翌日の放課後は昨日よりも肌寒くて、秋が深くなる足音に、背中がきゅっと縮こまる。
私は「どうしても大切な用事があるから」と有沙に断りを入れ、裏門へとやってきた。嘘をついたわけではないけど、少しの罪悪感も一緒に連れて。だけどそれ以上に、澪のことが気にかかっていた。
でも――その澪がなかなかやって来ない。
足元のイチョウの葉を一枚拾い上げる。きれいなことに変わりはないけど、昨日澪と見上げたときとは違う、どこかもの悲しさを伴っていて、心が疼く。
そういえば、あの子の連絡先、聞いていなかった。
――もしかして。
瞬間、身震いがした。
私はなぜ、待ち合わせ場所を四組の教室にしなかったんだろう。
これから直面するであろう出来事が次々に思い浮かんで、心臓がとくとくと早鐘を打つ。
澪は「使い勝手のいい子」。頼まれごとをこなすことで、クラスにいることを許されてきた子。
彼女はきっと、ここへ来られなくなっている。
二年四組の教室の扉は閉まっているものの、中には数人の生徒が残っているようだった。
「笹田さーんっ! ありがとー!」
全身をぞわつかせるような猫撫で声にそっと教室の中を覗く。
教室の真ん中の席に立ち塞がる数人の女子と……俯いて座る澪の姿があった。
昨日聞いた相川と、彼女といつも一緒にいる根本に三住。
澪は三人に何か手伝いをさせられていたらしい。机の上の紙束が入った封筒を回収されたけど、なおも完全にロックオンされていた。
「じゃあ、今度はこっち。委員会の資料のホチキス止め、やっておいてくれない?」
返事をする前に、山みたいに分厚い紙の束とホチキスがどさっと積まれる。
「えっと、あの……今日はさっきのだけでいいって言ってた、けど……」
その囁くような声は、明らかに困惑していた。
「それはお昼休みに頼んだ分。これは、放課後の分」
「お願い。あたしたち今からカラオケ行かなきゃなの!」
何とも身勝手過ぎる主張に、沸々と怒りが湧き上がってきて、全身が熱を持つ。
私が声を掛ければすぐに澪を助けることはできる。トゲを思い切り伸ばせば、相川たちは怯むに決まっている。
だけど昨日、澪は言っていた。次からは断れるように、頑張ってみるって。
澪。あなたは、どうするの?
私は念のためスマホを手にして、気付かれないよう扉の端で彼女たちの様子を覗う。
「笹田さんって丁寧だし、いつも喜んで引き受けてくれるでしょう?」
「うんうん。あたしたちいつも助かってるのー。ということで、よろしく」
「……わ、わたしも、今日はこの後、海未ちゃんと約束が」
かたん、と遠慮がちに響いた椅子の音。
立ち上がった澪だったけど、その声も、身体も、微かに震えていた。まるでかばんに揺れていた、小さな白いうさぎのように。
「ウミちゃん? ……あぁ、一組のウニ女ね」
相川と根本は、顔を見合わせ、あははっと笑い声を上げた。
噂がこんなところまで広まっていることなんてどうでも良かった。だけど、できることなら澪には知られたくなかった。私のことをやさしいと言ってくれた彼女に。
羞恥心が、頬を紅潮させていく。
「ウニ……?」
澪は顔を曇らせ、震えた声のまま訊き返した。三住が「教えてあげるよー」と側の机にもたれかかる。
「最近広まってるあの子の呼び方。何かとトゲトゲした物言いで、トゲだらけのウニみたいだから、だって。なかなかおもしろいでしょう?」
「トゲだらけの……海未ちゃん……」
抑揚のない声が、やけに私の耳に響く。
もし、澪も私のことをウニみたいだと思ったのだとしたら。どんな顔をして、彼女に会えばいいのだろう。
「そういうこと。あの子、ちょっと何でもできるからって偉そうにしてさ」
「笹田さんも気をつけた方がいいよ? トゲが刺さっちゃうかも!」
「じゃあ、あと、お願いね。また明日」
澪は、その場を動かない。下を向いたまま、スカートをきゅっと握りしめた。
