四月中旬、とある昼休み。
一人、体育館横の木陰に腰を下ろすと手に持っていた弁当袋を芝の上に広げた。
大半の生徒は教室か食堂で食べているので、わざわざ教室から離れた場所で食べている人は滅多に居らず、昼休みを静かに過ごしたい俺にとって、ここは絶好の昼食場所だった。
頭上では緑色の葉が風に揺れ、サワサワと心地のいい音を鳴らしている。
まだ暑さも厳しくなく過ごしやすい気温にほっと一息つく。
手を合わせ、弁当の蓋を持ち上げると、まずは本日のおかずを確認する。
鶏の唐揚げに卵焼き、ほうれん草の胡麻和え。
唐揚げは昨晩の残り物だが揚げたてとは違い、衣が他の食材の湿気を吸ってふにゃふにゃに柔らかくなっているので全くの別物である。それに好物は何度食べたって飽きないので、思わず小さなガッツポーズを決めた。卵焼きは勉強で疲れた脳味噌をリセットできるようにほんの少しだけ甘め。そしてほうれん草の胡麻和えは野菜嫌いの俺でも食べやすく、胡麻と砂糖多めで調理されている。
プラスチック製の滑りやすい箸で慎重に唐揚げを掴み、一口齧る。続けてふりかけの掛かったご飯を多めに掬い、一緒に咀嚼した。
——母さんの唐揚げ、やっぱうまいなぁ。
朝早くから弁当を作る母親に感謝しながら噛み締めると、ふと真横に生えている木の花を眺めた。
細い幹からひょろりと横に伸び、さらに細くなった枝先には、とても小さな白い花がいくつも開いている。よく街中で見かけるこの花の名前を以前、陽兄に教えてもらった気がする。だが肝心の名前が思い出せないので、携帯電話で写真を撮り、直接聞くことにした。
『この花の名前なんだっけ』
メッセージと共に写真を送ると意外にもすぐに既読が付いた。返信が来るまで画面を開きっぱなしにしていたが、なかなか回答が得られず、ついに液晶画面のライトが暗くなったので諦めて半分になっている唐揚げとご飯を口に放り込んだ。
きっと今頃は仲のいい友人たちとどこかで昼ご飯を食べているに違いない、既読が付いただけマシだ——と自分を納得させると再び白い花を観察する。
「ハナミズキだよ」
突如背後から柔らかい声が降ってくると、反射的に上半身を捻り、顔を上げた。
——陽兄。
少しだけ肩を上下に動かしながら佇む彼は、逆光で表情は読み取りにくいものの、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。
「隣座るよ」
「んぅ、ん」
口いっぱいに頬張ってしまったせいで返事ができないが、陽兄は肩が触れるか触れない距離に腰を下ろすと、太腿の上に弁当箱を広げ始めた。
俺は口の中に滞在する鶏肉と米をすり潰し飲み込むと、ようやく口を開けるようになった。
「なんで俺がここにいるってわかったの」
「お兄ちゃんパワー?」
「冗談いいから」
「ゴメンゴメン、この学校でハナミズキが咲いてる場所は職員室と体育館の横だけだから」
「そうなんだ」
陽兄は軽く乱れた呼吸を整え終えると静かに手を合わせ、お弁当の蓋を開けたので横目で覗き見た。
シュウマイに卵焼き、プチトマト、ピーマンの和え物。
恐らく大きさと形からして手作りシュウマイだと俺の食べ物レーダーが反応し、一人ほくそ笑んでいると、数十秒前まで唐揚げが居たスペースに、シュウマイが一個収められた。
しかもご丁寧なことにからし付きで。
「あげる」
「え」
「食べたいんでしょ」
「美味しそうだとは思ったけどさ」
「じゃああげる。その代わり唐揚げちょうだい」
「えー」
「いいでしょ。葉のお母さんの唐揚げ美味しいから食べたい」
「それが狙いか。まぁいいけど、等価交換な」
陽兄の弁当箱の空きスペースに唐揚げを押し込むと『やったー!』と無邪気な反応が返ってきた。
早速もらったシュウマイに齧り付くと、パンチ力のある肉肉しさと玉ねぎの甘さに唸る。やはりこの馴染み深い味は陽兄の母親の手作りで間違いない。
一方、隣では陽兄が唐揚げを口いっぱいに頬張りながら大きく頷いていた。
「うんまっ」
「うぉいふぃー」
「口の中ギチギチで喋んなって」
「んん……だって、凄く美味しかったから」
「ほんと母さんの唐揚げ好きだよな」
「ウチのも美味しいんだけどさ、やっぱ人の家のご飯ってよりいっそう美味しく感じない?」
