すべては桜のせいにして

 昼休み。いつものように秘密の場所で待ち合わせ。
 しかし今日は、普段と様子が違っていた。

「桜田さん! 今日は早いんですね」

 僕より先に、桜田さんが待っていたのだ。こんなことは初めてで驚いてしまった。

「私が先に来るのは変か? そこまでルーズではないぞ。だが、来栖君にそんなふうに思われていたとは……落ち込むな」
「そんなこと思っていません! 本当です!」

 慌てて否定すると、桜田さんは「ぷっ」と吹きだした。

「冗談だよ。来栖君、焦りすぎだ」
「じょ、冗談……もしかして、からかわれてますか?」
「うん。からかっているね」

 桜田さんは楽しそうに笑みを浮かべた。
 その姿が様になっているものだから、僕は「からかわないでください」とは言えない。もっといろんな顔が見たい。
 それに、振り回されていることが、嬉しいと思うようにもなっていた。

「調理実習?」
「はい。今さっきの授業がそうだったんです。おにぎりを作ったので、食べてもらおうと持ってきました。家で作ってきたおかずもありますよ」

 おにぎりは一人二個作るレシピだった。青菜の混ぜ込みおにぎりだ。中田はふざけて大きな混ぜ込みおにぎりを作り、ごはんが足りなくなって佐々木さんに怒られていた。

「へぇ。変わった形のおにぎりだな」
「う」
「う?」

 桜田さんはきょとんとした。

「実は普通の三角おにぎりを作る予定だったんですけど……上手くできなくてこんな形に。三角に握るのが苦手で」

 頂上部分が丸すぎて、下のほうはやたらと厚みが出ている。三角形と言われればそう見えるかもしれない。何も言わなければどうかというと、桜田さんの反応が物語っている。

「味は変わらないんだから形は気にならないさ。いただきます」

 桜田さんはまったく気にしていない素振りで、青菜おにぎりを頬張った。
 
「いつもどおりうまい。でも初めて食べる味だな」
「僕も青菜おにぎりは初めて作りました。どんな味ですか?」
「え、来栖君は食べていないのか?」

 驚いた桜田さんは、不意に食べかけのおにぎりを「ん」とこちらに寄越した。

「先に食べてしまって悪かった。自分で作ったんだから、まずは来栖君が食べないと」
「……へ?」

 ひと口分、欠けたおにぎりが目の前にある。
 桜田さんが食べたおにぎりが。
 僕がこれを、食べる?

「どうしたんだ? ほら」

 僕が止まっていると、おにぎりはさらに近づいてきた。
 口元ぎりぎりまで寄っている。
 これはもう、食べるしか選択肢がない。
 覚悟を決めるんだ、直!

 ぱくり。

「む、おいしい」

 塩味とごま油の効いた青菜が、お米にとても合っている。普段は選ばない味であるせいか、とても新鮮だ。家でも作ってみようかな。

「そうなんだよ。素朴な味でうまいんだよ」

 僕が食べたおにぎりを見ながら、桜田さんはなぜか得意げな顔で言った。

「……桜田さん、その、残りは全部食べていいですよ」
「いいのか?」

 桜田さんの声がワントーン上がった。

「催促したみたいで悪いなぁ」

 そう言っているけど悪びれた雰囲気はまったくなく、あっという間に平らげた。
 桜田さんは、僕が食べたおにぎりのことなんて、なんとも思っていないらしい。小学生でもあるまいし、間接キスなんて騒ぐことではないのか。自分だけ過剰に反応してしまったのが恥ずかしい。恋愛経験のない僕は、ものすごく子どもっぽいのかもしれない。

