一年生の教室は一階にあり、地上の様子がよく見える。教室のすぐ向かいにある体育館では、ジャージを着た生徒たちが集まっていた。次の授業は体育なのだろう。
隣の席の女子が少し窓を開けた。体育館の側に立つ桜が、風になびいてさざめく様子が見える。
窓の外の景色は穏やかだ。眺めていると心が落ち着く。
「おーい来栖……って、また桜の木を見てるのか? よく飽きねぇな。なーにがそんなに面白いんだか」
僕の聖域へ無遠慮な声が侵入してきた。同じ中学だった中田だ。
「僕は桜が好きなんだよ。中田、よく見て。風に揺れる様子を! 舞い散る花びらを! 美しいじゃん!」
「お前いっつもそれ言うけどよくわかんねぇわ」
中田は呆れた声をだした。なんで僕が白い目で見られているんだ。納得いかない。
教室の窓から見えるのは、学校をぐるりと囲むように立つ桜の木。中学でも植えられていたが、この高校ではもっとたくさん植えられている。
学校近くの川沿いには数百本の桜が咲き、毎年「桜まつり」なるものが開催されているらしい。地元のテレビ局が取材に来るほど有名で、隣町に住む僕も夕方のローカル番組で観たことがある。
「あ、もしかして来栖も『桜の精霊』とか信じてたりすんの?」
中田は面白いものでも見つけたかのように、楽しそうな顔になった。
「桜の精霊? なにそれ」
「なんだ知らないのかよ」
僕の反応に、今度は急につまらなさそうな顔をした。まるで百面相だ。
中学の頃は顔見知りというだけで、特別仲がよかったわけではない。高校で同じクラスになり話すことが増え、すぐ顔に出る性格だということを知った。僕としては、わかりやすいから気が楽だ。
「クラスの女子が喋ってたんだよ。学校に一本だけ咲くのが遅い桜の木があるんだと。その木には桜の精霊が宿っていて、気に入られた人間は願い事を叶えてもらえるらしい」
「へぇ。学校の都市伝説ってやつかな」
小学校でもあった。理科室で人体模型が勝手に動きだすとか、夜中にパソコン教室へ行くと画面の中に連れて行かれるとか。高校でも都市伝説があるとは。高校生ってそれなりの年齢だと思うけど、そういうものにすがりたくなるものなのか……って、ちょっと待て。まさか。
桜。精霊。
「そういうこと!?︎」
ある可能性に思い当たって声を上げてしまった。そのせいで中田の肩が大きく跳ねた。
「なんだよ! 急にどうした」
「ご、ごめん。あのさ、もしかしたら『桜の精霊』を見たかも」
「ふぅん、そうですか……は? え?」
中田はぽかんとしたが、すぐに調子のいい声で話し始めた。
「さすが来栖君。毎日桜をガン見しているだけのことはある。で、桜の精霊はどんな感じだった? 美人?」
「美人だった」
「おおぉ」中田は大袈裟に反応した。「顔は? 何系?」
「守ってあげたくなるような儚い感じで」
「ほぉほぉ」
「肌が白くてきらきらしてて」
「ふんふん。胸は?」
「胸? 胸は別に……男の人だったし」
「はぁ? 男ぉ? なんでそんな設定なんだよ」
中田は不満気な声を上げ、急にやる気をなくした。
「設定ってなんのこと」
「なんのって、俺たち今そういうノリで喋ってただろ? 精霊ってイメージとしては綺麗な美女だろ」
「いや、僕は本当に見たんだって」
そう伝えても中田は「はいはい、すごいすごい」と、まったく信じていないようだ。
このままでは僕が変な奴みたいじゃないか。でも、あのとき見た人が本当に桜の精霊なのかはわからない。これは……確かめてみる必要がありそうだ。
「なんだよ来栖。黙りこんじゃって。悪かったって。まだお前のノリもわかってないのに、こっちのペースで話しちゃったわ」
今度はしおらしくなった中田の態度に、僕は面食らった。本当にコロコロ気持ちや表情が変わる人なんだな、中田は。
「ううん、大丈夫だよ。僕も本当に桜の精霊だったのか怪しんでるし」
くくっと中田が笑った。
「まだそれ言うか。もしかして来栖、霊感とかある?」
にやにやしながら話す中田を見て、これは絶対信じてないな、とすぐわかった。
「そんなに言うなら写真でも撮ってきてくれよ。さすがに俺も信じるわ」
「それだ!」
僕が嘘をついていると思われるのは癪だ。証拠を持ってくれば、おとなしく信じてくれるだろう。
そうと決まれば善は急げ。
「今から行ってくる。中田も一緒に来る?」
「今から? てか、そんな簡単に出てくるのか? 普通に昼休みだけど」
「この前見たのは入学式の日だった」
「ああ、来栖が遅れて来た日か」
なんとか式には間に合ったけど、教室での説明会には間に合わず、体育館前でクラスメイトと合流するかたちになってしまった。
「なにか手がかりがあるかもしれない。とりあえず行ってみる」
「来栖ってフットワーク軽っ。のんびりしてそうな顔してんのにな」
こうして二人で噂の桜の木へと向かった。
例の木は学校の端にあり、人の出入りがある中央に比べて注目されることは少ないように思った。
「あれ? 誰かいる」
人影が見えた瞬間、鼓動が早くなり始めた。
やっぱり、桜の精霊が?
