ヤバ澤くんに二言はない

「これ、荷解きする必要あるかね」

 数日後の夕方、2階の西側――祖父が生前使っていた部屋で、ようやく運び込まれてきた段ボール箱を見て大輝はため息をついた。
 ここから通える範囲に大学はないから、進学するなら来年にはまた大輝はここを出ていくことになる。必要なものを必要な時に取り出す方式にすれば、数箱くらいはそのまま開封せず持ち越せるのではないだろうか。

「……うん、そうしよ」

 頷いた大輝は部屋の押し入れを開け、そこにそのまま段ボールを移動させた。あっという間に部屋が片付いたので、祖母が買ってきた缶入り飴を舐めながらスマホを取り出す。
 前の家の匂いがまだ残っているベッドに転がり、手癖でSNSを開く。なんとなくスワイプすると、転校前のクラスメートがテーマパークに行っている写真が出てきた。
 何かコメントでもつけようかと少しだけ考えるが、「親友と! 3年でもクラス同じだといいなー」という一文を見て結局そっとミュートに入れる。

「大輝、自分の部屋終わったんならこっちも手伝いなさいよー」

 廊下を通っていった母の声に「はーい」と生返事をして寝返りを打つ。
 めんどくさいな。
 そう思った瞬間、ちょうどよくインターホンが鳴った。

「あ、俺が出るから!」

 母を押しとどめて階段を駆け下りる。玄関を開けると、庭の向こうにビニール袋を提げた長澤青年とコタローがいた。

「はーい」

 サンダルを突っかけ、小走りで飛び石の上を渡っていく。アコーディオン門扉の上から長澤青年が腕を伸ばし、ビニール袋を三田家の敷地内に入れてきた。

「これ、貰っていいんですか?」

 受け取った袋を開けると、中には大ぶりのキャベツが入っていた。

「家庭菜園の」
「えー、ありがとう! キャベツ超大好物なんですよ! めっちゃ嬉しいです!」

 適当なことを言うと、案の定「本当かよ」という表情で長澤青年が目を細めた。だが口には出さず腕を引っ込める。
 門扉の端に、シャツの袖が引っかかった。一瞬、その下から腕に貼られたガーゼが見えたような気がしたが、よく見る前に長澤青年はぱっと手を引っ込めた。リードを持った手で袖を押さえながら、数歩門から距離を取る。

「……じゃ」
「あ、今からコタローの散歩だったりしますか?」

 大輝の質問に、長澤青年の動きが止まった。訳の分からないものを見るように、じっと大輝を見つめる。

「……そう、だけど……」
「よかったら、一緒に散歩行ってもいいですか?」

 長澤青年の眉間にきゅっとしわが寄った。そのまま5秒ほどして、視線が足元のコタローに向く。笑顔のコタローが長澤青年を見上げ、尻尾を振った。

「……いい、けど」
「やった! ちょっと待ってて!」

 玄関に戻った大輝は、下駄箱の上にキャベツを置いた。サンダルから運動靴に履き替え、部屋の奥に声をかける。

「長澤さんちからキャベツもらったからここ置いとくね! 俺、ちょっとコタローの散歩一緒に行ってくるから!」
「は? え、ちょっと!」

 母から返事が来る前に、大輝はさっさと玄関を閉めた。

「お待たせしました! コタロー、よろしくね」

 門扉を開けてコタローに挨拶すると、ぶんぶんとコタローが尻尾を振ってくれる。
 無言のまま歩き始めた長澤青年の横について、家の前の道を歩く。

「ありがとう、長澤……あ、名前何です?」

 そう言えば名前をまだ聞いていなかった。見上げると、長澤青年は「レイ」と低く呟いた。

「レイ? 漢字は?」
「……りっしんべんに、命令の令」
「あー分かった。人名以外であんま見ないやつな。ばあちゃんから同い年って聞いたんだけど17? 18? 高3?」

 ついでに聞くと、前を見たままの怜から、ああ、ともうん、ともつかない返事が返ってきた。合っているようだ。ここから通える高校は農業高校と普通科高校が一つずつしかないので、きっとそのどちらかに通っているのだろう。

「……まだ17。5月生まれ、だから」
「じゃあ同学年だ。俺誕生日4月だから」

 車もほとんど通らない道を、大股で怜は歩いた。その横をコタローがぴたりと寄り添うように従う。ついてくる大輝が気になるのか、時折ちらちらと視線を向けてくるのがかわいい。

「俺さあ、ずっと犬飼いたかったんだよね。でも父さんが動物嫌いでさ。こうやって散歩するのとか夢だったんだよね」
「……歩くだけだよ」
「えー、でも今俺、コタローと怜と歩いてて楽しいよ」

 まだよく知らない場所というのもあるかもしれないが、誰かと歩くと、それだけでただの道がなんとなく趣深いものになったような気がする。
 笑いかけると、怜が横目で見返してきた。少しだけ目元の険が取れた気がする。

「ところで、目的地とかルートとかって決まってたりするの?」
「特には……日によって色々」
「今日は? 決まってる?」
「ん……」

 歩きながら怜は軽く首を傾げた。長めの黒髪が揺れる。白い指先が右斜め前方向を指さした。

「それじゃあ、この先の公園まで行って戻る……かな」
「了解」

 30分ほど歩くと、人気のない公園に着いた。雑草に埋もれかけたベンチに腰掛けた怜が、コタローに水をやる。その横に腰を下ろすと、大輝のポケットがカラリと音を立てた。
 なんだ、と手を突っ込むと、スマホと一緒に入れていた缶入り飴が出てくる。

