六 エレナ
真弓が、私を見つめている。
どこからか風が吹き込んで、頬に触れるとひやりとした。どうやら汗をかいているらしい。
胸が膨らみ、肩が上下している。鼓動が、少しずつ遠のいていく。
嬉しくてたまらなかった。
真弓の音に呼ばれるたび、胸の奥に押し込められていたものが、次々と溢れてきた。
はじめて、自分の音が、自分のものになった気がした。
「すごいね」
「なんて曲なんだろう」
どこからか声が聞こえる。
室内から廊下を見ると、閉め忘れていたドアから、寮生の女の子がふたり、こちらを覗いている。
私の視線に気付くと、彼女たちはすぐ頭を引っ込めてドアを閉めた。
ピアノに目を移せば、真弓が黒い瞳を見開いてこちらを見ている。
なにそのびっくりした顔。少しおかしくて、笑いそうになった。
突然、真弓の体が、すとんと落ちる。お尻を、ちょうどいい位置にあったピアノの椅子が受け止める。そのまま泣き出した。
「大丈夫?」
チェロを床に寝かせると、子どものように泣きじゃくる真弓のそばに駆け寄る。だけど、どうすればいいのか。
――抱きしめる、とか?
できないよ。人を抱きしめるなんて、したことがない。抱きしめられた記憶もない。でも……。
――いつも抱いてるじゃない。チェロ。
私は身を寄せて、震える真弓に腕を回した。
その身体は、慣れ親しんだ私のチェロよりも、ずっと華奢だ。触ると冷たいチェロと違って、ほんのり温かい。ふっと、シトラスのような香りがした。
「落ち着いて」
彼女の背中をさする。ウールのブレザーは、見た目よりもごわごわしている。
そのまま手を上へ滑らせる。手の甲を黒髪がかすめて、指先が彼女のうなじに触れる。薄く湿った肌。腕の中の小さな身体が、きゅっと強張った。
「ごめん……いろいろ不安だったから」
真弓が、声を引きつらせながら言った。
「そうだね」
私だって、ここでひとり彼女を待っていたとき、不安でしかたがなかった。これからどうなるのか、とか、どんな子と過ごすのか、とか。だから、泣きたくなるのも分かる。
大丈夫。
私は、抱きしめたまま、頬が触れるくらい顔を寄せる。
耳元で真弓がくつくつと泣きながら笑いだす。
「……エレナちゃん、くすぐったいよ」
どうやら、私のくせ毛が、彼女の頬を撫でまわしているらしい。
真弓の笑い声につられて、少しほっとした。
――この子と一緒なら。
私も、きっと――。
真弓が、離れようと身をよじる。
――逃げちゃダメ。
私は、ぐっと彼女を引き寄せた。そうして、カーテンのようにかかる黒髪をかきわける。小ぶりな耳があらわになって、なぜか、そこに触れてみたくなった。その気持ちを抑えて、耳元に唇を寄せると、
「エレナで、いいよ」
と囁いた。
腕の中で、真弓がびくんと跳ねた。
