高校前のバス停には珍しく他に誰もいなくて、へとへとになった私たちはすぐベンチに並んだ。
次のバスが来るまで、あとニ十分程ある。澪にもう少し最近の様子を訊くべきかなと思ったけれど、隣に座る彼女の横顔は人心地に満ちていて、その質問は今は心の奥にしまっておくことにした。
空の色に少しずつ、グレーとオレンジが溶けながらくすんでいくのを、ただぼんやりと眺めていたら。
「あっ! そうだ」
澪ははっとして、かばんのファスナーを開け……かけたけれど、すぐにうなだれてしまった。
「どうしたの?」
「あのね、海未ちゃんに何かお礼したかったの。でも今日、お財布忘れたんだった」
澪はかばんの持ち手をきゅっと握って、しょんぼりと呟いた。
「いいよ、お礼だなんて」
「そういうわけにいかないよ。何か、いいものないかな……」
澪のかばんのファスナーにはふわふわした雪のように白いうさぎのぬいぐるみがぶら下がっていて、時折跳ねるように揺れる。
程なくして中から出てきたのは、かぎ針編みで編まれた、ベージュ地にくすみピンクのフリルがついた巾着だった。
澪らしい、やわらかな色合い。
「その巾着、かわいい」
「ありがとう。糸はわたしが選んで、おばあちゃんが編んでくれたの。すごく気に入ってるんだ」
「そっか。いいね」
澪がおばあちゃんっ子なのを、私は知っている。
「海未ちゃん、両手出して。お皿みたいに」
「……? こう?」
差し出した両手を見つめていると、澪は巾着から小さな袋を取り出した。
ぽとん。桃色の小さな粒が、手のひらに落ちた。
それから、黄色。オレンジ。空色に薄紫。
ぱらぱらと、カラフルな粒たちはわたしの両手を彩った。
「こんぺいとう……」
「ごめんね。今はこんなものしかなくて」
「ううん。ありがとう。……きれい」
「うん。お星様みたいでしょう?」
手のひらに広がる星空。一つ摘まんで口の中に入れると、ほんのりとしたやさしい甘さが口いっぱいに広がった。
「おいしい。私、甘いもの食べたかったの」
「良かった。疲れたときには甘いもの、だよね」
ふたりでコロコロと、口の中でこんぺいとうを転がす。丸みを帯びたトゲトゲの食感が心地良い。
「こんぺいとうってね、このトゲトゲを作るのにすっごく時間がかかるんだって。正式には角、っていうらしいんだけど」
澪が、ふいにそんな豆知識を披露してくれた。私は摘んだ桃色のこんぺいとうを、まじまじと見つめてみる。
「そうなんだ。知らなかった」
「少しずつお砂糖を入れながら、大きなお鍋を長い間回していくの。そうやって少しずつ、中のこんぺいとうたちのトゲができていくんだって。すごいよね」
テレビで作っているのを見たのだと、澪はちょっぴり得意気に顔を綻ばせた。
「この桃色の子も、こっちの黄色の子も、時間を掛けてこんなにトゲトゲのかわいい形になったんだね」
時間を掛けて……トゲが……。
「……ねえ、澪」
「なぁに?」
澪は口をもぐもぐさせながら、不思議そうに私を見つめた。
「私の話し方って、トゲがあると思う?」
「ふぇっ!?」
体を仰け反らせる勢いでたじろいだから、ちょっと吹き出しそうになってしまう。
「そんなに驚かないでよ。怒らないから、正直に教えて」
澪は、マフラーの先のフリンジを指先にくるくると巻きつけては離す。しばらく考え込んでいたようだったけれど、小さく息を吸った。
「……うーん。あのね、ちょっと、ドキッとすることはあるかな」
彼女なりに、かなり言葉を選んだことが伝わってくる。
「そっか。ドキッと、ね――」
「あ、その……ごめんね」
「ううん。自分でも自覚してるとこあるから。特に誰かがはっきり言わなきゃってときにはつい、トゲトゲしくなってしまうの」
澪は、マフラーに触るのをやめて私に向き直った。
「私さ、昔から曲がったことが嫌いだった。悪いことが許せなかったの」
「うん。海未ちゃんは正義の味方、みたいだもんね」
澪はふふっと何かを思い出すように笑った。
「でも、やんわり伝えたところで聞いてくれない子たちもいるから、どうすればわかってくれるかって考えているうちに――ついトゲトゲしい言い方をしてしまうようになったみたい」
『海未ちゃんは、何でもできるから。しっかりしてるから。みんなのお手本になれるようにしっかり頑張りなさい』
周囲の大人たちから、幾度となくそんな言葉を投げかけられた。一番古い記憶は、幼稚園のとき。
変に真面目だった私は、その言葉たちを両手でしっかり受け取った。さっき澪がこんぺいとうをくれたときのように。
言われた通りに、それ相応の努力をした。幸い努力した分だけ能力を伸ばすことができたから、自然とまわりの子たちを引っ張る役目になった。
