ようくんはひとりじめしたい!

 俺の名前は日髙陽(ひだかよう)高校二年生の十六歳。
 身長百六十四センチ、体重五十二キロ。
 誕生日は七月二十七日。夏休みに入って一週間くらいだから、友達からは誕生日をよく忘れられる。
 血液型はB型。クラスの占い好きの女子に『日髙君はマイペースで裏表がないからB型っぽいよね〜!』って言われるくらい型にハマっている。
 所属する部活動は陸上部。チームプレイを得意としないので長距離走を選んだが、特段脚が速いわけでも体力が無尽蔵にあるわけでもないので補欠要員である。
 物語で言ったら主人公になれないタイプ。せめて無理やりポジションを与えるとするならば、作中でセリフが二、三回もらえればいいところのクラスメイトC。

 これは、そんな何の取り柄もない《よう》と、もう一人の《よう》との物語である——。

 ⁂

 頭上から降り注ぐけたたましい音で今日も目を覚ます。
 バシン、と時計上部に付いているボタンの上に平手を落とすと、ベルが鳴り止む。布団を頭のてっぺんまで持ち上げると、足元の布団がぐちゃぐちゃになってしまったので、脚を持ち上げては下ろして、空気をたっぷり入れながら布団の形を整える。これで落ち着いて寝れそう。
 鼻から息を吸って吐いて。
 果敢にも夢の世界へ飛び込もうとすれば、今度は枕元で鳴り響く軽快な音楽に遮られたのだった。

「ん゛ん……」

 ポロン、コロンと可愛らしい音で奏でられる曲も、眠気の強い朝には耳障りでしかない。
 うなり声を上げながら、さらに布団を被る。しかし残念なことに曲が鳴り止む気配がしないので、温かい布団の中から腕だけを伸ばし、音の鳴る端末を感覚だけで操作した。

『もしもし』
「……」
『もしもーし! 朝だぞー、六時半だぞー』

 布団の外からは爽やかなテノールの声。しかし優雅さとは程遠く、機械のように名前を呼び続けては、十秒刻みで現在の時刻を伝えてくる。

『おーい、葉。よーうーくーんー! 六時三十二分ですよー。そろそろ起きなって。あ、十秒経った。三十五分までに起きないとベッドまで起こしに行っちゃうぞー』
「……い」
『え、なに⁇』
「……う……い」
『んん? なんか言ってる?』
「…………うるさい」
『うるさい。うるさい……もしかして反抗期? お兄ちゃん寂しいんだけど。僕は葉のためを思って起こしてるのにそんなこと言うならもう夜はオンラインゲームしないよ』
「やだ」
『じゃあさっさと起きて着替えて朝ごはん食べておいで』

 ブツンと通話が切れると再び部屋は静まり返った。
 腕を引っ込めると布団の中で丸くなり真剣に考える。
 着替えるのに二分、階段を降り顔を洗って髪の毛を直すのに四分、ご飯をかき込むのに一分。それで家から飛び出せばバスの時間に十分間に合う。
 少なくともあと十分は余裕で寝れそうだと確信すると先ほどの忠告なぞ忘れ、そっと瞼を閉じたのだった。

 ⁂

「——う……葉‼︎ 起きろ‼︎」
「んぇ⁉︎」

 暗闇の中、突如意識が引き戻されると肌寒さに身を大きく震わせた。
 布団を手繰り寄せようと手を伸ばすと、温かい何かに手首を掴まれる。そのまま体を引き起こされると目を開ける暇もなく、両頬を強く挟まれた。

「四十五分過ぎてるよ!」
「ん゛〜……」

 重い瞼を開けると、掠れた視界の中央には、黒い詰襟制服を身に纏った青年が険しい顔で立っていた。

「あれ……ぇ、なんでいんの……」
「四十分にメッセージ送ったのに全然既読が付かないから、もしかして二度寝しちゃったんじゃないかと思って見にきたんだよ」
「あと十分は寝られそうだったんだよ……」
「だと思った。ほら急いで着替えるよ!」

 電話越しに聞いた時よりも爽やかな声の持ち主は、勝手にクローゼットを開けると、ハンガーに掛かっているお揃いの制服とYシャツを掴み、ベッドの上に広げた。
 俺はパジャマを脱ぎ、寝ぼけ眼のまま制服に着替えると、まだタンスに片付けていなかった靴下を履いた。
 それから雪崩のように階段を降りると、洗面所で水を撒き散らしながら顔を洗い、適当に手櫛で髪の毛を整える。
 玄関の方から『お弁当と鞄持ったからねー!』と大きな声が聞こえてくると、小走りでリビングに向かった。