これ以上放っておくなんて、できない。ウニ女だろうと何だろうと、彼女に嫌われようと。今は澪を助けたい。
「……違う」
扉に手をかけようとしたそのとき。
小さな否定のかけらが、確かにこぼれ落ちた。
「えっ?」
振り返った三人から一斉に向けられる、冷たい視線。
「海未ちゃんは……ウニなんかじゃない。こんぺいとうなの」
――私が、こんぺいとう。
「は?」
「こんぺいとう?」
相川たちは怪訝な表情で、ツカツカと澪のまわりに再び集まってくる。
皴になりそうなくらいスカートを握りしめたままの手は、やっぱり震えていた。
だけどその顔は、しっかりと上げられていた。
「確かに海未ちゃんはトゲトゲしてるところはあるかもしれない。自分でも気にしてた」
「なんだ。自覚してるんじゃん、あの子」
吐き捨てるかのように根本が呟いた。
「でも。でも……! そのトゲって全部海未ちゃんのものだけじゃない。みんなに陰でそんな言い方されて、心に刺さってるトゲもたくさんあると思う!」
その声は小さいながらも、はっきりと、強くて。私の心の中にまっすぐに届き、響いた。
「ちょっと。語りだしちゃったんですけど」
「笹田さん、そんなに喋れたんだー。意外」
根本と三住は一瞬目を見張ったものの、冷めた表情で澪を見下ろしている。
「海未ちゃんは……確かに言い方はドキッとすることがあるけど、それでもみんなのためを思って、はっきり言ってくれているの」
はぁ、はぁと、時折浅い呼吸を吐きながら、それでも澪は話すことをやめなかった。
「だから海未ちゃんがみんなに向けるトゲはね、同じトゲでも、こんぺいとうのトゲなの。だって、こんぺいとうもトゲだらけだけど、口に入れてもちっとも痛くないでしょう?」
私は思い出していた。
ぱらぱらと手のひらに降ってきた、カラフルでかわいい星のようなこんぺいとう。口の中でからころとやさしく転がるトゲトゲ。
澪は今、必死に私を守ってくれている。
彼女こそ、こんぺいとうのようにやさしいトゲを、自分の思いを、相川たちに向けている。
「海未ちゃんのトゲは世界一甘くてかわいくて、やさしいの……!」
そこまで訴えた澪は、声を上げて泣き始めた。時折ひくっ、ひくっと喉を詰まらせながら。
「ポエマーだね、笹田さん。さっすが文芸部」
相川がにんまり笑って、カーディガンの袖から伸びた指先だけで小さく手を叩いた。
「あー。どうしよ。めんどくさいことになっちゃった。人来たらヤバいって」
「泣くとかそういうのいいから。とにかくそれ、やっといて」
自分たちが泣かせたくせに。どこまで彼女たちは傲慢でいい加減なんだろう。
「や……いや! もうやらない!」
それでも決して引こうとしない澪に、相川は長いためいきをついた。
「……そんなに嫌だったんだね。頼まれるだけありがたいと思わなかったの?」
「そうそう。笹田さんはね、使い勝手がいいことだけが取り柄なんだよ?」
「断ったら、明日からどうなるかわかってる? 居場所なんて簡単になくなっちゃうよ?」
三人は、くすくすと笑いながら澪の顔を覗き込む。
「でも、わたし約束したの。海未ちゃんと一緒に帰るって……!」
「うるさい。あんたさぁ、いい加減に――」
バンッという乾いた音が、相川の強い声をかき消した。
開け放った扉の向こうに広がる光景を、涙目でこちらを見る澪を、私は捉えて離さなかった。
「本当、いい加減にしなよ。あなたたち」
「つ、月本さん……」
周囲から小さなざわめきが聞こえる。他のクラスに残っていた生徒たちが、何事かと廊下に出てきている。
「噂のウニ女、登場しましたけど? 言いたいことがあるなら言いなさい。はっきりと」
「い、いつからそこにいたの?」
根本が顔を引きつらせながら後ずさった。
「さぁね」
三人のことなどお構いなしに、澪の元へ真っ直ぐに向かう。
