文化祭が終わり、振替休日を挟んで迎えた翌日。教室の中には、どこか不思議な連帯感が漂っていた。
昨日までの「神格化バリア」が嘘のように薄れ、クラスメイトたちが紀織に親しげに声をかけている。紀織の対応は相変わらずクールな塩対応だが、周囲はそれすらも「ナギ様らしい」と楽しそうに笑っていた。
「孤高の神」から「クラスのヒーロー」へ。
急激に芽生えた周囲と紀織との親近感に、俺は一人、胸の奥で激しい焦燥感に駆られていた。
自分の恋心を自覚してからの俺は、常に嫉妬と焦りで爆発しそうだ。
……というか、俺はなぜあれほど大勢の民衆の前に、俺の紀織を晒してしまったのだろうか。だいたい、あの特設ステージを埋め尽くした異常な数の客は一体何だったんだ?
俺が首をかしげていると、巫女服から制服に戻った遊李がふらっとやってきた。
「やぁ~、マシロンのロボットダンス動画がバズってくれたおかげでさ、ある意味宝くじが当たったくらいの宣伝効果があったよ~。こんなことならもっと限定グッズ用意しておけばよかったなぁ」
「……やっぱりお前が原因か!!」
俺の恥ずかしい黒歴史が、ステージの観客に公開されただけではなかった……。遊李の『ナギ様ちゃんねる(仮)』とかいう物騒なアカウントを野放しにしたせいで、想像以上の反響を呼び、拡散されてしまったことで、予想外の人数が押し寄せたのだ。
「まあまあ、お供えのアンパンのご利益ってことで~」
「お前の餡子が入ってないダジャレ詐欺アンパンに、そんなご利益あるわけねーだろ!」
能天気な爆弾魔に半ギレしていると、背後からドヤ顔の相沢が割り込んできた。
「ハッ、ステージの成功はなんだかんだ、俺のレモングミのおかげだろ。俺が教えてやらなきゃ、お前は一生『鉄の信徒脳』から抜け出せなかったんだからな!」
「その前に、紀織がレモングミが好物ってこと自体ガセネタだっただっただろ!」
遊李の「アンパンとレモングミ」という雑すぎる例え話で恋に気づかされたことは、俺の人生最大にして最高の屈辱である。
「……フン、しゃーねーから紀織はお前に譲ってやるよ」
「譲るも何も、紀織は最初からお前のものじゃない!」
「なんだと!?」
一触即発、相沢が俺の胸倉を掴みかけた――その時だった。
「僕の真白に気安く触らないでくれないか」
静かだが鋭い低音が響き、すっと俺と相沢の間に割り込んできたのは紀織だった。
「き、紀織……っ」
「真白は僕が少し目を離すとすぐこれだ。これからは一人で解決しようとしないで、すぐに僕を頼って」
紀織は俺の手をぎゅっと握りしめると、真っ直ぐな瞳で真剣にそう告げてきた。
「……マジかよ。お前ら、人前でラブラブすぎるだろ……。つーか、もう勝手にやってくれ」
相沢は呆れ果てたように深くため息を吐くと、頭を抱えながらスタスタと去っていった。
「孤高の神」から「一人の男」へと覚醒した紀織の破壊力が凄まじすぎる……!
残酷なまでの美貌で俺を射貫き、甘く微笑むその姿に、俺は固まったまま見惚れることしかできない。
『……あとで続きをしよう』
文化祭のステージ直前、校舎裏で唇を奪われた後に囁かれた言葉が、昨日からずっと頭の中で無限ループしている。
そんな俺のパニック状態を見透かすように、紀織は妖艶な笑みを浮かべ、耳元へ顔を寄せてきた。
「お昼、一緒に食べよう。……二人きりになれる場所で」
耳朶をくすぐる低く甘い声に、俺は喉を鳴らして生唾を飲み込むことしかできなかった。
◇
秋の爽やかな風が吹き抜ける、静かな校舎の屋上裏。
今にも爆発しそうな心臓の鼓動を抑えながら、俺は隣にぴったりと密着して座る紀織の色気に悩殺されかけていた。
「今日の昼は、アンパンじゃないの?」
「……ああ」
そう言われて気づいた。毎朝のように紀織の机に積み上げられていたお供え物のアンパンが、今日は一つも置かれていなかったのだ。
それだけ文化祭のインパクトが大きく、みんなの中で「遠い神様」から「等身大の高校生」へと変わった証拠なのだろう。お供え物をあてにして売店へ買いに行かなかった俺の前に、紀織が透明な袋に入った何かを差し出してきた。
「これ、僕が真白のために作ってきたんだけど……」
……え? 夢のデジャヴか!? それとも俺の耳がおかしくなったのか!?
