再び、月曜日の昼休みがやってきた。
「来栖ぅ、カレーパン……って、また腹痛いのか!?︎」
僕が急いで教室を出ていくと、中田は大声で叫んだ。
頼むから、もう少し声のボリュームを抑えてほしい。せっかくみんなが忘れかけていたのに。いつまで経っても「お腹の弱い人」キャラから脱出できない。
それを振り切り、実習棟の四階までやって来た。僕はどきどきしながら廊下を歩く。心臓の動きが大きくて、痛いくらいだ。
それから一段ずつ踏み締めるように、秘密の場所への階段を上がった。
桜田さんは、まだ来ていなかった。
僕は堪らず息を吐いた。
屋上の扉の前に立ち、二人分のお弁当が入ったトートバッグから、一つ弁当箱を出した。蓋を開け中を確認する。大丈夫、崩れていない。
「くーるーすくん!」
「うわぁ!」
急に桜田さんの顔が現れ、僕は手を滑らせた。
「あ!」
落ちる。そう思った瞬間、手が伸びてきて間一髪のところでお弁当を――掴めなかった。
無情にも床に落下。しかも最悪なことに、蓋が開いていたため中身は飛び出しばらばらになってしまった。
「う、嘘だ」
「ごめん!」
桜田さんが散らばったおかずを手で拾う。
「桜田さん、大丈夫ですよ! 僕が片づけますから」
だけど、桜田さんは顔を上げなかった。
「私が来たのに来栖君が全然気づかないから……ついふざけてしまった。本当に申し訳ない」
「平気です。落ちてない具もありますから、全部が食べられないわけじゃないです」
桜田さんが拾ったおかずを、僕は弁当箱の蓋で受け取った。父さんと一緒に練習した卵焼き。やっと焦げないように焼けた、黄色が綺麗な卵焼き。
「桜田さん、僕のお弁当を食べてください。まだ手をつけていないので。さ、食べましょう。今日はおにぎりとアスパラの肉巻きがありますよ」
もう一つのお弁当の中を見せた。桜田さんはもう一度「ごめん」と言った。
落ちたことは少しショックだけれど、桜田さんに暗い顔をしてほしくないし、気まずい空気は居心地が悪い。
それに、お弁当はまた作ればいいんだから。
「桜田さん、座ってください。僕の分のお弁当は少し量が少ないんですけど大丈夫ですかね。あ、購買でも行ってみますか? もう売り切れたかな」
「来栖君」
桜田さんは、真剣な表情をしていた。
「ごめん。わざと近くで声をかけたのは……君の反応が面白いから、ちょっとからかいたくなって」
「僕の反応ですか? 確かにびっくりしましたけど」
まさか、からかわれていたなんて。
「弁当、また作ってきてくれるとは思ってなかった。ありがとう」
あれ? ここに来るってことは、そういう意味だと思ったのに、違ったのか。でも、桜田さんのおいしそうに食べる姿が見たかったから。お弁当作りができて、むしろ嬉しい。
「いえ。僕が作りたかったんです。今日だけじゃなくて、また作らせてください」
初めは驚いたけど、今は心からそう思える。
「なぁ来栖君。私は今回のお詫びも兼ねて……桜の精霊として、君の願いを叶えたいと思う。今すぐに。望みを言ってくれないか」
「へ?」と、間抜けな声が出た。まさか、その話をこのタイミングで言われるなんて。桜田さんは精霊じゃない。それなのに、どうして。
「なにか一つくらいはあるだろう」
「特にないです」
「絶対にある」
「ないですってば」
返事に不満なのか、桜田さんは、「強情だな」とため息をついた。僕の願いとは何だろう。
食べたいもの? この前、桜田さんとおいしいプリンを食べた。
行ってみたい所? 桜田さんと一緒ならどんな場所でもいい。
「来栖君、ほら言ってごらん」
桜田さんは僕の両肩に手を置き、じっとみつめてきた。
久しぶりに色素の薄い瞳をまじまじと見た。脳内の記憶とリンクする。まだ花の咲いていない桜の木の下、ゆるく吹く風。水面が光って揺れているような、柔らかな輝きを放っていた美しい姿。
そうか、僕は初めから。
出会ったときから、桜田さんに惹かれていたんだ。
胸にある気持ちが浮かび上がってくる。
もしかして、僕の願いって。
「すごい。真っ赤だ」
顔に温かな感触があった。僕の右頬を桜田さんが指で触れ、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「さくらだ、さん」
「来栖君は私の顔が好きなんじゃないか」
「えっ」
図星。どうしてわかったんだ。真っ赤になっているからバレバレなのか。うう、恥ずかしい。どうして僕の身体は、こんなにも正直なんだ。こんなところで素直を発揮しなくていいのに。
「早く望みを言いなさい」
桜田さんが僕の顔を両手で包み込む。強制的に視線が合ってしまい、これでは逃げられない。
「あ、う」
「ほら早く」
「ぼ、くは……さ……」
「んん? なんだって?」
「僕は、さくらだ、さんと」
「もっとはっきり言ってくれないと、わからないだろう?」
ぐい、と顔を上げられた。顔が、近い。もう、無理だ!
