「僕をどれだけ待たせるの?」
ナギ様の低く、異様なまでに圧のこもった言葉が、俺の心臓を激しく揺らした。
逃げ場を塞ぐように迫るその瞳は、獲物を追い詰める肉食獣のようだった。今までの浮世離れした静謐さは欠片もない。まるで別人のような凄みに、息が止まる。
「な……ナギ様、遅くなってすみませんでした!」
直角に深く頭を下げようとした。
だが、それより早く距離を詰められ、壁際に追い詰められる。背中が壁にぶつかり、物理的に深くかがむスペースすら奪われた俺は、やむを得ず首だけで頭を下げる不恰好な形で謝罪の意を示した。
すると次の瞬間、ひんやりとしたナギ様の指先が俺の顎に添えられ、ぐいっと強引に上を向かされた。
至近距離で、ナギ様の燃えるような瞳と真っ向から視線が交差する。
「真白、もう、そういうのはやめてくれ」
溜息交じりではあるが、きっぱりと言い放たれた重い声に、思わず喉が鳴った。
「……そ、そういうの……というのは?」
絞り出した声が情けなく震える。壁にぴったりと張り付いた背中には、緊張の汗がじんわりと滲んでいた。
「……全部だよ」
「全部……ですか。……えっと、すみません、俺は何かナギ様の気に障る───っ!?」
これ以上言わせないとばかりに、大きくしなやかな手が俺の口を強引に塞いだ。
指越しに伝わる熱量と、すぐ目の前にあるナギ様の美しいお顔。あまりの至近距離に視界がぼやけ、心臓が肋骨を叩き割らんばかりに跳ね上がる。目の前の瞳は、あきらかに不機嫌な衝動を孕んでいた。
「真白、僕は、神じゃない……」
はっきりとした、揺るぎない言葉が鼓膜を揺らした。
神が、神じゃない……?
一瞬、脳の処理が追いつかなかった。けれど、ナギ様の瞳は「逃がさない」とばかりに俺の視線を強固に繋ぎ止め、圧をかけてくる。
「僕は『ナギ様』じゃない。敬語もいい加減やめてくれ。僕は神なんかじゃないんだ。勝手に崇めないでくれ! いい加減、僕をただの人間として見ろよ!」
ナギ様の全身から放たれた、切迫した叫び。
口を押さえ込まれ身動きが取れないまま、俺はその強い瞳の光に射貫かれていた。
ナギ様が神じゃないのなら、一体何なのだ……。ナギ様は間違いなく神だ。だが、ナギ様は『ただの人間』になりたがっておられる。
──そうか……!!
雷に打たれたような衝撃が走った。
ナギ様は校内の狂信的な雰囲気にずっと苦しんでおられたのだ! 神として扱われる絶望的な孤独と苦痛に耐えかね、今こうして、俺に救いを求めていらっしゃるのだ……!
口を覆っていた手がゆっくりと離された瞬間、俺は意を決して、力強い言葉を紡いだ。
「俺は……っ、ずっとナギ様の苦痛に気づかず、誠に申し訳ございませんでした! ……いや、ご、ごめんなさい……です!」
神に対して敬語を捨てるなど、あまりに恐れ多く至難の業だ。しかし、神の本心を知ってしまった以上、筆頭信徒である俺が世界を変えていかなければならない!
「ナギ様、安心してください。俺が必ずナギ様を『普通の人間』にしてみせます! そして、その孤独と苦痛を俺が必ず取り除いてみせます! ……えっと、……筆頭弟子として!」
言った途端、ナギ様の綺麗な眉が苦しげに歪んだ。
マズい、失敗したか!? 慌てて訂正を試みようとした、その時だった。
「……真白、そこは……、友達でいい……」
絞り出すような思わぬ言葉が、ナギ様の口から零れ落ちた。
「と、友達……!?」
……あ、いや、でもそれはさすがに恐れ多すぎる……と言いかけて思い直す。
ナギ様が下界の「普通の人間」として溶け込むには、俺が『友達』という対等な肩書を提示する方がはるかに自然で説得力があるはずだ。これからは『友達』という偽装名目のもと、極秘裏にナギ様をお守りするのだ!
「わかりました! 『友達』として、これからよろしくお願いします、な、渚……ま」
『様』を抜くことが、これほどまでに罪深い行為だなんて……! 罰が当たって雷に打たれても文句は言えない!
「苗字じゃなくて、『紀織』って呼び捨てでいい」
「……っ!?」
き、きおり……!?
もはやそれは完全なダチ呼びではないか!! そこまでしてナギ様は周囲と溶け込み、人間になりたいということなのか……!?
クソッ、俺の覚悟が甘かった! まだ信徒としての解像度が低すぎる!
