紀織が消えていった校舎裏へ走っていくと、木陰の中にぽつんと佇む人影が見えた。俺は足音を忍ばせるように、ゆっくりと近づいていく。
「……紀織?」
声をかけると、制服姿の紀織が振り向いた。俺が近づいても逃げる様子はなく、どこか無表情のまま静かに俺を見つめている。
「ごめん、紀織……。俺、勝手に紀織に『神様』を押し付けて、ずっと困らせて……」
紀織は何も言わない。ただ静かに俺の言葉を聞いている。
「ずっと、紀織の気持ちに気づいてあげられなかった……。紀織はずっと真っ直ぐに俺に気持ちを伝えてくれていたのに……。本当に、ごめんなさい……っ」
俺の情けない謝罪に、紀織は深く息を吐き出すと、少しだけ頷いてくれた。
「だから……これからは神と信徒の関係はやめて、紀織と、普通に……対等な関係になりたいと思ってるんだ。それで、俺と……もう一度やり直してくれないか……?」
胸の奥の全てを振り絞って伝えると、紀織は一瞬目を細め、静かに口を開いた。
「ああ真白、なんか喉乾いたんだけど」
「今すぐ何か飲み物買ってきます!!」
反射的に背筋を伸ばして叫んだあと――紀織から、じーーーっと疑い深い目を向けられていることに気づいた。
しまった!! 気づいた時には手遅れだった!!
「……ふーん。『対等な関係』ねぇ?」
「こ、これは違うんだ! 長年の習性が体に染みつきすぎてて、つい体が勝手に……っ!」
卒業したはずの『信徒脳』が体から抜けきっておらず、あまりの素早さでリバウンドしてしまった……!
「……ごめん、紀織。でも俺、本当に紀織のこと……」
泣きそうになりながら声を絞り出すと、紀織がすっと距離を詰めてきた。また呆れられる、そう思ってぎゅっと目を瞑った瞬間――強い力で引き寄せられ、気づいた時には紀織の胸の中に強く抱きしめられていた。
「……しょうがないな、真白は。……まあ今のは、真白の優しさってことにしといてあげるよ」
「紀織……」
体温がダイレクトに伝わってくる優しい腕に包み込まれ、俺は溢れ出そうになる涙を堪えながら、紀織の背中に強くしがみついた。
「紀織……っ、俺、紀織が好きだ……!」
もう隠しようのない、胸の奥から溢れ出す感情をそのままぶつける。
「ああ。僕も、真白が好きだ」
耳元で囁かれたその言葉に応えるように、俺たちは互いの存在を確かめ合うように強く、強く抱きしめ合った。
紀織の熱い体温と甘い匂いが、俺の心を満たしていく。ここにあるのは、遠い雲の上の神様なんかじゃない。俺の大好きな、確かな温もりを持った『紀織』という一人の愛しい人間だ……!
「……ところで真白、ステージはいいのか?」
「……え?」
一瞬で現実に引き戻され、我に返った俺の脳裏に、最果ての地で俺の帰りを信じて(?)待っている友の顔が浮かんだ。
「……マズい! 早く戻らないと、俺の代わりにあいつらが死ぬ!」
「……あ、ああ。じゃあ急ごう!」
踵を返して走り出そうとした、まさにその時だった。
「ちょっと待って」
袖を引かれ、何か忘れ物でもしたかと立ち止まって振り返った瞬間――視界の全てが、紀織の美貌で埋め尽くされた。
……ん?
柔らかく温かい感触が、俺の唇を優しく、けれど逃がさないように深く塞ぐ。
吐息が重なり合い、頭の中が真っ白になる。
ほんの一瞬のことだった。
けれど今、俺は間違いなく紀織に唇を奪われたのだ。
きゅっと心臓を強く締め付けられるような強烈な衝撃が走り、脳のヒューズが一気に吹き飛ぶ。
「……ステージが終わったら、あとでまた続きをしよう」
耳元で低く囁かれ、顔から火が吹き出しそうなほど全身の血が熱を帯びる。だが、呆然と感傷に浸っている暇はなかった。
「行こう!」
完全にフリーズした俺の手首を掴み、満足そうに不敵な笑みを浮かべた紀織が引っ張っていく。
体中で鳴り止まない激しい鼓動。俺は、紀織の頼もしい背中にじわっと胸を熱くさせながら、みんなの待つ会場へと全速力で急いだ。
◇
ところで、遊李のやつは一体どうやって時間を稼いでいるのだろうか。
走れば走るほど急に不安になり、慌てて中庭のステージ前に戻ってくると――ステージ横の巨大スクリーンに、なぜか俺の姿が映し出されていた。
……って、よく見たらこれ、ダンスの自主練の時に撮影された、ダサジャージ姿で踊る俺のロボットダンスの秘蔵映像じゃねーか!!
