ようくんはひとりじめしたい!

 十二月下旬。季節は冬へと移り変わる。
 街の木々は葉を落とし、裸になった枝を肌寒そうに震わせていた。
 僧侶が走る、と喩えられるように、どこもかしこも忙しなく、道行く人々は新たな年を迎えにいくよう、小走りになっていた。
 今年最後の面談と教室の大掃除を終え、終業式を迎えれば、皆が待ち望んでいた冬休みがやってくる。
 そんな浮つく世間とは裏腹に、気分は深く沈み、暗い海の中を彷徨っているようだった。

 ——千羽大学。今住む町から電車で二時間はかかるところにある大学。
 当然、実家から通うのは厳しいので、合格した暁には大学近くのマンションに引っ越す予定らしい。
 あの日、いちょうの木の下でその話を聞いた瞬間、パキリと心の中で何かが割れる音がした。
 突然泣き出した俺を、ようくんも瀬音先輩も心配していた気がするけれど、その声はよく聞こえなかった。
 それでもカレンダーのめくられる音だけは耳に届き、無情にも日々は過ぎていく。
 白紙のテスト用紙、灰色の海。
 それが現実。

 ——ようくんがいない。

 これまでとは違う、物理的に縮めることが不可能な距離を前になす術もない俺は、休みに入ってから部屋で塞ぎ込むようになってしまった。
 なぜもっと早くに聞いておかなかったのか——否、本当は聞くのが怖くて、ずっとこの話に触れてこなかっただけなのかもしれない。
 布団を頭まで被り、曇ったガラス窓に指を当てると『ようくん』と平仮名をなぞる。綺麗に文字の部分だけが外の世界を覗けるようになっていたが、時間が経つにつれて白くなり、最後はその名前も消えてしまった。
 窓から漏れ出る冷気が少しずつ体温を奪っていく。
 心の隙間を埋めるように体に布団を巻きつけ、ベッドに寝転がっていると、コンコンとドアを叩く音が聞こえた。

「なに……」
「葉。僕だけど、入ってもいい?」
「ようくん……?」

 布団の虫のまま、ベッドからずるずると滑り落ちると、外の世界から訪ねてきた住人を迎え入れた。

「お邪魔します。わ! 凄いぐるぐる巻きだ」
「んー……ごめん、こんな格好で」
「いいんだよ、今日は寒いからね」
「なんか約束してたっけ……」
「午前中買い物に行ってきたんだけど、帰りに葉の好きなバス停前のケーキ屋さんでプリン買ってきたから一緒に食べよう?」

 白いケーキボックスを目の前に差し出されると、俺は布団の中から這い出し、箱を受け取った。
 この部屋にはローテーブルなんて気の利いたものはないので、部屋の隅に積まれていたプラモデルの空箱をベッドの横まで引っ張り寄せ、その上に箱から取り出したプリンとスプーンを二つずつ並べ、最後は布団を床に敷くと、即席の特別席をあつらえた。

「ここ座って」
「布団潰れちゃうよ?」
「いいから」
「じゃあ座るね?」

 ようくんは律儀に靴下を脱ぐと、隣に腰を下ろした。
 透明な袋からスプーンを取り出し、プリンに被さったプラスチックの蓋を開ける。
 「いただきます」と小さな声で挨拶してから、まずは生クリームとプリンを一緒に掬うと目の高さまで持ち上げ、横に揺らした。
 柔らかなプリンはスプーンの上で懸命にぷるんぷるん、と食べてよアピールをしているので、躊躇わず頬張ると、舌の上でクリームと一緒に溶けてなくなった。
 その様子をようくんは微笑みながら見つめていた。

「んー……んま……このプリン、ウマい。この店のプリン食べたことなかったけど、こんなに美味かったんだな」
「僕も食べたことなかったんだけど、ここのカスタードクリームおいしいから、プリンもいけるかなって思ってね」

 ようくんも一口食べると、頷きながらこちらに笑いかけてきたので、つられてもう一口食べる。なぜだか一口目より美味しく感じた。
 仄かに伝わる体温を肩越しに感じながら、黙々とスプーンを口へ運ぶ。
 あっという間に容器が空になると、スプーンと一緒に箱の上へ置き、ベッドに寄りかかった。