「確かに、オバさんのシュウマイもウマい」
「今日帰ったら言っておくね」
「あ、待った。卵焼き交換したい」
「あーんして」
「やだ」
「やなの⁉︎ お兄ちゃんのお願い聞いてくれないの?」
「外だし」
「周りに誰もいないよ」
「そうだけどいつどこで誰が見てるかわかんないだろ」
「……わかった」
陽兄が眉を下げながら大人しく引き下がったので、俺は黄色の濃い卵焼きを一切れ挟むと陽兄の持つご飯の上に乗せようと手を伸ばした——直後、右手に大きな衝撃。
「あっ……!」
箸を握る手が大きく揺れると、挟んでいたはずの卵焼きは消失していた。
思わず陽兄をキッと睨みつけると、右頬を膨らませながら悪餓鬼のように笑っているではないか。
「おい何すんだよ!」
「ふ、くっ……くくっ……あー、おいしいっ!」
「勝手に食うなって! どんだけあーんが良かったんだよ‼︎」
「あーんすると美味しさも甘さも二倍になるんだよ、知らない?」
「知らんて」
「ほら、僕の卵焼きあげるから食べてみて」
陽兄は卵焼きを箸の上に乗せ、口元まで運んでくれると普段よりちょっぴり甘ったるい声でお決まりのセリフを発した。
こういうのは恋人同士でやるものだろ!——と内心ツッコミを入れながら、黄色の塊を凝視していると、ツンと柔らかい感触が唇に触れた。
「押し付けんな」
「口開けてくれないから」
「わかったって、食べるから……」
陽兄のあーん攻撃に白旗を上げると、周囲に人が居ないことを念入りに確認してから箸ごと咥えた。
かなり前にも食べたことのある、甘さ控えめの変わらない味。他のおかずで疲れた口をリフレッシュするいい砂糖塩梅だと思う。
「どう? 美味しいでしょ」
「普通にうまい卵焼きだけど」
「えぇっ⁉︎ おかしいなぁ、前にあーんしてもらった時も甘くて美味しくなったんだけどな」
「それって多分、俺ん家の卵焼きが砂糖多めで陽兄の好みの味なだけだから」
「そんな素っ気ないこと言わないでよ」
陽兄の頭がガクリ、と大きく項垂れた次の瞬間。
鋭い風が吹き抜け、頭上の木々が煽られると、弁当箱の隙間にハナミズキの花弁が落ちたのだった。
一人、体育館横の木陰に腰を下ろすと手に持っていた弁当袋を芝の上に広げた。
大半の生徒は教室か食堂で食べているので、わざわざ教室から離れた場所で食べている人は滅多に居らず、昼休みを静かに過ごしたい俺にとって、ここは絶好の昼食場所だった。
頭上では緑色の葉が風に揺れ、サワサワと心地のいい音を鳴らしている。
まだ暑さも厳しくなく過ごしやすい気温にほっと一息つく。
手を合わせ、弁当の蓋を持ち上げると、まずは本日のおかずを確認する。
鶏の唐揚げに卵焼き、ほうれん草の胡麻和え。
唐揚げは昨晩の残り物だが揚げたてとは違い、衣が他の食材の湿気を吸ってふにゃふにゃに柔らかくなっているので全くの別物である。それに好物は何度食べたって飽きないので、思わず小さなガッツポーズを決めた。卵焼きは勉強で疲れた脳味噌をリセットできるようにほんの少しだけ甘め。そしてほうれん草の胡麻和えは野菜嫌いの俺でも食べやすく、胡麻と砂糖多めで調理されている。
プラスチック製の滑りやすい箸で慎重に唐揚げを掴み、一口齧る。続けてふりかけの掛かったご飯を多めに掬い、一緒に咀嚼した。
——母さんの唐揚げ、やっぱうまいなぁ。
朝早くから弁当を作る母親に感謝しながら噛み締めると、ふと真横に生えている木の花を眺めた。
細い幹からひょろりと横に伸び、さらに細くなった枝先には、とても小さな白い花がいくつも開いている。よく街中で見かけるこの花の名前を以前、陽兄に教えてもらった気がする。だが肝心の名前が思い出せないので、携帯電話で写真を撮り、直接聞くことにした。
『この花の名前なんだっけ』
メッセージと共に写真を送ると意外にもすぐに既読が付いた。返信が来るまで画面を開きっぱなしにしていたが、なかなか回答が得られず、ついに液晶画面のライトが暗くなったので諦めて半分になっている唐揚げとご飯を口に放り込んだ。
きっと今頃は仲のいい友人たちとどこかで昼ご飯を食べているに違いない、既読が付いただけマシだ——と自分を納得させると再び白い花を観察する。
「ハナミズキだよ」