俺は腹の底から声を張り上げ、退路を断つような強い気合いを込めて叫んだ。
「紀織、これからは俺に任せな! 最高に普通の人間にしてやるぜ!」
「……ッ」
決まった。完璧なダチのムーブだ。俺の覚悟の強さに感動されたのか、ナギ様が言葉を失っておられる。なんと尊いお姿……。
「真白……、お前、本当にわかったのか?」
どこか不安げな瞳でこちらを見つめるナギ様を安心させるべく、俺は胸をドシッと叩いた。
「当たり前だ! なんたって、俺は紀織のダチだからな!」
「……はぁぁ」
深く吐き出されたため息。額に手を当て、力なく壁に寄りかかるその姿は、きっと長年の「神」としての孤独から解放された、安堵と感動の吐息に違いない。
こうして俺は明日から、ナギ様を「普通の人間」として周囲に認知させるという、筆頭信徒としての新たな極秘任務を遂行するため、熱い決意とともに立ち上がったのだった。
ナギ様の低く、異様なまでに圧のこもった言葉が、俺の心臓を激しく揺らした。
逃げ場を塞ぐように迫るその瞳は、獲物を追い詰める肉食獣のようだった。今までの浮世離れした静謐さは欠片もない。まるで別人のような凄みに、息が止まる。
「な……ナギ様、遅くなってすみませんでした!」
直角に深く頭を下げようとした。
だが、それより早く距離を詰められ、壁際に追い詰められる。背中が壁にぶつかり、物理的に深くかがむスペースすら奪われた俺は、やむを得ず首だけで頭を下げる不恰好な形で謝罪の意を示した。
すると次の瞬間、ひんやりとしたナギ様の指先が俺の顎に添えられ、ぐいっと強引に上を向かされた。
至近距離で、ナギ様の燃えるような瞳と真っ向から視線が交差する。
「真白、もう、そういうのはやめてくれ」
溜息交じりではあるが、きっぱりと言い放たれた重い声に、思わず喉が鳴った。
「……そ、そういうの……というのは?」
絞り出した声が情けなく震える。壁にぴったりと張り付いた背中には、緊張の汗がじんわりと滲んでいた。
「……全部だよ」
「全部……ですか。……えっと、すみません、俺は何かナギ様の気に障る───っ!?」
これ以上言わせないとばかりに、大きくしなやかな手が俺の口を強引に塞いだ。
指越しに伝わる熱量と、すぐ目の前にあるナギ様の美しいお顔。あまりの至近距離に視界がぼやけ、心臓が肋骨を叩き割らんばかりに跳ね上がる。目の前の瞳は、あきらかに不機嫌な衝動を孕んでいた。
「真白、僕は、神じゃない……」
はっきりとした、揺るぎない言葉が鼓膜を揺らした。
神が、神じゃない……?
一瞬、脳の処理が追いつかなかった。けれど、ナギ様の瞳は「逃がさない」とばかりに俺の視線を強固に繋ぎ止め、圧をかけてくる。
「僕は『ナギ様』じゃない。敬語もいい加減やめてくれ。僕は神なんかじゃないんだ。勝手に崇めないでくれ! いい加減、僕をただの人間として見ろよ!」
ナギ様の全身から放たれた、切迫した叫び。
口を押さえ込まれ身動きが取れないまま、俺はその強い瞳の光に射貫かれていた。
ナギ様が神じゃないのなら、一体何なのだ……。ナギ様は間違いなく神だ。だが、ナギ様は『ただの人間』になりたがっておられる。
──そうか……!!
雷に打たれたような衝撃が走った。
ナギ様は校内の狂信的な雰囲気にずっと苦しんでおられたのだ! 神として扱われる絶望的な孤独と苦痛に耐えかね、今こうして、俺に救いを求めていらっしゃるのだ……!
口を覆っていた手がゆっくりと離された瞬間、俺は意を決して、力強い言葉を紡いだ。
「俺は……っ、ずっとナギ様の苦痛に気づかず、誠に申し訳ございませんでした! ……いや、ご、ごめんなさい……です!」
神に対して敬語を捨てるなど、あまりに恐れ多く至難の業だ。しかし、神の本心を知ってしまった以上、筆頭信徒である俺が世界を変えていかなければならない!
「ナギ様、安心してください。俺が必ずナギ様を『普通の人間』にしてみせます! そして、その孤独と苦痛を俺が必ず取り除いてみせます! ……えっと、……筆頭弟子として!」
言った途端、ナギ様の綺麗な眉が苦しげに歪んだ。
マズい、失敗したか!? 慌てて訂正を試みようとした、その時だった。
「……真白、そこは……、友達でいい……」
絞り出すような思わぬ言葉が、ナギ様の口から零れ落ちた。
「と、友達……!?」
……あ、いや、でもそれはさすがに恐れ多すぎる……と言いかけて思い直す。
ナギ様が下界の「普通の人間」として溶け込むには、俺が『友達』という対等な肩書を提示する方がはるかに自然で説得力があるはずだ。これからは『友達』という偽装名目のもと、極秘裏にナギ様をお守りするのだ!
「わかりました! 『友達』として、これからよろしくお願いします、な、渚……ま」
『様』を抜くことが、これほどまでに罪深い行為だなんて……! 罰が当たって雷に打たれても文句は言えない!
「苗字じゃなくて、『紀織』って呼び捨てでいい」
「……っ!?」
き、きおり……!?
もはやそれは完全なダチ呼びではないか!! そこまでしてナギ様は周囲と溶け込み、人間になりたいということなのか……!?
クソッ、俺の覚悟が甘かった! まだ信徒としての解像度が低すぎる!
俺は腹の底から声を張り上げ、退路を断つような強い気合いを込めて叫んだ。
「紀織、これからは俺に任せな! 最高に普通の人間にしてやるぜ!」
「……ッ」
決まった。完璧なダチのムーブだ。俺の覚悟の強さに感動されたのか、ナギ様が言葉を失っておられる。なんと尊いお姿……。
「真白……、お前、本当にわかったのか?」
どこか不安げな瞳でこちらを見つめるナギ様を安心させるべく、俺は胸をドシッと叩いた。
「当たり前だ! なんたって、俺は紀織のダチだからな!」
「……はぁぁ」
深く吐き出されたため息。額に手を当て、力なく壁に寄りかかるその姿は、きっと長年の「神」としての孤独から解放された、安堵と感動の吐息に違いない。
こうして俺は明日から、ナギ様を「普通の人間」として周囲に認知させるという、筆頭信徒としての新たな極秘任務を遂行するため、熱い決意とともに立ち上がったのだった。