「ごちそうさまー」
「ごちそうさまでした。おいしかったね」
「ありがと、なんか久しぶりにウマいもん食べた」

 修学旅行先や母親の食事も決して不味くはなかったのだが、どこか味気なかった。
 天井をぼんやり見上げていると、ようくんの温かい指が目の下を撫で、その心地良さに瞼を閉じた。

「ねぇ、葉……最近ちゃんと寝てる?」
「え……?」
「目の下にクマさんができちゃってる……それに葉のお母さんから聞いたけど、ご飯あんまり食べてないんだって?」
「母さんは心配性なんだよ。いつもよりちょっと食べる量が減っただけで騒ぐんだって」

 彼に心配を掛けたくない一心で空笑いすると、熱を持った指先はわずかに震えていた。

「……あのさ、もし葉の体調が悪くなければ明日、どこか出かけない?」
「どこかって」
「どこがいいかな。この時期だと動物園は寒いし、植物園はあまり花が咲いてないから……」
「じゃあ水族館は? 電車ですぐ行けるじゃん」
「水族館、いいね!」

 早速、ようくんは携帯電話で近くの水族館の情報を調べ始めたので、俺はその後ろ姿を眺めた。

「新江浜(しんえはま)水族館だと十時からオープンするみたいだよ。ここなら電車で一時間くらいで行けるから朝九時過ぎくらいに迎えに来るのでも大丈夫?」
「ん、わかった」
「じゃあ明日はたっくさん遊べるように、今日の夜ご飯はモリモリ食べて、早く寝るんだよ?」
「俺は餓鬼じゃねぇっ!」

 ようくんは小さく含み笑いをすると『そうだね』と溢したのだった。
 それから靴下を履き直し、ゴミを箱の中に詰め直すと、腰を上げたのだった。

「いっぱい思い出作ろうね。じゃあまた明日」

 優しく笑う彼に手を振ると、明日に思いを馳せながら瞼を閉じたのだった。

 ⁂

 翌日、朝七時。
 待ち合わせ時間より二時間も早く起きた俺は、まず部屋の空きスペースで軽く体操してから、用意しておいた服に着替えた。
 昨晩は何を思ったのか、タンスもクローゼットもひっくり返す勢いで片っ端から服を出しては、ファッションショーを開催し、白のパーカーに黒のスラックス、ずっとしまい込んでいた良さげな黒いコートのコーデを完成させたのだった。
 服に毛玉がないか入念に確認し、ショルダーバッグにハンカチとティッシュ、財布、携帯電話を入れると荷物を抱えて一階に降りる。
 洗面台で顔を丁寧に洗い、櫛で髪を整えてからリビングに向かうと、母親が食パンを焼いているところだった。

「母さん、おはよ」
「おはよう。あら、なんだか今日はいつもよりオシャレじゃないの」
「ようくんと出かけるから」
「……そう。帰りが遅くなるなら後で連絡しなさいよ」

 母親の言葉に頷くと、パンが焼き上がるまでテレビを見ながら待った。
 それから朝食を食べて、歯を磨いて、トイレに行って、もう一度鏡で姿を確認していると、いつの間にか待ち合わせの時間になっていたので、外出用のスニーカーを履き、数日ぶりの外の世界に飛び出したのだった。
 太陽の眩しさに一瞬、視界を奪われるも、その先にはスラッとした出で立ちの青年が門扉の外に佇んでいた。

「あっ! 葉、おはよう」
「おは——」

 ギッ、と鉄の扉を押し開けて、入ってくる彼の姿に言葉を失う。
 いつもよりボリューム感のあるヘアスタイルに、黒のタートルネックとベージュのカーディガン、それにクリーム色のコートを羽織ったコーデは大人っぽく見えた。

「お、おはよ」
「おはよう。あれ、そんなにジッと見て、もしかして今日の格好変だったかな?」
「いっ、いや……」

 少し不安げな表情を浮かべたようくんが近付いてくると、今度はいつもの安心する香りに混じって何だかムズムズする香りが漂っていた。例えるのなら紳士服のお店で嗅いだことのあるような、背伸びした匂い。