だが、そこにあるのは確かにお手製感のある、遊李の作ったものより遥かに綺麗でふっくらとしたアンパンだった。まさか……。
「ほ、本当に紀織が作ったのか……!?」
「うん。うちの母さん、パン作りが趣味でさ。教えてもらいながら焼いてみたんだ」
紀織が……俺のために、パンを焼いてくれた……!?
感動のあまり手が激しく震える。一生神棚に飾って朝晩拝み倒したい!
こんな神聖な手作りパンを噛み砕くなんて、恐れ多すぎて不敬罪に――って、いかん! またしても信徒脳がリバウンドしている!!
「どうしたの? いらないなら僕が食べるけど」
「いります! 絶対に食べます! 死んでも味わわせていただきます!」
俺はアンパンを死守するように受け取ると、意を決して慎重に一口かじりついた。
ふわっと香ばしい生地の食感と、上品な餡の甘さが口いっぱいに広がり――、
「……ん?」
甘い。でも……なんか、甘酸っぱい……!?
割ってみた生地の中身を覗き込むと、餡のあちこちに黄色いキューブ状のものが練り込まれていた。……まさかこれって!?
「レモングミを入れてみたんだ。ほら、真白、前にアンパンとレモングミを一緒に食べてただろ?」
やっぱりそうだ! 紀織は俺の好物が「アンパンとレモングミ」だと完全に勘違いしている!
……だが、このレモングミ入りアンパン、餡の甘さとグミの爽やかな酸味が絶妙にマッチして、悔しいほどめちゃくちゃ美味い……!!
「……なんか、生きててよかった……っ」
涙ぐみながらアンパンを頬張る俺を見て、紀織が愛おしそうに目を細めた。
「真白は大袈裟だな。……僕にも少しちょうだい」
そう言って、紀織は俺の手元にある食べかけのアンパンを、躊躇なくパクリと一口かじった。
「うん、悪くないね」
紀織がかじった痕を見つめながら、俺の脳のネジは間接キスの衝撃で一気に吹き飛んだ。顔が火吹くほど真っ赤になり、紀織がかじった同じ場所に再び口をつける勇気がでずにモジモジしていると――紀織の手がすっと伸びてきて、俺の顎をやさしく持ち上げた。
「ほら……こうすれば、迷わなくて済むだろ?」
「……っ!?」
重なる唇。
柔らかく熱い触感とともに、口の中にレモングミと餡の甘酸っぱい風味が優しく広がっていく。
愛しさとトキメキが限界まで混ざり合う、最高に幸せな瞬間。
あぁ……これなんだ。
甘くて、酸っぱくて、胸が締め付けられるほど愛おしい。
これが、俺と紀織の――『恋の味』なんだ。
心を心地よく痺れさせる甘酸っぱさに、頭がどうにかなりそうだ。
「紀織……また、このアンパン作ってくれ」
「うん。まだたくさん焼いてあるから、死ぬほど食べて」
「……え?」
紀織が鞄の中から取り出したのは、溢れんばかりに山積みされたレモングミ入りアンパンの大量の袋だった。
……って、これパン屋開く量じゃねーか!!?
