拝むな、恋せよ!

ナギ様が走り去ってしまってから、どれくらいの時間が経っただろう。

……ダメだ、このままここに突っ伏していても何も始まらない。有志発表のステージ時間を思い出し、俺は鉛のように重い足を引きずりながら教室へと戻った。
もしかしたら、ナギ様も戻っているかもしれない。どうしてあんなに激怒させてしまったのか、どれだけ頭を捻ってもさっぱり分からないが、とにかく土下座してでも謝らなければ。

だが、教室内はもぬけの殻だった。
あれほどごった返していた『ナギ様神社』は跡形もなく閑散とし、鳥居の奥に降臨されていたナギ様の姿もない。
……有志のステージ、一体どうしたらいいんだ。

底なしの悲しみに打ちひしがれながら、教室の隅で一人ぽつんと制服に着替えていると、パタパタと足音が響いて相沢が戻ってきた。

「おい、有志のステージ、そろそろ裏に移動しねーとやべーぞ。……で、紀織はどうした?」
「……それが、その……」

相沢に「ナギ様はステージに出ないと言って走り去ってしまった」事実を伝えると、奴は着替えかけていたシャツを握りつぶした。

「はあ!? 意味わかんねー! なんでそんなことになってんだよ!?」
「俺が……ナギ様を怒らせちゃったみたいで……」
「はあぁ!? お前、前も『怒らせた』とか言ってただろ! あの超絶冷静な紀織を、どうやったらそんな頻繁にブチギレさせられるんだよ!?」
「俺だって分からないよ……っ!」
「分からないじゃねーよ! お前、状況分かってんのか!? 今、外の特設ステージ前にどれだけの客が紀織待ちで集まってんのか知ってんのか!? 紀織を連れて行かなきゃ、俺たちマジで暴徒化した女子たちに殺されるぞ!!」
「そんなこと言われたって……!」
「とにかく、手分けして探すぞ!!」

俺たちは二手に分かれ、汗だくになりながら校舎中を探し回った。だが、どれだけ叫んでもナギ様は見つからない。

「くそっ! どうすりゃいいんだよ! お前と二人だけでステージに立つなんて死んでも嫌だからな!」
「そんな……」

俺だって、精神的なダメージが大きすぎてとても踊れる状態じゃない。全部俺のせいだ……。またしても視界が涙で滲みかけた、その時だった。

「あ、いたいた〜。そろそろスタンバイしないと順番来ちゃうよ〜?」

ぬるい声を上げながら、巫女服姿の遊李がヒョロヒョロと現れた。
ナギ様が行方不明だと告げると、「マジか〜、限定グッズの返品とかマジ勘弁してほしいんだけど……」と最悪な独り言を呟いたあと、遊李は突如として真剣な顔になった。

「マシロンさあ。ナギ様を怒らせた直前のやり取り、包み隠さず全部俺に話して?」

言われるがまま、体育館裏での「友達をやめよう」「付き合ってくれ」「下僕として付き従います」「大嫌いだ!」という一連のやり取りを説明した。

次の瞬間――相沢と遊李は、同時に驚愕の表情を浮かべて派手にズッコケた。

「それ、ガチで告白されてんじゃねーかよ!!!!」
「マシロン、お前はどこまで鈍感かつ超絶大馬鹿野郎なんだ!!?」
二人揃って腹の底からの絶叫。相沢に至っては、俺の胸ぐらを掴んでガシガシと激しく揺さぶってきた。

「お前いい加減にしろよ! あの紀織がどれだけの覚悟で『付き合ってくれ』って言ったと思ってんだ! それを『下僕として〜』だぁ!? 告白された返しが奴隷志願って何なんだよ!!」
「……え? いや、でも……ナギ様が信徒である俺なんかを好きになるはずが……」