突如背後から柔らかい声が降ってくると、反射的に上半身を捻り、顔を上げた。
——陽兄。
少しだけ肩を上下に動かしながら佇む彼は、逆光で表情は読み取りにくいものの、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。
「隣座るよ」
「んぅ、ん」
口いっぱいに頬張ってしまったせいで返事ができないが、陽兄は肩が触れるか触れない距離に腰を下ろすと、太腿の上に弁当箱を広げ始めた。
俺は口の中に滞在する鶏肉と米をすり潰し飲み込むと、ようやく口を開けるようになった。
「なんで俺がここにいるってわかったの」
「お兄ちゃんパワー?」
「冗談いいから」
「ゴメンゴメン、この学校でハナミズキが咲いてる場所は職員室と体育館の横だけだから」
「そうなんだ」
陽兄は軽く乱れた呼吸を整え終えると静かに手を合わせ、お弁当の蓋を開けたので横目で覗き見た。
シュウマイに卵焼き、プチトマト、ピーマンの和え物。
恐らく大きさと形からして手作りシュウマイだと俺の食べ物レーダーが反応し、一人ほくそ笑んでいると、数十秒前まで唐揚げが居たスペースに、シュウマイが一個収められた。
しかもご丁寧なことにからし付きで。
「あげる」
「え」
「食べたいんでしょ」
「美味しそうだとは思ったけどさ」
「じゃああげる。その代わり唐揚げちょうだい」
「えー」
「いいでしょ。葉のお母さんの唐揚げ美味しいから食べたい」
「それが狙いか。まぁいいけど、等価交換な」
陽兄の弁当箱の空きスペースに唐揚げを押し込むと『やったー!』と無邪気な反応が返ってきた。
早速もらったシュウマイに齧り付くと、パンチ力のある肉肉しさと玉ねぎの甘さに唸る。やはりこの馴染み深い味は陽兄の母親の手作りで間違いない。
一方、隣では陽兄が唐揚げを口いっぱいに頬張りながら大きく頷いていた。
「うんまっ」
「うぉいふぃー」
「口の中ギチギチで喋んなって」
「んん……だって、凄く美味しかったから」
「ほんと母さんの唐揚げ好きだよな」
「ウチのも美味しいんだけどさ、やっぱ人の家のご飯ってよりいっそう美味しく感じない?」
「確かに、オバさんのシュウマイもウマい」
「今日帰ったら言っておくね」
「あ、待った。卵焼き交換したい」
「あーんして」
「やだ」
「やなの⁉︎ お兄ちゃんのお願い聞いてくれないの?」
「外だし」
「周りに誰もいないよ」
「そうだけどいつどこで誰が見てるかわかんないだろ」
「……わかった」
陽兄が眉を下げながら大人しく引き下がったので、俺は黄色の濃い卵焼きを一切れ挟むと陽兄の持つご飯の上に乗せようと手を伸ばした——直後、右手に大きな衝撃。
「あっ……!」
箸を握る手が大きく揺れると、挟んでいたはずの卵焼きは消失していた。
思わず陽兄をキッと睨みつけると、右頬を膨らませながら悪餓鬼のように笑っているではないか。
「おい何すんだよ!」
「ふ、くっ……くくっ……あー、おいしいっ!」
「勝手に食うなって! どんだけあーんが良かったんだよ‼︎」
「あーんすると美味しさも甘さも二倍になるんだよ、知らない?」
「知らんて」
「ほら、僕の卵焼きあげるから食べてみて」
陽兄は卵焼きを箸の上に乗せ、口元まで運んでくれると普段よりちょっぴり甘ったるい声でお決まりのセリフを発した。
こういうのは恋人同士でやるものだろ!——と内心ツッコミを入れながら、黄色の塊を凝視していると、ツンと柔らかい感触が唇に触れた。
「押し付けんな」
「口開けてくれないから」
「わかったって、食べるから……」
陽兄のあーん攻撃に白旗を上げると、周囲に人が居ないことを念入りに確認してから箸ごと咥えた。
かなり前にも食べたことのある、甘さ控えめの変わらない味。他のおかずで疲れた口をリフレッシュするいい砂糖塩梅だと思う。
「どう? 美味しいでしょ」
「普通にうまい卵焼きだけど」
「えぇっ⁉︎ おかしいなぁ、前にあーんしてもらった時も甘くて美味しくなったんだけどな」
「それって多分、俺ん家の卵焼きが砂糖多めで陽兄の好みの味なだけだから」
「そんな素っ気ないこと言わないでよ」
陽兄の頭がガクリ、と大きく項垂れた次の瞬間。
鋭い風が吹き抜け、頭上の木々が煽られると、弁当箱の隙間にハナミズキの花弁が落ちたのだった。