「それとも具合悪い……?」
「えっ。そ、そんなことない……! ただ、その、かっ……かっこいい……から」

 何だか照れ臭くて直視できずにいると、ようくんはその場で軽く跳ねながら明るい声を発した。

「本当に⁉︎ よかったぁ、今日はいつもより気合い入れたんだ」
「凄く、いいと、思う。本当、隣に立ってるのが申し訳ないくらい……」
「何言ってるの。葉だって今日はとってもオシャレしてるよね? ちゃんと意識してくれてありがとう。かっこいいよ」
「あ、あ」
「じゃあそろそろ行こっか?」
「う」

 〝あ〟と〝う〟だけで返事すると、彼の横に並んでバス停に向かう。
 ようくんは笑顔で色々な話題を振ってくれているのだが、全て右から左に突き抜けていく。何だか病気になってしまったのではないかと思えるほど、自分じゃないような気分だ。
 バスに揺られて、駅に着くと人の多さに圧倒され、急に現実に引き戻される。視線や会話が気になり、心が浮き足立ち始めると俯きがちになった。

——やっぱり、ようくんと俺が並んでるとおかしい?

 誰かに何かを言われているわけではないのに、急に不安の波が押し寄せてくると、ようくんが肘で軽くつついてきたのだった。

「やっぱりクリスマスだから人多いね。僕が迷子にならないようにちゃんと見張っててくれる?」
「お、おう……」

 ようやく彼の顔を見られると、寒さからかほんのりと頬を赤らめながら笑いかけてきていた。その表情は荒波を凪に変えてくれた。
 電車の車窓から見える景色はビルや家々に始まり、緑が増えていくと、突然視界が切り開かれ海が見えた。
 竜宮城のような最寄駅に到着すると、街路樹はヤシの木が多く、冬なのに南国感が溢れていた。しかし、遠くから流れてくる海風は刺すような冷たさを帯びており、顔や首元に入り込むと体温を奪い去っていく。

「さっっっっぶ‼︎」
「マフラー持ってきたけど使う?」
「いいの?」
「もちろん、葉が寒がるかと思ったからね」

 ようくんは鞄から灰色のマフラーを取り出すと、優しい手つきで首に巻いてくれた。
 首元が暖かくなり、震えが和らぐと、点在している看板を頼りに水族館へ向かう。
 駅から歩いて五分足らずで目的地へ辿り着くと『新江浜水族館』と大きく書かれている、クラゲの装飾が施されたゲートを見上げた。
 チケットカウンターでようくんが二人分の料金を払うと、クラゲのイラストが描かれたチケットを渡してきた。

「チケット代、自分で出すって」
「いいからいいから、今日は僕にイイ顔させてよ」
「……ずるい」
「僕が連れ出したんだから当然でしょ。ほら拗ねてないで行くよ」

 彼の背中を追って、入場ゲートを通過し、館内に足を踏み入れるとウェルカムラウンジにはクラゲの入ったシャンパンタワーが展示されていた。

「うわー……すっごい綺麗だな!」
「こういう展示方法もあるんだ、中でふわふわ一生懸命泳いでて綺麗だね」
「これはテンション上がるな、早く中も見に行こうぜ!」

 軽い足取りで最初の展示へ向かうと、そこに広がっていたのは、色鮮やかな魚たちが泳ぐ、あたたかい海の世界だった。
 珊瑚礁やイソギンチャクの間を、カラフルな魚たちが縦横無尽に泳ぎ回る水槽に両手を押し当て、食い入るように見つめていると、隣で見ていたようくんが顔を近付け、指を差してきたのだった。

「見て見て、ここの砂の下にシマシマのチンアナゴがいるよ」
「こっちのイソギンチャクの中にはクマノミがいるぞ!」
「本当だ、ちっちゃくてかわいいね」
「いい色だよなー、あっちの水槽も見に行く」
「あっ、葉! お魚さんは逃げないから慌てないで平気だよっ」

