ウニとこんぺいとう

 翌日の放課後は昨日よりも肌寒くて、秋が深くなる足音に、背中がきゅっと縮こまる。
 私は「どうしても大切な用事があるから」と有沙に断りを入れ、裏門へとやってきた。嘘をついたわけではないけれど、少しの罪悪感も一緒に連れて。だけどそれ以上に、澪のことが気にかかっていた。

 でも――その澪がなかなかやって来ない。
足元のイチョウの葉を一枚拾い上げる。きれいなことに変わりはないけれど、昨日澪と見上げたときとは違う、どこかもの悲しさを伴っていて、心が疼く。
 そういえば、あの子の連絡先、聞いていなかった。

 ――もしかして。

 身震いがした。
 私はなぜ、待ち合わせ場所を四組の教室にしなかったんだろう。
 これから直面するであろう出来事が次々に思い浮かんで、心臓がとくとくと早鐘を打つ。
 澪は「使い勝手のいい子」。頼まれごとをこなすことで、クラスにいることを許されてきた子。

 彼女はきっと、ここへ来られなくなっている。

 二年四組の教室の扉は閉まっているけれど、中には数人の生徒が残っているようだった。
「笹田さーんっ! ありがとー!」
 全身をぞわつかせるような猫撫で声にそっと教室の中を覗く。
 教室の真ん中の席に立ち塞がる数人の女子と……俯いた澪の姿があった。

 昨日聞いた相川と、彼女といつも一緒にいる根本(ねもと)に三住(みすみ)。
 澪は三人に何か手伝いをさせられていたらしい。机の上の紙束が入った封筒を回収されたけれど、なおも完全にロックオンされていた。
 
「じゃあ、今度はこっち。委員会の資料のホチキス止め、やっておいてくれない?」
 返事をする前に澪の机にドサッと置かれたのは、山みたいに分厚い紙の束とホチキス。
「えっと、あの……今日はさっきのだけでいいって言ってた、けど……」
「それはお昼休みに頼んだ分。これは、放課後の分」
「お願い。あたしたち今からカラオケ行かなきゃなの!」

 何とも身勝手過ぎる主張に、沸々と怒りが湧き上がってきて、全身が熱を持つ。
 私が声を掛ければすぐに澪を助けることはできる。トゲを思い切り伸ばせば、相川たちは怯むに決まっている。

 だけど昨日、澪は言っていた。次からは断れるよう、頑張ってみるって。
 澪。あなたは、どうするの?
 私は念のためスマホを手にして、気付かれないよう扉の端で彼女たちの様子を覗う。
「笹田さんって丁寧だし、いつも喜んで引き受けてくれるでしょう?」
「うんうん。あたしたちいつも助かってるのー。ということで、よろしく」

「……わ、わたしも、今日はこの後、海未ちゃんと約束が」
 かたん、と遠慮がちに響いた椅子の音。
 立ち上がった澪だったけれど、その声も、身体も、微かに震えていた。まるでかばんに揺れていた、小さな白いうさぎのように。

「ウミちゃん? ……あぁ、一組のウニ女ね」
 相川と根本は、顔を見合わせ、あははっと笑い声を上げた。
 噂がこんなところまで広まっていることなんてどうでも良かった。だけど、できることなら澪には知られたくなかった。私のことをやさしいなんて言ってくれた彼女に。
 羞恥心が、頬を紅潮させていく。

「ウニ……?」
 澪は顔を曇らせ、戸惑いを隠しきれないまま訊き返した。三住が「教えてあげるよー」と側の机にもたれかかる。
「最近広まってるあの子の呼び方。何かとズケズケした物言いで、トゲだらけのウニみたいだから、だって。なかなかおもしろいでしょう?」
「トゲだらけの……海未ちゃん……」
 澪の抑揚のない声は、やけに私の耳に響いた。
「そうそう。ちょっと何でもできるからって偉そうにしてさ」
「笹田さんも気をつけた方がいいよ? トゲが刺さっちゃうかも!」
「じゃあ、あと、お願いね。また明日」

 澪は、その場を動かない。下を向いたまま、スカートの裾をきゅっと握りしめた。
 これ以上放っておくなんて、できない。ウニ女だろうと何だろうと、彼女を助けたい。

「……違う」

 扉に手をかけようとしたそのとき。
 小さな否定のかけらが、確かにこぼれ落ちた。
「えっ?」
 振り返った三人から一斉に向けられる、冷たい視線。

「海未ちゃんは……ウニなんかじゃない。こんぺいとうなの」

 ――私が、こんぺいとう。
 手のひらの上で瞬いていた、小さくてきれいなトゲトゲ。

「は?」
「こんぺいとう?」
 相川たちは怪訝な表情で、ツカツカと澪のまわりに再び集まった。
 スカートを握りしめたままのその手は震えていたけれど、その顔は、しっかりと上げられていた。

