九 真弓
――エレナのそんな目つき、はじめて見た。
あのとき睨まれたのとは、全然違う。
眉間にしわを寄せて、突き刺すように私を見つめ、目をそらさない。
私は、動けずにぼんやり眺めているだけ。
「あのね、聞いて、真弓……」
彼女が大きく息を吸う。
「私、ずっと自分の演奏に自信が持てなかった。だから、私より上手な子だって、いっぱいいるはずなのに、真弓が私の伴奏をするって言ってくれて、嬉しかった」
私はただ、黙っている。
「でも、何回練習しても、前みたいにうまく合わないし。真弓のピアノはやっぱりすごくて、私はダメで。もう、ぐちゃぐちゃになって……」
エレナが一度、口をつぐむ。
「もう、どうしたらいいのか分からない」
私を射すくめていたその瞳が……翠色の瞳が、濁っていく。
「真弓さ、私と練習するの嫌になった?」
「そんなこと、ない」
「私と組んだこと、後悔してる?」
「して……ない」
喉がつかえて、声を絞り出すことしかできない。
エレナが、ぐっと唇を噛む。それから、
「ねぇ、どうして……私、なの?」
消えそうなくらい小さな声で言った。
エレナの姿が波打つように揺れる。頭の中で、彼女の言葉が私の声になる。
――ねぇ、どうして、エレナを?
どうしてって。
そんな簡単なこと聞かないでよ。
だって、だって……。
私は、唇を結んだまま立ちすくむ。
エレナの口元は、自嘲するように引きつっていく。
「あーあ、そっかぁ。やっぱりそうなんだ。周りの子が言ってた。真弓は、同室のよしみで下手くそな私をかわいそうに思って、組んであげたんだって」
違う。
かわいそうだから、なんて、一度も思ったことない。
「真弓が勝手に同情なんかするから、私はみんなの笑いものにされたんだ。ひどいよ。よくそんなことできるよね。私の気持ちなんて、なにも知らないくせに!」
私は、彼女を睨んだ。
「エレナだって、私の気持ち、なにも分かってない!」
「じゃあ正直に言ってよ! 私のことをどう思ってるのか!」
「私は――」
言わなきゃ。
「エレナ……が……」
そう、たった一言。簡単なこと。
それなのに、どうして? 喉が詰まって言葉が続かない。
言わないとダメなのに。ちゃんと言わなかったせいで、エレナに、そんなふうに思わせてしまったんだから。
けど、怖い。
だって、私の気持ちは普通じゃない。
もしも全てを曝け出して、彼女に拒絶されてしまったら……。私たちが一緒に過ごしてきた、なにもかもが壊れてしまいそうだから。
エレナが下を向いて、息を吐く。
「……真弓は、いいよね」
低い声。
「オーディション落ちたって、音楽の才能あるから」
チェロを握るエレナの指先が、固くなる。
「それに比べて、私は……」
声が、掠れていく。
エレナが椅子に崩れ落ちる。
手から弓が滑り落ちて、カランと乾いた音が鳴る。
はっとして、まばたきをした瞬間、滲んだ視界が輪郭を取り戻す。目元から頬まで熱かった。
どくん、どくん、と激しいノック音が耳を打つ。
――ちゃんと伝えるんだ。
大好きだから。
ずっと一緒にいたいから。
だから、エレナを選んだの、って。