 ようくんの少し焦る声を背に、次々と水槽を覗き込んでは解説パネルを読み、ペンギンの餌付けタイムや大水槽を順に見て回ると、あっという間に一階フロアの展示を制覇してしまった。
 次は、海中をイメージした水槽に囲まれたエスカレーターを昇って、二階フロアに向かう。
 今まで見てきた明るい海の世界から一転して、深海ゾーンは全体的に薄暗く、赤く照らされた水槽はどこか恐怖を感じさせる演出だった。
 反射的にようくんの袖を掴むと、彼は水槽から目を離し、こちらの様子を窺ってきた。

「なんだか暗くて不気味だね」
「うん、さっき見てた魚より変な形も多いし」
「そうだね。虫っぽい形とか透けてる魚とか……葉はちょっと苦手かな」
「苦手」
「じゃあこの先にクラゲの展示があるからそっち行こっか」

 先導してくれる彼にくっついて赤黒い世界を抜ければ、今度は不安を和らげる、一面青の世界に辿り着いた。
 縦長の水槽の中には大小様々なクラゲが浮遊しており、思わずボーッと眺めてしまう。

「葉、ほらこっちに椅子があるから座って見よう」

 クラゲゾーンの中央に設置されたベンチに腰掛けると、ようくんの肩に寄り掛かり、ただ静かに目の前の世界を見つめた。
 横に大きく広がる水槽の中では、とても触手の長いクラゲたちが、触手を絡ませ合っては優雅に舞っている。

「こんなに綺麗なのに毒があるんだよね」
「全然そうは見えないのにな」
「でも人だってそうでしょ?」
「それって、瀬音先輩は黙ってれば見た目はそんな悪くないのに、喋るとチャラくてウザいとか」
「今、瀬音の話するの?」
「だってパッと思いつく奴が先輩しかいなかった」
「僕は?」
「え? ようくんは裏表なんてないだろ」
「……どうだろうねぇ? 葉がまだ僕の裏の顔に気づいてないだけかもよ?」
「別にようくんが意地悪だったとしても、俺はそんなことで嫌いになんかならないし」
「わ。もしかして口説いてくれてる? そんなこと言われたら調子乗っちゃうよ⁇」

 ようくんは口の端を吊り上げると、周りから見えないように俺の右手に指を絡めてきた。
 心臓がギュッと掴まれる感覚におずおずと彼の顔を見上げれば、なぜか視線を逸らされてしまった。

「ちょっと待って。それは反則」
「は? 何もしてねぇけど」
「今攻撃されてるの!」
「はぁ……? っていうかなんか顔赤くね」
「僕よりクラゲ見てた方が楽しいよ」
「いや今はクラゲより、ようくん見てる方が面白い」
「そんなに僕のことジロジロ見るなら次の展示見に行くよ!」

 勢い良く立ち上がった彼の背を追って、クラゲゾーンから立ち去る。
 薄暗い通路を早足で進んでいると、突如ようくんは立ち止まったので、思い切り背中に衝突した。

「んがっ⁉︎ 急に止まったら危ないだろっ」
「ごめん、この看板がちょっと気になって」
「看板?」

 ぶつけた鼻頭をさすりながら、ようくんの背中越しに立て看板を覗き見ると、そこには『ふわりんと今日の思い出を残しませんか?』とフォトコーナーへ誘導する謳い文句が書かれていた。

「ふ、ふわりん……」
「ここの水族館のマスコットキャラクターみたいだよ」
「写真撮りたいのか?」
「撮れたら嬉しいけど、葉がこういうの嫌だったら……」
「別に、撮ってもいいけど」
「やった! じゃあ行こうっ‼︎」

 順路を外れて、フォトコーナーに立ち寄るとすでに何組かカップルや家族が並んでいた。
 特に何も考えずに承諾してしまったが、いわゆる初カップル記念写真ではないかと内心動揺していると、自分たちの番がやってきてしまった。
 カメラマンにふわりんのぬいぐるみと帽子を渡され、海を模した撮影エリアまで案内される。
 ようくんは意気揚々と帽子を被ると、期待の眼差しを向けてきたので、同じく水色のクラゲを被った。
 少し捕食されている気分かもしれない。