「澪。あなたにもトゲ、あったんだね。かっこいいよ」
泣いているからか、触れた澪の手はほのかに熱を帯びている。海未ちゃん、とだけ唇が動くと、大粒の涙がぽたぽたと、とめどなく溢れ続けた。
「トゲ? ……なぁんだ。月本さんも笹田さんも同類ってこと? 良かったねー。似た者同士お似合いじゃない」
「本当。よく考えたらさ、結局どっちも使い勝手がいいだけの存在、だよね?」
相川たち三人は、私たちを交互に見比べて嘲り笑いはじめた。
「……確かに、私も澪も同じね」
私は、相川以上に口角を上げた。
「はぁ? そこ、否定するとこでしょう?」
そう。私たちは正反対のようでいて、根本的には同じだった。
必要なときに相手の都合に合わせて呼ばれては、澪はふわふわと、私はトゲを出しながら、誰かのためになろうとした。
だけど何度もそれを繰り返すうち、心の奥には、澪の言っていた違うトゲが刺さっていた。澪にも、……私にも。
「トゲを刺してきたのは、お互い様じゃないの?」
私は、相川に向かってそう言い切った。笑うのをやめた相川は、鋭い氷みたいな顔で私を睨みつけた。
大丈夫。私は負けない。
澪は私をこんぺいとうだと言ってくれたから。トゲは出すだけでなく、刺さっているものもあると教えてくれたから。
だけど澪。今だけは、この瞬間だけは、ウニみたいにトゲトゲしい女でいさせて。
今度は私が、あなたのことを守るために。
「それ以上澪を責めるのなら、私は今すぐ職員室に行く。今までのことも、全部話すから。あなたたちが最低なことをしてるって」
私はポケットに入れていたスマホを相川たちに向かって見せる。
「……っ!」
「二度と澪を『使い勝手がいい子』なんて呼ばないで」
画面に大きく表示された「REC」の赤い文字。相川たちの顔が、みるみる青ざめていった。
「行こう、澪。走れる?」
「……う、うん!」
握った澪の手に、しっかりと力が込められる。私たちは教室を飛び出した。
ずるいとか卑怯だとか、そんな声を背中越しに聞いたけど、決して振り返らなかった。
知らない。もうあなたたちに構っている暇はない。
その鋭く傷つけるためのトゲを、これ以上澪に向けさせたりしない。
階段を降りて、昇降口を抜けて。そして、あの大きなイチョウの木の待つ裏門を出るまで、私たちは手を繋いだまま、走った。
バス停に辿り着くと、私はゆっくりと呼吸を整える。澪は泣いていたのもあって、呼吸の間にケホケホと軽い咳を繰り返すから、そっと背中をさすってあげた。
「ごめん。澪、無理させたね」
「ううん。大丈夫」
目の端っこに涙を残しながらも、澪は赤い顔で微笑んだ。
「大脱出劇、なんとか成功ね。明日また、噂になるかもだけど……」
「いいの。海未ちゃんのおかげだもん。ありがとう」
すっかり力が抜けた私たちは、へにゃへにゃとベンチに身体を預けた。
「……私こそありがとう、澪」
私は、澪にマフラーをゆっくりと巻いてあげる。鮮やかな赤色で、涙の跡がついた頬までふわふわと包み込む。
「海未ちゃん、どうして?」
「私のために、トゲを出してくれたから」
「わたし、トゲ、出てたのかな。こんなふうに?」
そう言って両手の人差し指を立てると、ちょこんとおでこに当ててみせた。
「それだと鬼になっちゃうよ」
「あ、そっか」
「あと、謎のこんぺいとう理論も」
澪は途端に、慌てた様子で頬を真っ赤にする。
「だって。わたし、本当にそう思ったから。海未ちゃんはやさしいこんぺいとうみたいな女の子だって」
「ふふ。その不思議で素敵な感性、私は好きだよ。――うれしかった」
私は、また溢れてきた涙をティッシュでそっと抑えてあげた。
「海未ちゃん……笑ってくれた。良かった」
涙を浮かべながら、澪はふにゃりと笑った。
「それから、私がこんぺいとうならね、さっきの澪も同じだと思ったよ」
「わたしも? こんぺいとう?」