紀織と相沢がキレッキレで踊る隣で、俺のリズム感ゼロのダンスが酷すぎて、悪目立ちの極みをかましている!!
「やー、マシロンお帰り〜! 会場温めておいたから、あとはよろしく頼むよ〜!」
見学席から能天気に手を振る爆弾魔に、俺は血を吐く思いで叫んだ。
「遊李!! お前、俺の黒歴史映像流して『温めておいた』じゃねーよ!!」
一瞬でも「仲間を信じて疾走するメロス」の気分を味わった俺がクソバカだった!!
俺が深い溜息をついていると、背後から相沢がバンと肩を叩き、無駄に爽やかな笑みを浮かべて言った。
「いいじゃねーか。俺はマジで爆笑したぞ」
「……っ、それが一番傷つくわ!!」
だが、観客が紀織の姿を捉えた瞬間、会場の雰囲気が一変した。遊李の仕込んだ前座(?)のおかげで、客席の期待値はすでに限界突破している。
紀織をセンターに据え、俺と相沢が両サイドに構える。
ざわめきが嘘のように静まり返る会場。
軽快なイントロの始まると同時に俺たちが一斉に動き出すと、地鳴りのような大歓声が会場を包み込んだ。至る所で掲げられる『ナギ様』のうちわと光るサイリウム。その光景は、もはやプロのアイドルコンサートそのものだ。
紀織を「等身大の人間」に見せるために企画したステージだったはずなのに、大勢の観客を熱狂させながらセンターで舞う紀織は、神々しいまでの圧倒的なオーラを放っていた。
曲が後半に差し掛かった、その時だった。
背後に気配を感じて視線だけを泳がせると――なぜかクラスの一軍男子たちがステージに上がり、俺たちと完璧なシンクロで踊り始めたのだ!
えっ、なにこれ聞いてないんだが!?
さらに驚くべきことに、その後ろからクラスのみんなまでが続々とステージへ雪崩れ込み、踊り狂い始めた。一体どういう状況だ!?
状況はさっぱり分からないが、ステージも観客席も熱狂の渦に巻き込まれていく。
な、なんだこれ……超楽しいじゃねーか!!!
踊りながらチラリと隣を見ると、紀織が今まで見せたこともないような、心からの弾ける笑顔で踊っていた。その輝く姿に見とれながら、俺は会場全体が一つになる圧倒的な高揚感にただただ酔いしれていた。
曲が終わると、割れんばり拍手と歓声が学校中に響き渡った。
「俺たちの神、最高ーーー!!」
観客に手を振りながらステージを降りると、クラスメイトたちがわっと押し寄せてきて紀織を取り囲んだ。やっぱり紀織はどこに行っても神なんだ……と、ほんの少し遠く感じかけた、その瞬間だった。
「アンパンの神も、最高だったぞーーー!!」
「……へ?」
誰かがそう叫んだかと思うと、俺の背中がバシーン!と豪快に叩かれた。振り返ると、一軍の男子たちが笑いながら俺の周りに集まってきていたのだ。
「廣崎お前、すげーじゃん、ダサジャージの時よりキレッキレだったぞ!見直したわ!」
「あのロボットダンスから、よくここまでなったもんだな!」
「うるせーよ!!」
言いたい放題の言葉にツッコミを入れつつも、何だかんだクラスのみんなが協力してステージを盛り上げてくれたことに、俺は胸が熱くなって目頭がツンとした。
みんなでハイタッチを交わしながら健闘を称え合っていると、人混みのどさくさに紛れて紀織が俺の隣に寄ってきた。指先が密かに絡められ、そのままキュッと力強く握られる。そして、周りに聞こえないような小さな声で、耳元に囁かれた。
「……たまには『神』になるのも、悪くないかもね」
驚いて顔を上げると、紀織はこれまで見たこともないような、心底楽しそうな笑顔を浮かべていた。
それだけで、俺は胸がいっぱいになって、報われた気持ちになれたのだ。
紀織の笑顔を見られるなら、俺はなんだっていい。
紀織の笑顔が、俺にとって何より尊いんだから。
みんなと騒ぐ紀織は、もう神格化された孤高の神ではなくなっていた。新しく誕生した俺たちの神(ヒーロー)に、俺もまた、一緒になって喜びをかみしめた。
熱狂と歓声が渦巻く秋空の下、俺たちの破天荒で甘い文化祭は、最高の形で幕を閉じたのだった。
「……紀織?」
声をかけると、制服姿の紀織が振り向いた。俺が近づいても逃げる様子はなく、どこか無表情のまま静かに俺を見つめている。
「ごめん、紀織……。俺、勝手に紀織に『神様』を押し付けて、ずっと困らせて……」
紀織は何も言わない。ただ静かに俺の言葉を聞いている。
「ずっと、紀織の気持ちに気づいてあげられなかった……。紀織はずっと真っ直ぐに俺に気持ちを伝えてくれていたのに……。本当に、ごめんなさい……っ」
俺の情けない謝罪に、紀織は深く息を吐き出すと、少しだけ頷いてくれた。
「だから……これからは神と信徒の関係はやめて、紀織と、普通に……対等な関係になりたいと思ってるんだ。それで、俺と……もう一度やり直してくれないか……?」
胸の奥の全てを振り絞って伝えると、紀織は一瞬目を細め、静かに口を開いた。
「ああ真白、なんか喉乾いたんだけど」
「今すぐ何か飲み物買ってきます!!」
反射的に背筋を伸ばして叫んだあと――紀織から、じーーーっと疑い深い目を向けられていることに気づいた。
しまった!! 気づいた時には手遅れだった!!
