レイトブルーマー

 星華高校のスターティングメンバーは、キャプテンの松下や大蔵などの三年生で構成されている。
 神保東でひと際目を引くのは、背番号5を付けたセンターだった。身長は190センチ。コートに立っているだけで存在感があり、並んだ選手たちの中でも文字通り頭一つ抜けている。
 選手たちがセンターサークルに散らばる。ボールを手にした審判が、ジャンパーを務める二人の間に立つ。
 次の瞬間、まっすぐ上へとボールをトスした。

 星華高校はジャンプボールを譲る形でディフェンスにつく。
 試合開始と同時に、両サイドの二階席から下級生たちの声援が降り注いだ。オフェンスを後押しする声と、ディフェンスを鼓舞する声が入り乱れ、体育館の熱気が一気に高まっていく。
「うおおっ、始まったああ! 星華高、がんばれー!」
 千家も負けじと声を張り上げる。
 神保東のキャプテンがドリブルで鋭く切り込み、ディフェンスをかわしてあっさりと得点を決めた。
 しかし、星華高校もすぐに反撃する。松下が落ち着いてミドルレンジからシュートを沈め、相手に流れを渡さない。格上とされる相手を前にしても物怖じする様子はなく、味方に声をかけながらコートを動き回っていた。
 その姿を見つめているうちに、怜太の心拍数も次第に上がっていった。
 ディベートの試合を見ているときとは明らかに違う熱が、体の芯からじわじわと込み上げてくる。スリーポイントが決まればベンチから大きな拍手が起こり、監督の指示を飛ばす声が響く。攻守が交代するたびに、選手たちのバッシュが床を激しく擦り、甲高いスキール音を上げる。
 聞き慣れたはずの音の一つ一つが、怜太の細胞を刺激していた。
「負けるなよ……」
 鋭い視線をコートに向けたまま、怜太はぼそりと呟いた。

 ハーフタイムに入り、選手たちはベンチに戻った。汗を拭いながら水分を補給し、監督の指示に耳を傾けている。
 その一方で、コートでは次の試合に臨む選手たちがアップを始め、試合の熱気が途切れることはなかった。

「前半終わって14点差ってどうなの?」
「神保東相手によく食らいついてる……」
 千家の問いに答えながら、怜太はスコアボードへ目を向ける。
 星華高校のセンターはファウルトラブルを起こしていて、あと一つで退場になってしまう状況だった。神保東の190センチのセンターを相手に、リバウンドでも大きく差をつけられている。
 それでもここまで14点差に抑えられているのは、松下のゲームメイクと大蔵のスリーポイントが好調だからだ。そう考えれば、後半はかなり厳しい戦いになることが予想された。

「自分ならこうしたのにーとかって、考えるものなの?」
「まあ、試合を俯瞰で見られるから、おのずとな」
 怜太はコートに視線を落としたまま答えた。
 どこへ走ればパスを受けられるのか、誰がどこを守るべきなのか。頭の中では以前と同じようにコートを駆け回れるのに、現実の自分の足は、その動きについていくことができない。
 それがどうしようもなく歯がゆかった。

「ちなみにだけどさ、キャプテンとはもう仲直りしたよね?」
「……」
 怜太が黙り込むと、千家は呆れたようにため息をつく。
「ちょっと待って嘘でしょ。あれから二ヶ月は経ってるよ!?」
「勘違いしないでくれ。面と向かって謝ってないだけで、松下とは普通に喋ってる」
「あ、そうなんだ」
 千家は意外そうに目を丸くした。
「喧嘩の結末なんてこんなもんだろ。ぬるっと終わるんだよ」

 怜太が正面から頭を下げないのは、ひとえにプライドの高さが原因ではない。
 もちろん、松下にぶつけた言葉を忘れたわけでもなければ、今さら蒸し返して突っかかるつもりもない。
 あの時の、「早生まれだからレギュラーになれなかった」という主張について、怜太は今も根底の部分では正しいと思っている。
 だからこそ、あの場で自分が完全に間違っていたと認めて謝ることには、まだ抵抗があった。
 とはいえ、それを松下に問いただすつもりもない。今の怜太にとっては、自分の中にある一つの持論として、普段は開けることのない奥深くの引き出しにしまっておくつもりだった。

 後半に入ると、試合は一方的な展開になった。
 星華高校は控えの二年生センターをコートに送り出したが、体格も技術も神保東との差は歴然としていた。
 コートの上では学年など言い訳にはならないし、相手が手加減してくれるわけでもない。それでも二年生センターは必死にゴール下へ食らいつき、190センチの相手を前に何度も体を張る。その懸命な姿に、怜太も胸にこみあげるものがあった。