「うお。本当だ。誰かいるじゃん」
「ああっ、ちょっと中田」
桜の木に近づこうとする中田を慌てて引っ張った。側にある駐輪場の自転車を壁代わりにし、身を屈めた。
「なんだよ来栖」
「いきなり近寄ったら逃げられるかもしれないじゃん」
中田は「はぁ」とめんどくさそうに返事をしたが、僕は慎重に事を進めたかった。
少しだけ身体を伸ばし、様子を確認する。
誰かが立っているようだけど、距離があるため”あのときの人”なのかわからない。
僕はごくりと唾を飲み込んだ。ゆっくり立ち上がり、音を立てないよう少しずつ近づいていく。
そうっと、そうっと、一歩ずつ。
「ああもう! まどろっこしいな!」
後ろにいた中田が僕を追い越し、そのまま桜の木へと向かって行った。
「中田! 待って!」
必死に止める僕の声なんて聞きもしない。ああ、おしまいだ。きっと精霊は繊細に違いない。それなのに遠慮のない中田が近づいていけばどうなるか。
思わず両手で顔を覆った。桜の精霊は一体どんな反応を。中田、変なこと言わないだろうな。
指の隙間をちょこっと開け、彼らの様子を覗いてみる。すると、中田はその人物がいる手前で引き返していた。
「ただの女子生徒だった」
「え?」
「来栖がすごい反応してるから本気でいるのかと思ったじゃん。『桜の精霊がいる木なんだよ』って話してたぞ。俺たちと同じだったわ」
中田はため息をつきながら「ま、いるわけねぇよ。精霊なんて」と言った。
改めて桜の下の人物を見る。確かに、この学校の制服を着た女子が立っている。しかも僕が気づいていなかっただけで、隣にもう一人女子生徒がいた。二人は桜の木を見ている。僕が見たのは男性だったはずだ。
「なぁ、もう戻ろうぜ。昼休みも終わるし」
中田は大きな欠伸をしながら身体を伸ばした。
僕はもう一度桜の木を見た。女子生徒二人も教室に戻るのだろう、その場から歩き出していた。
何の変哲もない、ただの学校の日常だ。あの日見たものは幻だったのだろうか。
隣の席の女子が少し窓を開けた。体育館の側に立つ桜が、風になびいてさざめく様子が見える。
窓の外の景色は穏やかだ。眺めていると心が落ち着く。
「おーい来栖……って、また桜の木を見てるのか? よく飽きねぇな。なーにがそんなに面白いんだか」
僕の聖域へ無遠慮な声が侵入してきた。同じ中学だった中田だ。
「僕は桜が好きなんだよ。中田、よく見て。風に揺れる様子を! 舞い散る花びらを! 美しいじゃん!」
「お前いっつもそれ言うけどよくわかんねぇわ」
中田は呆れた声をだした。なんで僕が白い目で見られているんだ。納得いかない。
教室の窓から見えるのは、学校をぐるりと囲むように立つ桜の木。中学でも植えられていたが、この高校ではもっとたくさん植えられている。
学校近くの川沿いには数百本の桜が咲き、毎年「桜まつり」なるものが開催されているらしい。地元のテレビ局が取材に来るほど有名で、隣町に住む僕も夕方のローカル番組で観たことがある。
「あ、もしかして来栖も『桜の精霊』とか信じてたりすんの?」
中田は面白いものでも見つけたかのように、楽しそうな顔になった。
「桜の精霊? なにそれ」
「なんだ知らないのかよ」
僕の反応に、今度は急につまらなさそうな顔をした。まるで百面相だ。
中学の頃は顔見知りというだけで、特別仲がよかったわけではない。高校で同じクラスになり話すことが増え、すぐ顔に出る性格だということを知った。僕としては、わかりやすいから気が楽だ。
「クラスの女子が喋ってたんだよ。学校に一本だけ咲くのが遅い桜の木があるんだと。その木には桜の精霊が宿っていて、気に入られた人間は願い事を叶えてもらえるらしい」
「へぇ。学校の都市伝説ってやつかな」
小学校でもあった。理科室で人体模型が勝手に動きだすとか、夜中にパソコン教室へ行くと画面の中に連れて行かれるとか。高校でも都市伝説があるとは。高校生ってそれなりの年齢だと思うけど、そういうものにすがりたくなるものなのか……って、ちょっと待て。まさか。
桜。精霊。
「そういうこと!?︎」
ある可能性に思い当たって声を上げてしまった。そのせいで中田の肩が大きく跳ねた。
「なんだよ! 急にどうした」
「ご、ごめん。あのさ、もしかしたら『桜の精霊』を見たかも」
「ふぅん、そうですか……は? え?」
中田はぽかんとしたが、すぐに調子のいい声で話し始めた。