「あ、怜、飴食べる?」
「飴」

 蓋を空けた状態で缶ごと飴を渡す。受け取った怜は缶の中を覗き込み、それからガラガラと缶を振った。
 貰い物選り好んでんじゃねーよ。
 内心突っ込みながらも面白いなと思って見ていると、怜は何度も缶を振った後に白色の飴を選び出した。

「……ありがと」
「おう」

 特に選びもせず、大輝は次に缶から出てきた飴を自分の口の中に放り込んだ。多分レモン味だ。僕にはないのですか、と言いたげなコタローをひとしきり撫でてから帰途につく。
 同じ道を通っているはずなのに、帰り道の方が何故か行きよりも早く感じる。あっという間に長澤家と、その向こうにある三田家が近づいてくる。

「今日はありがとう。よかったらまた誘ってよ」
「ん」

 長澤家の前まで来て、怜はぴたりと立ち止まった。くぐり戸を開けて大輝を見る。
 入ってもいい……のだろうか。
 ついていくと、芝生を横切って怜はどんどん歩いていく。玄関を入ったところでコタローのリードを外し、壁にかけた。

「待て」
「あ、はい」

 怜の言葉に答え、大輝は玄関に立ち止まった。廊下の向こうへ消えていく怜を見送る。

「わふー」

 見下ろすと、自分の横に座ったコタローが「お前も仲間か」という顔で大輝を見上げていた。どうも、今の「待て」は大輝ではなくコタローへの命令だったらしい。
 うわ、恥ず。
 今更どうしようもなく玄関で立ち尽くしていると、少しして怜がバケツとジャーキーを手に持って戻ってきた。

「はいこれ」
「ありがとう……?」

 ジャーキーを大輝に渡し、怜は式台に座りこんだ。

「おいでコタロー」

(俺は……え、これどうしたらいいんだ?)

 散歩をしていた時は「歩く」という目的があったが、いざ終わってしまうと何とも宙ぶらりんなものがある。
 一歩ずつ足を濡れタオルで拭かれて室内に上がるコタローを見ながら、大輝は貰ったジャーキーを齧った。味が薄い。
 振り向いた怜がぎょっとした表情になる。その横でコタローも唖然と目を見開いた。
 意味が分からず怜の顔を見返して数秒。大輝はようやく自分のミスに気がついた。

「……あっ! これコタロー用かよ!」

 手の中に少し残ったジャーキーは、それだけ見ても人間用と区別なんてつかない。

「い、言えよ食っちまっただろ!」
「……別に。食べても大丈夫だよ」
「いや普通わかんねえから教えてくれよ! 飴のお返しかなって思っただろが!」

 すっと怜の周りの空気が冷たくなった。
 立ち上がった怜は、氷のように冷たい目をしていた。式台の上から睨むように見下され、足が竦む。

「お前の普通なんか、知るわけないだろ」

 シャッターでも閉めるようにピシャリと言われ、呆然と大輝は怜を見上げた。

「あ、ごめん……?」

 無言のまま廊下の奥に戻っていく怜を見送る。

「え、怜、誰かいるの?」
「大輝」
「ええっ?」

 新しいジャーキーを持って戻ってきた怜の後ろから、縦横に大きい女性が顔を出した。

「はじめまして! 隣に越してきました三田大輝です! コタローくんの散歩にご一緒させていただきました」
「長澤……怜の、母です」

 どこか不安げに大輝を見た怜の母が、おどおどとした笑みを浮かべる。

「ええと……その、よろしくね、怜のこと」
「こちらこそよろしくお願いします!」

 頭を下げると、怜が新しいジャーキーを差し出してきた。さっきほど怒っている様子はないが、無表情なのでいまいち分からない。

「ほら、これ。コタロー、あげたら喜ぶから」
「あ、ありがとう」

 足元でずっとおやつを待っていたコタローに、今度こそジャーキーを渡す。疑わしげに大輝を見たコタローが、そそくさとおやつを持って怜の後ろに回った。

「ごめんて。取らないよもう」

 ほんとかな、という表情のコタローを撫でる。

「だいたい散歩、この時間だから。大雨の日は行かなかったりするけど」
「そうなんだ」

 コタローのブラッシングまでさせてもらい、別れを告げる。いつの間にか外は薄暗くなっていて、道路の街灯がわびしく道を照らしていた。
 玄関から見送りに出てきた怜が、門を軽く開けてくれる。

「じゃ、また明日」
「おう」

 何気なく答えてしまってから、大輝は振り向いた。
 明日……も、散歩に呼んでくれるのだろうか。さっき怒らせてしまった気がするのだが。
 というか、また誘ってとは言ったけど別に明日も誘ってくれという意味ではなかったのだけれど。

「……何?」
「いや、何でもない」

 何を考えているのだろう。夕闇の中では、門の向こうの怜は表情が見えなかった。軽く手を振り、背中を向ける。

「また明日な」

 隣にある三田家の門を開け、中に入る。
 ちらりと見えた長澤家の門の向こうには、まだこちらを見る怜の姿が黒く浮かんでいた。