「……ふーん。『対等な関係』ねぇ?」
「こ、これは違うんだ! 長年の習性が体に染みつきすぎてて、つい体が勝手に……っ!」
卒業したはずの『信徒脳』が体から抜けきっておらず、あまりの素早さでリバウンドしてしまった……!
「……ごめん、紀織。でも俺、本当に紀織のこと……」
泣きそうになりながら声を絞り出すと、紀織がすっと距離を詰めてきた。また呆れられる、そう思ってぎゅっと目を瞑った瞬間――強い力で引き寄せられ、気づいた時には紀織の胸の中に強く抱きしめられていた。
「……しょうがないな、真白は。……まあ今のは、真白の優しさってことにしといてあげるよ」
「紀織……」
体温がダイレクトに伝わってくる優しい腕に包み込まれ、俺は溢れ出そうになる涙を堪えながら、紀織の背中に強くしがみついた。
「紀織……っ、俺、紀織が好きだ……!」
もう隠しようのない、胸の奥から溢れ出す感情をそのままぶつける。
「ああ。僕も、真白が好きだ」
耳元で囁かれたその言葉に応えるように、俺たちは互いの存在を確かめ合うように強く、強く抱きしめ合った。
紀織の熱い体温と甘い匂いが、俺の心を満たしていく。ここにあるのは、遠い雲の上の神様なんかじゃない。俺の大好きな、確かな温もりを持った『紀織』という一人の愛しい人間だ……!
「……ところで真白、ステージはいいのか?」
「……え?」
一瞬で現実に引き戻され、我に返った俺の脳裏に、最果ての地で俺の帰りを信じて(?)待っている友の顔が浮かんだ。
「……マズい! 早く戻らないと、俺の代わりにあいつらが死ぬ!」
「……あ、ああ。じゃあ急ごう!」
踵を返して走り出そうとした、まさにその時だった。
「ちょっと待って」
袖を引かれ、何か忘れ物でもしたかと立ち止まって振り返った瞬間――視界の全てが、紀織の美貌で埋め尽くされた。
……ん?
柔らかく温かい感触が、俺の唇を優しく、けれど逃がさないように深く塞ぐ。
吐息が重なり合い、頭の中が真っ白になる。
ほんの一瞬のことだった。
けれど今、俺は間違いなく紀織に唇を奪われたのだ。
きゅっと心臓を強く締め付けられるような強烈な衝撃が走り、脳のヒューズが一気に吹き飛ぶ。
「……ステージが終わったら、あとでまた続きをしよう」
耳元で低く囁かれ、顔から火が吹き出しそうなほど全身の血が熱を帯びる。だが、呆然と感傷に浸っている暇はなかった。
「行こう!」
完全にフリーズした俺の手首を掴み、満足そうに不敵な笑みを浮かべた紀織が引っ張っていく。
体中で鳴り止まない激しい鼓動。俺は、紀織の頼もしい背中にじわっと胸を熱くさせながら、みんなの待つ会場へと全速力で急いだ。
◇
ところで、遊李のやつは一体どうやって時間を稼いでいるのだろうか。
走れば走るほど急に不安になり、慌てて中庭のステージ前に戻ってくると――ステージ横の巨大スクリーンに、なぜか俺の姿が映し出されていた。
……って、よく見たらこれ、ダンスの自主練の時に撮影された、ダサジャージ姿で踊る俺のロボットダンスの秘蔵映像じゃねーか!!