「さすが来栖君。毎日桜をガン見しているだけのことはある。で、桜の精霊はどんな感じだった? 美人?」
「美人だった」
「おおぉ」中田は大袈裟に反応した。「顔は? 何系?」
「守ってあげたくなるような儚い感じで」
「ほぉほぉ」
「肌が白くてきらきらしてて」
「ふんふん。胸は?」
「胸? 胸は別に……男の人だったし」
「はぁ? 男ぉ? なんでそんな設定なんだよ」
中田は不満気な声を上げ、急にやる気をなくした。
「設定ってなんのこと」
「なんのって、俺たち今そういうノリで喋ってただろ? 精霊ってイメージとしては綺麗な美女だろ」
「いや、僕は本当に見たんだって」
そう伝えても中田は「はいはい、すごいすごい」と、まったく信じていないようだ。
このままでは僕が変な奴みたいじゃないか。でも、あのとき見た人が本当に桜の精霊なのかはわからない。これは……確かめてみる必要がありそうだ。
「なんだよ来栖。黙りこんじゃって。悪かったって。まだお前のノリもわかってないのに、こっちのペースで話しちゃったわ」
今度はしおらしくなった中田の態度に、僕は面食らった。本当にコロコロ気持ちや表情が変わる人なんだな、中田は。
「ううん、大丈夫だよ。僕も本当に桜の精霊だったのか怪しんでるし」
くくっと中田が笑った。
「まだそれ言うか。もしかして来栖、霊感とかある?」
にやにやしながら話す中田を見て、これは絶対信じてないな、とすぐわかった。
「そんなに言うなら写真でも撮ってきてくれよ。さすがに俺も信じるわ」
「それだ!」
僕が嘘をついていると思われるのは癪だ。証拠を持ってくれば、おとなしく信じてくれるだろう。
そうと決まれば善は急げ。
「今から行ってくる。中田も一緒に来る?」
「今から? てか、そんな簡単に出てくるのか? 普通に昼休みだけど」
「この前見たのは入学式の日だった」
「ああ、来栖が遅れて来た日か」
なんとか式には間に合ったけど、教室での説明会には間に合わず、体育館前でクラスメイトと合流するかたちになってしまった。
「なにか手がかりがあるかもしれない。とりあえず行ってみる」
「来栖ってフットワーク軽っ。のんびりしてそうな顔してんのにな」
こうして二人で噂の桜の木へと向かった。
例の木は学校の端にあり、人の出入りがある中央に比べて注目されることは少ないように思った。
「あれ? 誰かいる」
人影が見えた瞬間、鼓動が早くなり始めた。
やっぱり、桜の精霊が?
「うお。本当だ。誰かいるじゃん」
「ああっ、ちょっと中田」
桜の木に近づこうとする中田を慌てて引っ張った。側にある駐輪場の自転車を壁代わりにし、身を屈めた。
「なんだよ来栖」
「いきなり近寄ったら逃げられるかもしれないじゃん」
中田は「はぁ」とめんどくさそうに返事をしたが、僕は慎重に事を進めたかった。
少しだけ身体を伸ばし、様子を確認する。
誰かが立っているようだけど、距離があるため”あのときの人”なのかわからない。
僕はごくりと唾を飲み込んだ。ゆっくり立ち上がり、音を立てないよう少しずつ近づいていく。
そうっと、そうっと、一歩ずつ。
「ああもう! まどろっこしいな!」
後ろにいた中田が僕を追い越し、そのまま桜の木へと向かって行った。
「中田! 待って!」
必死に止める僕の声なんて聞きもしない。ああ、おしまいだ。きっと精霊は繊細に違いない。それなのに遠慮のない中田が近づいていけばどうなるか。
思わず両手で顔を覆った。桜の精霊は一体どんな反応を。中田、変なこと言わないだろうな。
指の隙間をちょこっと開け、彼らの様子を覗いてみる。すると、中田はその人物がいる手前で引き返していた。
「ただの女子生徒だった」
「え?」
「来栖がすごい反応してるから本気でいるのかと思ったじゃん。『桜の精霊がいる木なんだよ』って話してたぞ。俺たちと同じだったわ」
中田はため息をつきながら「ま、いるわけねぇよ。精霊なんて」と言った。
改めて桜の下の人物を見る。確かに、この学校の制服を着た女子が立っている。しかも僕が気づいていなかっただけで、隣にもう一人女子生徒がいた。二人は桜の木を見ている。僕が見たのは男性だったはずだ。
「なぁ、もう戻ろうぜ。昼休みも終わるし」
中田は大きな欠伸をしながら身体を伸ばした。
僕はもう一度桜の木を見た。女子生徒二人も教室に戻るのだろう、その場から歩き出していた。
何の変哲もない、ただの学校の日常だ。あの日見たものは幻だったのだろうか。