「はいっ、それじゃあお兄さんたち撮りますよ〜! 素敵な笑顔見せちゃって!」
「す、素敵な笑顔ってどういう……」
「チェキの時を思い出せばいいんじゃないかな?」
「いやあれは化粧とか色々被ってたからできただけでっ」
「ほら、カメラマンさん待たせちゃってるから、笑って笑って」

 ようくんは少しだけ前屈みになると、ぬいぐるみを抱える腕に手を添え、もう一方の手は肩に回して微笑みかけてきた。
 ほぼ抱きつき状態に顔が熱くなると同時に、シャッターが数枚切られたのだった。

「はい! バッチリいい顔いただきました〜。お写真こんな感じでどうですか?」
「ありがとうございます。うん、とってもいい感じです」
「こっ、これはダメだろ⁉︎」

 カメラの小さな液晶の中では、赤い顔で見上げる俺と微笑むようくんが見つめ合っており、いかにも『僕たち新米カップルです』と宣言しているような仕上がりになっている。

「撮り直しますか?」
「僕はとってもいいと思うんだけど、葉はどう思う?」
「どうって言われても……」

 そんな澄んだ瞳で見つめられては、何も言い返せなくなってしまい、諦めて首を縦に振った。
 あれよあれよと写真が印刷され、サンタコスチュームのふわりんが描かれたフレームにツーショットが収められると、水族館の名前の書かれた台紙に挟んでもらい、受け取ったのだった。
 写真の入った袋を左手にぶら下げながら、順路に戻ると次は海が見えるデッキにやってきた。
 そこではウミガメや水鳥が飼育されており、潮風を全身に浴びながら生態を観察できるようになっている。
 そして、水族館の一番端に位置するエリアには、海の生き物たちのショーを見られるスタジアムが併設されており、ちょうどタイミングが良かったのかアシカショーが始まるところだったので、一番後ろの空いている席に座った。

「ドキドキするね。どんな感じのショーなんだろう」
「なんか笑う顔が有名だとかパンフに書いてあった気が……あ、始まるっぽい」

 陽気な音楽と共に飼育員とアシカが入場してくると、海での暮らし方についてユニークな会話を交えながら説明しては、三匹のアシカが芸を披露していく。
 ボール遊びや腹すべり、飼育員の真似をしたお辞儀などをすると、観客席から拍手と歓声が上がる。
 ようくんは一番年長のアシカが気に入ったのか『おじさんみたいな顔してるね』とずっと横で無邪気に笑っていた。
 十五分のパフォーマンスが終わる頃には、とうに昼時を過ぎていたので、一階のお土産コーナーまで移動し、家に買って帰るお菓子を選んでいった。

「葉っ、ふわりんのペアキーホルダーあるから買わない?」
「じゃあ俺が買う。チケット代とか写真代とか出してもらったし」
「いいの? そしたら甘えちゃおうかな」
「あ、あとさ……さっきのぬいぐるみ、お揃いで買ってもいい?」
「ふわりん気に入った?」
「これベッドに置いておけば、今日のこといつでも思い出せるじゃん」
「そうだね、じゃあぬいぐるみは僕が買うね。大きいのでいい?」
「え、いいって。俺が買う」
「せっかく葉が提案してくれたんだから、ここは僕に買わせて」

 ようくんはカゴの中に大きなふわりんのぬいぐるみを二つ押し込むと、そそくさとレジに行ってしまったので、俺はお菓子の箱とキーホルダーを持ってレジに向かったのだった。

 ⁂

 水族館を後にした俺たちは、ふわりんがギチギチに詰め込まれたショッパーを手に、海沿いの道を歩いた。すると地元食材を使った海鮮丼が食べられる店を見つけたので、そこで昼食をとり、海を眺めに行った。
 それから駅へ向かいながら、のんびり街を散策していると、まだ十六時だというのに辺りが暗くなり始めたので、電車に乗って最寄り駅まで戻ったのだった。

「わっ……すご……」

 改札を出ると今朝とは打って変わって、駅前には光の世界が広がっていた。
 朝は俯いていて気が付かなかったが、夕方からイルミネーションが点灯するようになっていたのだ。