「アンタ、まーた遅くまでゲームしてたんでしょ!」
「母さんおはよ、ごめんっ説教は帰ってからにして」

 鬼の形相でこちらを睨みつける母親に手を合わせると、テーブルの上に用意された朝ごはんを確認した。
 ロールパン、目玉焼き、ウインナー。
 目玉焼きとウインナーはフォークで一緒に刺して二口で飲み込むと、少し焦げたロールパンを掴み、玄関へ向かったのだった。

「行ってきます!」
「朝からお邪魔しました、行ってきます!」

 ロールパンを口に咥えながら靴を履き、用意された鞄を受け取ると家を飛び出す。

「次のバスまで五分だから、速足で行けば間に合うよ」
「う」
「引っ張ってくから喉に詰まらせないように食べて」
「ん」

 詰襟の青年は当然のように空いた右手に指を絡めてくると、大股で前を歩いて行ったのだった。

 ——彼の名前は七瀬陽(ななせよう)。同じ高校に通う一つ年上の幼馴染。
 身長百七十四センチを超える長身に、シャープな輪郭、筋の通った鼻と少し垂れ目で笑う彼は、大方の人が見たら美青年だと呼ぶだろう。
 吹奏楽部に所属しており、担当はサクソフォン。未経験者にもかかわらず持ち前のセンスの良さから一年生の文化祭では先輩を差し置いてソロパートを勝ち取った実力の持ち主。それだけに留まらず運動神経の良さと交友関係の広さから、時折運動部の大会で助っ人としても呼ばれている。
 さらに学力テストでは毎回一位をキープする聡明さも兼ね備えており、成績表はオールA。
 どこぞの乙女ゲームに登場するヒーローかと思えるほど、恵まれた能力の持ち主だが、決して自惚れはせず、常に腰の低い態度は男女問わず多くの者から慕われている。
 そんな彼になぜド平凡な俺が起こされ、こうして手を引かれているかというと、今から九年前まで遡る。

 ——小学校二年生の春。
 父親の転勤でこの町に引っ越してきた俺は、今より人付き合いが苦手でなかなかクラスに馴染めず休みがちだった。
 そんなある日。隣に住む七瀬さんが心配して家を訪ねてくると、引きこもり気味の俺に手を焼いていた母親は事情を説明したらしい。
 すると七瀬さんの家に〝一つ年上の男の子〟がいることを知り、年が近い男の子を育てる親同士、仲良くしようと話が盛り上がったのか、七瀬家と一緒にバーベキューをすることになった。
 そこで初めて、彼と出会ったのだ。
 当時一人っ子同士の俺たちは〝兄弟〟という関係性に憧れていたのに加え、漢字は違えど全く同じ名前に運命的なナニカを感じると意気投合し、気がつくと毎朝手を繋いで学校まで通う仲になっていた。
 どこかへ行く時も、誰かと遊ぶ時も、家でも一緒。
 一足先に彼が小学校を卒業した後もこの関係は続き、わざわざ遠回りまでして毎朝小学校に連れて行くほどだった。そして、俺の小学校の卒業式では至極当然のように保護者席にいる両親の隣に並んで座っていた。
 そのため互いの両親はもちろん、周囲の友人や教師は俺たちを〝血の繋がっていない兄弟〟として扱っていた。

「はぁっ、朝から競歩とかしんどっ」
「葉が二度寝するからでしょ」
「仕方ねぇじゃん、一時までゲームしてたんだから」
「昨日から始まった新イベント面白かったね」
「今日も続きやっていい?」
「明日、寝坊しないならいいよ」
「しないって」
「ほんと?」
「だって陽兄が起こしてくれるじゃん」
「いやそこは『自分で起きる!』でしょっ」
「じゃあ明日は来なくていい。でも俺が遅刻してオバさんに怒られんのは陽兄だから」
「ちょっと待って! なんで遅刻前提で話してるの」
「だって起こさないって言ったじゃん」
「えぇ……」

 この会話もテンプレートになっており、一緒に遊んでいるオンラインゲームのイベントが始まる度に繰り返していた。
 ちなみに文句を言いながらも結局、翌朝モーニングコールから着替えの準備まで手伝ってくれるまでがセットである。

