忌み夜の花嫁は雨を待つ

◇◇◇



「信玄、悪いけど、今日はもう何もでないよ」

 鍛え上げられた身体にきつく抱き締められてどのくらい経っただろうか。
 そろそろ頃合いを見極め、ふわふわした金色の髪に触れるとくすぐったそうに信玄は瞳を細めて優しく笑う。
 とっさに顔をそむけてしまうのは怒っているからではなく、どれだけ経っても至近距離で彼の美しいご尊顔を眺めるのは慣れないし、ひどく気まずいからだ。

「珠子、もっと撫でて」

 思ってもないだろうのにどこか嬉しそうににこにこしながら信玄はさらにわたしの肩に顔を埋める。
 まるで大きな子犬のようだ。

「今日のお役目はここまでだ。あとは自分でなんとかするし、次回までにはちゃんとわたしはわたしで託された役目は果たそう」

 彼が求めているのは、たったひとつ。
 透き通った色の真珠の玉だ。
 わたしの涙で作られるそれらは、もろく儚く、そしてすぐににじんで消えていくのだけど人のぬくもりに触れると形となる。

 どんな場面だって彼はそれらに触れ、自身の手で回収すること忘れない。
 彼にとってとても大切なことで、そのためにわたしのもとへ惜しみなく通う。
 これはこの地を守る大切な習わしなのだから。
 感情を押し殺して成し遂げなければならい彼の任務だと今では思っている。

「明日までには用意しておく。約束だ。だからもう帰ってくれ」

 彼の努力を知らないわけではないから、叶うことなら今すぐにでも涙を流してやりたいが、そう簡単に泣けるものではない。
 雨乞いの儀式を行った日は特にだ。
 絞り出すように涙を出すたびに彼に差し出す。
 このあとのことは彼に任せておけば問題ないだろう。すべてのことがうまくいくのは知っている。

「ひどい。これがお役目だと思ってる?」

「それ以外の何が……って、お、おいっ!」

 再び大きな腕でさらにきつく抱きしめられ、身をすくめる。
 こちらは今日が最後の日になるかもしれないと覚悟と決め、なすがままになっていればいい気なものだ。
 気付いたら日は沈み、月明かりだけがあたりを照らしていて、窓の向こうに無数の星空が見えた。
 いつの間にやら無我夢中で星を数えることすらなくなっていた。

「明日は午後まで予定を入れていないから、このまま泊まっていくつもりだ」

「断る。無理だ。帰ってくれ」

 ただでさえ昼間から今までにないくらいの重労働を虐げられているのだ。
 人が寝静まった時間くらい同様に休ませてほしい。

「珠子に決定権はありません」

 子どものように口を尖らせる様子が少しかつての姿と重なってみてた。
 本当に、わずかではあるが。

「自分の寝床は自分で作ってくれ」

「えー、俺も一緒に……」

「明日も早くから起きる必要がある。聞き分けてくれ」

「子守唄は……」

「ど、どの口が言う」

 自分よりも何倍も大きく育った男に歌う曲などない。

「添い寝! 添い寝だけだ! 何もしないから!」

「……ったく」

 彼の見せる甘い表情に弱く、どれだけ強い意志を持っていても逆らうことはできない。
 好きだの愛しているだのと言われると本当にそうなのかと勘違いをする。
 たとえ、それが罠だとしても。

 もちろん、わたしが彼の言い分をのみ込むころには徐々に信玄の口角が上がっていくことは知っていたけど、弟のように可愛がった彼のことを拒むことなんてできなかったし、わたしも最後の時を選ぶなら彼の腕の中がいいと思うようになっていた。