「桜田さんと一緒にいたいです!」
静かな空間に、僕の声が響き渡った。
桜田さんは黙ったまま僕を見ている。早くなにか言ってほしい。沈黙が苦しい。
「それが来栖君の叶えたい願い?」
「はい」
「それだけ?」
「え? そう、ですけど」
するりと、桜田さんの手が離れていった。ようやく解放されたけど、僕の頭はぐるぐるしている。
ついに言ってしまった。隠していた僕の気持ち。どう思われたのだろう。男である僕が「一緒にいたい」だなんて。そういえば、桜田さんはまだ精霊ということになっているけど、どういうつもりなんだろう。
「そんなのすぐに……というか、すでに叶っているじゃないか」
「え? でも僕には一緒にいられるだけで充分すぎるというか、それだけで本当に胸がいっぱいなんです。だから叶うなら」
喫茶店へ行ったり、昼休みにお弁当を一緒に食べたり、何気ないことを話したり。桜田さんがいれば、それだけで特別なことになるんだ。それが、ずっと続いて欲しい。いつの間にか、そんな気持ちが芽生えていた。
「叶うなら、桜田さんが嫌にならない限りは、僕と一緒にいてほしいなっ……て……」
途中からとんでもないことを言っているような気がしてきて、最後はうまく声が出せなかった。
「また君はそういうことを恥ずかしげもなく言うんだから」
桜田さんは呆れたように言い、口元を手で隠した。
そして「前よりは慣れたけど」と呟き、僕の頭を撫でた。
「その願い。私が叶える。来栖君、飽きるまで君と一緒にいてあげよう」
「は、はい。よろしくお願いします」
僕を見て桜田さんは笑った。その顔は喫茶店で見たときのように幼げで、少年のように可愛らしかった。
だから僕もつられて笑ったんだ。
「来栖ぅ、カレーパン……って、また腹痛いのか!?︎」
僕が急いで教室を出ていくと、中田は大声で叫んだ。
頼むから、もう少し声のボリュームを抑えてほしい。せっかくみんなが忘れかけていたのに。いつまで経っても「お腹の弱い人」キャラから脱出できない。
それを振り切り、実習棟の四階までやって来た。僕はどきどきしながら廊下を歩く。心臓の動きが大きくて、痛いくらいだ。
それから一段ずつ踏み締めるように、秘密の場所への階段を上がった。
桜田さんは、まだ来ていなかった。
僕は堪らず息を吐いた。
屋上の扉の前に立ち、二人分のお弁当が入ったトートバッグから、一つ弁当箱を出した。蓋を開け中を確認する。大丈夫、崩れていない。
「くーるーすくん!」
「うわぁ!」
急に桜田さんの顔が現れ、僕は手を滑らせた。
「あ!」
落ちる。そう思った瞬間、手が伸びてきて間一髪のところでお弁当を――掴めなかった。
無情にも床に落下。しかも最悪なことに、蓋が開いていたため中身は飛び出しばらばらになってしまった。
「う、嘘だ」
「ごめん!」
桜田さんが散らばったおかずを手で拾う。
「桜田さん、大丈夫ですよ! 僕が片づけますから」
だけど、桜田さんは顔を上げなかった。
「私が来たのに来栖君が全然気づかないから……ついふざけてしまった。本当に申し訳ない」
「平気です。落ちてない具もありますから、全部が食べられないわけじゃないです」
桜田さんが拾ったおかずを、僕は弁当箱の蓋で受け取った。父さんと一緒に練習した卵焼き。やっと焦げないように焼けた、黄色が綺麗な卵焼き。
「桜田さん、僕のお弁当を食べてください。まだ手をつけていないので。さ、食べましょう。今日はおにぎりとアスパラの肉巻きがありますよ」
もう一つのお弁当の中を見せた。桜田さんはもう一度「ごめん」と言った。
落ちたことは少しショックだけれど、桜田さんに暗い顔をしてほしくないし、気まずい空気は居心地が悪い。
それに、お弁当はまた作ればいいんだから。
「桜田さん、座ってください。僕の分のお弁当は少し量が少ないんですけど大丈夫ですかね。あ、購買でも行ってみますか? もう売り切れたかな」
「来栖君」
桜田さんは、真剣な表情をしていた。
「ごめん。わざと近くで声をかけたのは……君の反応が面白いから、ちょっとからかいたくなって」
「僕の反応ですか? 確かにびっくりしましたけど」
まさか、からかわれていたなんて。