 星華高校はゾーンディフェンスに切り替え、ゴール下の守りを固めようとする。しかし、今度は逆に外が手薄になり、神保東にスリーポイントを次々と決められてしまう。
 試合が決する前にスタメンのセンターをコートへ戻したものの、最終クォーターの始めにファウルアウトしてしまった。
「さすがに厳しいな」
 怜太が呟く。

 神保東は、すでに主力を休ませる段階に入っていた。コート上の身長差は縮まったものの、ベンチメンバーにも実力者が揃っているため、点差は一向に縮まらない。
 次第に、星華高校のベンチや応援席には諦めにも似た空気が漂い始めた。それでも、松下だけは最後までチームを鼓舞し続けている。
 オフェンスでもディフェンスでも全力を尽くし、コートの中を縦横無尽に駆け回る。
 交代したばかりの神保東の選手でさえ、その動きについていくのがやっとだった。点差が開いていようが、相手が控え選手に変わろうが、松下のプレーから力が抜けることはない。

 試合終了のブザーが鳴る瞬間まで、松下の足が止まることはなかった。
 30点差の敗北。スコアだけを見ても大きな差だが、実際に試合を見た怜太には、その数字以上の力の差がはっきりと感じられた。
 試合を終えた星華高校の選手たちが整列し、相手チームに挨拶をする。その姿を見つめていた怜太は、一度ゆっくりと深呼吸してから立ち上がった。
「帰るか」
「声かけないの?」
「ボロ負けだったねって言えばいいのか?」
 千家は首を振って否定した。
「いいんだよ別に。俺たちに言葉なんていらねえんだ」
 そう言った怜太は、どこか照れくさそうだった。

 二人が階段を下りたところで、ちょうど試合を終えたばかりの星華高校バスケ部がコートから帰ってきた。
「怜太? おぉ、怜太じゃん!」
 大蔵が声を上げると、後輩たちも怜太に気づいて挨拶をする。大蔵をはじめとする三年生の部員たちが、次々と怜太のもとへ集まってきた。
 千家がさりげなく隣を譲る。
 怜太を囲む部員たちを見ていると、部活で何度も目にしてきた光景が自然と蘇るようだった。
 コートを走り回り、汗だくになりながら練習していた日々。その中心にいた仲間たちが、今は試合を終えた姿で目の前にいる。
「お疲れ。神保東相手によく戦ったよ」
「センターがチート過ぎて無理ゲーだった」
 頬を上気させた大蔵が笑いながら返す。
 試合に負けたばかりで落ち込んでいた三年生たちも、怜太と顔を合わせて言葉を交わすうちに、ほんの少しだけ表情が和らいでいった。

 そこへ、松下がやってきた。
「松下……」
 和気あいあいだったのも束の間、辺りに再び緊張感が漂った。
 二人が以前のように話せるようになったことは、部員たちも知っている。それでも、松下が近づいてくるにつれて、そこには独特の緊張感が漂った。
 怜太を取り囲んでいた部員たちが、まるでモーゼの海割りのように左右へ分かれた。
「試合……どうだった」
 松下はタオルで汗を拭いながら尋ねる。
「惜しかった──ってわけじゃないけど、見応えはあった。お疲れ」
 怜太の歯に衣着せぬ物言いに、松下は苦笑する。
「怜太がいれば、少しは違ったか?」
「当然だろ。決勝リーグは固かっただろうな」
 冗談を言い合う二人を見て、周囲の部員たちにも笑顔が戻った。
「じゃあな。気を付けて帰れよ」
 松下がそう言って踵を返す。
 怜太は小さく手を上げて、それを見送った。

 松下は数歩進んだところで足を止めると、振り返ることなく部員たちへ指示を飛ばした。
「一年はオフィシャル。試合出たやつは外の空いてる場所でダウン」
 指示を受けた部員たちが、それぞれ動き始める。
「俺たちも行くか」
 怜太と千家は並んで体育館を後にした。

「本当に仲直りしたの? もっと元気よく喋りなよ」
「松下とは毎回あんな感じだ」
 千家から向けられた視線には、まだ疑いが残っていた。
 校門をくぐったところで、怜太はふと足を止めた。
 振り返ると、先ほどまで試合が行われていた体育館が見える。それが一瞬、星華高校の体育館と重なった。

 バスケに青春を捧げた日々が蘇る。
 朝早くから体育館へ向かい、誰よりも長く練習し、松下たちと同じコートを走り続けた。そのすべてが、ほんの一瞬のことのように怜太の脳裏を駆け抜けていく。
 胸の奥が締めつけられ、目頭が熱くなる。
 怜太は込み上げてくるものを静かに堪えた。

 瞬きをすると体育館は元に戻っていた。
「怜太君なにしてんのー?」
「……今行く」
 怜太は服の袖で目元を拭い、力強く一歩を踏み出した。