レイトブルーマー

 そうこうしているうちに、委員会を終えた千家が図書準備室へやってきた。
「くるみちゃん! 風邪治ったんだ」
「はい。おかげさまで、なんとか」
「いやーよかったよかった。ディベート部らしく風邪を論破したねえ」
 千家の軽口に、くるみは愛想笑いを浮かべるので精一杯だった。
 まだ完全には馴染めていないのか、千家との接し方を探っている。
「千穂先輩、こういう大事なことは、あらかじめ連絡していただけると……」
「いいじゃん、いいじゃん。サプライズだよ」
 千家は悪びれる様子もなく笑うと、部屋の奥にある席へ腰を下ろした。

「二人はもう顔合わせした?」
「まあな。俺たち三人とも早生まれらしいぞ」
「あら、珍しい。偶然にもレイトブルーマーが集まったわけだ」
 見知らぬ言葉にくるみが小首を傾げる。
「遅咲きとか大器晩成とかそういう意味だよ。私たちにピッタリでしょ」
 千家は晴れやかな笑みを浮かべた。

 それから「さて」と言って、二人の顔を順番に見回す。
「これでディベート部が勢揃いしたわけだ。二人ともディベートの経験はないみたいだから、今日はアイスブレイクにしようか」
「アイスブレイク?」
「簡単に言うと、楽しく遊んで仲良くなろう大作戦!」
 千家は頭の後ろで手を組み、背もたれに体を預けた。
「企業とかのレクリエーションでよくやるやつだよ」
「初耳だなあ」
「問題ないよ。だって私たちは就職したことないからね!」
 千家は得意げに親指を立てた。

「いろいろやり方はあるんだけど。ディベート部らしく、究極の二択で遊ぼうか」
「それなら知ってるぞ。うんこ味のカレーか、カレー味のうんこだろ?」
「なんで、それを例に出すんですか……」
「というか、あれって二択として成立してるか? 成分がうんこなんて絶対に体を壊すだろ」
 とんちんかんな持論を展開する怜太に、千家は厳しい顔でイエローカードを提示するような仕草をした。
「怜太君、それ以上言うなら退部だよ」
「冗談だよ。いくら俺でもTPOは――」
 そこまで言ったところで、くるみが青ざめた顔で口元を押さえた。
 次の瞬間、ふらふらと図書準備室を出ていく。
「くるみちゃんが戻ってきたら謝ってよ。カレー味のうんこが原因で退部なんて、洒落にならないから」
「……はい。反省してます」
 さすがに自分でもやりすぎたと思ったのか、怜太は素直にうなずいた。

 口元をハンカチで覆いながらくるみが戻ってくると、怜太は机に額をつけて謝罪した。
「すみませんでした」
「せ、先輩のせいじゃありません」
 くるみは慌てて両手を振った。
「もしかしたら、まだ風邪が治ってなかったのかなあ」
 先輩を傷つけまいとする健気な姿に、千家はわざとらしくハンカチを取り出して目元を拭った。
「ごめんね、くるみちゃん。怜太君、馬鹿だけど悪気はないの」
 くるみは引きつった笑みを浮かべたまま、この騒動が収まるのを待った。

「最悪の船出になったけど、続けようか」
 千家はそう言うと、ホワイトボードへ向き合った。手にしたペンを走らせ、達筆な文字で論題を書いていく。

『お寿司と焼肉、この先どちらかしか食べられないとしたらどっち』

 書き終えるとペンの先でその一文を指した。
「それぞれ意見はあると思うけど、ディベートでは立場はランダムで決まるの」
 千家がスマホを操作すると、画面にルーレットアプリが表示された。
 そこには「寿司」と「焼肉」の二つの項目が並んでいる。千家がスタートさせると、それらの文字が勢いよく回り始めた。
「厳正なる抽選の結果、怜太君は焼肉、くるみちゃんはお寿司に決まりました。異論は?」
「ないね。絶対に焼肉だろ」
 怜太は迷う様子もなく答えた。ようやく自分の得意分野で勝負できる。そのことが、怜太の表情からも伝わってきた。
「そ、そうなんですか……? てっきりお寿司一択かと」
 くるみは自信なさげに答えた。
「いいね。お互い自分の土俵で、正面から戦えるわけだ」
 千家は楽しそうに拳を握った。くりっとした瞳には、これから始まる議論への期待がありありと浮かんでいる。
 対照的に、くるみはそんな千家を見てわずかに身を引いた。これから何が始まるのか、まだ実感が湧いていないのかもしれない。
「いきなり議論しても面白いんだけど、ディベートには下調べが必要だからね。三十分あげるから、自由に使っていいよ」
(この時間の使い方が、俺の課題。昨日の反省を活かす)
「勝ち負けの判定は私がするから。それじゃあ、スタート!」