意外だといった様子で、澪は目をまんまるにした。
「さっきあの子たちの前で一生懸命はっきり言ってくれたことも、やさしいトゲだと思ったの」
「でも、わたし泣いちゃったし、まだ修行が足りないと思う。海未ちゃんみたいに、もっと堂々としていたい」
「修行なら山に籠ったほうがいいかな」なんて、澪は半分本気なんじゃないかってくらい真剣な顔になる。
「修行かぁ……じゃあ、一緒に目指そうよ。もっともっときれいな、こんぺいとう」
「一緒に?」
「私、もうウニ女なんて呼ばれないように、やさしいトゲを目指したいから」
間違っていることを正すこと。はっきり自分の思いを伝えること。
時にそれは、またウニのトゲのように鋭くなってしまうかもしれない。
でも澪と一緒なら、もっとやさしいこんぺいとうになれるって、私は信じて疑わない。
「海未ちゃんと一緒なら、わたしもきらきらのこんぺいとうになれそう」
思っていたことが同じで、思わず笑みがこぼれる。澪もそんな私を見て、同じように笑った。
やっぱり私たちは、どこか似た者同士だったのだ。
バスがゆっくりとこちらへ向かってくる。ゆらゆら揺られながら、これから何を話そうか。こんぺいとうを目指す私たちには、まだまだ話したいことがたくさんある。
「澪。バス降りたら公園行かない? あったかいの買って。もう少し話したい」
「うん! こんぺいとうも買っていい?」
「もちろん」
即答に決まっている。澪は「やった!」と小さくはにかんだ。
翌日廊下で会った澪の髪には、あの淡い桃色の、こんぺいとうみたいな星のヘアピンが光っていた。
髪はまだ少し跳ねていたけど、開け放たれた窓から流れ込む秋風に、ふわふわと軽やかになびいていた。
私は「どうしても大切な用事があるから」と有沙に断りを入れ、裏門へとやってきた。嘘をついたわけではないけど、少しの罪悪感も一緒に連れて。だけどそれ以上に、澪のことが気にかかっていた。
でも――その澪がなかなかやって来ない。
足元のイチョウの葉を一枚拾い上げる。きれいなことに変わりはないけど、昨日澪と見上げたときとは違う、どこかもの悲しさを伴っていて、心が疼く。
そういえば、あの子の連絡先、聞いていなかった。
――もしかして。
瞬間、身震いがした。
私はなぜ、待ち合わせ場所を四組の教室にしなかったんだろう。
これから直面するであろう出来事が次々に思い浮かんで、心臓がとくとくと早鐘を打つ。
澪は「使い勝手のいい子」。頼まれごとをこなすことで、クラスにいることを許されてきた子。
彼女はきっと、ここへ来られなくなっている。
二年四組の教室の扉は閉まっているものの、中には数人の生徒が残っているようだった。
「笹田さーんっ! ありがとー!」
全身をぞわつかせるような猫撫で声にそっと教室の中を覗く。
教室の真ん中の席に立ち塞がる数人の女子と……俯いて座る澪の姿があった。
昨日聞いた相川と、彼女といつも一緒にいる根本に三住。
澪は三人に何か手伝いをさせられていたらしい。机の上の紙束が入った封筒を回収されたけど、なおも完全にロックオンされていた。
「じゃあ、今度はこっち。委員会の資料のホチキス止め、やっておいてくれない?」
返事をする前に、山みたいに分厚い紙の束とホチキスがどさっと積まれる。
「えっと、あの……今日はさっきのだけでいいって言ってた、けど……」
その囁くような声は、明らかに困惑していた。
「それはお昼休みに頼んだ分。これは、放課後の分」
「お願い。あたしたち今からカラオケ行かなきゃなの!」
何とも身勝手過ぎる主張に、沸々と怒りが湧き上がってきて、全身が熱を持つ。
私が声を掛ければすぐに澪を助けることはできる。トゲを思い切り伸ばせば、相川たちは怯むに決まっている。
だけど昨日、澪は言っていた。次からは断れるように、頑張ってみるって。
澪。あなたは、どうするの?