「せっかくだし、少し散歩してから帰ろっか?」

 ようくんの提案に頷くと、まずは駅前広場の中央に置かれた巨大ツリーに向かって歩みを進めた。
 それにしてもクリスマス当日だからか、周りはカップルだらけで人も多い。人波に揉まれながらもなんとかツリー前に移動すると、ようくんが携帯電話でツーショットを撮ってくれた。
 周りから見たら俺たちはどんな風に見えているのだろうか。
 兄弟、それとも友人か——。

「あ。マフラー緩んできちゃったね」
「え? あぁ……」

 昼食後の巻き直し方が甘かったのか、マフラーが緩んで落ちそうになっているのに気がついたようくんは、白い息を吐きながら丁寧に巻き直してくれた。

「ありがと。ようくんは寒くない?」
「僕は平気だよ。葉こそ寒くない?」
「俺はマフラー巻いてるから平気」
「じゃあもう少し散歩しよっか」

 彼と肩を並べて、小さな灯りで照らされた道を進んでいく。
 会話はほとんどないものの、居心地は悪くなかった。
 ふと、ようくんが立ち止まったので、俺も足を止めると、彼は道の脇に置かれた雪だるまのイルミネーションをじっと見つめていた。
 その顔はどこか儚く、このまま人波に飲み込まれて消えてしまうのではないかと思うと、咄嗟に彼の手を握った。
 一瞬驚いた顔をされたものの、優しく笑いかけながら指を絡め返してくれた。
 ようくんの手は変わらず、温かかった。

 そうして手を繋いだまま、コンコースを見て回り、体が冷え始める前にバスに乗り込むと、二人寄り添って暖をとった。
 行きより早くいつものバス停に到着すると、どこか名残惜しさを抱きながらバスを降りた。
 閑静な住宅街の中をゆっくり歩く。
 今まで賑やかな場所に居たためか、冬の静けさは忘れかけていた寂しさを蘇らせた。
 楽しい時間は束の間だとはよく言ったもので、彼の呼吸音に耳を傾けているうちに、家の前まで辿り着いてしまった。

「葉、今日はありがとうね」
「ううん、俺の方こそ……楽しかった」
「僕も葉がたくさん笑って、食べて、幸せそうにしてくれて嬉しかった。体冷えただろうからゆっくりお風呂であったまってから、しっかりご飯食べて休むんだよ」
「ん、おやすみ」

 握っていた手をそっと離され、ようくんは笑顔で手を振ると背を向けた。
 空になってしまった右手を見つめ、握りしめると先ほどまであった熱は失われていた。
 今日という特別な日がこれで終わってしまう。
 そうしたらまた、俺はあの暗い部屋に一人きりで戻らなくちゃいけない——。
 心が張り裂けそうな痛みに、視界が大きく歪むと胸元を握りしめた。
 息が上手くできない、胸が痛い。
 縋り付く思いで一歩を踏み出し、腕を伸ばすと、指先に触れる布を掴んだ。

「…………まっ、て……俺、まだ……っ」

——離れたくない。

 それでも望みは叶わない。
 掴んでいた服が手から離れていくと瞳から大粒の雫が落ちた。
 足の力が抜け、その場にくずおれる。
 俺、置いてかれちゃうんだ——。
 冷たい現実に体を震わせていると、次の瞬間、全身が温かいものに包まれた。

「……大丈夫だよ。僕も、葉と同じ気持ちだから」

 体が軋むほど抱きしめられると、彼の震える声が耳に残ったのだった。

 ⁂

 涙に濡れた手を引かれて、七瀬の表札が付いた家に帰ると、洗面所に取り残された。
 ふと顔を上げると、大きな鏡には赤く目を腫らした自分の姿。ぼんやりと見つめ合っていると、着替えを抱えたようくんが息を切らして戻ってきた。

「葉、一人にしてごめんね。着替え持ってきたから、一緒にお風呂入ろうね」
「……ん」

 重いコートを脱がされ、パーカー、ズボンと脱いでいくと体が軽くなった。
 白い背中を追って浴室に入ると、冷えた体に温かい湯がかけられる。
 同じシャンプー、同じボディーソープを使い、下着からパジャマまで全て借りると、頭からつま先までようくんと同じになった。
 夕食は彼の部屋に運んでもらい、二人きりで食べた。
 腹が満たされると、わずかに心の隙間が埋まった気がする。