紀織と相沢がキレッキレで踊る隣で、俺のリズム感ゼロのダンスが酷すぎて、悪目立ちの極みをかましている!!
「やー、マシロンお帰り〜! 会場温めておいたから、あとはよろしく頼むよ〜!」
見学席から能天気に手を振る爆弾魔に、俺は血を吐く思いで叫んだ。
「遊李!! お前、俺の黒歴史映像流して『温めておいた』じゃねーよ!!」
一瞬でも「仲間を信じて疾走するメロス」の気分を味わった俺がクソバカだった!!
俺が深い溜息をついていると、背後から相沢がバンと肩を叩き、無駄に爽やかな笑みを浮かべて言った。
「いいじゃねーか。俺はマジで爆笑したぞ」
「……っ、それが一番傷つくわ!!」
だが、観客が紀織の姿を捉えた瞬間、会場の雰囲気が一変した。遊李の仕込んだ前座(?)のおかげで、客席の期待値はすでに限界突破している。
紀織をセンターに据え、俺と相沢が両サイドに構える。
ざわめきが嘘のように静まり返る会場。
軽快なイントロの始まると同時に俺たちが一斉に動き出すと、地鳴りのような大歓声が会場を包み込んだ。至る所で掲げられる『ナギ様』のうちわと光るサイリウム。その光景は、もはやプロのアイドルコンサートそのものだ。
紀織を「等身大の人間」に見せるために企画したステージだったはずなのに、大勢の観客を熱狂させながらセンターで舞う紀織は、神々しいまでの圧倒的なオーラを放っていた。
曲が後半に差し掛かった、その時だった。
背後に気配を感じて視線だけを泳がせると――なぜかクラスの一軍男子たちがステージに上がり、俺たちと完璧なシンクロで踊り始めたのだ!
えっ、なにこれ聞いてないんだが!?
さらに驚くべきことに、その後ろからクラスのみんなまでが続々とステージへ雪崩れ込み、踊り狂い始めた。一体どういう状況だ!?
状況はさっぱり分からないが、ステージも観客席も熱狂の渦に巻き込まれていく。
な、なんだこれ……超楽しいじゃねーか!!!
踊りながらチラリと隣を見ると、紀織が今まで見せたこともないような、心からの弾ける笑顔で踊っていた。その輝く姿に見とれながら、俺は会場全体が一つになる圧倒的な高揚感にただただ酔いしれていた。
曲が終わると、割れんばり拍手と歓声が学校中に響き渡った。
「俺たちの神、最高ーーー!!」
観客に手を振りながらステージを降りると、クラスメイトたちがわっと押し寄せてきて紀織を取り囲んだ。やっぱり紀織はどこに行っても神なんだ……と、ほんの少し遠く感じかけた、その瞬間だった。
「アンパンの神も、最高だったぞーーー!!」
「……へ?」
誰かがそう叫んだかと思うと、俺の背中がバシーン!と豪快に叩かれた。振り返ると、一軍の男子たちが笑いながら俺の周りに集まってきていたのだ。
「廣崎お前、すげーじゃん、ダサジャージの時よりキレッキレだったぞ!見直したわ!」
「あのロボットダンスから、よくここまでなったもんだな!」
「うるせーよ!!」
言いたい放題の言葉にツッコミを入れつつも、何だかんだクラスのみんなが協力してステージを盛り上げてくれたことに、俺は胸が熱くなって目頭がツンとした。
みんなでハイタッチを交わしながら健闘を称え合っていると、人混みのどさくさに紛れて紀織が俺の隣に寄ってきた。指先が密かに絡められ、そのままキュッと力強く握られる。そして、周りに聞こえないような小さな声で、耳元に囁かれた。
「……たまには『神』になるのも、悪くないかもね」
驚いて顔を上げると、紀織はこれまで見たこともないような、心底楽しそうな笑顔を浮かべていた。
それだけで、俺は胸がいっぱいになって、報われた気持ちになれたのだ。
紀織の笑顔を見られるなら、俺はなんだっていい。
紀織の笑顔が、俺にとって何より尊いんだから。
みんなと騒ぐ紀織は、もう神格化された孤高の神ではなくなっていた。新しく誕生した俺たちの神(ヒーロー)に、俺もまた、一緒になって喜びをかみしめた。
熱狂と歓声が渦巻く秋空の下、俺たちの破天荒で甘い文化祭は、最高の形で幕を閉じたのだった。