私は念のためスマホを手にして、気付かれないよう扉の端で彼女たちの様子を覗う。
「笹田さんって丁寧だし、いつも喜んで引き受けてくれるでしょう?」
「うんうん。あたしたちいつも助かってるのー。ということで、よろしく」
「……わ、わたしも、今日はこの後、海未ちゃんと約束が」
かたん、と遠慮がちに響いた椅子の音。
立ち上がった澪だったけど、その声も、身体も、微かに震えていた。まるでかばんに揺れていた、小さな白いうさぎのように。
「ウミちゃん? ……あぁ、一組のウニ女ね」
相川と根本は、顔を見合わせ、あははっと笑い声を上げた。
噂がこんなところまで広まっていることなんてどうでも良かった。だけど、できることなら澪には知られたくなかった。私のことをやさしいと言ってくれた彼女に。
羞恥心が、頬を紅潮させていく。
「ウニ……?」
澪は顔を曇らせ、震えた声のまま訊き返した。三住が「教えてあげるよー」と側の机にもたれかかる。
「最近広まってるあの子の呼び方。何かとトゲトゲした物言いで、トゲだらけのウニみたいだから、だって。なかなかおもしろいでしょう?」
「トゲだらけの……海未ちゃん……」
抑揚のない声が、やけに私の耳に響く。
もし、澪も私のことをウニみたいだと思ったのだとしたら。どんな顔をして、彼女に会えばいいのだろう。
「そういうこと。あの子、ちょっと何でもできるからって偉そうにしてさ」
「笹田さんも気をつけた方がいいよ? トゲが刺さっちゃうかも!」
「じゃあ、あと、お願いね。また明日」
澪は、その場を動かない。下を向いたまま、スカートをきゅっと握りしめた。
これ以上放っておくなんて、できない。ウニ女だろうと何だろうと、彼女に嫌われようと。今は澪を助けたい。
「……違う」
扉に手をかけようとしたそのとき。
小さな否定のかけらが、確かにこぼれ落ちた。
「えっ?」
振り返った三人から一斉に向けられる、冷たい視線。
「海未ちゃんは……ウニなんかじゃない。こんぺいとうなの」
――私が、こんぺいとう。
「は?」
「こんぺいとう?」
相川たちは怪訝な表情で、ツカツカと澪のまわりに再び集まってくる。
皴になりそうなくらいスカートを握りしめたままの手は、やっぱり震えていた。
だけどその顔は、しっかりと上げられていた。
「確かに海未ちゃんはトゲトゲしてるところはあるかもしれない。自分でも気にしてた」
「なんだ。自覚してるんじゃん、あの子」
吐き捨てるかのように根本が呟いた。
「でも。でも……! そのトゲって全部海未ちゃんのものだけじゃない。みんなに陰でそんな言い方されて、心に刺さってるトゲもたくさんあると思う!」
その声は小さいながらも、はっきりと、強くて。私の心の中にまっすぐに届き、響いた。
「ちょっと。語りだしちゃったんですけど」
「笹田さん、そんなに喋れたんだー。意外」
根本と三住は一瞬目を見張ったものの、冷めた表情で澪を見下ろしている。
「海未ちゃんは……確かに言い方はドキッとすることがあるけど、それでもみんなのためを思って、はっきり言ってくれているの」
はぁ、はぁと、時折浅い呼吸を吐きながら、それでも澪は話すことをやめなかった。
「だから海未ちゃんがみんなに向けるトゲはね、同じトゲでも、こんぺいとうのトゲなの。だって、こんぺいとうもトゲだらけだけど、口に入れてもちっとも痛くないでしょう?」
私は思い出していた。
ぱらぱらと手のひらに降ってきた、カラフルでかわいい星のようなこんぺいとう。口の中でからころとやさしく転がるトゲトゲ。
澪は今、必死に私を守ってくれている。
彼女こそ、こんぺいとうのようにやさしいトゲを、自分の思いを、相川たちに向けている。
