開始の合図とともに、怜太はすぐに図書室へ向かった。
本の紹介では、時間を持て余すことへの焦りから、無計画のまま次々と口にしてしまった。
前回の失敗を糧に、まずは自分の主張を支えてくれる材料を集めることを優先する。
とはいえ、いざ「焼肉に有利な資料」と考えてみると、何を探せばいいのか皆目見当がつかない。
(焼肉が寿司より優れているデータか。本当にそんなものあるのか?)
図書室の本棚を眺めながらしばらく考えた末、怜太は貸出カウンターにいる図書委員の女子二人組へ声をかけた。
「すみません、焼肉の本ってありますか?」
「……はい?」
あまりにも予想外だったのか、二人は困ったように顔を見合わせた。
その反応を見て良心が少し痛んだ。けれどここで引き下がってしまえば二の舞を演じることになる。怜太は勝ちを優先して、粘り強く焼肉の本を求めた。
「お願いします。焼肉の本がどうしても必要なんです」
ここで恥ずかしがる方が、かえって変に思われる。そう考えた怜太は、できるだけ堂々とした態度で同じ言葉を繰り返した。
二人の図書委員は再び顔を見合わせると、肘で小突かれた一年生のほうが立ち上がった。
「分かりました。そんなに焼肉が好きなら、どうにか探してみますね」
腹を括った図書委員は、仕事人のような表情で本の海へ漕ぎ出していく。多少の誤解はあるものの、怜太としては探してもらえるなら問題はない。
怜太は小さいながらも頼りになる背中を見ながら、果たして本当にそんな都合のいい本が存在するのかと、少しだけ不安になった。
図書委員は荒波の中から一冊の本を見つけ出し、怜太のもとへ戻ってきた。
「ありました」
やり切った表情で差し出された本の表紙には、『焼肉奉行――知りたかったあんなことこんなこと』と書かれている。これ以上ないほど、おあつらえ向きのタイトルだった。
ずっしりと重みのあるそれを受け取り、図書委員に顔を向ける。
「あ、ありがとうございます」
怜太は何度も頭を下げると、貴重な資料を抱えるようにして図書準備室へ戻っていった。
千家はその本を見るや否や、物珍しそうにしげしげと眺める。
「面白そうな本だね」
「これを発見した俺に死角はない」
怜太は自信満々に本を掲げてみせた。
隣ではくるみがスマホをスクロールしながら、ノートに何かを書き込んでいる。画面を確認してはペンを走らせ、またスマホを操作する。意図せずアナログ対デジタルのような構図になっていた。
「本、借りなかったの?」
怜太が声をかけると、くるみは驚いたように背筋を伸ばした。
「ま、町の図書館ならともかく、高校の図書室にお寿司の本はないんじゃないかなって。ネットでデータを集めたほうが有益だと判断しました」
千家は感心したように短く声を漏らした。
「すばらしい」
くるみの判断を褒めるように続ける。
「それもありだね。絶対に図書室を頼らないといけないルールはないから。ただ、ネットには嘘の情報もあるから、裏付けはしっかりね」
「はい……!」
くるみは気を引き締めると、再びスマホへ視線を落とした。
怜太も負けてはいられないと本を開く。
一ページ目には、『全ての焼肉を愛する者へ』と、大筆で書かれている。
これだけで焼肉に対する並々ならぬ情熱が伝わってくる。確かな手応えを感じながら、その先へと読み進めていった。
短針と長針が静かに時を刻む。
ページをめくる音とペン先がノートを走る音だけが、ときおり小さく響く。
外界から切り離されたような時間が流れる中、やがて千家の声が静寂を破った。
「はい、時間でーす。一旦、手を止めて」
その声に、怜太とくるみは同時に顔を上げた。
二人はほぼ同時に息を吐き、肩を回す。その動きは見事なほどにシンクロしていたが、表情には大きな違いがあった。
(網の交換タイミングとか、この順番で頼めとか、そういうのしか書いてなかった……)
落胆しながら怜太は本を閉じる。
想像以上に、焼肉を美味しく食べることに特化した本だった。
どう焼けば美味しいか、何をどの順番で頼むべきか。確かに焼肉について詳しくはなったが、寿司より焼肉が優れていることを証明する材料には、ほとんどならない。
大誤算だった。
それでも何か使えるものはないかと、怜太は体を捻るふりをして、さりげなくくるみのノートを覗き込んだ。
そこには踊るように文字が並んでいる。一方、怜太のノートに書かれているのは、
『全ての焼肉を愛する者へ』
その一行だけだった。
くるみと目が合う。視線がゆっくりと下がり、怜太のノートへ移った。そこに書かれた一行を見た瞬間、まるで見てはいけないものを見てしまったかのように、そっと顔を背けた。
準備段階では完敗だが、勝敗を決するのは本番のディベート力だ。いくら準備が万全でも、本番で使えなかったら意味がない。
怜太は自分にそう言い聞かせるが、机の下の足はガクガクと震えていた。
「流れを確認しておくね。まずは焼肉派の主張をしてから質疑応答。次にお寿司派の主張をしてから質疑応答。最後に判定だよ」
「質問。制限時間は?」
「まあ、今日は練習だから自由で。時間に囚われずに、私を納得させるよう頑張って」
千家は二人に目配せをして健闘を祈ると、審査員の顔つきに変わる。
「論題は『お寿司と焼肉、この先どちらかしか食べられないとしたらどっち』。怜太君、お願いします」
「うっし!」
怜太は気合いを入れるように、両の拳を軽く突き合わせた。
本の紹介では、時間を持て余すことへの焦りから、無計画のまま次々と口にしてしまった。
前回の失敗を糧に、まずは自分の主張を支えてくれる材料を集めることを優先する。
とはいえ、いざ「焼肉に有利な資料」と考えてみると、何を探せばいいのか皆目見当がつかない。
(焼肉が寿司より優れているデータか。本当にそんなものあるのか?)
