レイトブルーマー

 翌日から放課後になると図書準備室に集まり、ディベート甲子園に向けた練習を続けた。
 論題の役に立ちそうな資料を調べ、立論を組み立て、相手の主張にどう反駁するかを考える。
 千家は二人の発言を聞いては問題点を指摘し、怜太とくるみも、ただ思いついたことを口にするのではなく、根拠を示して話を組み立てることを少しずつ覚えていった。
 最初は聞き慣れない言葉に戸惑っていた怜太も、自分から資料を探すようになっていた。分からない言葉が出てくれば調べ、気になる数字があれば出典を確認する。バスケの練習とはまったく違うが、上達するために繰り返し取り組むという点では、どこか似ているのかもしれない。
 そう思うようになってからは、長時間の調べ物も苦ではなくなっていった。

 ある日の夕暮れ時、町の図書館で調べものを終えた三人は、その帰りに近所の駄菓子屋へ立ち寄った。

 古びた木造の店は、色褪せた看板と軒先に吊るされた風鈴が目印だった。入口の脇には、くじ引きやスーパーボールすくいの箱が並び、店内には駄菓子の袋や玩具が所狭しと並んでいる。
 店番をしているのは、白髪を後ろでまとめた小柄なおばあちゃんで、怜太とくるみが商品を選んでいる間も「ゆっくり選びな」と笑顔で声をかけてくれた。
 昔からこの辺りで店を続けているらしく、学校帰りの子どもたちにとっては、少し寄り道していくのが当たり前になっているような店だった。

 怜太とくるみは店の前に置かれたベンチに腰を下ろし、ラムネを飲んでいた。
 瓶を傾けるたび、中のビー玉が瓶底を転がって、カランと小気味よい音を立てる。怜太はその音を聞きながら、手の中の瓶をしげしげと眺めた。
「ラムネって、なんでビー玉入ってるんだろうな」
「あー、確か炭酸を逃がさないためですよ」
「ただのお洒落じゃないんだな」
「色々と試行錯誤があったんじゃないですか?」
「ビー玉に辿り着いたときは、絶対全員でハイタッチしたよな」
「……はい。その担当者さんは出世したと思います」

 毒にも薬にもならない話だった。
 けれど、難しい資料と睨めっこをしていた後だけに、そんな他愛のない会話が妙に心地よかった。
 夕暮れの穏やかな空気の中、風鈴が風に揺れ、ラムネのビー玉がまた瓶の中で音を立てる。
 大会を目指すことになったからといって、一日中ディベートのことばかり考えているわけではない。こうしてくだらない話をしている時間も、怜太にとっては悪くなかった。

「そういえば、大会の申し込みってしました?」
 くるみに言われて、怜太はポケットからスマホを取り出した。
「忘れないうちにやっとくか。文明の利器は便利だよなあ。申し込みも全部ネットでできるんだから──」
 検索画面を開いた怜太の指が止まった。

「あ……」
「どうしたんですか?」
「エントリーに金がかかるの知らなかった。俺たちは正式な部活じゃないから部費がないぞ」
 怜太の顔から、さっきまでの気楽さが一気に消えた。
 くるみはまだのんびりとラムネを飲んでいる。
「このご時世ですから、多少は仕方ありませんよ。三人で割りましょう」
「……5000円」
 その金額を聞いたくるみは空を見上げ、頭の中で計算した。
「だいたい1700円ですか。それくらいなら何とかなりますね」
 そう言って、ラムネをくいっと飲んだ。
「違う。割って5000円」
 くるみが激しく咳き込んだ。
「そ、そんなにかかるんですか?」
「地区予選を勝ち上がった場合、本選出場のためにまた必要になる」
「一人当たり1万円は必要ってことですよね」
 怜太は力なくうなずいた。
「俺、バスケで散々お金出してもらったから、親に頼りにくいんだよ」
「わたしも言いにくいです」
 怜太たちは一瞬にして窮地に陥った。風情のあった風鈴の音色が、不協和音のように耳に響いた。
 部活動での当たり前が同好会では通用しない。それを思い知らされた瞬間だった。

 そこへ、アイスキャンディーを手にした千家が合流した。
「どしたの、二人とも。この世の終わりみたいな顔して」
「ディベート甲子園にエントリー費が必要なこと見落としててさ」
 怜太が説明すると、千家も眉を上げた。
 去年までは正式な部活だったため、そのあたりの手続きは顧問に任せていたらしい。
「こうなったらバイトするしかないか」
「バ、バイトですか……」
 怜太の提案にくるみは難色を示す。
「休みの日に一日フルでバイトすれば、ギリ稼げる額ではある」
 アイスの当たりを交換した子供が、嬉しそうに怜太の前を通り過ぎた。
「高校生を三人受け入れてくれる都合のいいバイト、あるんですか?」
「そこがネックだな。伝手を頼って探してみるか」
「で、できれば接客以外がいいです。やっぱり、できればじゃなくて絶対で……」
「りょーかい」
 怜太は苦笑した。
「千家もそれでいいよな。何かいいバイトがあれば──」

 返事がない。
 怜太が振り向くと、千家は立ったまま考え込んでいた。
 手にしたアイスキャンディーは溶け出していて、棒の先からポタポタとこぼれた雫が、地面に染みを作っている。
 けれど本人はそんなこと気にせず、自分ひとりの世界にふけっていた。

「ち、千穂先輩?」
 くるみに声をかけられ、千家が我に返った。
「え? あぁ、バイトの話ね。オッケーだよ」
「アイス、溶けてますよ」
 おそるおそるくるみが指差す。
「うわあぁぁ! アリへの施しじゃないのに!」
 千家は慌ててアイスキャンディーを口に運ぶ。ところが、あと少しというところで、棒から滑り落ちたアイスがボトッと地面に落ちた。
「さ、三秒ルーール!」
 千家はすぐさま体を屈め、落ちたアイスに手を伸ばす。
「そんなの食べたらお腹壊しちゃいますよ!」
 くるみが千家の腰をつかんで必死に止めた。
「止めないで、三秒が!」
「もう三秒経ってるし、諦めろって」
 そんなやり取りを知ってか知らずか、地面に落ちたアイスを狙って、一匹のアリがトコトコと近づいてきた。