「弁当、また作ってきてくれるとは思ってなかった。ありがとう」
あれ? ここに来るってことは、そういう意味だと思ったのに、違ったのか。でも、桜田さんのおいしそうに食べる姿が見たかったから。お弁当作りができて、むしろ嬉しい。
「いえ。僕が作りたかったんです。今日だけじゃなくて、また作らせてください」
初めは驚いたけど、今は心からそう思える。
「なぁ来栖君。私は今回のお詫びも兼ねて……桜の精霊として、君の願いを叶えたいと思う。今すぐに。望みを言ってくれないか」
「へ?」と、間抜けな声が出た。まさか、その話をこのタイミングで言われるなんて。桜田さんは精霊じゃない。それなのに、どうして。
「なにか一つくらいはあるだろう」
「特にないです」
「絶対にある」
「ないですってば」
返事に不満なのか、桜田さんは、「強情だな」とため息をついた。僕の願いとは何だろう。
食べたいもの? この前、桜田さんとおいしいプリンを食べた。
行ってみたい所? 桜田さんと一緒ならどんな場所でもいい。
「来栖君、ほら言ってごらん」
桜田さんは僕の両肩に手を置き、じっとみつめてきた。
久しぶりに色素の薄い瞳をまじまじと見た。脳内の記憶とリンクする。まだ花の咲いていない桜の木の下、ゆるく吹く風。水面が光って揺れているような、柔らかな輝きを放っていた美しい姿。
そうか、僕は初めから。
出会ったときから、桜田さんに惹かれていたんだ。
胸にある気持ちが浮かび上がってくる。
もしかして、僕の願いって。
「すごい。真っ赤だ」
顔に温かな感触があった。僕の右頬を桜田さんが指で触れ、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「さくらだ、さん」
「来栖君は私の顔が好きなんじゃないか」
「えっ」
図星。どうしてわかったんだ。真っ赤になっているからバレバレなのか。うう、恥ずかしい。どうして僕の身体は、こんなにも正直なんだ。こんなところで素直を発揮しなくていいのに。
「早く望みを言いなさい」
桜田さんが僕の顔を両手で包み込む。強制的に視線が合ってしまい、これでは逃げられない。
「あ、う」
「ほら早く」
「ぼ、くは……さ……」
「んん? なんだって?」
「僕は、さくらだ、さんと」
「もっとはっきり言ってくれないと、わからないだろう?」
ぐい、と顔を上げられた。顔が、近い。もう、無理だ!
「桜田さんと一緒にいたいです!」
静かな空間に、僕の声が響き渡った。
桜田さんは黙ったまま僕を見ている。早くなにか言ってほしい。沈黙が苦しい。
「それが来栖君の叶えたい願い?」
「はい」
「それだけ?」
「え? そう、ですけど」
するりと、桜田さんの手が離れていった。ようやく解放されたけど、僕の頭はぐるぐるしている。
ついに言ってしまった。隠していた僕の気持ち。どう思われたのだろう。男である僕が「一緒にいたい」だなんて。そういえば、桜田さんはまだ精霊ということになっているけど、どういうつもりなんだろう。
「そんなのすぐに……というか、すでに叶っているじゃないか」
「え? でも僕には一緒にいられるだけで充分すぎるというか、それだけで本当に胸がいっぱいなんです。だから叶うなら」
喫茶店へ行ったり、昼休みにお弁当を一緒に食べたり、何気ないことを話したり。桜田さんがいれば、それだけで特別なことになるんだ。それが、ずっと続いて欲しい。いつの間にか、そんな気持ちが芽生えていた。
「叶うなら、桜田さんが嫌にならない限りは、僕と一緒にいてほしいなっ……て……」
途中からとんでもないことを言っているような気がしてきて、最後はうまく声が出せなかった。
「また君はそういうことを恥ずかしげもなく言うんだから」
桜田さんは呆れたように言い、口元を手で隠した。
そして「前よりは慣れたけど」と呟き、僕の頭を撫でた。
「その願い。私が叶える。来栖君、飽きるまで君と一緒にいてあげよう」
「は、はい。よろしくお願いします」
僕を見て桜田さんは笑った。その顔は喫茶店で見たときのように幼げで、少年のように可愛らしかった。
だから僕もつられて笑ったんだ。