でも時には、はっきりした物言いが気に入らないとか、生意気だとか、そんなことを言われるようになって。
少し混乱したけれど、それでも役割は変わらない。私は私の言葉を信じて、みんなのためになることをしたかった……はずだったのだけれど。
「私のいくつもあるトゲも、時間をかけてゆっくりできてきたのかもね」
最後に残ったこんぺいとうは、まるで目の前の夕焼けのようなオレンジ色だった。それを、そっと口に放り込む。
「海未ちゃんのトゲ……」
「もう高二なんだし、もうちょっと大人の対応をしなきゃ、とは思うんだけどね」
「あのね、海未ちゃん」
今度は澪が、私の手をそっと取った。握った手はやっぱり白くて細くて、冷たかった。
「わたしは海未ちゃんが本当はとってもやさしいこと、知ってるよ」
「私が、やさしい?」
「中学の時もね、わたしが男子にからかわれてたら助けてくれた。海未ちゃんがぴしゃっと言ってくれてから、みんな何も言わなくなったんだよ」
固く結ばれた記憶のリボンをゆっくりと解いていく。
そう。中学一年生のあの日だった。自分には母親がいないと、澪が打ち明けてくれたのは。
参観日に決して母親が来ないことを、クラスの男子たちが囃し立てるように笑って、それを私が注意した。澪が声を上げて泣いているのを見たのは、あの日が最初で最後だった。
「あれはただ私が見ててむかついただけで――あ、こういう言い方もトゲなのかな。……ごめん」
「ううん。そんなことない」
ふるふると首を横に振った澪は、私の手をそっと擦る。
「トゲはあるかもしれないけど、人のためを思ってのトゲなんだよ、きっと。それから――」
小さな深呼吸をして、澪は私の手を握る手にほんの少し力を込めた。
「トゲにもね、いろいろあると思うの」
「いろいろ?」
「海未ちゃんの言う、話し方につい出てきちゃうトゲ。それから、つらい思いをして心に刺さるトゲ。……そんな自分を守るためのトゲ。特に海未ちゃんは、みんなのために一生懸命だから、そんないろんなトゲがあるのかなって」
意外な言葉だった。考えたこともなかった。
確かに本物のウニの身体中のトゲは、自分の身を守るためにある。
同じように、私のトゲの中にも、傷ついたときに刺さったトゲや、私が私を守るためのトゲも存在するのだろうか。
それに。
だとしたら、一見ふわふわの綿菓子のような澪にも、トゲが刺さっていてもおかしくない。
彼女の置かれた境遇を顧みると、そう思うのは自然なことだった。
心の奥深くに刺さって抜けない、決して他人には見せることのない、もしかしたら澪自身も見ないことにしているトゲが。
「あ、バス来たよ!」
私は立ち上がった澪に、それ以上何も訊けなかった。訊くのが怖くなってしまったことを、心の中で恥じた。
「はー。あったかいね、海未ちゃん」
バスの中はこたつの中みたいに暖かくて、私には少し暑いくらいで。寒がりの澪は満足気に笑う。
「あのね、海未ちゃん。また一緒に帰りたい。その……良かったら、でいいから」
澪は、ほろりとそんなことを口にした。
「うん。帰ろ。明日また裏門で待ち合わせようか」
私は即答していた。自分でも驚く程に、躊躇いがなかった。
「えっ、いいの? 部活は?」
「サボる」
「海未ちゃんも、サボることがあるんだ」
「まぁね」
本当は、サボったことなんて一度もなかった。でも部活より何より、なぜか私は明日も澪に会いたいと思った。
「良かった。海未ちゃん、わたし楽しみにしてるね」
私たちは夕暮れの街の中を、ゆらゆらとバスに揺られた。心地よい振動の中で、私たちはいろいろなことを話した。中学の頃のことが中心で、タイムカプセルを開けたような時間だった。
その日の夜。
私はふと、思い立ってヘアアクセの入ったケースを開けた。
「これ、やっぱりかわいい」
澪がくれたこんぺいとうのような、淡い桃色の小さな星が三つ並んだヘアピン。
完全に一目惚れだった。留める予定もないのに買って、時々こうして取り出しては眺めるだけになっていた。
余計なお世話かもしれないけれど、澪の髪をきれいに梳いて、このヘアピンを留めてみたらどうだろう。
きっと、似合うに違いない。こんぺいとうみたいだねって、ぴかぴか空に瞬く星のように、笑ってくれるかもしれない。
私はヘアピンを小花柄の包装紙で包むと、水色のリボンを掛けた。
明日、澪に渡してみよう。気に入ってもらえるかはわからないけれど。
その日の夜は良く眠れた。寝る前に、ウニではなく澪が教えてくれたこんぺいとうの作り方を調べたからだろうか。
空の星がきらきら輝くこんぺいとうになる夢を見た。とてもやさしくて、幸せな夢だった。