「海未ちゃんのトゲは世界一甘くてかわいくて、やさしいの……!」
そこまで訴えた澪は、声を上げて泣き始めた。時折ひくっ、ひくっと喉を詰まらせながら。
「ポエマーだね、笹田さん。さっすが文芸部」
相川がにんまり笑って、カーディガンの袖から伸びた指先だけで小さく手を叩いた。
「あー。どうしよ。めんどくさいことになっちゃった。人来たらヤバいって」
「泣くとかそういうのいいから。とにかくそれ、やっといて」
自分たちが泣かせたくせに。どこまで彼女たちは傲慢でいい加減なんだろう。
「や……いや! もうやらない!」
それでも決して引こうとしない澪に、相川は長いためいきをついた。
「……そんなに嫌だったんだね。頼まれるだけありがたいと思わなかったの?」
「そうそう。笹田さんはね、使い勝手がいいことだけが取り柄なんだよ?」
「断ったら、明日からどうなるかわかってる? 居場所なんて簡単になくなっちゃうよ?」
三人は、くすくすと笑いながら澪の顔を覗き込む。
「でも、わたし約束したの。海未ちゃんと一緒に帰るって……!」
「うるさい。あんたさぁ、いい加減に――」
バンッという乾いた音が、相川の強い声をかき消した。
開け放った扉の向こうに広がる光景を、涙目でこちらを見る澪を、私は捉えて離さなかった。
「本当、いい加減にしなよ。あなたたち」
「つ、月本さん……」
周囲から小さなざわめきが聞こえる。他のクラスに残っていた生徒たちが、何事かと廊下に出てきている。
「噂のウニ女、登場しましたけど? 言いたいことがあるなら言いなさい。はっきりと」
「い、いつからそこにいたの?」
根本が顔を引きつらせながら後ずさった。
「さぁね」
三人のことなどお構いなしに、澪の元へ真っ直ぐに向かう。
「澪。あなたにもトゲ、あったんだね。かっこいいよ」
泣いているからか、触れた澪の手はほのかに熱を帯びている。海未ちゃん、とだけ唇が動くと、大粒の涙がぽたぽたと、とめどなく溢れ続けた。
「トゲ? ……なぁんだ。月本さんも笹田さんも同類ってこと? 良かったねー。似た者同士お似合いじゃない」
「本当。よく考えたらさ、結局どっちも使い勝手がいいだけの存在、だよね?」
相川たち三人は、私たちを交互に見比べて嘲り笑いはじめた。
「……確かに、私も澪も同じね」
私は、相川以上に口角を上げた。
「はぁ? そこ、否定するとこでしょう?」
そう。私たちは正反対のようでいて、根本的には同じだった。
必要なときに相手の都合に合わせて呼ばれては、澪はふわふわと、私はトゲを出しながら、誰かのためになろうとした。
だけど何度もそれを繰り返すうち、心の奥には、澪の言っていた違うトゲが刺さっていた。澪にも、……私にも。
「トゲを刺してきたのは、お互い様じゃないの?」
私は、相川に向かってそう言い切った。笑うのをやめた相川は、鋭い氷みたいな顔で私を睨みつけた。
大丈夫。私は負けない。
澪は私をこんぺいとうだと言ってくれたから。トゲは出すだけでなく、刺さっているものもあると教えてくれたから。
だけど澪。今だけは、この瞬間だけは、ウニみたいにトゲトゲしい女でいさせて。
今度は私が、あなたのことを守るために。
「それ以上澪を責めるのなら、私は今すぐ職員室に行く。今までのことも、全部話すから。あなたたちが最低なことをしてるって」
私はポケットに入れていたスマホを相川たちに向かって見せる。
「……っ!」
「二度と澪を『使い勝手がいい子』なんて呼ばないで」
画面に大きく表示された「REC」の赤い文字。相川たちの顔が、みるみる青ざめていった。
「行こう、澪。走れる?」
「……う、うん!」