「そろそろ一人で起きられるようにならないと駄目だよ」
「はいはいわかってるって。陽兄は来年大学生だもんな」
「そうだよ。さすがの僕でも今までみたいに葉が遅刻しないよう連れて行くのはちょっと厳しいかな」
「つーか今までが過保護すぎるんだって! 俺もう高校生なんだぞ⁉︎」
「高校生でも僕の大事な弟でしょ」

 陽兄の言葉を空笑いで受け流すと、いつの間にか最寄りのバス停に辿り着いていた。
 握られていた手を振りほどき、ズボンのポケットに突っ込む。
 直後、陽兄が寂しそうに笑うも、すぐにいつもの優しい笑顔に戻ったので、心の中でごめん——と謝った。
 だって、高校生にもなって手を繋いで登校するなんて、見ず知らずの大人はもちろん。同級生が見たら絶対馬鹿にされるか気持ち悪がるのは、世間的に考えて全然おかしくはないだろう。

 ⁂

 バスに乗り、最寄りの駅に着くと二つ先で電車を降りる。すると同じ制服に身を包んだ学生がちらほらと現れ、それぞれが同じ方角に歩みを進めていた。
 俺たちも青いいちょう並木を歩き、長い坂道を登って行くと、赤茶色の煉瓦が積まれた門柱まで辿り着いた。

 椛丘(もみじおか)高等学校。
 名前の通り落葉広葉樹林を切り崩して作られた、山の上にある男女共学の公立高校だ。学校の裏手には橅や欅、楓などが自生しており、秋になるとまるで山が燃えているかのような赤やオレンジに埋もれるのだ。

「じゃあ、また夕方」
「ん」

 昇降口を抜けた掲示板前。お互いに手を挙げて別れを告げると、二年C組の教室へ向かう。
 薄暗い階段を二階分上って、窓から差し込む光で輝く廊下を進み『2−C』と掲げられた教室後方のスライドドアを開ける。
 教室内はまだ人が少なく、窓際の後ろから二番目の机まで移動し、鞄を置いた。

「よっ! おはようさんっ‼︎」

 物音で気がついたのか、一つ前の席に座っている坊主頭の男が振り返ると挨拶してきた。

「おはよ」
「今日も日髙は七瀬先輩と登校か」
「また見てたの」
「見てたっつーか、見えた? いいよなー。俺も七瀬先輩と一緒の電車に乗って学校来てぇわ」
「別にたまたま家が近いから一緒に来てるだけだって」
「そう言ってるけど小学校から一緒なんだろ? なぁなぁ、昔から先輩ってモテてたのか?」
「今と変わんないんじゃない? 頭も良くて見た目も良くてなんでもできて誰にでも優しいし」
「だよなぁ、ははぁ羨ましいわ。俺も先輩みたいにモテモテになりてー」
「頑張れ」
「つーかお前こそ頑張れよ。俺は気にしねぇけど七瀬先輩の横に並んでるんだからさ」

 彼が大口を開けて豪快に笑っていると、前方のドアが勢いよく開かれ、二人組の男子が入ってきた。すると彼の興味は七瀬先輩から気の合う友人に移ったのか、ドアの方へ手を大きく振りながら席を離れて行った。
 俺は鞄から教科書とノートを取り出し、机の中にきっちり整えてしまうと、机の横にある小さなフックに鞄を掛けた。席に座り、頬杖をつくと視線を窓の外に移す。
 雲ひとつない青空。遠くから小鳥の囀りも聞こえ、実に清々しい朝の時間だ。
 そんな空模様を眺めながら、先ほどの言葉を反芻する。

『七瀬先輩の横に並んでるんだからさ』

 決して悪気はないだろうが、彼の言う通り陽兄の横に並ぶということは、嫌でも容姿や成績を比べられ、時には嫉妬の対象にもなり得るのだ。
 自分にだけ最悪が降り掛かるのならばまだしも、陽兄に迷惑は絶対にかけられない。
 だからこそ校内では極力接点を作らないようにしている。
 しかし、小学校からの幼馴染だと知っている一部の生徒からは、陽兄の話題を振られてしまうので、その度に当たり障りのない言葉で返すと『なんだその程度か』と勝手に落胆され、こちらも居心地の悪さを覚えるのだ。

 もし俺が陽兄と本当の兄弟だったら——。

 なんて叶いもしない望みが脳裏に過ぎると、誰にも聞かれないよう小さなため息をついたのだった。