「確かに海未ちゃんはトゲトゲしてるところはあるかもしれない。自分でも気にしてた」
「なんだ。自覚してるんじゃん、あの子」
 吐き捨てるかのように根本が呟いた。
「でも。でも……! そのトゲって全部海未ちゃんのものだけじゃない。みんなに陰でそんな言い方されて、刺さってるトゲもたくさんあると思う!」

「ちょっと。語りだしちゃったんですけど」
「笹田さん、そんなに喋れたんだー。意外」
 根本と三住が、冷めた表情で澪を憐れむかのように見下ろす。

「海未ちゃんは……確かに言い方はドキッとすることがあるけど、それでもみんなのためを思って、はっきり言ってくれているの」
 はぁ、はぁと、時折澪は浅い呼吸を吐きながら、それでも話すことをやめなかった。
「だから海未ちゃんのトゲはね、同じトゲでも、こんぺいとうのトゲなの。だって、こんぺいとうもトゲだらけだけど、口に入れてもちっとも痛くないでしょう?」

 私は思い出していた。ぱらぱらと手のひらに降ってきた、カラフルでかわいい星のようなこんぺいとう。口の中でからころとやさしく転がるトゲトゲ。
 澪は今、必死に私を守ってくれている。
 こんぺいとうのようにやさしいトゲを、自分の思いを彼女たちに向けている。

「海未ちゃんのトゲは世界一甘くてかわいくて、やさしいの……!」
 そこまで訴えた澪は、声を上げて泣き始めた。時折ひくっ、ひくっと喉を詰まらせながら。
 あの日以来泣いているのを見たのは、初めてだった。

「ポエマーだね、笹田さん。さっすが文芸部!」
 相川がにんまり笑って、カーディガンの袖から伸びた指先だけで軽く手を叩く。
「あー。どうしよ。めんどくさいことになっちゃった。人来たらヤバいって」
「泣くとかそういうのいいから。とにかくそれ、やっといて」
 自分たちが泣かせたくせに。どこまで彼女たちは傲慢でいい加減なんだろう。
「や……いや!」
 澪はそれでも、引くことをしなかった。

「笹田さんはねぇ、使い勝手がいいことだけが取り柄なんだよ?」
「断ったら、明日からどうなるかわかってるの? 居場所なんて簡単になくなっちゃうよ?」
 根本と三住は、くすくすと笑いながら澪の顔を覗き込む。
「でも、わたし……約束したの。海未ちゃんと、一緒に帰るって……!」
「うるさい。あんたさぁ、いい加減に……」

「本当、いい加減にしなよ」
 相川の強い声がかき消されるくらい勢いを付けて、私は扉を開け放った。バンッと跳ね返る大きな音に、他のクラスに残っていた生徒たちが、何事かと廊下に出てくる。

「つ、月本さん……」
「噂のウニ女、登場しましたけど? 言いたいことがあるなら言いなさい。はっきりと」
「い、いつからそこにいたの?」
 根本が顔を引きつらせながら後ずさる。
「さぁね」
 私は三人のことなどお構いなしに、澪の元へ真っ直ぐに向かい、手を握った。
「澪。あなたにもトゲ、あったんだね。かっこいいよ」
 泣いているからか、澪の手は熱を帯びていた。海未ちゃん、と言うだけがやっとの頬に、溢れた涙がとめどなくつうつうと流れていく。
「トゲ? ……なぁんだ。月本さんも笹田さんも同類ってこと? 良かったねー。似た者同士お似合いじゃない」
「本当。よく考えたらさ、結局どっちも使い勝手がいいだけの存在、だよね?」
 相川たち三人は、眉をひそめながらも声を上げて笑い始めた。

「……確かに、そうかもしれないね」
 私は、相川以上に口角を上げた。
「はぁ? そこ、否定するとこでしょう?」

 そう。澪と私は同じだったのだ。
 必要なときに相手の都合に合わせて呼ばれては、澪はふわふわと、私はトゲを出して、誰かのためになっていた。
 だけど心の奥には、澪の言っていた違うトゲが刺さっていた。澪にも、……私にも。

「トゲを刺してきたのは、お互い様じゃないの?」
 私は、相川に向かってそう言い切った。笑うのをやめた相川は、鋭い氷みたいな顔で私を睨みつけた。
 大丈夫。私は負けない。
 澪は私をこんぺいとうだと言ってくれたから。トゲは出すだけでなく刺さっているのだと教えてくれたから。
 だから今だけは、トゲトゲしい女になってやる。
 澪のことを、守るために。

