転校してきた理由も説明がつく。双子の兄弟が何かしらの病気を患っており、その治療のために医療の整っているこの梅ヶ原に引っ越してきたという説だ。
 これなら説明がつくだろう。それなら灯花が凪と見間違えた理由も説明がつく。
 しかし問題は二つ目だ。
 凪が普段読んでいる本がこの世に存在しないという事実がどうしても引っ掛かる。
 昨夜家に帰り着いた灯花は自分でも確認しようとスマートフォンをもって様々な検索を行ったが、神崎が行った検索通り該当する書籍を見つけることはできなかった。
 では一体凪が読んでいる本は何なのかが気になってくる。
 以前凪にその本は面白いのか、と尋ねたことのある灯花だがその返答は「面白くはない」という曖昧なものであった。ではなぜ読んでいるのかと聞いたとき「心に残っている」とも答えていた。つまりは本であり、読み物であるということは確定している。
 それなのに検索にヒットしないのはどういうことなのだろうかと、灯花は考えていた。
 考え事をしていると時間はアッという間に過ぎていくもので、気が付くと病院の最寄り駅だ。灯花はボストンバッグを肩にかけて電車を降りる。改札を抜けて、駅の中にあるコンビニに寄ってからスポーツ飲料水や塩分チャージのタブレットを買って病院へと向かった。
 病院で受付をすませてから、三〇二号室へと向かう。
 母親はすでに起きており、窓から見える外の景色を眺めていた。

「体調はどう?」

 ボストンバッグを置きながら灯花は母親にそう声を掛けた。

「点滴が効いたのかね。たいぶ楽になったよ」

 そう微笑む母親の目の下にはクマができていた。
 きっとまだ身体はしんどいはずなのに、息子を目の前にして元気であると嘘をついているのだと瞬時に悟った。
 しかし灯花はそのことには触れない。
 ボストンバッグの中から昨日購入した文庫本を取り出すと、それを母親に手渡す。

「これ面白いらしいよ。入院中時間あるだろうから読んでみて。あ、でも体調優先ね」
「ありがとう」

 そう言って本を受け取る母親の表情は嬉しそうにしていた。
 それから灯花はついでかのように、着替えと先ほどコンビニで購入してきたスポーツドリンクと塩分チャージのできるタブレットを渡す。

「他に何か持ってきてほしいものあったら言ってね」
「うん、ごめんね」
「ごめんね禁止ね。謝られるよりありがとうって言われた方が俺は嬉しいよ」
「……うん、ありがとう。今日学校は?」
「休んだよ。アルバイトもね」
「そう。ご飯は食べてる?」
「お母さんよりは食べてるよ」

 そう言って二人は笑いあった。
 五分ほど経ってから、灯花は長居してもあれだからと、安静にしておくようにと母親に伝えて灯花は病室を後にする。
 病室を出たところで深く深呼吸をするかのように、ため息を吐いた。
 エレベーターへ向かい、上に向かうボタンを押す。
 チンとエレベーターが到着すると乗り込み、少し躊躇しながら六階のボタンを押し込んだ。
 数十秒後、エレベーターは六階に着く。
 病院のエレベーターはゆっくりと稼働するため、ドアの開閉もゆっくりとしている、各階への移動もゆったりとした動きだ。
 そんなゆっくりとした時間が余計に灯花の心拍数を上げる手助けを行っている。
 六階には父親が入院をしていたため何度も来たことがあるのだが、はっきりと言って三階とはまるで違う空気感である。どんよりとした重い空気が足元から侵食してくるような感覚に陥る。
 それもそのはずだ。この病院の六階は死期が近かったり、難しい病気の治療に専念している患者が多く入院している階だからだ。六階は他の階に比べて展望が良いため、多くの患者が窓際のベッドを要望するからか、相部屋も四人ではなく二人の相部屋で全員が窓際のベッドを確保できるようになっている。
 灯花は重い空気に耐えながら、各病室の前にある名札を確認していく。
 目的は「凪」という苗字があるかないかを確認するためだ。病室を一つ確認しては安堵し、それを繰り返していく。
 ゆっくりと廊下を歩く灯花であったが、一番奥の病室を前に足が止まった。

「凪、興大……」

 凪という苗字だけならまだしも、名前まで一致している。
 あの車いすに座っていた凪に似ている人物は名前までもが一致していたのだ。
 灯花は震える手を必死に押さえながら、ゆっくりと病室のドアに手を掛ける。

「僕に何か御用ですか?」

 そんな灯花の背後から声が聞こえた。
 その声は何度も聞いたことのある声で、さらに言えば恋人の声にそっくり。いやそれ以上に本人の声であった。
 ゆっくりと振り返ると、そこにはやせ細った凪が車いすに乗っていた。

「え、あ、あの。な、凪興大さん、ですか?」
「ええ、僕が凪興大です。えっと、どうされましたか?」
「あ、いえ。この病院で一年ほど前に入院していた宮崎朝陽の息子の宮崎灯花と言います」

 それを聞いた凪は目を見開いた。
 そして納得したかのように声のトーンを押さえた。先ほどまでは警戒されていたのだと灯花は知る。

「ああ、覚えていますよ。宮崎さんの息子さんでしたか。よく見たら似ていますね。目元とかが特に」

 その回答によって、今灯花の目の前にいる凪は少なくとも一年以上前からこの病院に入院していることが判明した。
 灯花は動揺を隠しつつも、変に思われないように会話を続ける。