その異様な光景に、紀織という男のどこまでも深く、底知れない愛の重さを実感しながら――俺は至高の幸福とほんの少しの恐怖を、同時にかみしめるのだった。
(おわり)
昨日までの「神格化バリア」が嘘のように薄れ、クラスメイトたちが紀織に親しげに声をかけている。紀織の対応は相変わらずクールな塩対応だが、周囲はそれすらも「ナギ様らしい」と楽しそうに笑っていた。
「孤高の神」から「クラスのヒーロー」へ。
急激に芽生えた周囲と紀織との親近感に、俺は一人、胸の奥で激しい焦燥感に駆られていた。
自分の恋心を自覚してからの俺は、常に嫉妬と焦りで爆発しそうだ。
……というか、俺はなぜあれほど大勢の民衆の前に、俺の紀織を晒してしまったのだろうか。だいたい、あの特設ステージを埋め尽くした異常な数の客は一体何だったんだ?
俺が首をかしげていると、巫女服から制服に戻った遊李がふらっとやってきた。
「やぁ~、マシロンのロボットダンス動画がバズってくれたおかげでさ、ある意味宝くじが当たったくらいの宣伝効果があったよ~。こんなことならもっと限定グッズ用意しておけばよかったなぁ」
「……やっぱりお前が原因か!!」
俺の恥ずかしい黒歴史が、ステージの観客に公開されただけではなかった……。遊李の『ナギ様ちゃんねる(仮)』とかいう物騒なアカウントを野放しにしたせいで、想像以上の反響を呼び、拡散されてしまったことで、予想外の人数が押し寄せたのだ。
「まあまあ、お供えのアンパンのご利益ってことで~」
「お前の餡子が入ってないダジャレ詐欺アンパンに、そんなご利益あるわけねーだろ!」
能天気な爆弾魔に半ギレしていると、背後からドヤ顔の相沢が割り込んできた。
「ハッ、ステージの成功はなんだかんだ、俺のレモングミのおかげだろ。俺が教えてやらなきゃ、お前は一生『鉄の信徒脳』から抜け出せなかったんだからな!」
「その前に、紀織がレモングミが好物ってこと自体ガセネタだっただっただろ!」
遊李の「アンパンとレモングミ」という雑すぎる例え話で恋に気づかされたことは、俺の人生最大にして最高の屈辱である。
「……フン、しゃーねーから紀織はお前に譲ってやるよ」
「譲るも何も、紀織は最初からお前のものじゃない!」
「なんだと!?」
一触即発、相沢が俺の胸倉を掴みかけた――その時だった。
「僕の真白に気安く触らないでくれないか」
静かだが鋭い低音が響き、すっと俺と相沢の間に割り込んできたのは紀織だった。
「き、紀織……っ」
「真白は僕が少し目を離すとすぐこれだ。これからは一人で解決しようとしないで、すぐに僕を頼って」
紀織は俺の手をぎゅっと握りしめると、真っ直ぐな瞳で真剣にそう告げてきた。
「……マジかよ。お前ら、人前でラブラブすぎるだろ……。つーか、もう勝手にやってくれ」
相沢は呆れ果てたように深くため息を吐くと、頭を抱えながらスタスタと去っていった。
「孤高の神」から「一人の男」へと覚醒した紀織の破壊力が凄まじすぎる……!
残酷なまでの美貌で俺を射貫き、甘く微笑むその姿に、俺は固まったまま見惚れることしかできない。
『……あとで続きをしよう』
文化祭のステージ直前、校舎裏で唇を奪われた後に囁かれた言葉が、昨日からずっと頭の中で無限ループしている。
そんな俺のパニック状態を見透かすように、紀織は妖艶な笑みを浮かべ、耳元へ顔を寄せてきた。
「お昼、一緒に食べよう。……二人きりになれる場所で」
耳朶をくすぐる低く甘い声に、俺は喉を鳴らして生唾を飲み込むことしかできなかった。
◇
秋の爽やかな風が吹き抜ける、静かな校舎の屋上裏。
今にも爆発しそうな心臓の鼓動を抑えながら、俺は隣にぴったりと密着して座る紀織の色気に悩殺されかけていた。
「今日の昼は、アンパンじゃないの?」
「……ああ」
そう言われて気づいた。毎朝のように紀織の机に積み上げられていたお供え物のアンパンが、今日は一つも置かれていなかったのだ。
それだけ文化祭のインパクトが大きく、みんなの中で「遠い神様」から「等身大の高校生」へと変わった証拠なのだろう。お供え物をあてにして売店へ買いに行かなかった俺の前に、紀織が透明な袋に入った何かを差し出してきた。
「これ、僕が真白のために作ってきたんだけど……」
……え? 夢のデジャヴか!? それとも俺の耳がおかしくなったのか!?