言いかけた瞬間、二人揃って「はああああああっ」と特大の溜め息を吐いた。

「お前いい加減にしろよ! そうやって『信徒フィルター』かけて逃げる癖を今すぐやめろ!」
「そうだよマシロン、完全に大勘違いしてる。そのナギ様への異常な『信仰心』、世間一般では『恋』って呼ぶんだよ!!」
「こ、恋……!? いやいや! 俺はただ純粋にナギ様を拝んでいられればそれで……」
「そんなわけねーだろ!! ……あああもうっ! お前マジで頭おかしいよ! どうしたらそのぶっ飛んだ鉄の信徒脳を破壊できるんだよ!?」
相沢がイライラと頭を激しくかきむしる。
「だって、ナギ様のような神が俺みたいな底辺を好きになるわけないし、俺のこのドロドロした感情だって、ただ修行が足りないからで……っ!」
「お前、まだそんな寝ぼけたこと言ってんのか!?」
相沢が怒号を飛ばす。
「自分のドロドロした感情? 嫉妬だろ!! どうせ俺が紀織と話してる時も、イライラしながら俺を睨みつけてたんだろ!崇拝する神の隣にいる男に殺意湧く信者がどこにいるんだよ!!」
「……っ!!」
痛いところを突かれ、言葉が詰まる。
「お前がやってんのは拝むことじゃねえよ。自分の好意から目を背けて、勝手に『神』って高い棚の上に紀織を追いやっとけば、振られて傷つかずに済むから逃げてんだろ!!」

がつんと頭を殴られたような衝撃に、俺は声も出せなくなった。
逃げていた……? 俺が……紀織から……?

絶句する俺を見て、遊李が静かに着物(巫女服)の袖を捲り上げた。

「マシロンさあ。前までアンパンばっかり食べてたじゃん。それが『信仰心』ね」
「……こんな時に何わけの分かんない例え話してんだお前は!」
相沢が口を挟むが、遊李はおかまいなしに続ける。
「だけど、アンパンばっかり食べてたところに、急にレモングミが入ってきたわけ。それが『恋』なのだよ!」
「……だから何言ってんだマジで」
「要するに! 『恋』っていうのは、甘くて酸っぱいものなの! ほら、マシロンも胸に手を当ててみ? 心当たりしかないでしょ?」
「雑!! 説明が雑すぎるだろ!!」

相沢のツッコミが響く中――俺の脳内で、雷が落ちた。
……甘くて、酸っぱい?

途端に、ナギ様との『甘酸っぱい思い出』が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

下校途中でバイバイする時の、胸が押し潰されそうな寂しさ。
俺の部屋にナギ様が来た時の、爆発しそうな緊張感。
相沢とナギ様が親しげに話しているのを見た時の、吐きそうなほどの激しい嫉妬とドロドロした殺意――。

「そうか……っ!!」
「……って、今の説明で分かったのかよ!?」

修業が足りないと思い込んでいた『濁った信仰心』。
ナギ様を想うだけで胸が苦しくて、愛おしくて、独り占めしたくてたまらなくなるこの感情。
それこそが、全部……『恋』だったんだ!!

「……っ、俺……っ!」

すべてが繋がった。
俺はどれだけ身勝手な『信徒ごっこ』で、紀織を一人きりにし、傷つけ、悲しませてきたんだろう。
神様なんてラベルで縛りつけていたのは俺だ。紀織はただ、俺と一人の人間として向き合いたかっただけなのに……!

ごめん、紀織……っ! ごめん!!

「俺、もう一度紀織を探してくる!!」
「いや待て! もう時間がねえ! とにかくステージ袖に行くぞ! もしかしたら、あいつのことだ……ステージに来てるかもしれない!」

相沢に腕を強く引っ張られ、俺たちは走り出した。
紀織がそこにいてくれることを、俺の本当の声を届かせるチャンスが残されていることを全力で祈りながら、俺たちは熱気あふれる中庭ステージへと全速力で突っ込んでいった――。