図書室の本棚を眺めながらしばらく考えた末、怜太は貸出カウンターにいる図書委員の女子二人組へ声をかけた。
「すみません、焼肉の本ってありますか?」
「……はい?」
あまりにも予想外だったのか、二人は困ったように顔を見合わせた。
その反応を見て良心が少し痛んだ。けれどここで引き下がってしまえば二の舞を演じることになる。怜太は勝ちを優先して、粘り強く焼肉の本を求めた。
「お願いします。焼肉の本がどうしても必要なんです」
ここで恥ずかしがる方が、かえって変に思われる。そう考えた怜太は、できるだけ堂々とした態度で同じ言葉を繰り返した。
二人の図書委員は再び顔を見合わせると、肘で小突かれた一年生のほうが立ち上がった。
「分かりました。そんなに焼肉が好きなら、どうにか探してみますね」
腹を括った図書委員は、仕事人のような表情で本の海へ漕ぎ出していく。多少の誤解はあるものの、怜太としては探してもらえるなら問題はない。
怜太は小さいながらも頼りになる背中を見ながら、果たして本当にそんな都合のいい本が存在するのかと、少しだけ不安になった。
図書委員は荒波の中から一冊の本を見つけ出し、怜太のもとへ戻ってきた。
「ありました」
やり切った表情で差し出された本の表紙には、『焼肉奉行――知りたかったあんなことこんなこと』と書かれている。これ以上ないほど、おあつらえ向きのタイトルだった。
ずっしりと重みのあるそれを受け取り、図書委員に顔を向ける。
「あ、ありがとうございます」
怜太は何度も頭を下げると、貴重な資料を抱えるようにして図書準備室へ戻っていった。
千家はその本を見るや否や、物珍しそうにしげしげと眺める。
「面白そうな本だね」
「これを発見した俺に死角はない」
怜太は自信満々に本を掲げてみせた。
隣ではくるみがスマホをスクロールしながら、ノートに何かを書き込んでいる。画面を確認してはペンを走らせ、またスマホを操作する。意図せずアナログ対デジタルのような構図になっていた。
「本、借りなかったの?」
怜太が声をかけると、くるみは驚いたように背筋を伸ばした。
「ま、町の図書館ならともかく、高校の図書室にお寿司の本はないんじゃないかなって。ネットでデータを集めたほうが有益だと判断しました」
千家は感心したように短く声を漏らした。
「すばらしい」
くるみの判断を褒めるように続ける。
「それもありだね。絶対に図書室を頼らないといけないルールはないから。ただ、ネットには嘘の情報もあるから、裏付けはしっかりね」
「はい……!」
くるみは気を引き締めると、再びスマホへ視線を落とした。
怜太も負けてはいられないと本を開く。
一ページ目には、『全ての焼肉を愛する者へ』と、大筆で書かれている。
これだけで焼肉に対する並々ならぬ情熱が伝わってくる。確かな手応えを感じながら、その先へと読み進めていった。
短針と長針が静かに時を刻む。
ページをめくる音とペン先がノートを走る音だけが、ときおり小さく響く。
外界から切り離されたような時間が流れる中、やがて千家の声が静寂を破った。
「はい、時間でーす。一旦、手を止めて」
その声に、怜太とくるみは同時に顔を上げた。
二人はほぼ同時に息を吐き、肩を回す。その動きは見事なほどにシンクロしていたが、表情には大きな違いがあった。
(網の交換タイミングとか、この順番で頼めとか、そういうのしか書いてなかった……)
落胆しながら怜太は本を閉じる。
想像以上に、焼肉を美味しく食べることに特化した本だった。
どう焼けば美味しいか、何をどの順番で頼むべきか。確かに焼肉について詳しくはなったが、寿司より焼肉が優れていることを証明する材料には、ほとんどならない。
大誤算だった。
それでも何か使えるものはないかと、怜太は体を捻るふりをして、さりげなくくるみのノートを覗き込んだ。
そこには踊るように文字が並んでいる。一方、怜太のノートに書かれているのは、
『全ての焼肉を愛する者へ』
その一行だけだった。
くるみと目が合う。視線がゆっくりと下がり、怜太のノートへ移った。そこに書かれた一行を見た瞬間、まるで見てはいけないものを見てしまったかのように、そっと顔を背けた。
準備段階では完敗だが、勝敗を決するのは本番のディベート力だ。いくら準備が万全でも、本番で使えなかったら意味がない。
怜太は自分にそう言い聞かせるが、机の下の足はガクガクと震えていた。
「流れを確認しておくね。まずは焼肉派の主張をしてから質疑応答。次にお寿司派の主張をしてから質疑応答。最後に判定だよ」
「質問。制限時間は?」
「まあ、今日は練習だから自由で。時間に囚われずに、私を納得させるよう頑張って」
千家は二人に目配せをして健闘を祈ると、審査員の顔つきに変わる。
「論題は『お寿司と焼肉、この先どちらかしか食べられないとしたらどっち』。怜太君、お願いします」
「うっし!」
怜太は気合いを入れるように、両の拳を軽く突き合わせた。
