来る者拒まず、去る者追わず。優しい嘘には制裁を。

「とぼけるなよ。俺たちが付き合ったことを、わざわざ意図的に広めただろ」
「いやまあ、広めたけどさ。でもそれは、恭也のためでもあるんだよ?」
「俺の、ため?」

 信じられないといった顔で問う恭也に対し、夏海はフッと鼻で笑う。その澄んだ瞳の奥には、ごまかしのきかない残酷なまでの理路整然とした光が宿っていた。

「恭也の願い通り、断られて泣く人を1人でも減らしただけだよ」
「何言って、」

 そこまで言って、恭也はふと昨日の自分が発した言葉を思い出した。
 
__『だってさ、変に断って泣かれたり面倒なことになったりするより、愛想笑い1つで相手の機嫌が良くなるなら、お互いハッピーだろ。誰も傷つかない』

 きっと夏海はそのことを言っているのだ。
 それを理解してしまった今、恭也は何も言えなくなった。

「優しい嘘でいつまでもごまかして、ずるずる中途半端に期待させながら引き延ばされるよりさ、」

 夏海はガタリと椅子からふわりと立ち上がった。その予想外の気迫に気圧されて、恭也は思わずわずかに息を呑む。
 彼女は恭也の逃げ場を塞ぐように1歩近づいた。周囲のクラスメイトたちはいつも通りの空気で談笑する中、2人の間には妙な緊張感を孕んだ独特の熱が蔓延っていた。

「中途半端な優しい嘘なんかより、厳しい現実を早めに叩きつけられた方がある意味本人のためでしょ?そう思わない、恭也?」
「そのために、俺たちが付き合ってるっていう噂をわざわざ流したってことかよ……!」
「そう。それに、すでに彼女がいる男に告白するような野暮な真似をする女なんて、ロクでもないからさ。これで判別もつきやすくなったし、断りやすくもなったでしょ」

 返す言葉が喉の奥まで出かかったものの、重たい鉛のように沈んで音にならなかった。
 正論すぎて、反論の余地すらない。

「ま、あとは……そうだな~。恭也へのささやかな仕返しかな」
「…は?」
「いつまでも適当な優しい嘘を吐いて自分の殻に閉じこもるなら、そうやって二度と逃げられないようにあらかじめ手を回しておくのが1番手っ取り早いと思ったの。本当は既成事実を作っても良かったんだけど、案外流されてくれなかったのだけは計算外かな」

 ただその場に立ち尽くす恭也を見上げながら、夏海は唇を尖らせた。どこか不満げで、それでいて妙に余裕のある表情だった。
 その顔を見た瞬間、恭也の脳裏に昨日の光景が鮮明に蘇る。

 昨日、自分の部屋で起きた一連の出来事。あの時はただ、いつになく積極的な夏海に面食らっていただけだった。だが今になって考えれば、全てが繋がる。最初から、夏海はこうなることを見越していたのだろう。

「……まさか」

 思わず、恭也の口から呟きが漏れた。
 胸の奥に引っかかっていた違和感が、パズルのピースが1つずつ嵌まっていくように形を成していく。

 そして最後の一片が収まった瞬間__恭也は、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃に襲われた。

 昨日から感じていた、あの妙な違和感。
 夏海がやけに積極的だった理由。
 自分が戸惑うことさえ、どこか楽しんでいるように見えた理由。

 すべては、このためだったのだ。

 明らかに騙し討ちだ。
 いや、それよりもたちが悪い。

 こちらがどう反応するのかまで、ある程度計算した上で仕掛けてきている。
 そうとしか思えなかった。

 そして、ようやく理解する。

__この女は、もう二度と『ただの幼馴染』に戻るつもりなどないらしい。

 その事実を自覚した途端、行き場を失った熱が一気に頬へと駆け上がってきた。恭也は自分でも分かるほど顔が熱くなるのを感じ、いたたまれなくなって視線を逸らす。
 それを見逃す夏海ではなかった。

「……ふふっ」

 小さな笑い声。
 恭也が恐る恐る視線を戻すと、夏海は案の定、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。まるで、してやったりと言わんばかりの、少し意地悪な笑顔。その表情を見て、恭也はますます何も言えなくなる。

 何か言い返してやりたい。
 そう思うのに、言葉が一向に出てこない。

 結局、恭也は気まずそうに目を逸らすしかなかった。
 
キーンコーンカーンコーン

 そんな二人の間に漂っていた、妙に張りつめた空気を1日の始まりを告げる軽快な始業のチャイムが、まるで一刀両断するかのように切り裂いた。

 教室のあちこちから椅子を引く音や、慌ただしく席へ戻る足音が上がる。

 いつもの朝。
 いつもの教室。

 なのに、恭也にとってだけは、昨日までと同じ『いつもの日常』ではなくなってしまったような気がしていた。