握った澪の手に、しっかりと力が込められる。私たちは教室を飛び出した。
ずるいとか卑怯だとか、そんな声を背中越しに聞いたけど、決して振り返らなかった。
知らない。もうあなたたちに構っている暇はない。
その鋭く傷つけるためのトゲを、これ以上澪に向けさせたりしない。
階段を降りて、昇降口を抜けて。そして、あの大きなイチョウの木の待つ裏門を出るまで、私たちは手を繋いだまま、走った。
バス停に辿り着くと、私はゆっくりと呼吸を整える。澪は泣いていたのもあって、呼吸の間にケホケホと軽い咳を繰り返すから、そっと背中をさすってあげた。
「ごめん。澪、無理させたね」
「ううん。大丈夫」
目の端っこに涙を残しながらも、澪は赤い顔で微笑んだ。
「大脱出劇、なんとか成功ね。明日また、噂になるかもだけど……」
「いいの。海未ちゃんのおかげだもん。ありがとう」
すっかり力が抜けた私たちは、へにゃへにゃとベンチに身体を預けた。
「……私こそありがとう、澪」
私は、澪にマフラーをゆっくりと巻いてあげる。鮮やかな赤色で、涙の跡がついた頬までふわふわと包み込む。
「海未ちゃん、どうして?」
「私のために、トゲを出してくれたから」
「わたし、トゲ、出てたのかな。こんなふうに?」
そう言って両手の人差し指を立てると、ちょこんとおでこに当ててみせた。
「それだと鬼になっちゃうよ」
「あ、そっか」
「あと、謎のこんぺいとう理論も」
澪は途端に、慌てた様子で頬を真っ赤にする。
「だって。わたし、本当にそう思ったから。海未ちゃんはやさしいこんぺいとうみたいな女の子だって」
「ふふ。その不思議で素敵な感性、私は好きだよ。――うれしかった」
私は、また溢れてきた涙をティッシュでそっと抑えてあげた。
「海未ちゃん……笑ってくれた。良かった」
涙を浮かべながら、澪はふにゃりと笑った。
「それから、私がこんぺいとうならね、さっきの澪も同じだと思ったよ」
「わたしも? こんぺいとう?」
意外だといった様子で、澪は目をまんまるにした。
「さっきあの子たちの前で一生懸命はっきり言ってくれたことも、やさしいトゲだと思ったの」
「でも、わたし泣いちゃったし、まだ修行が足りないと思う。海未ちゃんみたいに、もっと堂々としていたい」
「修行なら山に籠ったほうがいいかな」なんて、澪は半分本気なんじゃないかってくらい真剣な顔になる。
「修行かぁ……じゃあ、一緒に目指そうよ。もっともっときれいな、こんぺいとう」
「一緒に?」
「私、もうウニ女なんて呼ばれないように、やさしいトゲを目指したいから」
間違っていることを正すこと。はっきり自分の思いを伝えること。
時にそれは、またウニのトゲのように鋭くなってしまうかもしれない。
でも澪と一緒なら、もっとやさしいこんぺいとうになれるって、私は信じて疑わない。
「海未ちゃんと一緒なら、わたしもきらきらのこんぺいとうになれそう」
思っていたことが同じで、思わず笑みがこぼれる。澪もそんな私を見て、同じように笑った。
やっぱり私たちは、どこか似た者同士だったのだ。
バスがゆっくりとこちらへ向かってくる。ゆらゆら揺られながら、これから何を話そうか。こんぺいとうを目指す私たちには、まだまだ話したいことがたくさんある。
「澪。バス降りたら公園行かない? あったかいの買って。もう少し話したい」
「うん! こんぺいとうも買っていい?」
「もちろん」
即答に決まっている。澪は「やった!」と小さくはにかんだ。
翌日廊下で会った澪の髪には、あの淡い桃色の、こんぺいとうみたいな星のヘアピンが光っていた。
髪はまだ少し跳ねていたけど、開け放たれた窓から流れ込む秋風に、ふわふわと軽やかになびいていた。

