すべては桜のせいにして

 あれから何日経ったのか。桜田さんには会っていない。
 
「今日の午前は授業がきつかったな。昼休みまで長かった。早く飯食おうぜ」

 チャイムが鳴るなり、中田が僕の席までやってきた。
 空いた隣の席に座り、机に大きな弁当箱を広げ始めた。

「中田、珍しいな。今日はお弁当なんだ?」
「あー、いつも親が忙しそうだから弁当はいらんって言ってる。でも購買のパンだけだと足りねぇんだよな」

 びっしり敷き詰められた白米の上に、たっぷりの野菜とおいしそうに焼かれた牛肉がのっている。

「おいしそうだね。焼肉弁当だ」
「やっぱ弁当あると助かるよな。うまくて量が多い」

 中田は勢いよく肉とご飯をかきこんだ。
 特に表情は変わっていないが、無言でがつがつ食べ進めている。それだけ、おいしいということだろう。
 僕はといえば、今日は父さんが朝早く起きて、お弁当を作ってくれた。車の免許の更新だとかで有休をとっている。なんのおかずが入っているかな。

「おお」

 蓋を開けてびっくり。一面に卵が広がっていた。オムライス弁当だ。焦げ目のない、薄く綺麗に焼かれた卵。そこにケチャップで「元気出せ!」と書かれている。

「来栖の弁当すげぇ」
「うん。すごいよね。父さんが作ってくれたんだ」
「俺、弁当にオムライスなんて入ってたことねぇよ」

 トートバッグの中には、犬の絵が描かれたプラスチックのスプーンが入っていた。僕が小学生のころ使っていたものだ。懐かしい、まだ残っていたなんて。お弁当用のスプーンがないから入れたんだな。
 使うのが少し恥ずかしい。父さんは僕が高校生だと、本当にわかっているのだろうか。そういうところは相変わらずだ。父さんらしいけど。
 
「いただきます」

 卵の下にはおいしそうなケチャップライス。グリーンピースが嫌いな僕のために、我が家のケチャップライスには枝豆が入っている。スプーンにのせたオムライスに「元気出せ!」のケチャップをちょいっとつけた。口に入れるとバターが香り、ケチャップの酸味と卵の甘みがよく合う。とてもおいしい。思わず笑みがこぼれる。
 朝から準備が大変だっただろうな。父さんの優しさが、全身に染みわたっていく。
 お弁当を作るようになってから、ありがたみがよくわかるようになった。ひと口ひと口を大切に食べたい。

「そういや最近、来栖は教室で昼飯食ってるよな。この前は知り合いの先輩とって言ってたけどいいのか? てか、なんの先輩?」

 どきりとした。質問した中田は何気なく言ったようだけど、僕は落ち着かない気分になった。

「ちょっと知り合いになっただけの人だからいいんだよ」
「そんな人と飯食ったのか? メンタルつよ」
「別に……もう会うこともないだろうから」
「珍しいな。来栖が誰かのことをそんなふうに言うなんて。もしかして、元気がないのはそれのせいか? 喧嘩でもしたのか?」
「してないよ。ていうか、喧嘩するほどあの人のこと知らないし!」

 思ったより大きくなった自分の声で我に返った。中田は目を丸くしている。
 喧嘩。父さんも同じことを言っていた。喧嘩なんかじゃない。本当に知らないんだ。
 僕が知っていること――下の名前は樹里さん、実は吹奏楽部の先輩、甘いものが好き、意外ともりもり食べる、笑うと少し幼くなる、意地悪な顔もかっこいい、僕の素直なところがいいと言ってくれる……それくらいだ。

「ごめん来栖。俺、変なこと言ったか?」
「あ……ううん。中田はなにも悪くないよ。ごめん。なんか、最近調子悪くて」

 ははっと笑顔で取り繕う。上手く笑えているかはわからない。

「そんな無理して笑うなよ。なにがあったかは知らないけど、お前らしくない。来栖は素直に思ったこと言って、マイペースにのほほーんと平和に生きてりゃいいんだから」
「マイペースに、のほほーんって」

 なんか、なにも考えてないみたいに聞こえるけど。

「桜の精霊を探しているときなんて、生き生きしてたぞ。やりたいことをやっているのが来栖らしいってことだ。たぶん」
「たぶんなのか」

 ちょっと適当になるのが中田らしい。僕は少しだけ気が抜けた。

 やりたいこと。
 本当のことを訊くのは怖い。だけど、このままでは前にも後ろにも進めない。
 確かめたい。桜田さんのことを。
 オムライスに残っているケチャップ文字、「元気」の部分をスプーンで切り取り、大口を開けて食べた。