「今日もうまかったなぁ。ごちそうさま」
「はい。喜んでもらえてよかったです」

 広げていた弁当箱を片付け、僕たちは秘密の場所の階段を下りた。
 昼休みが終わるまであと十分か。もう少し一緒にいられたらな。

「桜田さん、今日なんですけど」

 放課後も会えますか。そう訊こうとしたけど、桜田さんの視線は別のほうを向いていた。

「桜田さん? どうしたんですか?」
「誰かいる」

 音楽室の隣に空き教室がある。放課後に吹奏楽部が練習している場所だ。昼休みは施錠されているはずだけど、確かにドアが開いていた。

「まずいかも。来栖君、ちょっと戻ろう」

 桜田さんが後ろを向きかけたとき、教室から人が出てきた。

「え? 樹里先輩!?」

 楽譜を持った春見さんが、僕らを見て目を丸くしている。
 樹里先輩ってもしかして。
 桜田さんを見ると、案の定気まずそうな顔だった。
 ここは僕の出番か!?

「や、やぁ春見さん。部活の用事?」

 僕はできるだけ、にこやかで自然なふうを装い、春見さんに話しかけた。
 だけど彼女は心ここにあらずといった様子で、こちらのことをまったく見ていない。

「あ、あの、私、一年生の春見です。パートはホルンです」

 春見さんは、顔を真っ赤にして一生懸命話していた。
 僕ではなく、隣の桜田さんに。

「あの、また部活に来てくれると嬉しいです。先輩の演奏している姿……また見たいです」

 僕は今、完全に蚊帳の外だ。誰がどう見たって、春見さんの恋が始まりそうなシーンじゃないか。

「うん。ありがとう。また顔出すよ」
「はい! それじゃあ、失礼します!」

 春見さんは勢いよく頭を下げ、ぱたぱたと走っていった。
 実習棟は、再び静寂に包まれる。

「来栖君」
「あっ、やばい! もう昼休み終わっちゃうので僕は戻りますね!」

 ここから教室までは少し距離がある。いい加減、授業に遅刻するのはよくない。今日はきちんと戻ろう。
 そう思うことにして、僕は桜田さんを残してその場を後にした。
 いつもなら何度も桜田さんのほうを振り返るのに、今日は顔を見られなかった。思わず逃げてしまうなんて。
 桜田さんが吹奏楽部の先輩。
 薄々わかっていたことだけど、彼が精霊のふりをしていることを考えないようにしていた。
 桜田さんは、僕をからかうのが好きだと言っていた。初めから僕のことを笑っていたのか。こっちが勝手に盛り上がっていただけで、面白がっていただけなんだ。
 だめだ。認めた途端、一気に苦しくなってきた。
 明日の昼休みはどうしよう。いつも通りお弁当を作って、一緒に食べる?
 渡り廊下の真ん中で、僕は足を止めた。

 桜田さん、桜の精霊じゃなくて人間じゃないですか。びっくりしちゃいました。

 そう明るく笑えばいい。
 ああでも、僕に嘘がバレたなら、桜田さんはつまらないんじゃないのかな。
 止まっていた足をのろのろと動かし、校舎の中へ入った。
 もうすぐ予鈴の鳴る時間だけど、教室前にはたくさんの生徒がいて騒がしい。
 そういえば、昼休みってこんな感じだったな。

「来栖! こんな所にいたのか。最近は毎日腹壊してるよな。てかさっきの調理実習でそんなに食べてたっけ?」

 いつも通りの中田の明るさにほっとする。

「腹は平気だよ。それに食べ過ぎてない。たくさん食べていたのは中田だろ? 佐々木さん怒ってたじゃん」
「あー。結局、でかいおにぎりは俺が食べるしかなかったからな。佐々木さん怖かった」

 中田はしょんぼりと肩を落としたが、自業自得だ。

「あ、予鈴鳴った。次の授業は英語だぜ? あの先生意味不明な法則で解答者を当ててくるからな。勘弁してほしいわ。来栖が腹壊して遅刻したときもそうだったもんな。今日は間に合ってよかったな」
「そうだな。これから変なものは食べないようにするよ」

 僕は軽い調子で返す。

「おっ。今日は素直に認めるじゃん。てか、やっぱり変なもの食ってたのかよ!」

 中田に笑いながら背中を叩かれ、僕は乾いた笑いを返した。