だが、そこにあるのは確かにお手製感のある、遊李の作ったものより遥かに綺麗でふっくらとしたアンパンだった。まさか……。
「ほ、本当に紀織が作ったのか……!?」
「うん。うちの母さん、パン作りが趣味でさ。教えてもらいながら焼いてみたんだ」
紀織が……俺のために、パンを焼いてくれた……!?
感動のあまり手が激しく震える。一生神棚に飾って朝晩拝み倒したい!
こんな神聖な手作りパンを噛み砕くなんて、恐れ多すぎて不敬罪に――って、いかん! またしても信徒脳がリバウンドしている!!
「どうしたの? いらないなら僕が食べるけど」
「いります! 絶対に食べます! 死んでも味わわせていただきます!」
俺はアンパンを死守するように受け取ると、意を決して慎重に一口かじりついた。
ふわっと香ばしい生地の食感と、上品な餡の甘さが口いっぱいに広がり――、
「……ん?」
甘い。でも……なんか、甘酸っぱい……!?
割ってみた生地の中身を覗き込むと、餡のあちこちに黄色いキューブ状のものが練り込まれていた。……まさかこれって!?
「レモングミを入れてみたんだ。ほら、真白、前にアンパンとレモングミを一緒に食べてただろ?」
やっぱりそうだ! 紀織は俺の好物が「アンパンとレモングミ」だと完全に勘違いしている!
……だが、このレモングミ入りアンパン、餡の甘さとグミの爽やかな酸味が絶妙にマッチして、悔しいほどめちゃくちゃ美味い……!!
「……なんか、生きててよかった……っ」
涙ぐみながらアンパンを頬張る俺を見て、紀織が愛おしそうに目を細めた。
「真白は大袈裟だな。……僕にも少しちょうだい」
そう言って、紀織は俺の手元にある食べかけのアンパンを、躊躇なくパクリと一口かじった。
「うん、悪くないね」
紀織がかじった痕を見つめながら、俺の脳のネジは間接キスの衝撃で一気に吹き飛んだ。顔が火吹くほど真っ赤になり、紀織がかじった同じ場所に再び口をつける勇気がでずにモジモジしていると――紀織の手がすっと伸びてきて、俺の顎をやさしく持ち上げた。
「ほら……こうすれば、迷わなくて済むだろ?」
「……っ!?」
重なる唇。
柔らかく熱い触感とともに、口の中にレモングミと餡の甘酸っぱい風味が優しく広がっていく。
愛しさとトキメキが限界まで混ざり合う、最高に幸せな瞬間。
あぁ……これなんだ。
甘くて、酸っぱくて、胸が締め付けられるほど愛おしい。
これが、俺と紀織の――『恋の味』なんだ。
心を心地よく痺れさせる甘酸っぱさに、頭がどうにかなりそうだ。
「紀織……また、このアンパン作ってくれ」
「うん。まだたくさん焼いてあるから、死ぬほど食べて」
「……え?」
紀織が鞄の中から取り出したのは、溢れんばかりに山積みされたレモングミ入りアンパンの大量の袋だった。
……って、これパン屋開く量じゃねーか!!?
その異様な光景に、紀織という男のどこまでも深く、底知れない愛の重さを実感しながら――俺は至高の幸福とほんの少しの恐怖を、同時にかみしめるのだった。
(おわり)