「あ、ありがとうございます」
「えっと、何かありましたか?」
「あ、えっと、そうですね。父のことを知りたいなと思いまして……。当時のことを御存じの方がいらっしゃればと思ったのですが……」

 瞬間的に思いついた嘘であるが、ああ、と納得したかのように凪は笑みを浮かべた。
 そのまま凪は「僕が覚えている範囲であればぜひ。僕も誰かとお話したかったんです」と言って病室へと案内してくれた。
 灯花が扉を開けると「ありがとうございます」と言って、凪は車いすを器用に動かす。

「すみません、ベッドの上からで」
「いえ、とんでもないです。急に来てしまってすみません」
「病室まで案内しましたが、実はそんなに宮崎さんのことを知っているわけではないんです。病室も三つほど離れていましたから。でも覚えていることはたくさんありますよ。特に宮崎さんの存在はこの病院の六階の人間にとって太陽のような存在でしたから」
「太陽、ですか?」

 凪は思い出す動作を行いながら、灯花から視線を外し、窓から外を眺める。
 六階ともなると窓から木々は見えず、奥に見える街がジオラマのように見える。

「僕はこの病院からほとんど出たことがないんです。ずっと心臓が悪くて、物心ついた時から入院していました。本当に体調のいいタイミングで家に帰れることもあったんですけど、泊まることはできなくて、長くても四時間ほどしか外出したことがないんです。そんな僕みたいな人がこの六階にはたくさん居るんですけど、宮崎さんはそんな僕たちに外の世界について教えてくれるんです。窓から見える景色について気になるものを教えてくれたり、僕たちみたいな学校にも行ったことのない人には勉強も教えてくれたりするんですよ。本の読み聞かせをしてくれたり、他の大人と協力してゲームを考えてくれたり。ずっと病院で一生を終えるんだろうなって思ってる僕たちにとっては本当に太陽のような存在でした。だからこそ亡くなってしまったことが悔やまれます」

 凪の正体を探るために来た場所で、まさか自分の父親の話を聞けるとは思っておらず、不意に涙が頬を流れる。
 凪は灯花の涙を気にしつつも、朝陽の話を続ける。

「宮崎さんは本当に素敵な人でしたよ。特に僕は宮崎さんと同じ心臓病を抱えていたので、宮崎さんはかなり気にかけてくれていました。生前僕に小説を書いてくれたんですよ」

 そう言って凪はサイドテーブルの鍵付きの引き出しを開け、一冊の文庫本を取り出した。
 それを見た灯花は心臓が止まるような感覚に陥った。
 凪が取り出した本の表紙には「心音を届けたくて」と書かれており、背表紙には何も書いていなかったからだ。

「この小説はドナーが見つかって心臓の移植手術に成功した後に、今までできなかったことを全部やるっていうお話なんです。実は面白くないんです、この小説。息子さんを前にいうことではないんですけどね。宮崎さんは初めて本を書いたからいろいろ恥ずかしいと仰っていました。でもね僕が今まで読んできた本の中で一番元気を貰った本なんです。頑張って生きようって思えるんですよね」

 本を眺める凪は宝物を見るような目をしており、それだけでこの本に救われていることが分かる。

「見てください。後ろにはバーコードまであるんです。こんなに細部にまでこだわって作ってくださったのに、背表紙にタイトルを書き忘れてるんです。そういったところも宮崎さんの魅力ですよね」
「……その本はこの世に一冊だけなんですか?」
「ええ、そうだと思います。亡くなられる数か月前に完成したとかで、量産はできないと仰っていましたから……。もしよかったら中身を見てみますか? 息子さん相手に申し訳ないのですが、僕の一生の宝物なのでお貸しすることはできないのですが、ここで読む分にはいいですよ」

 そう言って差し出された文庫本は擦り切れるほどに何度も読み込まれていた。
 灯花は丁寧にページをめくっていく。そこには五十個ほどのやりたいことリストが書かれており、一個目のやりたいことには「全速力で外を走り回る」と書かれており、該当のページを見に行くと、書き出しは「心臓移植が成功したとしても全速力で走ることはしない方がいいらしい」と書かれていた。

 それがおかしくて、灯花は涙を流しながらも笑っていた。
 灯花はその後もページをめくり、父親が考えていたことを感じる。
 最後のページを見た灯花はゆっくりと本を閉じて、凪に返した。

「素敵なお話を聞かせていただき、ありがとうございました」
「いえ、僕も久々に病院以外の方とお話しできて良かったです」
「最後につかぬことを聞いてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「兄弟はいますか?」
「……いえ、僕は一人っ子です」
「そうですか。またここに来てもいいですか?」
「はい、また遊びに来てください」

 そう微笑む凪は、灯花が恋をした凪そのものであった。

 病室を出て、帰りはエレベーターを使わずに階段を使って降りていく。
 これは自分の心を整理する時間が欲しかったからだ。
 一段一段ゆっくりと降りていく。
 一階に着いた灯花は、受付に面談を終えた旨のサインをすると病院を出る。
 パンツのポケットからスマートフォンを取り出すと、電話を掛けた。
 五コール程経ってから相手が電話に出る。

「……話がしたい」
『……そう、だよね。そろそろじゃないかと思ったよ』
「待ち合わせは、あのカフェでいいか?」
『いいよ。今からがいいよね? 早退することにするから、少し時間かかるかも』
「分かった。待ってる」
『灯花くん』
「……なんだ?」
『ありがとう』

 そう言って、電話は切れた。
 灯花はもうじき雨が降りそうな空を見上げた。