 食後、ようくんは本を読み始めたので隣に移動した。
 肩にもたれ掛かりながら本を覗き込むと、紙の上には木の絵が描かれており、その横には目の回るような細かい字がびっしりと書き込まれている。
 難しそうな内容に頭が痛くなり、目を閉じて身を委ねると温かい手が肩に置かれた。

「そろそろ寝る?」
「あ……ごめん、邪魔した」
「邪魔なんかじゃないよ。今日は寒い中たくさん歩いたからね、もう休もっか」

 パタン、と本が閉じられると、ようくんは食べ終わった食器をまとめたので、一緒に一階へ降りた。
 洗面所で新品の歯ブラシを受け取ると、鏡を見ながら並んで歯を磨く。
 寝支度を整えると、ようくんの香りのするベッドに寝転がり、穏やかな表情を浮かべる彼と見つめ合った。

「……ようくん」
「うん? どうしたの、眠れない?」
「こんなに近くに居るのに……目が覚めたら居なくなっちゃうんじゃないかって……そう思うと怖くて眠れない」
「明日も僕は葉の側にいるよ」
「そんなのわかってる、でもどうしてこんなに胸が苦しいんだよ……っ」
「葉……」

 目が熱くなり、次々と涙が溢れ出すにつれて声も震える。
 ようくんは何度も指で涙を払ってくれているのに、またすぐに頬は濡れてしまう。

「ようくんと、もっと一緒にいたいっ。ずっと、ずっと一緒で……俺だけのようくんだったら……ようくんと一緒になれればよかったのに……!」
「ごめんね……ごめん……」

 ようくんに体を引き寄せられ、腕の中に収まる。
 彼の体温も香りも感じているのに、淋しさはますます膨らむばかりだった。

「どうしたら、こんな気持ちなくなる……?」
「……僕には葉の淋しい気持ちを消す力はないよ。でも、和らげることはできるとは思う……けど、弱ってるところに付け込むみたいで僕は……」
「なんでもいいからっ」

 助けを求めて胸に縋り付くと、彼の震える指が唇をなぞった。
 今まで触れられなかった場所が熱を持ち始めると、ようくんは苦しそうな声で尋ねてきた。

「今の僕にできるのはこれしかない……それでも、いいの?」
「キスして、くれんの……?」
「……葉が少しでも救われるなら、するよ」

 俺は瞼を閉じると、唇を差し出した。
 短く息を呑む音が耳に届くと、そっと顎を持ち上げられ、ようくんの吐息を鼻先に感じた瞬間、唇に柔らかくて温かいものが触れた。
 胸がトクン、と大きく脈打つとふわふわした気持ちが心を満たしていった。

「キス、これで三回目だな」
「三回目って、もしかして前にぶつかっちゃった時のことも数えてくれたの?」
「そうだよ……大事、だからな」
「本当に葉はかわいいなぁ……」

 耳元で囁く甘く低い声は、少しずつ不安を和らげていく。
 いつもより男らしい顔にもっと近付きたくなると、今度は自分から唇をぶつけてみた。

「よ、葉っ⁉︎ ちょっと、待って……」
「なんで、もっとしたい」
「我慢できなくなるから……っ」
「我慢なんてしなくていいだろ、俺が欲し——」

 彼の唇が言葉を遮ると、体の中に心地いい熱が広がった。

——俺、食べられてる。

 足元から落ちそうな感覚に抗って、ようくんの腕にしがみつく。
 離れた唇がくっついては、また離れて。
 わずかな隙間で酸素を吸って、塞がれると息も絶え絶えになり、視界がボヤける。
 彼の胸に手のひらを押し当てると自分と同じ速度で激しく脈打っていた。

「よう、く……っ」
「ごめん、怖かった?」
「ううん……怖くない、全然怖くないから——」

 泣きそうなようくんの顔が近づくと、再び瞼を閉じ、彼の手に全てを委ねたのだった。