「それ以上澪を責めるのなら、私は今すぐ職員室に行く。今までのことも、全部話すから。あなたたちが最低なことをしてるって」
 私は持っていたスマホを相川たちに向かって見せる。
「……っ!」
 画面に大きく表示された「REC」の赤い文字。相川たちの顔が、みるみる青ざめていった。

「行こう、澪。走れる?」
「……う、うん!」
 握っていた澪の手に、しっかりと力が込められた。澪のかばんとマフラーを手に、私たちは教室を飛び出した。
 ずるいとか卑怯だとか、そんな声を背中越しに聞いたけれど、決して振り返らなかった。
 知らない。もう知らない。
 あなたたちのトゲを、これ以上澪に刺させたりしない。
 階段を降りて、昇降口を抜けて。そして、あの大きなイチョウの木の待つ裏門を出るまで、私たちは手を繋いだまま、走った。

 バス停に辿り着くと、私はゆっくりと呼吸を整える。澪は泣いていたのもあって、呼吸の間にケホケホと軽い咳を繰り返すから、そっと背中をさすってあげた。
「ごめん。澪、無理させたね」
「ううん、平気……」
 目の端っこに涙を残しながらも、澪は赤い顔で微笑んだ。
「大脱出劇、成功ね。明日また、噂になるかもだけど」
「ううん。海未ちゃんのおかげだよ」
 すっかり力が抜けた私たちは、へにゃへにゃとベンチに座り込んだ。

「……ありがとね、澪」
 私は、澪に赤いマフラーをゆっくりと巻いてあげる。ふわふわの赤色が、涙の跡がついた頬をうずめた。
「海未ちゃん、どうして?」
「私のために、トゲを出してくれたから」
「わたし、トゲ、出てたのかな。こんなふうに?」
 澪は両手の人差し指を立てると、おでこに当ててみせる。
「それだと鬼になっちゃうよ」
「あ、そっか」
「あと、謎のこんぺいとう理論も」
 澪は、ちょっぴり慌てた様子でさっきより更に顔を赤らめる。
「だってわたし、本当にそう思ったから。海未ちゃんはやさしいこんぺいとうみたいな女の子だって」
「ふふ。澪のその不思議な感性、私は好きだよ。――うれしかった」
 私は、また潤んできた澪の涙を、ティッシュでそっと抑えてあげた。
「海未ちゃん……笑ってくれた。良かった」
 涙を浮かべながら、澪はまた、ふにゃりと笑った。
 
「それから、私がこんぺいとうならね、さっきの澪も同じだと思ったよ」
「わたしも?」
 意外だといった様子で、澪は目を目をまんまるにした。
「さっきあの子たちの前ではっきり言ってくれたことも、やさしいトゲみたいだった」
「でも……わたし泣いちゃったし、まだ修行が足りないと思う。海未ちゃんみたいに、もっと堂々としていたい」
 澪は「修行なら山に籠ったほうがいいかな」なんて、半分本気なんじゃないかってくらい真剣な顔になった。
「修行かぁ。……じゃ、一緒に目指そうよ。こんぺいとう」
「一緒に?」
「私もウニ女なんて呼ばれないように、もう少し、痛くないトゲを目指すから」
 はっきり自分の思いを伝えること。時にそれはトゲのように尖ってしまうかもしれない。
 でも澪と一緒なら、きっとこんぺいとうのようにやさしいトゲになれるって、わたしは信じて疑わない。
「海未ちゃんと一緒なら、わたしもこんぺいとうになれそう」
 思っていたことと全く同じ言葉を澪が言うから、ふふっと笑い声が漏れる。澪もそんな私を見て、同じように笑った。やっぱり私たちは、どこか似た者同士だったんだ。

 バスがゆっくりとこちらへ向かってくる。ゆらゆら揺られながら、何を話そうか。こんぺいとうを目指す私たちは、まだまだ話したいことがたくさんある。
「澪。バス降りたら公園行こうよ。あったかいの買って。もう少し話したい」
「うん! こんぺいとうも買っていい?」
「もちろん」
 即答した私に、澪は「ありがとう」とはにかんだ。

 翌日廊下で会った澪の髪には、私の贈ったあの淡い桃色の、こんぺいとうみたいなヘアピンが光っていた。
 髪はまだ少し跳ねていたけれど、開け放たれた窓から流れ込む秋風に、ふわふわと軽やかになびいていた。